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七章
1 只の、愛の歌
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深夜美の携帯電話から連絡を受けて、楼夫は仕度を整える。
終わりの刻には、最強の呪物の誕生を祝うために目一杯着飾ると決めていた。
野戦服をモチーフとしたゴシックなブラウスに、ハーネスを這わせ、タイを締める。
ズボンは他のどれよりも引き締まった黒。
レザーのハーフグローブ、堅い生地のロングコート、軍帽に革靴。
かつてとは違う、本当の自分。
深夜美にふさわしい私。
もう荒津家にも、荒鏤の地にも、戻ることはないだろう。
半殺しで倉庫に投げ入れた父の現状にも興味は無い。
これから堕ちていくのはどんな無何有郷よりも甘く腐敗しきった、
なによりも矮小でなによりも遠大な呪いの海――深夜美の瞳の内。
車で集会所に着くと、既に深夜美が到着していた。
バイクを奪って乗って来たらしい。
戦に向かうための笑みを浮かべて、楼夫を迎えてくれる。
「さあ、我が剣よ。
赤き戦禍の運び手となりて、神を殺しに征かん」
彼は残忍な計画を胸に、幼気に舞う。
それを見て楼夫も微笑んだ。
「ええ、指揮をお願いいたします」
そう言って楼夫は、着ていたロングコートと軍帽を深夜美に与える。
彼にとってはやや丈の余る厳めしいコートに袖を通させ、戦意を鼓舞するために重厚な革の塊を戴かせる。
ハイヒールを鳴らし、シースルーのレオタードに生白く薄い腹を透かして、髪とコートをはためかせ、
見目も内面も悪の総大将といったふうに染めあげた深夜美は歩みだす。
集会所は無人で、鍵のかかった扉は深夜美が次々と腐食させ薙ぎ倒して、容易く進入できた。
放送室に向かい、無線機をオンにすると、とうとう破滅が始まる。
「二ツ河島の皆様、こんにちは。
宇津僚家当主艶子が夫、そしてアサルルヒ及びルルーの民に連なる誇り高き赤松の裔、深夜美だ。
今まで貴方たちに見せていた善き隣人としての私は、全て偽り。
我こそは戦乱、歴史の影に紡がれし赤き災厄、絶対悪!
さあ、私を恨み、恐れ、憎むがいい。
今、この島は私の蟲籠となる!」
芝居がかった宣戦布告が、島内放送として響きわたる。
そして歓喜を、苦悩を、闘志を噛み締めるような重い一拍を置いたのち、深夜美は歌いだす。
艶子から盗み出した安荒寿、それを逆再生したものだ。
赤松家は、宇津僚家の者さえ幾千年もの間に忘れていた、安荒寿の本来の使い方を邪悪なる執念で語り継いできた――いずれ来たる復権の時のために。
歌が詠じられるのに合わせて地底から母神の慟哭が噴き上がってくる。
海が荒れ狂い、真昼の空は太陽が墜ちるよりも暗い闇に染まる。
そして偽の月と金星が輝きだした。
「深夜美様に殺されるためだけに顕れるが良い……帝雨荼」
窓の外を眺めながら楼夫は呟く。
また、台風が来る前日のような不安と加虐心が鎌首を擡げている――いや、もはや不安はあるまい。
今の楼夫は、災厄そのものたる男の剣だ。
翔と星奈は港でフェリーを待っていた。
これで、二ツ河島へ行ける、鎮神の安否がやっと分かる。
二人の高揚など知らず、世界は通常通りに動いている。
てきぱきと仕事を熟す人々が皆とを行き来し、それを祝うかのように、または監視し急かすかのように太陽が照りつけている。
長閑さと暑さの両方にうんざりしつつベンチに座っていると、フェリー乗り場の職員らしき男が海を見て悲鳴をあげた。
翔と星奈も声につられて海を見遣る。
すぐに異変は見てとれた。
海面を隔てた向こう側の闇に、無数の輝きがある。
