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第3章 旅で得るもの、失うもの
15、いつか
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その夜、百花は再びダイスにやって来ていた。
相変わらずここは暖かい。
着込んでいたセーターを脱いで麻のワンピース一枚になった百花は、大きく伸びをした。
「本当に神様ってミラクルですね」
一息ついて振り向くと、アリスが「そりゃそうよ」と胸を張って答える。ひまわりのような黄色のサマードレスがふわりと揺れた。ここはアリスの自室で、いつの日かウェインと初めて会った場所でもある。
今はウェインは不在でアリスだけが室内にいた。まあ座ってと一人がけのソファをすすめられ、柔らかいクッションに身体を沈める。
今日ここへやってきたのは、他でもない。いよいよ眷属になるためだった。
今回、百花は船を使ってここに来たわけではない。高速船に乗りたいからとオウルに港町まで転移魔法を使ってもらおうとしたところで、いきなりアリスが迎えに来たのだ。厨房の中の、何もない空間に紫色の裂け目が出現してアリスが出て来た時は、百花もオウルもシアもそろって腰を抜かしてしまった。
「こちらに来たがっているようだから、迎えに来たわよ」
さも当たり前にアリスは言って、そのまま百花の手を引いて裂け目をくぐる。そうして出た先がアリスの部屋だったのだから、百花がミラクルと表現したくなるのは当然のことと言えた。
「ずっと様子を伺ってたけど全然来る気配がないから、どうしようかと思っていたわ」
アリスは大げさにため息をついてから、百花の向かいのソファに腰を下ろして、優雅に足を組んだ。踏ん反り返った様子は小生意気な少女にしか見えないのだけれど、妙な威厳がある。そのアンバランスさを不思議な気持ちで見ながら、百花は肩をすくめた。
「色々とバタバタしてたんです。戦争の後処理とかで、なんか私も色々することがあって。あ、その節は本当にお世話になりました! と、ハンスが言ってました」
勢いよく頭をさげるとアリスは「別に大したことじゃなかったわよ。帝国はあっさりしたものだったわ。むしろオミの国の国王の方が渋ってたわね。本当に自分の立ち位置を勘違いしている耄碌《もうろく》じじいだわ」と顔を歪めた。
「エンハンスには同情を禁じ得ないわ。これから大変だと思うけど、頑張ってと伝えて」
「あー……はい」
辛辣なアリスの物言いに苦笑いしつつ、百花はうなずいた。
「まずはお茶でも飲みましょ。美味しいお茶を用意させてるの」
アリスが言うなり給仕によって運ばれて来たお茶は、赤い色をした初めて見るものだった。ローズヒップのような酸味があるが、それよりももっとまろやかで甘い。思えば、ダイスのお茶はどれもこれも爽やかな甘さがある。
「うん……すごく美味しいです」
感動のため息をつきながら言うと、アリスは「これは最近初めて作った茶葉なのよ」と微笑んだ。そうしてから少しだけ表情を引き締めた。
「カイリは結局まだ納得してないみたいね」
「……そうなんです。どうしてもわたしが一人残されるっていうのが嫌みたいで。別に気にしないって言ってるんですけどね」
ウェインとアリスから選択肢を提示されてから今まで、カイリとはずっと話し合いを重ねてきた。
百花がいくらその愛を伝えても、カイリは苦しげな面持ちで首を横に振る。そればかり続いてもう面倒臭くなった百花がこうして一人ダイスに来て、さっさと眷属になろうと決めたのだ。もうなってしまえばカイリも文句は言えないだろうから。(ものすごく怒られるかもしれないけれど)
幸いにして今日はカイリはエンハンスと泊りがけの任務に出かけている。
こっそり事を成すにはおあつらえ向きの夜だった。
「それを気にしないではいられないのが、愛の証なんだろうね」
音もなくウェインが出現して、ソファに座った。先ほどの給仕がカップを三つ用意していったから、いつかくると思っていた。だから百花もそう驚くことなく、ウェインに会釈する。
「本当に来たんだね」
「はい」
ウェインは目を細めて百花を見つめながら「……昔話を一ついいかい?」と聞いた。
どうぞと促すと、ウェインは「この世界が出来たての頃、同じようなことがあったんだ」と語り出した。
「君と同じように他の世界から来た娘が、こちらで恋に落ちた。それは情熱的な二人でね、同じようなことを懇願されて、彼女は眷属になったんだ。最初は良かった。幸せそうな二人の姿を見て、私たちも心が和んだ」
