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冬の章 そしてわたしは

6、普段温厚な人ほど……!

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「泣いてる……?」

 言われてみれば、なんだか視界がぼやけているような。目尻に触れてみると、確かにおいちゃんの言った通りだった。

「最近、なんとなくふくちゃんに元気がないような気はしてたんだ。俺が聞いていいのかわからなかったけど──やっぱり聞くよ。何があったの。コオリと? それともノイズと?」

 つかまれたままの腕が震える。それはおいちゃんが怖いとかじゃなくて、わたしがぼろぼろと泣き始めたから。一気に視界がにじんで、目頭が熱くなる。あわててメガネをはずして、手の甲で涙をぬぐった。
 でも一度溢れ出した涙は止まらない。

「あっ……ごっ……」

 ごめんって言いたいのに、嗚咽がまじって言葉にならない。片手でメガネを持って、片手でごしごしと目をぬぐっていると、肩の後ろにあたたかい感覚がした。

「──ちょっとこっちで」

 おいちゃんが肩を抱いて、わたしを誘導していく。放心状態のわたしはおいちゃんの誘導に従うだけ。そうして着いたのは、公園内の施設の裏側にあたる場所だった。ぽつんとベンチが置いてあって、メインの散策路からは外れているのか、まわりを歩く人も少ない。

「とりあえず人の少ない方に向かって見たんだけど……ここでなら話せそう?」

 申し訳なさそうなおいちゃんに促されるまま、ベンチに座って覚悟を決めた。メガネを外してバッグにしまってから、ハンカチで目を抑える。多分この涙はしばらく止まらない。
 まさかここまで自分がためこんでいたなんて。
 今さっき決心して心の重荷が少し軽くなったはずなのに、全然だったみたい。

「ごめっ……ねっ……」
「いいよ。きっとずっと我慢してたんでしょ。ごめんね、気づいてたのに何もできてなくて」

 おいちゃんの優しい言葉が染みる。こんなふうに自分のことを心配してもらうのが久しぶりすぎて、いろいろなものが堰を切って溢れ出す。
 ここまでの二人との経緯を、おいちゃんはしっかりと聞いてくれた。そして最後に異動願いの話を出すと、おいちゃんは焦った声で「嘘でしょ!?」と大きなリアクションをした。

 そうだよね。おいちゃんからしたら突然のことだし、理由だって別に自分は関係ないことだし。ある意味巻き込まれたと言えなくもない。
 それはそれでまた申し訳なくて、わたしは「ご……めんねっ……」と頭を下げた。

 話が終わる頃には涙も落ち着くかと思っていたのに、さっきと状態が変わらない。早くとまれ!って思えば思うほど、涙が主張してくる。ぐずぐずと子供みたいに泣いているわたしに「なんでふくちゃんは自分のことだとそんなに弱気なの」と静かな声がかかった。

「弱気……かな……」
 
 しゃくりあげながらたずねると、おいちゃんは「うん。──すごくもったいない」と続ける。

「俺はもちろん、ノイズもコオリも、ふくちゃんがいないとダメだよ。もっと自信もって」
「だって──最近のわたし……何も力になれてないよ……」
「なってるよ。いつだって俺たちのこと支えてくれてる。細かい事務作業とかデータ作ったりとかだけの話じゃないよ? ふくちゃんはいつも俺たちが勝つことを信じて、最後の最後まで応援してくれる。そういうところが、すごく支えになってるんだよ」

 おいちゃんの言葉が、すっと心に沁み入っていく。ぽんぽんと優しく肩をたたかれて「ふくちゃんは、自分が思ってる以上にすごく良いマネージャーだよ。だからやめないで欲しい、いつまでもいて欲しい」とまで言われたら、また涙が止まらない。

 でも今度の涙は……多分さっきとは違う。
 自分が許されている、受け入れられている。マネージャーとして認めてもらえている、その喜びだ。

「ほんっとあいつらがガキでごめんね。ふくちゃんは悪くない」

 おいちゃんは鼻息荒く言い切った。

「そんなこと……」
「なくないから! ほんとに! あいつらが悪い!」

 力強い断定っぷりに、吹き出してしまう。おいちゃんがこんなに熱くなってるところはあんまり見ないから珍しい。わたしの表情がゆるんだのを見て、おいちゃんも少しだけほっとしたように口の端を上げた。

