蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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三章

1 進歩、新たなる因縁

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 その夜、鎮神しずかは病院に泊まらされることとなった。

 真祈まきのお陰で落ち着いたとはいえ、数時間前に自殺しかけたという事実は変わらない。
 看護士の路加ろかに強く勧められたことと、玖美が死んだばかりの空気が残る宇津僚うつのつかさ家に帰りたくなかったというのもあって、ありがたく病室を使わせてもらった。
 
 なぜか真祈も共に病院で一泊したいと言い出して、隣のベッドに寝転んでいる。
 怪我人を看る気はさらさら無いらしく、ぶ厚い本を読み耽っている。
 よく見ればそれは、先日深夜美みやびが運んでいて足の上に落としたため、鎮神が念動で軌道を逸らしたあの時の本だった。
「それ、何の本ですか? 確か研究に使うって……」
 声を掛けてみると、真祈は子どものように輝く瞳で、文字の詰んだ本文を見せてくれた。
「言語学です。
 詩祈の神殿の壁画に刻まれた図像や古代文字を解読しているのです。
 先祖たちは口承で神話を伝えましたが、どこかで少しくらい事実が歪んで伝わっていることもあると思いまして。
 誰も顧みてこなかった遺物を調べて比較検討してみようかと」
「古代文字を独学で解読してるってことですか……⁉」
 鎮神など、テキストを与えられて懇切丁寧に教えられても、英語圏の幼児にも劣る語彙力しか身に付いてはいないのに。
 真祈の頭はどうなっているんだとか、きょうだいでなぜここまで差がついたのだとか、叫びたいことは多々あったが、騒いだところで虚しいだけなので呑み込む。


「鎮神はよくミシンを使っていますね。
 お部屋に布とかがあるのも見ました。
 あれには私が研究に傾けるのと同じくらいの熱量を感じた。
 鎮神は洋裁がお好きなのですか?」
「はい、おれは服を作るのが好きで、中学生の頃からデザイナー目指してて……」
 真祈に思い出したように問われ、嬉しくなってつい饒舌に語ってから気付いた。
 鎮神を島に閉じ込めた張本人の前で、潰えた夢を語るなど、嫌味にしかならない。
「すみません、別に真祈さんのせいって言いたいんじゃなくて」
 慌てて訂正するが、真祈は何のことだか根本的に分かっていないという風だった。
「ファッションデザイナーなら本で知りましたよ。なれるといいですね」
「いや、でも……島を出られないなら、もう……」
 鎮神がもだもだしていると、真祈はピッと指を立てて言った。
「島に居ても、品物をソトに送って委託販売するくらい出来るでしょう。
 縫製工場などにも、協力していただけないか、島の者を派遣するという形にはなりますが交渉すればいい」
 考えてもいなかった提案だった。
 
 しかし、鎮神とは比べものにならないような権力や財力を持った真祈に協力を得て夢を叶えてもらうのは少しずるいような。
 そう思ってしばし考え込んでいると、鎮神の逡巡を知ってか知らずか、真祈が淡々と言う。
「ずるくなんてないと思いますよ。
 成功するかしないかは鎮神の仕事次第です。
 私は貴方の保護者として手配をするだけです。
 なにも誰かに袖の下を渡そうとしているわけではない」
「そう、かな」
「ええ」
 力強く頷く真祈を見て、鎮神も破顔する。

 
 真祈を恐れるばかりで対話せず、勝手に一人で落ち込んでいた自分にも非があったかもしれない。

 真祈はベッドを一旦発ち、どこからか紙とペンを拝借して戻ってきた。
「そうと決まれば、ブランド名とロゴを考えなくてはなりませんね」
「あ、それならもう……一応は考えてあります」
 鎮神は紙とペンを受け取って、長年温めてきたそれを、さらさらと書きつける。
 『Go Sick Beautyゴシックビューティー』――それが、鎮神が将来自分のブランドに付けようと思っていた名であった。

「ゴシックビューティー……鎮神らしい、頽廃たいはい的で美しい名ですね」
 真顔でべた褒めされるのは、貶されるよりは良いが、照れくさい。
 曖昧な返事をしていると、真祈は急に声をあげた。
「そうだ、ブランドのマスコットキャラも作りましょう!
 鎮神が以前着ていた……そう、プルートにゃんみたいな!」
 唐突すぎる提案にたじろいでいると、真祈は鎮神の顔を覗き込んでくる。
「そういう可愛らしすぎるのは、ブランドのコンセプトに合いませんかね?」
「いや、良いと思いますよ。
 ただ服ならともかく、キャラクターデザインとかしたことないからどうしようって思って」
「それなら、私に任せてください」