ウェインがこうして語り出したことの先を聞くのが怖い。本能がそう告げているが、百花は黙って続きを待った。
「けれど五十年たち最愛の人の死を看取り、百年たち自らの血筋とも関われなくなり、百五十年たった時には魂が抜け落ちたようになってしまった。いつまでも死ぬことができないという孤独ははかりしれないものがあったんだろうね。糸が切れたようになってしまって……だから私は彼女を人として生かすことをやめたんだ」
「……『死』を与えたということですか?」
「残念ながら、眷属になった以上死ぬことはできない。けれど姿を変化させることはできる。彼女は今もこの地で人々を見守りながら、長い眠りについているよ。……彼女の名前は、リエルというんだ」
どこかで聞いた言葉だと思った瞬間に、百花は全てを理解した。
「あの……万病に効くという植物ですね」
「そう。今の彼女はとても幸せそうだよ。四季を通じて花を咲かせ、葉を茂らせて、そして散らしていく。その穏やかな流れの中で、安らぎを得られたようだ」
「別にモモカがそうなると言うわけじゃないのよ」
不満そうにアリスはつぶやいた。
「こんな話する必要ないって、私は言ったんだけど……」
「私は君のことを、これでも買っているんだよ」
ウェインはまっすぐに百花を見つめ微笑んだ。
「君は心身ともに健全で好ましい。そんな君でも長すぎる時を生きれば、歪みが生じてしまうだろう。私は君のそういう姿を見たくない」
そこでウェインに初めて感情が滲んだ。愛しいものを見るような視線はあたたかく、能面のような表情に色がともっていく。
「……お気遣い、ありがとうございます」
百花は微笑みで応えて「確かにそういう未来を想像すると、ちょっと怖いんですけど……」とはにかんだ。
「でもなるようになるんじゃないかなって思ったりもしてるんです。やっぱり大事にしたいのは『今』だから」
百花の言葉にウェインもアリスも柔らかい表情で応えた。
「それならば、もう私からは言うことはない。向こうの神に詫びる言葉も考えるよ」
「大丈夫よ、なっちゃえば案外楽しいわ」
「よろしくお願いします」
百花は一度頭を下げてから、カップに残っていたお茶を飲み干した。ウェインとアリスのカップにはまだ残っていたが、二人とも立ち上がる。いよいよだ、と百花もそれにならったが、ウェインは「まだだよ」と彼女を制した。
「君に来客だ」
ウェインがゆったりと百花の背後にまわり、その身体をドアの方へと向けさせる。
直後にノックの音が響き、開いたドアの向こうに立っていたのはカイリだった。
◆
今日のことは、カイリには何も言っていない。今朝、彼は特に変な様子もなく一泊分の荷物を持ってでかけたはずだ。
(なんでカイリがここにいるんだろう?)
船に乗って間に合う時間じゃないと百花がいぶかしむように視線を送ると、背後から「私が連れて来たんだ」とウェインが言った。そのまま百花とカイリの間に歩いてくると、ウェインは微笑む。
「ものすごく急いで君の元へと駆けているのが見えたから」
「わたしのところへ? カイリ、任務は?」
「……ハンスが気をきかせてくれて、終わりにしてくれた。それで馬に乗って戻ってる最中に、突然目の前にウェイン殿下が飛び出して来て……」
では、カイリも百花と同じような形でダイスに来たということだ。なんてタイミングだろう、と百花は複雑な思いでカイリを見つめた。
「一緒にこの部屋に連れてくることもできたんだけれど、私は私で君と話したかったからね。カイリは城門でおろして、そこからは自分で来るよう伝えたんだ。……ちょうど良い時間だったね」
(見つからないうちに済ませたかったのに……)
お節介な神様である。
その不満を視線に表してウェインを見ると、彼は小さく笑って気づかないふりをした。そして、私たちは少し席を外すからとウェインとアリスが部屋を出て行き、二人きりで室内に残される。
こうなったら、もはやどうしようもない。
百花はカイリを見つめて「カイリが色々わたしのこと心配してくれてるのはわかるけど、ありがたいけど……わたしも譲れないから」と告げた。カイリは何も言わないまま、一歩ずつ百花の方へと近づいてくる。
そこに妙な迫力を感じて、百花は一歩ずつ後ずさった。
カイリの目が据わっている。
「も、もう決めたから! 無理やりつれもどそうとしたってダメだからね!」
いつかのように転移魔法なんて使われたらたまったものじゃないと、一定の距離をとろうとする百花に対してカイリは険しい表情で「わかってる。そんなことしない」と低く呟いた。
そしてそこで立ち止まるから、百花もつられて足を止めた。
