蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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七章

2 広がる夢幻の海

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 深夜美みやびの歌声が響きわたる。
 島が、闇に閉ざされていく。


「島が滅びるって、どういう……」
 鎮神しずかが言うのも聞かず、真祈まき士師宮ししみや家の焼け跡に振り向いた。
 残骸の他には、深夜美に操られていた島民たちが、生死すら定かではない状態で横たわっている。
 あの乱戦の中で確実に仕留めたと言えるのは、田村を含む数人に過ぎない。
 
 それに向かって真祈は手を伸ばした。
 腕には、真祈の能力の発動を示す宇宙の闇と星辰の輝きが現れている。

「真祈様! 
 まさかあの人たちに攻撃する気ですか!」
 意図を読み取った路加ろかが叫んだ。
「そこには救うべき生存者が居るかもしれないんですよ!」
「だからこそ、です。追撃は厄介だ」
 二人が揉めているうちに、残骸の中から起き上がる影があった。
「始まりましたね……
 では、実際に見た方が手早く理解していただけるかもしれません。
 呪われしヒビシュを」
 真祈の口から発せられた名に、鎮神しずかは記憶を探る。

 しかし考えている隙も与えないといったように、瓦礫の中で起きてきた女はその場に蹲ると、
傍らに倒れていた者の肩に歯を立て、引き裂いた。
 鎮神、路加、団は呆然とそれを見つめる。
 人が人を喰っている。
 肉を貪られている者は痛みに意識を引き戻され、血と共に悲鳴が上がる。
 
 それを意に介さず、傍で真祈が淡々と説明を始めた。
安荒寿あらず帝雨荼ていたまたを封印する歌。
 しかし禍神まがつかみを封印するというだけの無害なものならば、宇津僚うつのつかさ家が安荒寿を他の何よりも秘匿している理由は? 
 私にはそれがどうにも疑問でした。
 そして神殿の壁画を調査した結果これについても口伝では失われていた事実が見つかった。
 帝雨荼の封印は言わば勝手に緩み続けていく蛇口のようなもので、吾宸子あしんすが毎日安荒寿を歌って蛇口を締め直す必要がある。
 そして安荒寿を逆再生するということは、蛇口を急速に緩めるということ。
 深夜美さんがやったのはそれです。
 今ここに帝雨荼は解き放たれた。
 太母の呪いは黒頭をヒビシュに変える」

 夫を殺されて怒り狂った女神、帝雨荼が人間にかけた貪食の呪い。
 真祈が灯台の中の神殿で語った神話を、鎮神は思い出していた。
「つまり、深夜美さんが島の人たちをゾンビみたいにしてしまった……」
「ヴードゥーの怪物ですか? 
 ヒビシュはゾンビみたいに誰かの言うことを聞く能力なんてありませんがね。
 あれは帝雨荼の言うことさえ聞きませんよ」

「鎮神様が言ってるのは後世のホラー映画でのゾンビですよ。
 映画でのゾンビは魔術師に使役されるよりも、化学物質やウイルスなんかによる汚染って方が多い。
 術者が居るわけじゃないから、食欲に任せて人間を襲うんです」
 鎮神と真祈の会話のずれに気付いたまどかが、吐き気を堪えつつも解説してくれる。

「なるほど。
 それならば鎮神の言う通り、ヒビシュはゾンビと似ているでしょう。さあ、もうご理解いただけましたね?」
 再び、真祈が攻撃に移ろうとした。

 それをまた路加が止める。
「待ってください! 
 宇津僚家やその血を取り込んだ私たちは……」
「ええ、ヒビシュにはなりません」
「ならば、島の人々に宇津僚の血を与えれば!」
「無駄です。
 変化の時期に個人差はあれど、黒頭として生きている限り呪いは訪れる。
 既に島中に母の呪いは浸透し、後から宇津僚の血を与えたところで消えはしない。
 カルーの民は所詮、帝雨荼の作品に過ぎませんから、創造主の呪いを覆す力など無いのです」

 路加が真祈に突っ掛かり、真祈が淡々と反論している間にも、ヒビシュと化した者たちが次々に立ち上がり、呪いに呑まれていない人々を貪りだす。
 そのうちの幾人かは、鎮神たちに狙いを定め、牙を剥いて歩んでくる。

 とうとう真祈は雷を宿した手刀を振るった。
 神雷は真祈たちとヒビシュたちを線引くように大地へ深々とした溝を作る。
 真祈にさえ舵がとれない雷は、手刀の軽さに対して重々しく地響きを起こしながら土深く潜り込んでいき、士師宮家の地所を抉り取っていた。

 陸地ごと、ヒビシュと人間が諸共海へ落ちていく。

「深夜美さんは二ツ河島を混沌に陥れその首謀者が自分だと喧伝することで、人々の恐怖や憎悪を一身に集めようとしている。
 放送では、二ツ河島を虫籠にすると言っていた。
 きっと彼はここで島民を使った蠱毒を行うつもりです。
 毒虫を集めて殺しあわせ、最後に残った一匹から猛毒を抽出するというやり方が有名ですが、
術者が最後の蟲に生贄を捧げ続ける契約をしたならば、存在そのものが呪物と化した蟲は、猛毒どころではない呪殺兵器として永く使役される。
 ルルーの民の特性と蠱毒を組み合わせ、深夜美さんは自身が術者にして呪物となるつもりなのでしょう」
 地が割れ、海が鳴る轟音、そして悲鳴を背に真祈は語る。

