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延宝五年 冬 仙台高尾異聞 早飛脚と朝味噌汁
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冬花が以前漏らした事がある。
「この苦界に入って色々な事を体験したけど、白いご飯が食べられる事だけは良かったと思うわ」
捨て子だった半兵衛も由井正雪先生たちに拾われなかったら野垂れ死にしていた訳で、仕掛け人として食うに困らぬ金を持つ今、白い飯を食べる時に手を合わせる際には由井先生に感謝をする事にしている。
「起きてる?」
「ああ。おはよう。冬花」
「楼主からご飯持っていけって。
後で来て欲しいそうよ」
「まったく……ただの簪職人に何を期待しているんだが……」
戸を開けた冬花は持ってきた握り飯の包みを置くと、勝手知ったるとばかりに竈に火を入れる。
上にある鍋を蓋を開けると、残った味噌汁を温めだす。
この味噌汁も気づけば、アサリ、昆布、大根と冬花の味になっている。
この吉原の長屋の中でも、冬花と半兵衛の仲は知られており、既に夫婦とみられているのを実は二人とも知らない。
「そういえば、楼主がぼやいていたわよ。
最近米の値段が上がったとかで」
「それは俺達には関係ないだろうな。
まあ、俺達の懐が痛むわけじゃないし、気にする必要はないだろう」
「それもそうね。ところで……その……」
言いづらそうな顔をする冬花。
鍋をかきまぜる手も止まっていた。
「なんだ?はっきり言えよ」
「身請けしてもいいって旦那が現れたの。口約束だけどね」
恥ずかしげに言う冬花の言葉を聞いた半兵衛の顔は変わらない。
噴きこぼれた鍋を慌てて持ち上げる冬花を半兵衛はなんとも言えない顔で見つめた。
「いやかしら?」
少し不安になったのか冬花が尋ねる。
しかし、そんな言葉を聞く余裕もなく、半兵衛は自分の頭をガリガリと掻く。
「普通は喜ばないとならんのだろうが……何となくだが嫌だな」
一言だけ絞り出すように言った半兵衛の言葉を耳聡く聞きつけた冬花は、嬉しそうに微笑んで答えた。
「ふふん。私も来年二十だし、客がつかなくなったらあんたがもらってよ」
そんな事を言って二人して食べる朝食は、この二人の吉原の日常だった。
「今回の仕掛けは、仙台に行く早飛脚だ」
昼見世が終わり、夜見世が始まるまでの間の時間、『蓬莱楼』に来た半兵衛に楼主の蓬莱弥九郎がぼやく。
「また仙台がらみか。あの騒動は終わったんじゃなかったのかね」
「俺だって好きで頼んでいるんじゃない。
外様雄藩ともなれば色々あるんだろうよ」
ため息をつく弥九郎に半兵衛も同意するように肩をすくめる。
それでも半兵衛はこの依頼を断るつもりはなかった。
「この江戸に入っている米の三割が仙台から来ているのは知らんか。
仙台藩が外様雄藩としてでかい顔ができているのは、この江戸に運ばれる米のおかげという訳だ。
そんな藩でお家騒動が起こっていたらどうなる?」
「……冬花が言っていた米が高くなったってのはこれか」
「その通り。
仙台藩重臣の田村図書顕住の献策で仙台からの米の流れが滞っているらしい」
「で、それがどうして早飛脚を撃てという事になるんだ?」
仙台藩重臣を撃てという面倒な依頼でない事に安堵しつつも、早飛脚を撃つという依頼に繋がらない半兵衛は強めに説明を求め、弥九郎はなんともいえない顔で続きを口にした。
「仙台藩が米を江戸に運ぶ場合、米問屋と組んで江戸での米の値段を早飛脚で送って量を調整していたんだ。
それを田村図書が止めさせた」
「そりゃあ、恨みを買うな」