二人の間は歩いて三歩分ほどの距離がある。そこで見つめ合い、百花はカイリの目の中に決意の色を見た。
「ずっと考えてたんだ。僕だってモモカにそばにいてほしい。でも、それでモモカを眷属にしてしまって良いんだろうかって。いつか僕が死んで、モモカが取り残されることを考えると、やりきれない」
「……でも、生きている限りは一緒にいられるよ。カイリ、ハンスに言ってたんでしょ? 一生わたしにそばにいてほしいって。わたしも同じなんだよ」
「知ってる」
カイリが一歩を踏み出す。
そして手を伸ばして百花の両手をとると、包み込んで強く握りしめた。まるで祈るように目を閉じて頭を垂れるから、その表情が分からなくなる。そのまま少しの沈黙を選んだ後、カイリは絞り出すような声で言った。
「……いつか憎まれるとしても、僕はモモカが好きだよ」
「憎むわけないでしょ……なんでそんなこと言うの……」
顔をあげたカイリの目には涙が浮かんでいた。一度だけ瞬きすると、まるで宝石のように涙の粒が頬を滑っていく。なんて綺麗な涙だろう、と百花は羨望にも似た気持ちで、カイリの表情に見とれた。
一方のカイリは自身の涙に構うこともなく、片手だけ外してその手のひらを上に向けた。そこに小さな光の輪が生み出され、白い輝きを放ち始める。
それに目を奪われていると、カイリは改めて百花の左手をとった。
「モモカの世界では、左手の薬指が証なんでしょう?」
「……そう、だけど……」
まだ日本に二人でいた頃、たわいもない話の一つとして話題になったことがあった。指輪といえば道具という認識だったカイリがカルチャーショックを受けていたのを思い出す。
カイリは「急拵えにもほどがあるけど」と苦笑しながら、その光の輪を百花の左手の薬指に纏わせた。真っ白い光の指輪は、幻想的な美しさだった。
「モモカの全てを僕にください」
言いながらカイリが左手の甲に口付ける。そうして彼が目線をあげて百花を見つめた時、瞳の青が指輪とともにきらめいた。
喉が乾いて、うまく声が出ない。目の前がどんどんぼやけていって、やがて全てがにじんでいった。
それでも目の前のカイリが微笑んでいるのだけは分かる。
百花は声を震わせて、カイリに応えた。
相変わらずここは暖かい。
着込んでいたセーターを脱いで麻のワンピース一枚になった百花は、大きく伸びをした。
「本当に神様ってミラクルですね」
一息ついて振り向くと、アリスが「そりゃそうよ」と胸を張って答える。ひまわりのような黄色のサマードレスがふわりと揺れた。ここはアリスの自室で、いつの日かウェインと初めて会った場所でもある。
今はウェインは不在でアリスだけが室内にいた。まあ座ってと一人がけのソファをすすめられ、柔らかいクッションに身体を沈める。
今日ここへやってきたのは、他でもない。いよいよ眷属になるためだった。
今回、百花は船を使ってここに来たわけではない。高速船に乗りたいからとオウルに港町まで転移魔法を使ってもらおうとしたところで、いきなりアリスが迎えに来たのだ。厨房の中の、何もない空間に紫色の裂け目が出現してアリスが出て来た時は、百花もオウルもシアもそろって腰を抜かしてしまった。
「こちらに来たがっているようだから、迎えに来たわよ」
さも当たり前にアリスは言って、そのまま百花の手を引いて裂け目をくぐる。そうして出た先がアリスの部屋だったのだから、百花がミラクルと表現したくなるのは当然のことと言えた。
「ずっと様子を伺ってたけど全然来る気配がないから、どうしようかと思っていたわ」
アリスは大げさにため息をついてから、百花の向かいのソファに腰を下ろして、優雅に足を組んだ。踏ん反り返った様子は小生意気な少女にしか見えないのだけれど、妙な威厳がある。そのアンバランスさを不思議な気持ちで見ながら、百花は肩をすくめた。
「色々とバタバタしてたんです。戦争の後処理とかで、なんか私も色々することがあって。あ、その節は本当にお世話になりました! と、ハンスが言ってました」
勢いよく頭をさげるとアリスは「別に大したことじゃなかったわよ。帝国はあっさりしたものだったわ。むしろオミの国の国王の方が渋ってたわね。本当に自分の立ち位置を勘違いしている耄碌《もうろく》じじいだわ」と顔を歪めた。
「エンハンスには同情を禁じ得ないわ。これから大変だと思うけど、頑張ってと伝えて」
「あー……はい」
辛辣なアリスの物言いに苦笑いしつつ、百花はうなずいた。
「まずはお茶でも飲みましょ。美味しいお茶を用意させてるの」