「ただ意地はってるだけなんだよ。ふくちゃんなら大丈夫って甘えてるだけ。まったく腹たつなぁ」
「おいちゃん……ありがとう」
「もしこれでふくちゃんが異動願いマジで出したら、俺はあいつらを許さないよ」
「そ、そこまで!?」

 そんなプレッシャーをかけられると、かなり出しづらい。でも、ここまでのおいちゃんの言葉で、わたしは大分心があたたまっていた。
 こうして自分を認めてくれる人がいることのありがたさをかみしめる。おいちゃんは優しく目を細めて「俺はふくちゃんの味方だよ」と声をかけてくれた。

 涙が止まらない。本当に無理。
 またハンカチを目におしあてるけれど、いいかげん涙を含みすぎてそれもしっとりしてきた。
 反則だ。そんなふうに言ってもらえるなんて。
 ひっくひっくとしゃくりあげていると「──あと、もう一つさ、おせっかいは重々承知なんだけど」とおいちゃんが少しだけ声のボリュームを落とした。

「ノイズのことも、俺はあきらめなくてもいいと思うよ」
「!」

 急に切り替わった話題に、一瞬だけ息が止まる。やけに緊張して、ハンカチから顔をあげられない。そんなわたしの気持ちをくんでか、おいちゃんは「あいつもあいつで悩んでるんだよ。ふくちゃんのことが大事だから。──まあ今の態度は何やってんだよって思うけどね」と静かに続けた。

「せっかくお互い好きなんだから、付き合いなよ」
「なっ……なんでっ……」

 わたしの気持ちまで知ってるの!?
 そう言いたくて、思わず顔をあげると、おいちゃんは優しい笑みを浮かべていた。

「ばればれだよ、ふくちゃん。俺もコオリもずっと知ってる」
「ええっ!? そ、そそそそんんな……」
「もちろんノイズの気持ちも知ってる。だから俺たちのことを気にしてるなら、無駄なことだよ」

 ノイ君からなんとなく聞いていたけれど、ここまで筒抜けだなんて思ってなかった。主にわたしの気持ちが!
 そ、そんなにわかりやすいんだ、わたし……。
 涙がひっこんで、代わりにかーーーーっと恥ずかしさがこみあげてくる。
 
 い、一体いつから、みんな……そんな……。
 わなわな震え出すわたしに、おいちゃんは微笑んだ。

「ふくちゃんは、本当はどうしたいの?」
「……わたしは……」

 その時だった。遠くから「ふくちゃん!?」と大きな声で呼びかけられる。びっくりして振り返ると、ノイ君とコオリ君が小走りで駆けてきていた。
 もしかしたら姿が見えないからって探してくれたのかもしれない。──ううん、絶対そうだ。

「ちょうどいい」
 
 低くおいちゃんが呟いて、わたしには「大丈夫、ふくちゃんは安心してて」と早口に言って立ち上がった。
 あ、安心してって何に? おいちゃんの目が変わって、眉毛がつり上がってるのが……なんだか嫌な予感がする。
 おいちゃんの言葉の意味を考えようというとき、ノイ君たちもベンチの前までやってきた。座るわたしの顔を見て、ノイ君は「なんで泣いてるの!? ──まさかおいちゃん……」とおいちゃんに視線を向ける。

「バカなこと言うな!」

 緊迫したノイ君の声にかぶせるように、おいちゃんの怒声が響いた。
 すさまじい迫力の声にびっくりするなんてものじゃない。おいちゃんは普段の穏やかな表情がまるで嘘みたいに、顔を真っ赤にしていた。

 瞬間火力がすさまじい!!
 お、おいちゃんが! あのいつもニコニコと穏やかなおいちゃんが!
 ものすごい怖い顔になってる……!