それが地上を嘲笑うかのように瞬いて、海を極彩色に染めあげる。
赤潮の色や夜光虫の光とは全く違う、歓楽街じみた色とりどりの輝き。
出ていた船は慌てて港に引き返してくる。
異様な現象は二ツ河島方面の海に点在し、刻一刻と拡大していた。
恐慌に陥る港の隅で翔と星奈が愕然としていると、港で働いているであろう若者の一人が興奮した声をあげた。
「海の中にでけえ生き物が見えた!」
彼ははしゃぎながら透明なアクリル水槽を持って来て、桟橋から身を乗り出して水槽を軽く海水に沈める。
そうして透かした海中を覗き込んだきり、よほど面白かったのか顔を突っ込んだまま黙りこくってしまう。
痺れをきらした仕事仲間が彼に近付いて行き、声をかける。
しかし彼は水槽を注視したまま、返事も身動ぎもしない。
仲間が肩を引っ張り、彼を振り向かせると同時に港は悲鳴で包まれた。
頭蓋を皿にして顔面の肉を掻き混ぜたというように、水槽を覗き込んでいた男の顔は潰れていた。
赤いのっぺらぼうのようになっても意識はあるらしく、急に五感のほとんどが消えたことに対して困惑しているような様子を見せた後、ほどなくして息絶えた。
大量の血が滴っていたうえに、鼻も口も有って無いような状態だったのだ。
失血死か窒息死といったところであろう。
「あの人は、海の異変の正体を知ってしまったんだ……」
せり上がる胃酸を抑え込みながら、翔の口は直感に突き動かされる。
「自身の存在を知覚させることで命を奪う、そういうことが可能な次元の生物を見てしまったんだ。
例えば、歴史上では神として認識されてきたような存在……とか」
誰しもが一度は抱く、神とは何か、という疑問――その最も残酷な答えこそが、『これ』なのかもしれない。
何より確かな事は、海の異変と騒ぎのせいで、二ツ河島へは渡れなくなってしまっということだった。
終わりの刻には、最強の呪物の誕生を祝うために目一杯着飾ると決めていた。
野戦服をモチーフとしたゴシックなブラウスに、ハーネスを這わせ、タイを締める。
ズボンは他のどれよりも引き締まった黒。
レザーのハーフグローブ、堅い生地のロングコート、軍帽に革靴。
かつてとは違う、本当の自分。
深夜美にふさわしい私。
もう荒津家にも、荒鏤の地にも、戻ることはないだろう。
半殺しで倉庫に投げ入れた父の現状にも興味は無い。
これから堕ちていくのはどんな無何有郷よりも甘く腐敗しきった、
なによりも矮小でなによりも遠大な呪いの海――深夜美の瞳の内。
車で集会所に着くと、既に深夜美が到着していた。
バイクを奪って乗って来たらしい。
戦に向かうための笑みを浮かべて、楼夫を迎えてくれる。
「さあ、我が剣よ。
赤き戦禍の運び手となりて、神を殺しに征かん」
彼は残忍な計画を胸に、幼気に舞う。
それを見て楼夫も微笑んだ。
「ええ、指揮をお願いいたします」
そう言って楼夫は、着ていたロングコートと軍帽を深夜美に与える。
彼にとってはやや丈の余る厳めしいコートに袖を通させ、戦意を鼓舞するために重厚な革の塊を戴かせる。
ハイヒールを鳴らし、シースルーのレオタードに生白く薄い腹を透かして、髪とコートをはためかせ、
見目も内面も悪の総大将といったふうに染めあげた深夜美は歩みだす。
集会所は無人で、鍵のかかった扉は深夜美が次々と腐食させ薙ぎ倒して、容易く進入できた。
放送室に向かい、無線機をオンにすると、とうとう破滅が始まる。
「二ツ河島の皆様、こんにちは。
宇津僚家当主艶子が夫、そしてアサルルヒ及びルルーの民に連なる誇り高き赤松の裔、深夜美だ。
今まで貴方たちに見せていた善き隣人としての私は、全て偽り。
我こそは戦乱、歴史の影に紡がれし赤き災厄、絶対悪!
