100のフラグとさようなら

馬近

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私はフラグを叩き折る

2個目 気が付けば忍び寄っている影。やつだ!

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『フラグなんて叩き折ってやる』

 ともすれば悲壮な覚悟を決めてから、はや三か月。
 フラグ撲滅どころか、満足に家の外へ出ることすらなかった。ようやく5歳になったばかりの幼女に出来ることなど、たかが知れている。

 食べる、遊ぶ、学ぶ、寝る。
 私を溺愛しているお父様によって、貴族子女としてはかなり自由にさせてもらっているけれど、すべて屋敷の中でのみ許されている。
 なるべく着替えなどは自分でしようと頑張ってみても、いつの間にか近くに侍女が来てはパパっと終わらせてしまう。お茶が飲みたいな~と考えたら、すこし冷ました紅茶がスッと出てくる。それも幼女に優しい甘さでだ!
 さすがは王国随一の公爵家使用人たちである。
 
 痒い所に手が届く、至れり尽くせりな生活。
 何不自由なく育ち、愛されている私。
 
 唯一の例外が、家庭教師のハンナだった。
 赤茶色の髪と同じ色の瞳。女性らしく少しふくよかな体を上品な仕草で包んだ、まさに理想的な淑女。
 
 最初は、そりゃもう喜んだんだよ。
 当主であるお父様だけでなく、幼い私にも優しい眼差しを向け丁寧な言葉遣いをしてくれる人が、礼儀作法や学園に入るため必要な勉強を教えてくれるというのだから。
 きっと素敵な人だ。アニメや小説で憧れていたように、厳しくも慈愛に満ちた教え方で私を導いてくれて、困ったり悩んだ時には姉のように支えてくれるそんな人だろう。
 なんて考えていた時期が私にもありました……。

 結論から言おう。ハンナは鬼である。
 あの見た目と言動にだまされたよ!
 口を開けば台風のような暴言の数々。
 それどころか、私が失敗をすると「そんなことも出来ないのですか? それでも公爵家のご令嬢ですか」とあげつらい、喜色満面の表情を浮かべ責め立ててくる。
 先日など、ついに頬を打たれた。愛の指導らしい。
 たった数か月の付き合いにも関わらず、彼女に対してヘイトが溜まる一方だ。必然的に、私付きの侍女や使用人にストレスをぶつけるかの如く、我儘ばかり言ってしまう。

 もちろんお父様やお母さまに密告もしたよ。
 さりげなく俯き、目に涙を浮かべながら!
 幼女な愛娘のお願いには弱いであろう? ほれほれ?

「先生にも考えがあるのだろう。これまでも様々な実績を上げている人だからね。もう少し頑張ってみなさい」

 楽勝だと思われたハンナの解任要求は、私を抱っこして頭をポンポンと叩いたお父様によって完膚なきまでに否定されてしまった。「嘘でしょうっ?」と叫びださなかった私を誰か褒めてほしい。

 放任主義のお母様はともかく、私の事を目の中に入れてもおかしくないほど溺愛しているお父様に否定されるなんて。もしかして本当にハンナ先生は優秀なの?

 確かに、貴族の家庭教師がどんなものかなんて知らないしわからないもんなー。あのお父様がクビにしないくらいだし、これが当たり前なのかも?

 でもなー、叩かれるのも怒られるのも嫌だ。
 何度も言うが、私はまだ5歳児なのだ。
 無理なものは無理なのだ。我慢もしたくない。
 
 マナーの授業を例に出そう。まだ小さくぷにぷにした非力な手では、どんなに力を入れても優雅にお茶のカップを持ち上げるのは大変だ。一口だけ飲み、また静かに戻す。大人になら簡単な動作も、幼女には厳しい。その際にちょっとでもカチャカチャと音が鳴ってしまえば「礼儀知らず」「不勉強」と怒鳴られる。これでは精神的に辛いし耐えられないのも仕方ないと思う。

 一事が万事そんな調子のハンナは、私の敵だ!
 敵のことは詳しく知らなければならない。
 幸いにして、彼女は我が家の部屋に仮住まいしていた。
 ちょこちょこと周囲をうろつき、敵の目の届かない所で聞き込みをする。少しでも弱点を見つけたかったからだ。
 