「だから、その恨みを晴らしたい奴らがいるんだよ。
で、この間の騒動だ。
仙台藩は幕閣だけでなく、松平綱吉公にも金をばら撒く必要が出てきた訳だ」
田村顕住は政治手腕に優れているとは言い難い人物ではあるが、仙台藩のお家第一を考える程度の頭はあるらしい。
自身の献策を無かった事にして大急ぎで賄賂の金を確保しようとしているのだろうが、それを中が割れている仙台藩の他の重臣たちが黙ってみている訳もなく。
彼の失脚を狙ってその早飛脚を撃ち、彼の書状を奪うのが目的という事なのだろう。
「まぁ、分かった。
断る仕事でもないしな」
それよりも気になる事があるからだ。
先日聞いた冬花の身請け話である。
「冬花から聞いたが、あれに身請け話が来ているって?」
「ああ、お前さんには先に伝えておくべきだったな。
あいにく、旦那の口ぶりだと本気かどうかも怪しい。
だが、俺もこの『蓬莱楼』の楼主として身請けを請われたら断れんぞ」
依頼の時と違って弥九郎は楽しそうに笑う。
それは、半兵衛を急かすように応援しているようにも聞こえた。
早朝。江戸の郊外。
奥州街道に銃声が轟くと、名も知らない早飛脚が倒れる。
半兵衛はその死体に近づかない。
早飛脚が持っていた書状は近くに居ただろう黒脛巾組が奪うので、半兵衛の仕事は名も知らぬ早飛脚を殺すだけである。
日が昇ろうとしている中、半兵衛は種子島につけた火縄を外して足で踏み消し、船で隅田川を下る。
「さて……そろそろ帰るか」
吉原の長屋に帰り着くと、まだ早い時間だった。
なんとなく竈に火を入れて味噌汁を作っていたらいつものように冬花がやってくる。
「起きてる?」
「ああ。おはよう。冬花」
「楼主からご飯持っていけって。
あら?味噌汁作っているんだ?」
「ああ。冬花手伝ってくれ。
どうも味が決まらなくてな」
「いいわ。味噌とアサリ、昆布、大根と……」
そんな当たり前の朝が半兵衛にはとてもいとおしく思えた。
「この苦界に入って色々な事を体験したけど、白いご飯が食べられる事だけは良かったと思うわ」
捨て子だった半兵衛も由井正雪先生たちに拾われなかったら野垂れ死にしていた訳で、仕掛け人として食うに困らぬ金を持つ今、白い飯を食べる時に手を合わせる際には由井先生に感謝をする事にしている。
「起きてる?」
「ああ。おはよう。冬花」
「楼主からご飯持っていけって。
後で来て欲しいそうよ」
「まったく……ただの簪職人に何を期待しているんだが……」
戸を開けた冬花は持ってきた握り飯の包みを置くと、勝手知ったるとばかりに竈に火を入れる。
上にある鍋を蓋を開けると、残った味噌汁を温めだす。
この味噌汁も気づけば、アサリ、昆布、大根と冬花の味になっている。
この吉原の長屋の中でも、冬花と半兵衛の仲は知られており、既に夫婦とみられているのを実は二人とも知らない。
「そういえば、楼主がぼやいていたわよ。
最近米の値段が上がったとかで」
「それは俺達には関係ないだろうな。
まあ、俺達の懐が痛むわけじゃないし、気にする必要はないだろう」
「それもそうね。ところで……その……」
言いづらそうな顔をする冬花。
鍋をかきまぜる手も止まっていた。
「なんだ?はっきり言えよ」
「身請けしてもいいって旦那が現れたの。口約束だけどね」
恥ずかしげに言う冬花の言葉を聞いた半兵衛の顔は変わらない。
噴きこぼれた鍋を慌てて持ち上げる冬花を半兵衛はなんとも言えない顔で見つめた。
「いやかしら?」
少し不安になったのか冬花が尋ねる。
しかし、そんな言葉を聞く余裕もなく、半兵衛は自分の頭をガリガリと掻く。
「普通は喜ばないとならんのだろうが……何となくだが嫌だな」
