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庭内での逃走劇
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「シャルロッテ嬢! 神妙になされよ!」
王宮の庭を走って逃げるシャルロッテの背後から、追手の声がかかる。
夕陽はとうに沈みきっており、シャルロッテの髪と同じ銀色の月も今宵は出ていない。
完全な真っ暗闇。それが彼女にとって、吉と出るか、凶と出るか。
煌々と明るい王宮から真っ暗な庭におりる直前、シャルロッテは10数える間だけしっかりと目を閉じ、足が庭の土を踏んだ瞬間、カッと昏い蒼色の瞳を見開いた。
幼い頃、遊び相手の侍女とかくれんぼをして遊んだ折、暗い部屋に隠れてもすぐに見つけ出されたことがあった。
不思議に思って訊ねると、侍女は悪戯っぽく笑ってこう言った。
『シャルロッテ様、目をつぶるんですよ』
そうしたら、暗がりでもすぐに目が慣れてよく見えるようになりますからね。
まさか、あの時の思い出がこんな形で活きるとは。
シャルロッテは他人事のように呆れながら、持ち逃げした王子の帯剣で無造作に辺りを払い、茂みの中を突破した。
こういう時、ドレスはあちこちに引っ掛かって邪魔で仕方ない。
婚約者として幼い頃から訪れていたため、王宮のことは庭も含めて手に取るようにわかるが、それは追手たる兵士達とて同じこと。
「お待ちください、シャルロッテ嬢!」
たちまち一人の兵士が追いつき、逃げるシャルロッテに手を伸ばそうとする。
さて、この後に起きる出来事について、追いついた兵士のために弁解しておかねばなるまい。
彼は若いながらも夜会の護衛を任されるぐらいには優秀な兵士である。
その証拠に、夜目にも鮮やかな金獅子が描かれた緋色のマントを羽織り、腰には豪奢な飾りのついた剣をさげている。
逃亡者を前にしてそれが鞘におさまったままでも、他の兵士達を呼ぼうとしなくても、彼を責めるにはあたらない。
この兵士だけでなく、シャルロッテを追いかけた兵士達は全て多大な勘違いをしていた。
追え逃がすなと命令されたとはいえ、所詮、相手は突然の婚約破棄に乱心した侯爵令嬢。
やみくもに庭に逃げ込んだは良いが、どうせ暗闇でおろおろしているだろうし、すぐに捕まえられるだろう。
もし捕まえる際に少々暴れられても、腕でも軽く捻ってやれば大人しくなるだろう。
いわば、予想外の出来事に怯えて逃げだした室内飼いの小型犬を捕まえるのと大差ない、というのが彼らの共通認識だった。
シャルロッテが剣を持っていることについては、自裁に使われる可能性があるかもしれないなという程度には考えている。しかし、仮に発見した時にシャルロッテが自裁していたとしても、婚約を破棄された上に王子に危害を加えた人物なので、兵士達が咎められる心配はなく、よって彼らはシャルロッテの手に剣があることについては何らの関心を払っていなかった。
そしてそれは、大きな誤りだったのである。
シャルロッテに伸ばされた兵士の手は腕もドレスも掴むことなく空を切り、次の瞬間、顎に強烈な一撃を喰らって地面に崩れ落ちた。
この時、近くで見ていた者が居れば、シャルロッテがステップを踏んで兵士の手を躱し、直後に一気に距離を詰め、膝を軽く曲げた直後に屈伸の要領で勢いよく伸びあがり、剣の柄頭をしたたかに彼の顎に叩き込んだのがわかったかもしれない。
この兵士にとって幸いだったのは、シャルロッテが幼い頃からドゥム王子の婚約者だったことだろう。
しばしば周りの者に激しい折檻を加えていた王子のせいで、シャルロッテは顎を強打された人間が気絶するということを知っていた。
もし彼女にこの知識が無ければ、剣は間違いなく喉笛か心臓を狙っていただろう。
無論、その場合に使われるのは柄頭ではなく、もっと致命的な別の部位である。
「侯爵家のお姫様はどうなったのかな」
「流石にもう捕まっただろうよ」
王宮の門の前では、見張りの兵士達が駄弁っていた。
彼らは今夜、門を見張る当番にあたっている。
少し前に、王宮の方からやってきた兵士に夜会での出来事を聞かされ、そういうわけだから門から逃げ出そうとすれば捕まえろと言われはしたが、彼らはそれを半ば聞き流していた。
追手の兵士達と同じく、門に辿り着く前に、すぐに捕まるだろうと思っていたのである。
よしんば門まで辿り着いたとしても、現在、固く閉じられている門を通り抜ける術は無い。
王宮の周りには高い壁があるし、逃げ出すことは実質的に不可能だ。
「しかしお姫様も馬鹿だな、何で庭に逃げたんだか」
「庭から自分を助けてくれる貴公子でも現れると思ったんじゃねぇの」
軽口を叩いて爆笑していると、王宮の方から凄まじい勢いで一騎の馬が駆けてきた。
顔は陰になっていて判然としないが、馬上にひるがえる黄金の獅子も鮮やかな緋のマントを見とめ、見張り達は即座にお喋りを止めて姿勢を正す。
「門を開けろ! シャルロッテは外に逃げた!」
「え!?」
「聞こえなかったのか!」
「は、はい!」
見張り達はあたふたと門を開き、疾風のように馬が通り抜けていく。
「でも、どうやって……?」