 その評判は、洗練された完璧なる淑女。くそう……。
 
 だが私は知っている。獲物を狙うかのような獰猛な目、顔をニヤ~っと歪ませキツイ言葉を吐く口、愛の教育的指導と呼称した暴力。絶対に正体を暴いてやる!
 こうして死亡フラグのことなどすっかり忘れた私は、ハンナ撲滅大作戦をスタートさせた。
 
『敵を知り己を知れば百戦して危うからず』

 聞き込みや張り込み調査は継続し、その日に起きたことや、授業中にされたこと、調べてわかったこと、私がどう思ったのかを日記に綴っていく日々。
 計画がバレて握り潰されないよう細心の注意を払い、反抗的な態度は封印したし、どんなときでもニコニコと笑顔で対応した。スマイルはただだからね! うふふ……。
 侍女や使用人には「ごめんなさい。おべんきょうがたいへんで、ちょっとつかれていたの……」と上目遣いして謝罪したらちょろいものだった。
 なぜかドンドン悪役令嬢に近づいている気がしたけど、気にしてはいられない。これは生存競争なのだ!

 努力はやがて実を結ぶ。
 作戦を始めてから一か月ほどたったある日。
 お父様から「執務室に来るように」と呼び出された。

「ガビー、本当のことを言ってほしい……」

 そう前置きされて聞かれたことは、当然ながらハンナ先生のことだった。優しいお父様とは別人のような形相で、私の『ハンナ観察日記』を手の中に持っている。

 そこから先は、幼女のオンステージだ!
 これまでの数々の仕打ちを、うるうると瞳を濡らし訴える訴える訴える。一息で言葉を吐き出した。
 はーっと大きく嘆息し私をぎゅっと抱きしめたお父様を見上げ、最後の仕上げとばかりに「もう、がまんしなくてもいいのですか?」と言ってやった。
 ダメ押しに、涙をポロリと零し頬を伝わせる。

「当たり前だろうっ!」
 
 激昂したお父様を宥め、しめしめと隠れてほくそ笑む。
 お父様へと日記の件を報告した専属侍女には、後で当家自慢のシェフによる特製スイーツセットと高級茶葉でも贈ってあげよう。素晴らしいタイミングと完璧な仕事だ。見つかっただけでは片付けられてしまうので、一番内容が過激な部分を開いて置いておいた私も大満足である。

 あとはハンナ先生の駆除だけだ。
 お父様主導により、使用人一同も協力してハンナの一挙手一投足を注視する。そして彼女がもっとも不機嫌そうな日を選び、計画は実行された。
 
 いつものように私に暴言を吐くハンナ。
 ニコニコして反論もしない私。
 ついに手が出るか? 身構えたその時だ。
 突如、バーンっと大きな音をたて扉が開く。

「――貴様は、我が娘になにをしている?」

 能面のような顔をして入室するお父様。
 ハンナが鬼なら、お父様は魔王だ。
 思わずガクガクと膝が震えそうになる。
 私の専属侍女により、そっと耳を塞がれ退室させられた私は、自室のベッドに寝かされた。
「お側にいたのに気付かず、申し訳ございませんでした」と小さく呟く侍女に、大丈夫だよと笑いかける。
 気にしなくてもいいのに。だって本当は、高笑いの一つでもしたいほど最高の気分なのだから!
 
 まさに計画通りっ! 
 我ながら自分の才能が怖い。
 オーホッホッホっ!

 それをしたら、まさに悪役令嬢だと自重した。

 その後、罷免されたハンナ先生がどうなったかは知らない。興味はあったけれど、怖い顔をしたお父様が「ガビーは知らなくていいことだよ。全部終わったからもう心配しないでね」と言われ、疑問などは心にしまい込んだ。
 お父様だけは絶対に怒らせないようにしよう。
 
 
 ようやく解放されたと脱力し、ぽふっとベッドに倒れた私は、唐突に前世の記憶を思い出す。
 そういえば『悪役令嬢ガブリエラ』が我儘放題に育ったのは、家族に甘やかされたことと、それとは逆のとある事情によるものだとざっくり説明されていた。
 
 もしかしなくても、ハンナ先生が元凶なのでは……?

「あっ、これフラグだったんだ!」
 
 アニメでもゲームでも、第二王子と婚約する前のガブリエラについては詳しく明かされてなかったからね……どれだけ記憶を辿ってみてもわからないはずよ。

 悪役令嬢に厳しい世界だ。ほんとに乙女向けなのか!
 意図せず死亡フラグは回避したけど、どんなことにも気を抜けないと思い知る。
 
 でも絶対に負けなんだからね……!
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