「つまり、皆殺し……」
 鎮神が力無く呟いた。

 そして崖から放り出された人々を目で追っていたことで、見てしまった。
 島を取り囲む海が、水であって水でない、異様な性質を持った宇宙空間と化しているのを。
 空は徐々に夜のような闇に染まり、造りものじみた三日月と金星が輝きだす。

 綺麗、と嘆息する団に真祈が答える。
「あの海は、外宇宙や異次元の類――神々の世界とでも言うべき、我々の理解や想像をはるかに超える領域。
 帝雨荼より高位の神々が住まうため、接触すると知覚も精神も汚染される。
 良くて発狂、大方は情報処理能力がパンクして死ぬ。
 そして空は外界からの救援を阻む闇。
 浮かぶ月と金星は帝雨荼を呼び起こした術者、つまり深夜美さんの心の星」
 団の嘆息に真祈が答える。

 残忍な正体とは裏腹に、天地が逆転したような暗い空と星辰に輝く海は壮麗だ。
 
 こちらが襲われそうだったとはいえ、呪いに侵された人々を、あの海の恐ろしい実体を知りながら、そこにダストシュートとばかりに落としてしまう真祈のやり方を割りきることは路加には難しく、苦々しい表情を隠せずに海を眺める。

「これから行うことは、深夜美さんの打倒と忌風雷いむふらの入手です」
 真祈は道を渡って、士師宮家の向かいの家へ行く。
 鎮神、団、まだ意識の戻らない与半よはんを背負った路加が話を聞きながら律儀に付いて行くと、真祈は民家のポストの前で立ち止まった。
 確か、このお宅のはここに……と呟きながら真祈は他人の家のポストから迷うことなく車のキーを拝借した。
 長閑な田舎だから防犯意識が低いのだろうが、真祈の観察力並びに記憶力も恐ろしい。
 真祈の前で迂闊なことは出来ない、とつくづく思う。

「安荒寿を深夜美さんに知られてしまっている以上、再び封印を行うことは無駄ですし、撒かれた呪いが終息するわけでもない。
 全てと真っ向から戦う必要がある。
 ヒビシュは一度心臓を止めたとしても、四肢をバラバラにしても自己再生して襲い掛かってくる。
 彼らを滅ぼしきるには、忌風雷を用いるほかない」

「忌風雷……確か、神話の中で帝雨荼を封印するために使われたものでしたっけ」
 それも鎮神が灯台で聞いた神話の中で語られていたものだ。

「そういえば、幼い頃から話には聞いていたが、忌風雷が具体的に何なのかは知りませんね。
 それも歌なのですか?」
 路加が訊ねる。
 鎮神はもちろん、生まれた時から二ツ河島に住んでいる団も同様に知らないらしい。

「それについては私も研究していたのですが、悪しき風という別名以外のことはよく分かりませんでした。
 帝雨荼の呪いの噴出を感知し、涅菩ねぼの塔――灯台の神殿は起動しているはずです。
 神と地を繋ぐ能力を持つ涅菩そのものである神殿は、信仰の危機が迫った時に乞えば力を貸してくれる防衛装置。
 涅菩から忌風雷を授かればヒビシュに対抗できる」
 言いながら真祈は、外宇宙に置き換わった海を指す。
「ただし、神が造ったものを召喚する以上、その過程で神の領域に接触する必要がある。
 この海ほど高濃度ではないはずですが、危険には違いない。
 少なくともカルーの民には天留津あまるつという、発狂も死亡もせずに忌風雷を手にした前例がありますので、これは私が適任でしょう。
 早速灯台へ向かうようお願いします」
 有無を言わせず、真祈は路加に車のキーを押し付ける。
 気を失った与半を除けば、車の運転が出来るのは路加だけだった。

「……はい。正直、分からないことの方が多いですが、頼りにしていますからね。真祈様」
 神妙な面持ちでキーを受け取った路加は、与半を後部座席に寝かせ、自分は運転席に乗り込む。

 五人乗りシートのうち三人分を巨躯に譲ったために、残った三人は逡巡する。
 すると団は、閃いたとばかりに勢いよく、後部座席の窓を全開にして窓枠に腰掛けた。
「ドラマで見てから、やってみたいと思ってたんですよね。箱乗り」
「ハコノリ? 素晴らしい、これならみんな乗れますね」
 新しい知識に興味津々で、真祈も団の真似をして向かい側の窓枠に座った。

「二人とも、落ちないでくださいね……」
 苦笑しながら鎮神は助手席に着く。
 見れば路加も呆れたように眇めた眼で後ろを振り返っていて、鎮神とふと目が合うと互いに破顔した。
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