アリスが言うなり給仕によって運ばれて来たお茶は、赤い色をした初めて見るものだった。ローズヒップのような酸味があるが、それよりももっとまろやかで甘い。思えば、ダイスのお茶はどれもこれも爽やかな甘さがある。
「うん……すごく美味しいです」
感動のため息をつきながら言うと、アリスは「これは最近初めて作った茶葉なのよ」と微笑んだ。そうしてから少しだけ表情を引き締めた。
「カイリは結局まだ納得してないみたいね」
「……そうなんです。どうしてもわたしが一人残されるっていうのが嫌みたいで。別に気にしないって言ってるんですけどね」
ウェインとアリスから選択肢を提示されてから今まで、カイリとはずっと話し合いを重ねてきた。
百花がいくらその愛を伝えても、カイリは苦しげな面持ちで首を横に振る。そればかり続いてもう面倒臭くなった百花がこうして一人ダイスに来て、さっさと眷属になろうと決めたのだ。もうなってしまえばカイリも文句は言えないだろうから。(ものすごく怒られるかもしれないけれど)
幸いにして今日はカイリはエンハンスと泊りがけの任務に出かけている。
こっそり事を成すにはおあつらえ向きの夜だった。
「それを気にしないではいられないのが、愛の証なんだろうね」
音もなくウェインが出現して、ソファに座った。先ほどの給仕がカップを三つ用意していったから、いつかくると思っていた。だから百花もそう驚くことなく、ウェインに会釈する。
「本当に来たんだね」
「はい」
ウェインは目を細めて百花を見つめながら「……昔話を一ついいかい?」と聞いた。
どうぞと促すと、ウェインは「この世界が出来たての頃、同じようなことがあったんだ」と語り出した。
「君と同じように他の世界から来た娘が、こちらで恋に落ちた。それは情熱的な二人でね、同じようなことを懇願されて、彼女は眷属になったんだ。最初は良かった。幸せそうな二人の姿を見て、私たちも心が和んだ」
ウェインがこうして語り出したことの先を聞くのが怖い。本能がそう告げているが、百花は黙って続きを待った。
「けれど五十年たち最愛の人の死を看取り、百年たち自らの血筋とも関われなくなり、百五十年たった時には魂が抜け落ちたようになってしまった。いつまでも死ぬことができないという孤独ははかりしれないものがあったんだろうね。糸が切れたようになってしまって……だから私は彼女を人として生かすことをやめたんだ」
「……『死』を与えたということですか?」
「残念ながら、眷属になった以上死ぬことはできない。けれど姿を変化させることはできる。彼女は今もこの地で人々を見守りながら、長い眠りについているよ。……彼女の名前は、リエルというんだ」
どこかで聞いた言葉だと思った瞬間に、百花は全てを理解した。
「あの……万病に効くという植物ですね」
「そう。今の彼女はとても幸せそうだよ。四季を通じて花を咲かせ、葉を茂らせて、そして散らしていく。その穏やかな流れの中で、安らぎを得られたようだ」
「別にモモカがそうなると言うわけじゃないのよ」
不満そうにアリスはつぶやいた。
「こんな話する必要ないって、私は言ったんだけど……」
「私は君のことを、これでも買っているんだよ」
ウェインはまっすぐに百花を見つめ微笑んだ。
「君は心身ともに健全で好ましい。そんな君でも長すぎる時を生きれば、歪みが生じてしまうだろう。私は君のそういう姿を見たくない」
そこでウェインに初めて感情が滲んだ。愛しいものを見るような視線はあたたかく、能面のような表情に色がともっていく。
「……お気遣い、ありがとうございます」
百花は微笑みで応えて「確かにそういう未来を想像すると、ちょっと怖いんですけど……」とはにかんだ。
「でもなるようになるんじゃないかなって思ったりもしてるんです。やっぱり大事にしたいのは『今』だから」
百花の言葉にウェインもアリスも柔らかい表情で応えた。
「それならば、もう私からは言うことはない。向こうの神に詫びる言葉も考えるよ」
「大丈夫よ、なっちゃえば案外楽しいわ」
「よろしくお願いします」
百花は一度頭を下げてから、カップに残っていたお茶を飲み干した。ウェインとアリスのカップにはまだ残っていたが、二人とも立ち上がる。いよいよだ、と百花もそれにならったが、ウェインは「まだだよ」と彼女を制した。
「君に来客だ」
ウェインがゆったりと百花の背後にまわり、その身体をドアの方へと向けさせる。
直後にノックの音が響き、開いたドアの向こうに立っていたのはカイリだった。
◆
今日のことは、カイリには何も言っていない。今朝、彼は特に変な様子もなく一泊分の荷物を持ってでかけたはずだ。
(なんでカイリがここにいるんだろう?)
