甘口・中辛・辛口男子のマネージャーやってます

七篠りこ

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冬の章 そしてわたしは

4、凍てつく心

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 な、何だったの、今のやりとり……。
 ついていけなくて混乱してる。ていうか、ますます頭がガンガンいいだしてきた。

「どこで休みます? 風にあたりたいって感じですか?」
「あ……うん。あっちの──サザンテラスの方にしようか」

 了解です、とコオリ君はうなずいて、そちらに向きを変えた。駅へと向かう人たちの波に逆流しながら、横断歩道を渡る。サザンテラスの遊歩道は幅が広いから、人は多いけれど歩きやすかった。植栽を彩るイルミネーションもきれいだ。

 今日はよく晴れているけれど夜風は冷たいから、テラス席は誰もいなかった。貸出用のブランケットをお互い膝にかけながら、飲み物を買って落ち着く。コオリ君はコーヒー、わたしは紅茶だ。
 コオリ君は飲み会後とは思えないくらい、顔色が変わっていない。ほのかなオレンジ色の光のもとでもよくわかる。少しのびた前髪が目にかかりそうだけれど、その涼やかな瞳はいつも通り理知的だ。結構飲んでたと思うんだけどな……多分彼がチームの中で一番ざるってことで間違いない。

「こんなとこまで付き合わせちゃってごめんね」

 さっきからの戸惑いが声に出ていたみたいで、コオリ君も「びっくりさせたみたいですみません」と小さく頭を下げた。

 冷たい風にあおられて、ありがたくも酔いはいい感じに醒めてきている。多分もう少ししたら体も冷えてくるだろうから、早めに進めた方が良さそうだ。
 わたしはこっほんと咳払いをして「それで、話って何?」と水を向けた。

 コオリ君は一瞬だけ気まずそうな表情を浮かべた後で、コーヒーを一口含む。そうしてから「──これは、俺のただの想像で……もしかしたら違うかもしれないんですけど」と前置きがきた。

 あ、これは、やっぱりあれだ──。

「豊福さんって『にんじん』さんなんですか?」

 詰んだ。
 今度はわたしが紅茶を飲む番だ。砂糖を入れなかったから、微妙なほろ苦さがあって、頭が少しだけすっきりした気になる。

「この間の初詣の時、豊福さんとノイさんの話がちょっとだけ聞こえてきて。なんかそんな感じだった気がして、気になって……」

 ここで違うって言ったらどうなるだろう。コオリ君は納得して引き下がってくれるかな。
 沈黙のままコオリ君を見つめるけれど、彼の静かな視線は多分もう確信している。

 ──ほんと、わたしってツメが甘い。
 
「そう、です」

 また沈黙。
 コオリ君もわたしも、同じタイミングで飲み物に手を伸ばした。会話が切れると途端に空気が冷たく感じるのはなんでだろう。頬が痛いくらい。

「黙っててごめんなさい」

 コオリ君はちらりとわたしに視線を向けた後、すっとそれをそらした。それにならうように、わたしも常緑樹の葉っぱが揺れている様子に目を向ける。葉っぱのこすれる音が、そのままわたしの心のざわめきみたいだ。

「……どうしてそんなことしたんですか」

 コオリ君の声は凍てついていて、彼が内側に秘めている感情が見え隠れしていた。これは……かなり怒ってる……。質問じゃなくて詰問だ。
 ひやりと背筋を冷たいものが走って、ばくばくと心臓の音がうるさい。
 でもわたしはコオリ君の目を見て、言った。

「ゴールデンウィークのイベントの後、コオリ君が少し話してくれたでしょ? なんとか力になりたくて……わたしだってバレたら、コオリ君も変に意識しちゃうかと思ったから……」

 たどたどしい説明を、コオリ君は黙って聞いていた。じっと見つめられて、緊張に手が汗ばんでくる。

 どうしよう……。コオリ君がこんなに怒るなんて思わなかった。
 たとえばれたとしても「なんだ、豊福さんだったんですか、びっくりしました」って、軽い感じで言ってくれると思ってた。

