黒髪碧眼の美少年がやってきた【R18】

七篠りこ

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第3章 旅で得るもの、失うもの

14、迷い断ち切って(カイリ視点)

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 自分の気持ちが定まらないまま、時間だけが過ぎていく。

(百花にかけるべき言葉が見つからない……)

 ウェイン達から選択肢が提示され、十日たった。百花に残された時間はあと五日だ。
 あの時からずっと、カイリの胸の中は混乱の極みにあった。

 百花を元の世界に帰すべき。自分のせいで、彼女の命を歪めてはいけない。
 それが正しいことだとわかってはいるけれど、どうしても百花の背中を押すことができない。

 彼女を失いたくない気持ちが深く心に根付いて、カイリをがんじがらめにする。

(くそっ……時間はもう、ほとんどないのに……!)
 
 その迷いから逃げるように、その日のカイリはがむしゃらに馬で駆けていた。戦争の終結とともに雪解けが始まり、街道もだいぶ走りやすくなっている。目的地の街までは真冬ならば半日かかるところが、昼前には着くことができた。

「浮かない顔をしてるな」

 街の入り口にある厩舎に馬をつないでいると、エンハンスは片眉をあげてカイリを見ていた。

「せっかく戦争が終わって、どこもかしこも祝賀ムードなんだ。水をさすなよ」
「……わかってる」

 ため息とともにカイリも馬をつなぎ終わり、きびすを返した。今日の仕事は戦後処理の一貫で、この街の農作物の取れ高と現状について調査をする予定だ。遠方のため今晩はここに泊まることになっていて、それもあってか街をあげてエンハンスを迎える準備を整えているらしい。

 人々に重くのしかかっていた戦争という不安要素が取り除かれ、確かにオミの国全体は喜びの声に満ちている。
 三国会談を実現させたのはエンハンスの尽力だが、それは表沙汰にはされていない。だから、市井では今回の和平は国王の手柄として認識されていた。国王万歳と声高らかに叫ぶ人民を眺めながらエンハンスが何とも言えない表情をしているのを見た時には、カイリは自分のことのように胸が傷んだ。

(国内の風潮が再び国王寄りになっている……)

 こんな中、エンハンスに課された使命は重い。
 国王をなんとかするなんて、今の状態からはかなり難しい。それはエンハンス本人も感じていることだろう。けれど、ダイス国王との密約(と言えるかどうかは疑問だが)がある以上、何もしないわけにもいかない。

(エンハンスは、茨の道を行かねばならない)

 そう思うと、これまで通りにエンハンスをそばで支えていきたいと思う。けれど一方で、ウェインがカイリに示した薬草学の研究をするという提案にも、抗いがたい魅力があった。

 百花の世界で知った薬草学。その深淵まで潜ってみたい。
 それは確かに母や自分のような治る見込みのない病気を治せるようにしたいという思いからくるものでもあったが、単純に植物の未知なる力に魅せられたからというのもある。

「カイリ?」

 厩舎の外でエンハンスが呼んでいる。カイリは気持ちを切り替えて、返事をすると力を込めて地面を踏みしめるように歩き出した。



 その街の農作物は主に麦だったのだが、戦争で人足が減っていた割には例年に近い収穫量を確保できていた。そのおかげか、夜に街一番の酒場で開かれた宴ではたくさんのオミの国流のパンが出された。
 
「モモカのパンを知った今となっては、これをパンと呼ぶのは語弊がある気がして来るな」

 こっそり耳打ちしてきたエンハンスに苦笑しつつ同意して、カイリも宴を楽しむ。ひとしきり飲み食いしたところで、休憩がてら散歩に出るとエンハンスもついて来た。

「主賓がいなくなって良いのか」

 咎めるカイリの言葉などどこ吹く風、エンハンスは「別にもう義務は果たしただろう」と肩をすくめる。

「それで、どうなんだ」
「何が」
「モモカのことだよ。こっちにいられる方法は見つかったのか? あと数日だろう?」

 オレンジ色の魔法灯の明かりの下で見るエンハンスの表情は真剣だった。彼は彼なりにカイリのことを心配し、そしてモモカのことを買っている。エンハンスは忙しい合間をぬって書庫から様々な資料を持ち出し、異界渡りについての情報を調べてくれていた。

 今回の任務だって、本当はエンハンスはカイリに来なくていいと言っていたのだ。残り少ない時間を百花を過ごしたらいいとの配慮だった。けれど、カイリはそれを蹴ってまでエンハンスに同行している。彼がカイリに探りをいれてくるのも必定と言えた。

「……迷ってる」
「何に? 何か見つけたのか?」

 エンハンスは勢いこんでたずねる。それにカイリはうなずいて「でもここで無理やり彼女をとどめたら、彼女は不幸になるかもしれない」と声を落とした。

「不幸に? なぜ? モモカもここにいたいと願っているだろう?」
「今はよくても、将来的にということだよ」
「それはお前が心変わりするかもしれないとか、そういう心配か?」
「そんなわけないだろう!」