見張りの疑問が解決されたのは、庭の茂みの奥でマントを剥がれた兵士が気絶して転がっているのが発見された時であった。
王宮の庭を走って逃げるシャルロッテの背後から、追手の声がかかる。
夕陽はとうに沈みきっており、シャルロッテの髪と同じ銀色の月も今宵は出ていない。
完全な真っ暗闇。それが彼女にとって、吉と出るか、凶と出るか。
煌々と明るい王宮から真っ暗な庭におりる直前、シャルロッテは10数える間だけしっかりと目を閉じ、足が庭の土を踏んだ瞬間、カッと昏い蒼色の瞳を見開いた。
幼い頃、遊び相手の侍女とかくれんぼをして遊んだ折、暗い部屋に隠れてもすぐに見つけ出されたことがあった。
不思議に思って訊ねると、侍女は悪戯っぽく笑ってこう言った。
『シャルロッテ様、目をつぶるんですよ』
そうしたら、暗がりでもすぐに目が慣れてよく見えるようになりますからね。
まさか、あの時の思い出がこんな形で活きるとは。
シャルロッテは他人事のように呆れながら、持ち逃げした王子の帯剣で無造作に辺りを払い、茂みの中を突破した。
こういう時、ドレスはあちこちに引っ掛かって邪魔で仕方ない。
婚約者として幼い頃から訪れていたため、王宮のことは庭も含めて手に取るようにわかるが、それは追手たる兵士達とて同じこと。
「お待ちください、シャルロッテ嬢!」
たちまち一人の兵士が追いつき、逃げるシャルロッテに手を伸ばそうとする。
さて、この後に起きる出来事について、追いついた兵士のために弁解しておかねばなるまい。
彼は若いながらも夜会の護衛を任されるぐらいには優秀な兵士である。
その証拠に、夜目にも鮮やかな金獅子が描かれた緋色のマントを羽織り、腰には豪奢な飾りのついた剣をさげている。
逃亡者を前にしてそれが鞘におさまったままでも、他の兵士達を呼ぼうとしなくても、彼を責めるにはあたらない。
この兵士だけでなく、シャルロッテを追いかけた兵士達は全て多大な勘違いをしていた。
追え逃がすなと命令されたとはいえ、所詮、相手は突然の婚約破棄に乱心した侯爵令嬢。
やみくもに庭に逃げ込んだは良いが、どうせ暗闇でおろおろしているだろうし、すぐに捕まえられるだろう。
もし捕まえる際に少々暴れられても、腕でも軽く捻ってやれば大人しくなるだろう。
いわば、予想外の出来事に怯えて逃げだした室内飼いの小型犬を捕まえるのと大差ない、というのが彼らの共通認識だった。
シャルロッテが剣を持っていることについては、自裁に使われる可能性があるかもしれないなという程度には考えている。しかし、仮に発見した時にシャルロッテが自裁していたとしても、婚約を破棄された上に王子に危害を加えた人物なので、兵士達が咎められる心配はなく、よって彼らはシャルロッテの手に剣があることについては何らの関心を払っていなかった。
そしてそれは、大きな誤りだったのである。
シャルロッテに伸ばされた兵士の手は腕もドレスも掴むことなく空を切り、次の瞬間、顎に強烈な一撃を喰らって地面に崩れ落ちた。
この時、近くで見ていた者が居れば、シャルロッテがステップを踏んで兵士の手を躱し、直後に一気に距離を詰め、膝を軽く曲げた直後に屈伸の要領で勢いよく伸びあがり、剣の柄頭をしたたかに彼の顎に叩き込んだのがわかったかもしれない。
この兵士にとって幸いだったのは、シャルロッテが幼い頃からドゥム王子の婚約者だったことだろう。
しばしば周りの者に激しい折檻を加えていた王子のせいで、シャルロッテは顎を強打された人間が気絶するということを知っていた。
もし彼女にこの知識が無ければ、剣は間違いなく喉笛か心臓を狙っていただろう。
無論、その場合に使われるのは柄頭ではなく、もっと致命的な別の部位である。
「侯爵家のお姫様はどうなったのかな」
「流石にもう捕まっただろうよ」
王宮の門の前では、見張りの兵士達が駄弁っていた。
彼らは今夜、門を見張る当番にあたっている。
少し前に、王宮の方からやってきた兵士に夜会での出来事を聞かされ、そういうわけだから門から逃げ出そうとすれば捕まえろと言われはしたが、彼らはそれを半ば聞き流していた。
追手の兵士達と同じく、門に辿り着く前に、すぐに捕まるだろうと思っていたのである。
よしんば門まで辿り着いたとしても、現在、固く閉じられている門を通り抜ける術は無い。
王宮の周りには高い壁があるし、逃げ出すことは実質的に不可能だ。
「しかしお姫様も馬鹿だな、何で庭に逃げたんだか」
「庭から自分を助けてくれる貴公子でも現れると思ったんじゃねぇの」
軽口を叩いて爆笑していると、王宮の方から凄まじい勢いで一騎の馬が駆けてきた。
顔は陰になっていて判然としないが、馬上にひるがえる黄金の獅子も鮮やかな緋のマントを見とめ、見張り達は即座にお喋りを止めて姿勢を正す。
「門を開けろ! シャルロッテは外に逃げた!」
「え!?」
「聞こえなかったのか!」
「は、はい!」
見張り達はあたふたと門を開き、疾風のように馬が通り抜けていく。
「でも、どうやって……?」
見張りの疑問が解決されたのは、庭の茂みの奥でマントを剥がれた兵士が気絶して転がっているのが発見された時であった。
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