 ──なんでわたしは、そんな楽観的なことを考えてたんだろう。

 こんな時にわたしはノイ君から『あしながおじさん』って言われたことを思い出していた。あの話の中で、主人公のジュディはあしながおじさんが友人であり想い人でもあった彼だと知って、どんな感情を抱いていたっけ。うまく思い出せないけど、あの話のラストで二人は結婚するし、きっとこんなに険悪にはなってないんだろうな……。

「──俺、にんじんさんのコメントを見るのが楽しみでした」

 コオリ君がぽつりと言った。

「でも、今思うと話しやすいのは当たり前ですよね。中身が豊福さんだったんだから」

 コオリ君はこんな時でも淡々としゃべる。だからこそ、冷え冷えとしたものがわたしの内側に入り込んでくる。
 もうお酒の余韻はなくなっていた。
 頭が痛いのはお酒のせいじゃなくて、後悔のせい。

「──コオリ君を不快にさせて、本当にごめん」

 本当に、純粋に、コオリ君の力になりたかったの。 
 でも──きっかけや動機がなんであれ、彼を騙していたことに代わりはない。そしてコオリ君は今、そのことに怒りを感じているんだ……。

 わたしは絶望的な気持ちになって、もう一度頭を下げた。



 それでもコオリ君は優しかった。
 あの後、呆然自失状態のわたしを家まで送ってくれたんだから。

「おやすみなさい。今日はお疲れ様でした」

 こじんまりとした古いマンションの2階角にあるわたしの部屋。その玄関の前まで律儀についてきてくれるなんて、コオリ君、人間できすぎだと思う。それともわたしがよっぽどふらついていたのか。

「ありがとう。──あの、気をつけて帰ってね」

 時刻は11時を過ぎたくらい。これからコオリ君はまた駅に戻って電車を乗り継いで帰宅するんだと思うと、申し訳なさしかない。
 最後に謝ろうと顔をあげたら、コオリ君と目があった。
 もう彼の目に怒りは灯っていなくて、しんとした静かな瞳だった。

「コオリ君、本当にごめ──」

 言いかけた口が、コオリ君の手でふさがれる。手袋をしていない彼の手は冷たくて、びっくりするくらいひんやりしていた。

「言わないでください」

 悲しそうに、悔しそうに。絞り出すような声でコオリ君は言うと、わたしを見つめた。その強い視線はまっすぐにわたしを責めていたけれど、少しの沈黙のあとに、彼は頭を切り替えるかのように咳払いをした。

「もうこれ以上、豊福さんから謝られたくありません」
 
 コオリ君が、心底からそう思ってることは伝わった。でもわたしはもっとコオリ君に謝りたい。どうしたら許してもらえるのか──今は誠意を見せることしか思いつかないから。
 しばらく沈黙がおりた。
 コオリ君の手はそのままわたしの口を覆っている。──そんなに「ごめん」を聞きたくないなら、もう言わない。……言えない。
 そう決めてコオリ君の手を外そうとしたところで「どうして、ノイさんじゃだめだったんですか」という意外な言葉をかけられた。

 今、突然その話!?
 コオリ君みたいに瞬時に話題の転換ができなくて、わたしは「えっ」と思わず呟いた。今の吐息で少しだけコオリ君の手が湿り気を帯びてしまった。

「あ、ご、ごめん」

 あわててコオリ君の手を少しずらそうした瞬間、わたしの手は掴まれた。

「──ノイさんからの手袋してるのに、どうしてですか」

 コオリ君の視線がわたしのつけている手袋に移る。ノイ君がくれた、あの茶色の手袋だ。本人の前ではつけられないけれど、いない場所ならば大丈夫だろうと思っていたけれど。

「な……なんでそれも知ってるの?」
「これを買いに行くのに、俺も付き合いましたから」

 そういう展開は考えてもなかった。でも確かに可能性は──あったのかもしれない。
 困った。これでばれてしまった。わたしが未練がましく、ノイ君との思い出を抱えていること──。