 思わず声を張り上げて、カイリはエンハンスをにらんだ。

「そうじゃない。そうじゃなくて……」

 それ以上何も言えず、カイリは唇を噛んだ。説明できるようなことじゃない。他に言い繕うこともできない。

「……モモカはなんて言ってるんだ?」
「その方法をやりたいと言ってる。……でも、彼女は能天気すぎるんだ。それを選ぶ先にあるものを軽く考え過ぎてる」
「じゃあお前の考えとしては、あと数日でモモカと別れた方がいいってことなのか?」

 それに肯定なんかしたくないけれど、自分の主張はつまるところそうなのだ。
 カイリはエンハンスから目をそらした。ザッザッと二人の土を踏みしめる音が薄闇にこだまする。

「……カイリ」

 しばらく進んだところで、エンハンスが低い声でカイリを呼んだ。足を止めるから、カイリもそれにならう。向かい合うような立ち位置になって、エンハンスは真顔でカイリを見おろした。

「あんまり俺を見損なわせるなよ」

 カイリは息を飲んだ。エンハンスは視線を鋭くして「お前はいいかげん、その未来に悲観的な性格を改めた方がいい」と告げる。

「モモカはここにいたいと言う。お前だって本心ではそうなんだろう。だったらそうすればいいじゃないか。『今』を大事にできないやつが、未来を語るな」

 エンハンスは、モモカに課される重い鎖を知らないからそう言えるのだ。そう口からでかかって、カイリは唇を引き結んだ。
 心の奥底では、エンハンスの言葉こそが真理をついていると知っていた。

「モモカだって色々考えて、それでもお前といたいから、ここに残る方法を試したいんだろう。その気持ちをくんでやれよ。何か問題が起こったとしても、お前が全て薙ぎ払えばいい」
「もちろんそうするさ」
 
 でも……自分が年老いて、死んだ先はどうしたらいい?
 父を亡くし、母を亡くした過去の自分を思い出して、カイリは身震いした。あの悲しみを、百花には背負わせたくない。むしろ彼女は時がくれば同じ場所に逝けるわけでもないのだから、その孤独感は圧倒的なものだろうと想像できた。

「僕だって彼女をここにとどめておきたい。でも……」

 うつむくカイリの肩をエンハンスが強く掴んだ。

「ならば、とどめておけ。たとえ後悔するとしても、自分の心に正直な選択なら少しはましなはずだ」
「ハンス……」
「断言できる。もしこのままモモカを帰したら、お前はまた魂が抜けたみたいになるだろう。俺はお前のそんな姿は見たくない」

 俺のためにも頼む。
 エンハンスはカイリに頭を下げた。

『好き同士なのに離れるなんて、ありえないよ!』

 いつかの日に百花が叫んだ言葉が急に頭に浮かぶ。あの時の百花も『あきらめないで』と必死でカイリに訴えていた。
 そして、今もそうだ。
 百花はウェインたちから話を聞いてからずっと『一緒にいるためなら、なんだってする』と言っている。自分の身に起こることなんて大したことじゃないと言い張って。

『カイリと今ここで別れるよりは全然いいよ!』
 
 笑顔で言い切った百花の顔を思い出して、カイリは不意に涙がこみあげてきた。

「うっ……」

 嗚咽がもれ、あわててエンハンスの手を外して後ろを向く。

(なんで、急に……)

 自分自身でも混乱しながら、カイリの目からは涙が溢れ出て止まらなくなった。

 雪崩のように百花との思い出が次から次へと脳内によみがえっていく。オミの国で過ごした日々も、日本で過ごした日々も、いつだって百花はカイリのそばにいて、笑って怒って泣いて、そして支えてくれていた。
 カイリは百花の前では素直になれたし、百花もそんなカイリを受け入れてくれて……。

(そうか、モモカを失うということは……もう彼女のそばにいられないということは……)

 こんなにも身を引きちぎられるような悲しみなのか。

(……耐えられるだろうか、自分に)

 今更ながらに喪失感の大きさに気づき、腹の底から這い上がる悪寒に打ち震える。もしも自ら彼女の手を離したら……確かにエンハンスの言う通りに、際限なく後悔する未来しか見えてこない。

「なあ……お前は自分の気持ちに素直になるべきだ。そうして良いんだよ」

 背後から暖かい声がかかり、心に染み込んでいく。カイリは身を震わせ、百花の顔を思い浮かべた。

(彼女と共に生きたい。それが自分の正直な気持ち)
 
 そう認めた瞬間に、カイリの中で何かが弾けた。それはこれまで色々と悩んで来た重苦しいもので、それが粉砕されて自分の中に新しい核が生まれたような感覚がある。

(これが……思いが定まるということか)

 強引に涙をふいて振り向き、カイリはエンハンスをまっすぐに見つめる。それだけで言わんとしていることは伝わったようだ。エンハンスは微笑み「お前、今日はもうこのまま帰っていいぞ」とうなずいた。

「あとは俺と他の者で適当にやっておく。夜道は注意が必要だが、お前の騎乗技術ならなんとかなるだろう」
「ありがとう……ハンス」

 カイリは震える口元で精一杯に弧を描くと、一礼して走り出した。
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