甘口・中辛・辛口男子のマネージャーやってます

七篠りこ

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冬の章 そしてわたしは

5、何が欲しかったんだっけ?

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 試合は、コオリ君が危なげなく勝った。ほとんど相手にペースを渡さなかったんじゃないかな。冷酷とも言えるプレイングで、相手を追い詰めていった。
 そして次はノイ君の出番だ。さっきのコオリ君と同じように、準備が整うまで2人でバックステージで待機する。ノイ君は最終節の時とは段違いにリラックスした表情で、出番を待っていた。

「もしこれで勝ったら、コオリ君との決勝戦だね」
「そうだねー。もしそうなったら、公式戦であたるの初かも」

 ノイ君も、多分わたしに思うところは色々あるけど、表向きは普通に接してくれる。
 わたしがコオリ君に送ってもらった日のことだって、翌日に「大丈夫だった?」と心配もしてくれた。
 話しかければ微笑んでくれるし、激励にも応えてくれる。今だってそう。わたしの言葉に軽快に返事をくれる。けれど視線はほとんど合わないまま。

 あんなにきれいだったノイ君の目は、今は別のところを見ている。わたしを飛び越えて、もっと遠くの方へ。
 今のノイ君がしてくれるのは、わたしの言葉を『受けて』くれることだけ。彼からコミュニケーションのボールが投げられることはない。

 悪いことは重なるようになっているのかな。コオリ君に引き続いて、ノイ君とも、なんだかおかしな距離になっている。でもそれを寂しいと思うのは、わたしのただのわがままだ。

 ステージを見つめて集中しているノイ君の横顔を眺めながら、わたしは自分がどこに立っているのかわからなくなる。彼とわたしの間に隔てるものがあって近づけない。
 これが『適切な選手とマネージャーの距離』なのかな。
 わたしは、これを望んでいたんだっけ……?

 考えれば考えるほどに迷宮に入り込みそうで、あわててわたしは思考をシャットダウンした。
 それからお腹に力を入れて「がんばってね!」と声を振り絞った。笑顔も、多分ちゃんと作れてると思う。
 ノイ君は振り向いて「うん」とうなずいた。

「がんばってくるね」

 その笑顔は爽やかで、彼の魅力を存分に見せてもらっているのに──どうしてこんなに寂しくなるんだろう……。

 ステージの光に包まれていくノイ君の背中が眩しすぎて、目がくらんだ。



 オールスタートーナメントの最終結果は、ノイ君が優勝、コオリ君が準優勝だった。ステファンゲーミングの選手同士の決勝戦を、佐伯さんもおいちゃんも素直に喜んでいた。その脇でわたしも同じようにはしゃぎながら、心は憂鬱だった。

 わたしがいてもいなくても、きっと彼らは強い。
 応援してもしなくても。
 心配してもしなくても。
 彼らは自分の足で立って、ひたすらに努力し続けていける人たちだから。

 ──じゃあ、わたしのいる意味って何だろう。

『豊福さんがいなくても良くない?』

 また、わたしの後ろで過去の亡霊日下部さんが囁いた。



 オールスタートーナメントが終わると、今度こそ選手達はオフシーズンに入った。2月は個人向けの大会も、プロリーグ関係のイベントもない。
 4月からずっと戦いつづけてきた戦士達の、束の間の休息時間だ。
 この間に選手3人と無事に次年度以降の契約更新も行なって、来期も変わらない3人でプロリーグ優勝を目指すことが決まった。

 そして真冬の風がだんだんとゆるみはじめた3月はじめの土曜日。
 前回と同じようなファンミーティングが渋谷で行われた。今回の会場はテラス席もある大きなカフェで、前回よりももっとカジュアルなイベントになった。とは言ってもやることは大体同じ。選手たちはファンと対戦したり、しゃべったり。これも大成功だった。

 回を重ねるたびに、選手たちの人前に立つときの所作が慣れていく。もともとノイ君は得意な方だし、おいちゃんは場をまわすのが上手になった。コオリ君も笑顔が増えた。
 佐伯さんは彼らの成長を喜んでいて、わたしももちろん嬉しいと思ってる。
 
 いよいよ心が分離していきそうだ。
 なんか、つらい。彼らを見るのが、彼らと共に過ごすのが、つらい。
 だから会場の片付けが終わったら、わたしも佐伯さんの運転する社用車に乗せてもらいたかったのに。

「じゃあ豊福さんは先にお店に行って、ちょっと予約内容の確認しておいてくれる?」

 そんなことを言われてしまった。この後は原宿にあるうなぎ料理のお店にて打ち上げの予定だ。なんでうなぎかって言うと、直近の配信で「久しぶりにひつまぶしが食べたいですね」というコオリ君の言葉から。
 そうしたら佐伯さんが美味しいお店を探してくれて、原宿の裏路地にあるそこに予約をとってくれたんだ。