一言だけ絞り出すように言った半兵衛の言葉を耳聡く聞きつけた冬花は、嬉しそうに微笑んで答えた。
「ふふん。私も来年二十だし、客がつかなくなったらあんたがもらってよ」
そんな事を言って二人して食べる朝食は、この二人の吉原の日常だった。
「今回の仕掛けは、仙台に行く早飛脚だ」
昼見世が終わり、夜見世が始まるまでの間の時間、『蓬莱楼』に来た半兵衛に楼主の蓬莱弥九郎がぼやく。
「また仙台がらみか。あの騒動は終わったんじゃなかったのかね」
「俺だって好きで頼んでいるんじゃない。
外様雄藩ともなれば色々あるんだろうよ」
ため息をつく弥九郎に半兵衛も同意するように肩をすくめる。
それでも半兵衛はこの依頼を断るつもりはなかった。
「この江戸に入っている米の三割が仙台から来ているのは知らんか。
仙台藩が外様雄藩としてでかい顔ができているのは、この江戸に運ばれる米のおかげという訳だ。
そんな藩でお家騒動が起こっていたらどうなる?」
「……冬花が言っていた米が高くなったってのはこれか」
「その通り。
仙台藩重臣の田村図書顕住の献策で仙台からの米の流れが滞っているらしい」
「で、それがどうして早飛脚を撃てという事になるんだ?」
仙台藩重臣を撃てという面倒な依頼でない事に安堵しつつも、早飛脚を撃つという依頼に繋がらない半兵衛は強めに説明を求め、弥九郎はなんともいえない顔で続きを口にした。
「仙台藩が米を江戸に運ぶ場合、米問屋と組んで江戸での米の値段を早飛脚で送って量を調整していたんだ。
それを田村図書が止めさせた」
「そりゃあ、恨みを買うな」
「だから、その恨みを晴らしたい奴らがいるんだよ。
で、この間の騒動だ。
仙台藩は幕閣だけでなく、松平綱吉公にも金をばら撒く必要が出てきた訳だ」
田村顕住は政治手腕に優れているとは言い難い人物ではあるが、仙台藩のお家第一を考える程度の頭はあるらしい。
自身の献策を無かった事にして大急ぎで賄賂の金を確保しようとしているのだろうが、それを中が割れている仙台藩の他の重臣たちが黙ってみている訳もなく。
彼の失脚を狙ってその早飛脚を撃ち、彼の書状を奪うのが目的という事なのだろう。
「まぁ、分かった。
断る仕事でもないしな」
それよりも気になる事があるからだ。
先日聞いた冬花の身請け話である。
「冬花から聞いたが、あれに身請け話が来ているって?」
「ああ、お前さんには先に伝えておくべきだったな。
あいにく、旦那の口ぶりだと本気かどうかも怪しい。
だが、俺もこの『蓬莱楼』の楼主として身請けを請われたら断れんぞ」
依頼の時と違って弥九郎は楽しそうに笑う。
それは、半兵衛を急かすように応援しているようにも聞こえた。
早朝。江戸の郊外。
奥州街道に銃声が轟くと、名も知らない早飛脚が倒れる。
半兵衛はその死体に近づかない。
早飛脚が持っていた書状は近くに居ただろう黒脛巾組が奪うので、半兵衛の仕事は名も知らぬ早飛脚を殺すだけである。
日が昇ろうとしている中、半兵衛は種子島につけた火縄を外して足で踏み消し、船で隅田川を下る。
「さて……そろそろ帰るか」
吉原の長屋に帰り着くと、まだ早い時間だった。
なんとなく竈に火を入れて味噌汁を作っていたらいつものように冬花がやってくる。
「起きてる?」
「ああ。おはよう。冬花」
「楼主からご飯持っていけって。
あら?味噌汁作っているんだ?」
「ああ。冬花手伝ってくれ。
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そんな当たり前の朝が半兵衛にはとてもいとおしく思えた。
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