船に乗って間に合う時間じゃないと百花がいぶかしむように視線を送ると、背後から「私が連れて来たんだ」とウェインが言った。そのまま百花とカイリの間に歩いてくると、ウェインは微笑む。
「ものすごく急いで君の元へと駆けているのが見えたから」
「わたしのところへ? カイリ、任務は?」
「……ハンスが気をきかせてくれて、終わりにしてくれた。それで馬に乗って戻ってる最中に、突然目の前にウェイン殿下が飛び出して来て……」
では、カイリも百花と同じような形でダイスに来たということだ。なんてタイミングだろう、と百花は複雑な思いでカイリを見つめた。
「一緒にこの部屋に連れてくることもできたんだけれど、私は私で君と話したかったからね。カイリは城門でおろして、そこからは自分で来るよう伝えたんだ。……ちょうど良い時間だったね」
(見つからないうちに済ませたかったのに……)
お節介な神様である。
その不満を視線に表してウェインを見ると、彼は小さく笑って気づかないふりをした。そして、私たちは少し席を外すからとウェインとアリスが部屋を出て行き、二人きりで室内に残される。
こうなったら、もはやどうしようもない。
百花はカイリを見つめて「カイリが色々わたしのこと心配してくれてるのはわかるけど、ありがたいけど……わたしも譲れないから」と告げた。カイリは何も言わないまま、一歩ずつ百花の方へと近づいてくる。
そこに妙な迫力を感じて、百花は一歩ずつ後ずさった。
カイリの目が据わっている。
「も、もう決めたから! 無理やりつれもどそうとしたってダメだからね!」
いつかのように転移魔法なんて使われたらたまったものじゃないと、一定の距離をとろうとする百花に対してカイリは険しい表情で「わかってる。そんなことしない」と低く呟いた。
そしてそこで立ち止まるから、百花もつられて足を止めた。
二人の間は歩いて三歩分ほどの距離がある。そこで見つめ合い、百花はカイリの目の中に決意の色を見た。
「ずっと考えてたんだ。僕だってモモカにそばにいてほしい。でも、それでモモカを眷属にしてしまって良いんだろうかって。いつか僕が死んで、モモカが取り残されることを考えると、やりきれない」
「……でも、生きている限りは一緒にいられるよ。カイリ、ハンスに言ってたんでしょ? 一生わたしにそばにいてほしいって。わたしも同じなんだよ」
「知ってる」
カイリが一歩を踏み出す。
そして手を伸ばして百花の両手をとると、包み込んで強く握りしめた。まるで祈るように目を閉じて頭を垂れるから、その表情が分からなくなる。そのまま少しの沈黙を選んだ後、カイリは絞り出すような声で言った。
「……いつか憎まれるとしても、僕はモモカが好きだよ」
「憎むわけないでしょ……なんでそんなこと言うの……」
顔をあげたカイリの目には涙が浮かんでいた。一度だけ瞬きすると、まるで宝石のように涙の粒が頬を滑っていく。なんて綺麗な涙だろう、と百花は羨望にも似た気持ちで、カイリの表情に見とれた。
一方のカイリは自身の涙に構うこともなく、片手だけ外してその手のひらを上に向けた。そこに小さな光の輪が生み出され、白い輝きを放ち始める。
それに目を奪われていると、カイリは改めて百花の左手をとった。
「モモカの世界では、左手の薬指が証なんでしょう?」
「……そう、だけど……」
まだ日本に二人でいた頃、たわいもない話の一つとして話題になったことがあった。指輪といえば道具という認識だったカイリがカルチャーショックを受けていたのを思い出す。
カイリは「急拵えにもほどがあるけど」と苦笑しながら、その光の輪を百花の左手の薬指に纏わせた。真っ白い光の指輪は、幻想的な美しさだった。
「モモカの全てを僕にください」
言いながらカイリが左手の甲に口付ける。そうして彼が目線をあげて百花を見つめた時、瞳の青が指輪とともにきらめいた。
喉が乾いて、うまく声が出ない。目の前がどんどんぼやけていって、やがて全てがにじんでいった。
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