 チームブルゾンを着たままの佐伯さんは、最後のダンボール箱を持ちながらわたしに微笑みかける。そしてまわりを少し気にしてから、声をひそめた。

「小原君はもうすぐ大学の卒業式だろう? 一応その祝いもかねて、デザートプレートを頼んでるんだ」
「え……そうなんですか?」

 今月の下旬に、コオリ君は大学を卒業する。4月からは専業のプロプレーヤーになることが決まっていて、それは確かにおめでたいことだった。相変わらず佐伯さんは気がきく。

「内容は店にまかせてるからどんなものかは俺もわからない。だから、もしできればお店に入った時に確認してもらえると嬉しい」
「……わかりました」

 わたしがうなずくと、佐伯さんは満足した表情になって段ボールを持って、社用車へと向かって行った。それならばわたしは選手たちとは別行動でお店に向かおう。それを狙っていたのに、お店の人への挨拶と最終確認を済ませて店を出たら、3人ともそこで待っていた。

「おつかれさま! お店まで行くのに、代々木公園通って歩いていかない?」

 元気においちゃんが言った。わたしが一緒に行くと信じて疑ってない顔だ。

 ノイ君は春先の澄んだ空を見上げてから「いいねー。ちょっとビュッフェ食べ過ぎちゃったし、運動がてら歩こっか」と賛同した。コオリ君も似たような反応。
 別で行くと言い出せなくて、わたしはごまかすみたいにスマホで地図をチェックする。お店が原宿よりの位置にあるから、確かに歩いて10分くらいで着けるみたい。

「ついでに代々木公園でやってる北海道フェアに寄りたいんだけどどう?」

 おいちゃんが少し照れた様子で言う。これにピンときたのは、ノイ君だ。

「あ、なんだ。そっちが目的かー。何か買いたいものでもあるの?」
「ほら、有名なバターサンドあるじゃん? 由加子があれ好きだからさ」

 相変わらずおいちゃんと由加子ちゃんは仲良しだ。あまりに微笑ましくて、今のわたしには神々しいくらい。

 じゃあ行こうかとみんなで歩き始める。前を行くのは、ノイ君とコオリ君だ。わたしはおいちゃんと並んで、2人の後につく。まだ3時を過ぎたばかりの渋谷は人が多くて、足の長い彼らの歩調は速い。いつもならそれに小走りでついて行くけれど、今日はそれをしなかったから、どんどんわたしたちとの間は人の波で隔たっていった。

 遠いなぁ。
 小さくなる彼らの背中を見つめていると、どんどん足元がおぼつかなくなる。
 彼らの力強い歩みは、ちゃんと自分の足を地につけているから。目標があって、そのためにすべきこともわかっているから。

 ──今のわたしに、彼らを追いかけてまで何かしてあげられることはあるの?

 それを思ったら、もうだめだった。

 おいちゃんは歩くのが遅いわたしに何も言わずに合わせてくれていたけれど、代々木公園に入ってしばらくしてから足を止めたわたしに、いよいよどこかおかしいと思ったみたい。「どうしたの?」とたずねてきた。心配そうに「大丈夫? 具合でも悪い?」と気遣ってくれる。
 わたしは首を横に振って、口の端をあげた。

「わたし……ちょっと用事を思い出したから、後でまた合流するね」
「え? そうなの?」

 あわてておいちゃんは遊歩道の先を確認するように顔を向けたけれど、ノイ君とコオリ君の姿はずっと遠く小さい。ちょっと待ってと声をかけられない距離だとわかってか、おいちゃんは真面目な顔になって「ちゃんとお店来るんだよね?」とたずねてきた。

 ぎくり、と胸が騒ぐ。
 でもわたしは「うん、地図に登録してるから」とうなずいて、これ以上何か言われる前にと背を向けた。

 ずっと迷っていた。
 わたしが彼らのそばにいる意味はあるんだろうかって。
 マネージャーとして事務作業をこなすだけじゃなくて、プラスアルファの価値を作りたいと思ってやってきたけれど、今のわたしは全然できてない。

 ノイ君やコオリ君との信頼関係にひびが入ってから、いまだ修復できる気配がない。自分なりに声をかけたりしてみたけれど、全然良い方には動いてくれなくて空回りばかりだし。

 今日のファンミーティングも、彼らはとってもうまくやっていた。華やかな場所にいる彼らを見て安心して──落ち込んだ。
 そして、さっき前を歩く二人の背中を見て思ったんだ。

 このまま離れても、きっと彼らは大丈夫だって。

 だったら、マネージャーは違う人でもいい。それこそ日下部さんが言っていたように『フェンリルの彷徨』にもっと精通していて、佐伯さんの右腕になれるような人がいい。

 ──だからわたしは、異動願を出そう。
 今ならまだ佐伯さんは会社にいるだろうから、相談して……。

 そんなことを考えながら、遊歩道を逆戻りしていると「待って!」と鋭い声がかかって、ぐいっと後ろから腕をつかまれた。振り向くとおいちゃんが少し怒った顔でわたしを見つめている。

 追いかけられるとは思ってなかったから、声が出ない。放心状態のわたしに、おいちゃんは「……なんで泣いてるの」と顔を歪ませた。
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