さあ、私を恨み、恐れ、憎むがいい。
今、この島は私の蟲籠となる!」
芝居がかった宣戦布告が、島内放送として響きわたる。
そして歓喜を、苦悩を、闘志を噛み締めるような重い一拍を置いたのち、深夜美は歌いだす。
艶子から盗み出した安荒寿、それを逆再生したものだ。
赤松家は、宇津僚家の者さえ幾千年もの間に忘れていた、安荒寿の本来の使い方を邪悪なる執念で語り継いできた――いずれ来たる復権の時のために。
歌が詠じられるのに合わせて地底から母神の慟哭が噴き上がってくる。
海が荒れ狂い、真昼の空は太陽が墜ちるよりも暗い闇に染まる。
そして偽の月と金星が輝きだした。
「深夜美様に殺されるためだけに顕れるが良い……帝雨荼」
窓の外を眺めながら楼夫は呟く。
また、台風が来る前日のような不安と加虐心が鎌首を擡げている――いや、もはや不安はあるまい。
今の楼夫は、災厄そのものたる男の剣だ。
翔と星奈は港でフェリーを待っていた。
これで、二ツ河島へ行ける、鎮神の安否がやっと分かる。
二人の高揚など知らず、世界は通常通りに動いている。
てきぱきと仕事を熟す人々が皆とを行き来し、それを祝うかのように、または監視し急かすかのように太陽が照りつけている。
長閑さと暑さの両方にうんざりしつつベンチに座っていると、フェリー乗り場の職員らしき男が海を見て悲鳴をあげた。
翔と星奈も声につられて海を見遣る。
すぐに異変は見てとれた。
海面を隔てた向こう側の闇に、無数の輝きがある。
それが地上を嘲笑うかのように瞬いて、海を極彩色に染めあげる。
赤潮の色や夜光虫の光とは全く違う、歓楽街じみた色とりどりの輝き。
出ていた船は慌てて港に引き返してくる。
異様な現象は二ツ河島方面の海に点在し、刻一刻と拡大していた。
恐慌に陥る港の隅で翔と星奈が愕然としていると、港で働いているであろう若者の一人が興奮した声をあげた。
「海の中にでけえ生き物が見えた!」
彼ははしゃぎながら透明なアクリル水槽を持って来て、桟橋から身を乗り出して水槽を軽く海水に沈める。
そうして透かした海中を覗き込んだきり、よほど面白かったのか顔を突っ込んだまま黙りこくってしまう。
痺れをきらした仕事仲間が彼に近付いて行き、声をかける。
しかし彼は水槽を注視したまま、返事も身動ぎもしない。
仲間が肩を引っ張り、彼を振り向かせると同時に港は悲鳴で包まれた。
頭蓋を皿にして顔面の肉を掻き混ぜたというように、水槽を覗き込んでいた男の顔は潰れていた。
赤いのっぺらぼうのようになっても意識はあるらしく、急に五感のほとんどが消えたことに対して困惑しているような様子を見せた後、ほどなくして息絶えた。
大量の血が滴っていたうえに、鼻も口も有って無いような状態だったのだ。
失血死か窒息死といったところであろう。
「あの人は、海の異変の正体を知ってしまったんだ……」
せり上がる胃酸を抑え込みながら、翔の口は直感に突き動かされる。
「自身の存在を知覚させることで命を奪う、そういうことが可能な次元の生物を見てしまったんだ。
例えば、歴史上では神として認識されてきたような存在……とか」
誰しもが一度は抱く、神とは何か、という疑問――その最も残酷な答えこそが、『これ』なのかもしれない。
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