 これにはノイ君もコオリ君も意表をつかれたみたい。ぴたっと動きが止まってしまった。

「今ふくちゃんから全部聞いた。お前ら……マジでなんなんだ。そのガキみたいな態度、いいかげんにしろよ!」

 いつもの何倍も太く低い声のおいちゃんは、ノイ君とコオリ君のことをにらみつけた。

「これまでふくちゃんが俺たちのために、どれだけのことしてくれてると思ってるんだ! いろんなことに気を配ってくれて、成長を助けてくれて……それに気づいてないわけじゃないだろ!? 小さなことで拗ねてんじゃねえ! ──ふくちゃん、異動願い出すって言ってる。ほんとにこれでいいのか、ちゃんと考えろ!」

 言い切ったおいちゃんも息を荒くしている。
 わたしはあまりにびっくりして、涙が止まっていた。まさかおいちゃんがこんなに怒るなんて思わなかった。普段怒ってるところを見たことがないだけに、衝撃がものすごい。

「ふくちゃん、本当に? 異動願い出すの? ──俺たちのせいで?」

 ノイ君が一歩踏み出して、わたしに小さい声で聞いた。それに答えられずにいると「……やめてよ。そんなの無理」と弱気な声が響く。

 その場にしんとした空気が流れた。沈黙が重さを増してわたしにのしかかってくる。気まずくて、混乱していて、言葉がまるで出てこない。

「豊福さん」

 意外にも、沈黙をやぶったのはコオリ君だった。ゆったりとわたしの前まで歩みをすすめて「すみませんでした」と告げる。

「な……なんで?」

 まだ少しぼやけた視界の向こうで、コオリ君はどうやら悲しそうに眉を下げているようだった。あわてて立ち上がって目をこらしても限界があって、急いでバッグからメガネを取り出してかけてみる。クリアになって飛び込んできたのは、コオリ君からのまっすぐな視線だった。

 コオリ君は少し気まずそうに顔を伏せ、教えてくれた。

「豊福さんからにんじんアカウントの話を聞いた時、最初は……その、騙されて悔しかったというか……そういう気持ちがあって、顔を合わせづらかったんです。それが続いたら、豊福さんにどう接したらいいのか分からなくなって……避けるみたいなことして、本当にすみません」
「コオリ君……」
「豊福さんは俺が頼りないから、ああいう形をとったんですよね。俺だけの力じゃ大して変わらないだろうって──」
「違うよ! 頼りないなんて思ったことない! ただ、わたしができること、それしか思いつかなかっただけで……。あんなにコオリ君を傷つけると思ってなかった。わたしが悪いの」
「いいえ──いいんです。最初はショックでしたけど、よくよく思えば、確かに俺は豊福さんのコメントにすごく助けられてました。だから……」
 
 コオリ君はここで言葉を切ると、わたしに深く頭を下げた。

「ありがとうございました」

 心のこもったその言葉を受けて、わたしは息を飲んだ。ドキドキと勝手に心臓が震え出す。微動だにせず黙っているわたしを、コオリ君は心配そうな表情になって見つめた。

「その……これからもたまにはコメント残しにきてほしいです。もう俺、大丈夫なので」

 あ、だめだ。
 止まった涙がまたあふれそうになる。
 唇をかみしめてそれをこらえながら、わたしはそのままコオリ君を見つめた。「……いいの?」とかろうじて言えた言葉に、コオリ君は力強くうなずく。その目に冷たい拒絶感はなくて、真摯な光だけが見えた。

 いいの? わたしのこと、許してくれるの?
 もう一度、マネージャーとして信じてもらえるの?
 声にのせられない問いかけを、コオリ君に投げかける。

 コオリ君は「思いつめさせてしまって、本当にすみません」とまた頭を下げた。

「謝らないで……だってわたしが……」

 すっとコオリ君が、いつかのようにわたしの唇に手をあてた。今度は手のひらで抑えるんじゃなくて、指で止める感じで。ドキッとするような仕草に一瞬だけ目を奪われる。

「あっ、ちょっと!」

 コオリ君のななめ後ろからノイ君が声をあげたけれど、当の本人は聞こえていないのか無反応で、わたしにうなずいた。

「今日は俺が謝る番です」
「いっ、いいよ、もう十分伝わったから!」

 あわてて言うと、コオリ君はほっとした表情で微笑んだ。
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