 コオリ君は手袋に視線をそそいだまま「俺は……二人が付き合うと思ってたから……」と絞り出すように呟く。
 けれどその先の言葉を言いあぐねているのか、彼の視線はさまよった。かたずをのんで見守っていたけれど、コオリ君と視線は合わない。
 ただ、彼も迷っているということだけはわかった。

「コオリ君……ごめんね、気を遣わせて……」
「謝って欲しいんじゃありません」
 
 ぴしゃりと言われ、いよいよわたしも何を言っていいのかわからなくなってしまった。コオリ君が求めているのが謝罪じゃないなら、一体なんだろう。
 想像しようとしても、コオリ君の切実な表情からは何もわからない。
 
「──もういいです。……多分、俺も酔ってます」

 それからコオリ君は静かにわたしの手を解放すると「おやすなさい」と告げて背を向けた。

「あ……ありがとう、送ってくれて! 気をつけてね!」

 背中にあわててかけた言葉に、コオリ君はちらりと振り向いてうなずいた。その姿が廊下の角に消えて、階段をおりる足音が遠ざかって聞こえなくなってから、玄関を開けて中に入る。

 コオリ君の色々な言葉が頭の中で繰り返されて、混乱気味だ。
 でも、これだけはわかる。コオリ君は、わたしに怒ってる。

「……もういい、か……」

 ノイ君だけじゃなくて、コオリ君からも言われてしまった。
 その響きの重さと拒絶の雰囲気が、わたしの中で冷たい濁りになって沈んでいく。

「ばかだな、わたし……」

 閉めたばかりのドアに背中をつけて、ずるずるとへたりこむ。ずっと我慢していた涙がこれでもかっていう勢いで流れてきた。足の力が抜けてしまって、しばらくその場でわたしは泣いた。



 次の週の土曜日はオールスタートーナメントの2回戦以降が行われ、ノイ君もコオリ君も勝ち上がりベスト4に進出した。去年はみんなここに至る前に敗退してしまったから、かなりの快挙だ。

 翌日の準決勝、決勝、3位決定戦は、観客が入れるように少し広めのスタジオで行われた。ステージには大きなスクリーンが設置され、その奥に選手が入る小部屋が作られている。そしてステージ前の観覧席には、事前の抽選に当たった100人の観客がずらり座っていた。

 普段のプロリーグには観客はいないから、こういうふうに誰かの気配を感じながら試合をするっていうのは、選手も多少なりとも緊張すると思う。今日は朝からノイ君もコオリ君もいつもより口数が少ないし、表情もどこかかたい。

 ──もっとも、それは、わたしのせいなのかもしれないけど。

 準決勝の1試合目は、コオリ君が出る。バックステージで入場の合図を待っているコオリ君に「がんばってね!」と元気よく声をかける。今日は個人戦だから、まわりにはノイ君もおいちゃんもいない。今頃、立ち見席でそっと様子を伺ってるはず。

 コオリ君はちらりとわたしを見たあと、表情を変えないままうなずいた。
 いつもなら緊張してても笑おうとしてくれる。何か言葉を返してくれる。でもそのどちらもなくて、わたしの笑顔もしゅんとしぼんでしまう。

 緊張してるからじゃない。これは、今のコオリ君との心の距離のせいだ。
 あの日以来、コオリ君とあまり目が合わない。話しかければ答えてくれるけれど、どこかよそよそしい。怒っているような感じじゃなくて、本当に、ただ距離をとられている感じ。

 2年前、コオリ君がチームに入ってきた頃と似てるかもしれない。
 でもあの時と違うのは、コオリ君がわたしを見て複雑そうな顔になること。色々と胸の中でわだかまってるんだろうなって思う。

 唇をかんで色々なものがあふれそうになるのをこらえていると、脇に立っていたスタッフさんが「お願いします」とコオリ君に声をかけた。出番だ。

「応援してるからっ!」

 空元気すぎるのはわかっていたし、もうリアクションがないのもわかっていたけれど、わたしは歩き出したコオリ君の背中に声をかけた。
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