 真祈はしばらく考え込んだ後、ブランド名の横に絵を描いた。
 四枚の小さな翼が生えた、一つ目の猫。
 大きな瞳にはブリリアントカットの切子面が丁寧に描き込まれている。
「ヤミィちゃんです。Sickって病のことでしょう?
 そこから病、病み、ヤミィ……って感じで。
 カラーリングは自由ですので、シリーズ展開しやすいですよ」
「真祈さん、けっこう商魂たくましいんですね……」
 企画会議のような喋り方をする真祈に苦笑する。

 なんとも独特なセンスではあるが、ブランドの雰囲気にはこれくらい不気味で丁度いいのかもしれない。

「じゃあ、この子でぬいぐるみ型のポシェットとか作ろうかな」
「ええ、ぜひ」
「……それと、迷惑ついでにお願いしたいんですけど……畔連べつれ町に残してきた友達に手紙か電話を」
「申し訳ありませんが、それは許可できません」
 即答されてしまい、ですよね、と心の中で独り言ちた。

 翔や星奈せいな、蘭子先輩には結局、心配をかけっぱなしになってしまう。
 ならばせめて、ブランドを成功させて、彼らに届けよう。
 いつか、店先に並んだ服に、鎮神の面影を見てもらえるように。


明くる朝、鎮神と真祈は路加に車で宇津僚家まで送ってもらうことになった。

 車内では、一昔前のポップだがどこか寂しい歌謡曲が荒い音質で響いている。
 カーオーディオはMDを再生している旨を表示している。
 路加がちまちまとCDからMDにこの曲を移していたのだろうか。
 理知的な仕事人といった路加の印象からすると、やや感傷的で意外な趣味と言えよう。

 真祈はどんな音楽が好きなのだろう。嫌いという感情が無いのだから、音楽に対してもこれといった好悪は無いのかもしれない。
 ただ、少しでも楽しんでもらえるなら、自分が好きなゴシックロックを紹介してみるのもいいかもしれない。
 
 そんなことを考えているうちに、宇津僚家に近付いてくる。
 長屋門をぼんやり眺めていると、釣り道具を手にした有沙が出て来た。
 
 すると、車が急停止した。
 三人とも体が前につんのめる。
 近場だからといってシートベルトを締めるのを怠らなくて良かったと心底思った。

 路加は青ざめた顔で振り向き、平謝りする。
「ヤマネみたいな動物が道を横切ったもので……。
 轢かずに済みましたが……申し訳ありません」
「皆無事なら良いのです。
 しかし、ヤマネですか。じっくり見てみたいものですね、鎮神」
「あ、はい……ヤマネ、可愛いやつですよね」
 まだ高鳴っているノミの心臓を持つのは、鎮神だけらしかった。

 門の前にきっちりつけようと、車は再び動きだす。
 有沙は橋の上に立ち止まり、不審そうにこちらを見ている。
 さらに近付いて行くと、後部座席に二つの銀色の頭を認めたらしく、得心がいったというように細めていた目を丸めた。
 さらに運転席の路加に目をやったとき、そのとび色の瞳が輝きを失って石のように冷えた。

 鎮神と真祈が下車すると、礼を言う間もなく、路加は去って行った。
 鎮神が呆気にとられていると、有沙が声を掛けてきた。
「おい、小僧。坊主。餓鬼」
 鎮神が恐る恐る振り返り自身を指差してみると、不機嫌そうに有沙は頷く。
「あんたの母さんの件な、私にも非があるんだわ。
 小僧が真祈で童貞捨てたかって訊かれて、馬鹿正直にまだじゃねえかって言っちまった。
 それが原因であんたが詰られたんだろ。
 本当に、悪かった」
 明け透けな物言いに顔を青くしながらも、鎮神は答える。
「そんな……有沙さんは悪くないです。
 おれと母さんの関係は、とっくの昔に破綻してましたから……。
 有沙さんが何も言わなくてもこうなってました」
「あんたが言うなら、そういうことにしとくよ。
 けど、殺して気が済むってんなら私のこと殺してくれても構わねえぞ。皮肉じゃねえからな」
 鎮神がそれに対する答えを見つけられないでいると、有沙は釣り道具を持ち直して地所を出て行く。

「有沙、ライフジャケット忘れてますよ」
 真祈がよく通る声を有沙の背中に投げかけるが、有沙は振り向きもしない。
 それだけのやりとりで真祈は諦め、その場を去ろうとする。
 真祈にしては押しが弱いと思ったが、考えてみれば真祈はこれから吾宸子あしんすとしての仕事があるのだ。

「……あの、おれが届けに行っちゃ駄目ですか」
 鎮神がそう言うと、真祈は笑って頷いた。
「駄目じゃありませんよ。
 二階の廊下に干してあると思いますので、持って行ってあげてください。
 でも鎮神はまだ怪我人ですから、赤松さんに付いて行ってもらいましょう」

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