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侯爵令嬢から追われる身へ
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その日、王宮で執り行われた夜会は、いつにも増して盛大であった。
ご婦人方の色鮮やかなドレスが花のようにふわふわと揺れ、扇のかげで交わされるささやき声がシャンパンの泡のように弾けて消えてゆく。
大広間は程良い熱気に包まれ、上品な賑やかさに満ちていた。
第一王位継承者のドゥム・ヴィ・ブロート王子が、幼き頃からの婚約者であるシャルロッテ・フォン・オツェアン侯爵令嬢 “ではない” 女性を連れて出てくるまでは。
一瞬の静寂。次いで、ざわざわと不穏を孕んだ空気が流れ始める。
「あれは誰だ?」
「さぁ……見たことがない方ですわ」
「シャルロッテ嬢はどうされたのだ?」
出席者達はあたりを見回し、壁際にひっそりと佇んでいた目当ての人物を発見する。
月光に濡れたような銀髪と、冬の湖のように昏く蒼い瞳のシャルロッテ。
本来なら、王子の隣に立っているのは婚約者である彼女のはずでは?
今、王子の後ろに隠れるように立っている女性は一体何者だ?
戸惑う人々を威嚇するように、足を踏み鳴らして勲章と帯剣をがちゃつかせ、大広間に王子の声が響き渡った。
「シャルロッテ・フォン・オツェアン! 今この時をもって、私は君との婚約を破棄する!」
さらに大きくなったざわめきに負けじとばかり、王子は声を張り上げる。
「彼女は王子たる私の婚約者であることを笠に着て悪辣な振る舞いを重ね、度重なる悪事にも加担した! 私はこの国の第一王位継承者として、看過するわけにはゆかぬ!」
大広間は一転、しんと静まり返り、一同は各々心の中でこっそりと呟く。
本当か? 本当にあのシャルロッテ嬢が?
大人しいを通り越して陰気なシャルロッテ嬢が?
真面目以外に何も取り柄のないシャルロッテ嬢が?
しかし、心の声を舌より先に出す者は誰も居なかった。
王子の発言に肯定以外の反応を返した人間が激しく折檻され、時に死に至らしめられているのは、夜会に招かれる身分の人間にとっては周知の事実であった。
皆は固唾を飲んで、王子の次の言葉を待つ。
「だが! シャルロッテの悪行に心を悩ませていた私の前に天使が現れた! 紹介しよう、私の新しい婚約者、チェルシー・フォン・オツェアン!」
瞬間的に、声にならない驚きが大広間の空気を揺らす。
オツェアン侯爵の子は、公式には一人娘のシャルロッテしか居ないことになっている。
ただ、庶子がもう一人居るという噂はまことしやかに社交界でささやかれていた。
それが彼女、今しがた、王子の傍らで子どものようにきょろきょろしている女性なのか。
麦わらのような茶髪に猫めいた緑の瞳をもつチェルシーは、立ち居振る舞いも容姿も、異母姉のシャルロッテとは似ても似つかない。
言われなければ、同じ父親の血が流れているとは誰も思うまい。
「彼女とはオツェアン侯爵家の邸を訪れていた折に出会った! 強欲で傲慢なシャルロッテとは違い、慎ましく優しいチェルシーの方が婚約者に相応しい!」
王子は大きく息を吸い、次の言葉を放った。
「彼女の父、オツェアン侯爵にも婚約の承諾は得ている!」
この発言に、人々は慄然とし、恐る恐るシャルロッテに視線をやった。
オツェアン侯爵から婚約の承諾を得たということは、侯爵がチェルシーを正式な娘だと認めたということだ。
今まで存在さえ周知していなかったチェルシーを、である。
では、これまで侯爵家の一人娘であり、王子の婚約者だったシャルロッテの立場はどうなる?
真偽はともかく、王子が婚約破棄の理由として悪事がどうのこうのと持ち出した以上、彼女の名誉が地に落ちることは疑いえない。
父であるオツェアン侯爵はお世辞にも愛情深い父親とはいえず、チェルシーが婚約者に選ばれた以上、シャルロッテのことは振り向きもしないだろう。
孤立無援という言葉がこれほど似つかわしい状況もそうそう無い。最悪、このまま濡れ衣の悪事を理由に死を賜ることもあるのではないか?
皆が凍りついて見守る中、壁際に佇んでいたシャルロッテが王子とチェルシーに向かってスッと一歩踏み出した。
状況がわかっていないのではないかと思わせるぐらい落ち着いた表情のまま、銀髪を僅かに揺らして歩を進め、王子の前に立ち、昏い蒼瞳で静かに王子を見つめる。
「何だ? 今さら泣き喚いても婚約破棄は変わらな」
せせら笑うような言葉を最後まで言い終わる前に、嘲りで歪んだ王子の口の両端がざっくりと裂けた。
「え?」
と言ったのが誰かはわからない。
「ギャアーーーー!!」
チェルシーが鶏の首を絞めたような悲鳴をあげ、王子は血まみれになった顔半分を手で覆って痛みに泣き喚きながら床を転がり始めた。
シャルロッテが王子の帯剣を奪って口を横薙ぎに切り払ったのだと皆が気づき、衛兵が慌てて追え逃がすなと怒鳴り始めた頃、彼女の姿は既にその場から消えていた。
ご婦人方の色鮮やかなドレスが花のようにふわふわと揺れ、扇のかげで交わされるささやき声がシャンパンの泡のように弾けて消えてゆく。
大広間は程良い熱気に包まれ、上品な賑やかさに満ちていた。
第一王位継承者のドゥム・ヴィ・ブロート王子が、幼き頃からの婚約者であるシャルロッテ・フォン・オツェアン侯爵令嬢 “ではない” 女性を連れて出てくるまでは。
一瞬の静寂。次いで、ざわざわと不穏を孕んだ空気が流れ始める。
「あれは誰だ?」
「さぁ……見たことがない方ですわ」
「シャルロッテ嬢はどうされたのだ?」
出席者達はあたりを見回し、壁際にひっそりと佇んでいた目当ての人物を発見する。
月光に濡れたような銀髪と、冬の湖のように昏く蒼い瞳のシャルロッテ。
本来なら、王子の隣に立っているのは婚約者である彼女のはずでは?
今、王子の後ろに隠れるように立っている女性は一体何者だ?
戸惑う人々を威嚇するように、足を踏み鳴らして勲章と帯剣をがちゃつかせ、大広間に王子の声が響き渡った。
「シャルロッテ・フォン・オツェアン! 今この時をもって、私は君との婚約を破棄する!」
さらに大きくなったざわめきに負けじとばかり、王子は声を張り上げる。
「彼女は王子たる私の婚約者であることを笠に着て悪辣な振る舞いを重ね、度重なる悪事にも加担した! 私はこの国の第一王位継承者として、看過するわけにはゆかぬ!」
大広間は一転、しんと静まり返り、一同は各々心の中でこっそりと呟く。
本当か? 本当にあのシャルロッテ嬢が?
大人しいを通り越して陰気なシャルロッテ嬢が?
真面目以外に何も取り柄のないシャルロッテ嬢が?
しかし、心の声を舌より先に出す者は誰も居なかった。
王子の発言に肯定以外の反応を返した人間が激しく折檻され、時に死に至らしめられているのは、夜会に招かれる身分の人間にとっては周知の事実であった。
皆は固唾を飲んで、王子の次の言葉を待つ。
「だが! シャルロッテの悪行に心を悩ませていた私の前に天使が現れた! 紹介しよう、私の新しい婚約者、チェルシー・フォン・オツェアン!」
瞬間的に、声にならない驚きが大広間の空気を揺らす。
オツェアン侯爵の子は、公式には一人娘のシャルロッテしか居ないことになっている。
ただ、庶子がもう一人居るという噂はまことしやかに社交界でささやかれていた。
それが彼女、今しがた、王子の傍らで子どものようにきょろきょろしている女性なのか。
麦わらのような茶髪に猫めいた緑の瞳をもつチェルシーは、立ち居振る舞いも容姿も、異母姉のシャルロッテとは似ても似つかない。
言われなければ、同じ父親の血が流れているとは誰も思うまい。
「彼女とはオツェアン侯爵家の邸を訪れていた折に出会った! 強欲で傲慢なシャルロッテとは違い、慎ましく優しいチェルシーの方が婚約者に相応しい!」
王子は大きく息を吸い、次の言葉を放った。
「彼女の父、オツェアン侯爵にも婚約の承諾は得ている!」
この発言に、人々は慄然とし、恐る恐るシャルロッテに視線をやった。
オツェアン侯爵から婚約の承諾を得たということは、侯爵がチェルシーを正式な娘だと認めたということだ。
今まで存在さえ周知していなかったチェルシーを、である。
では、これまで侯爵家の一人娘であり、王子の婚約者だったシャルロッテの立場はどうなる?
真偽はともかく、王子が婚約破棄の理由として悪事がどうのこうのと持ち出した以上、彼女の名誉が地に落ちることは疑いえない。
父であるオツェアン侯爵はお世辞にも愛情深い父親とはいえず、チェルシーが婚約者に選ばれた以上、シャルロッテのことは振り向きもしないだろう。
孤立無援という言葉がこれほど似つかわしい状況もそうそう無い。最悪、このまま濡れ衣の悪事を理由に死を賜ることもあるのではないか?
皆が凍りついて見守る中、壁際に佇んでいたシャルロッテが王子とチェルシーに向かってスッと一歩踏み出した。
状況がわかっていないのではないかと思わせるぐらい落ち着いた表情のまま、銀髪を僅かに揺らして歩を進め、王子の前に立ち、昏い蒼瞳で静かに王子を見つめる。
「何だ? 今さら泣き喚いても婚約破棄は変わらな」
せせら笑うような言葉を最後まで言い終わる前に、嘲りで歪んだ王子の口の両端がざっくりと裂けた。
「え?」
と言ったのが誰かはわからない。
「ギャアーーーー!!」
チェルシーが鶏の首を絞めたような悲鳴をあげ、王子は血まみれになった顔半分を手で覆って痛みに泣き喚きながら床を転がり始めた。
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