蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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七章

4 闇に包まれた島

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 思考というにはあまりにも痛々しい念に突き動かされ、与半よはんは、闇に包まれた島を奔る。
 光源が作りものじみた三日月と禍々しい金星しか無くても、慣れ親しんだ集落ならば淀みなく駆けて行くことが出来る。

 仕事を終えて帰路についていた辺りから、先ほど誰かの車の中で目覚めるまでの記憶が抜け落ちていた。
 思い出そうとすれば、赤いものに脳細胞が灼かれ、喰われ、弄ばれている幻が襲い来る。
 或いは、それは幻ではなく記憶なのかもしれない。

 足に何かが引っかかって、与半は転んだ。
 普段は無いはずのものが道端にある。
 闇に馴染んだ目は、共に海に出ている男が倒れている姿を映した。
 自ら胸にナイフを突き立てる利き手、渇いた瞳。
 男のことも気にかかったが、既に息が無い者に構うより、妻子の無事を確かめる方が先だ。
 立ち上がり、今はただ走った。

 自宅に辿り着くと、玄関の戸は開け放たれていた。
 見知った顔ばかりの田舎では珍しくもないが、太陽が去り、異様なまでの静けさに包まれ、天変地異も斯くやという空気の中では嫌な想像を煽るばかりだ。
 
 懐中電灯を手にし、足音を殺しながら、居間へと向かう。
 愛着さえある畳の汚れ――あれは友人が煙草を落として焦がした痕で、これは小町がジュースを零した染みだ――が全て自分を睨みつける眼に見えてしまうほど怯えていた。

 ふと、鉄の匂いが鼻をついた。
 それを辿って台所に行くと、すぐに元を見つけることができた。
 粘った血溜まりの中に、骨と肉片が漂っている。
 赤い海から妻の髪留めを拾い上げた。

 しばらく呆けてから、髪留めを『彼女』に返すと与半は叫ぶ。
「小町……返事してくれ! 
 妻を殺した奴は出て来い、おれは逃げも隠れもしないぞ!」
 声に応えたのか、仏間の方から物音がして、目の端に人影が映った。
 包丁を取り出して構えつつ、そこに居るのが小町であってくれと願った。

 しかし現れたのは男だった。
 あどけなさの残る彼は、小町と交際しているという将太であった。

 将太が祥子を殺したのか、と思い頭に血が昇りかけるが、彼の涙に泥濘んで怯えきった顔と、二の腕にある深い傷を見て、どうにか踏み留まる。

「何があったか……説明できるか」
「お……小母さんを食い殺した……小町が……」

 将太の口から出た異様な手口に、呆気にとられ、そしてその次に出て来た愛娘の名を聞いた時、吐き気がこみあげてきた。

「……悪いが、理解できない……
 君、何か言い間違えているんじゃないか」
「いいえ。深夜美みやびの島内放送があった後、小町は……」
「待て、どうしてそこで深夜美さんが出て来るんだ」
 与半がそう言うと、今度は将太が驚いた表情をした。

「聞いてなかったんですか、あの放送」
「ああ……気を失っていたらしくて、記憶も薄い……」

将太の表情に、この家で起こったことを見なくて済んだ与半への羨望らしき脱力感が差した。

 二人は暗い仏間に身を隠すように座る。
 そして将太が話し始めた。
「ぼくが小町と小母さんと三人で居間に居た時、深夜美の島内放送が聞こえてきた。
 あいつは自分をアサルルヒとかルルーの民とか名乗って、それから気味の悪い歌を歌って……
 そしたらしばらくして小町が苦しみだして、小母さんを食い殺した」

 あの青年が悪鬼の血を引いており、日常を破壊したというのか。
 理解に苦しみ頭を抱えていたが、やがて記憶の奥底で疼くものがあった。
 赤くて甘ったるい誘惑に脳を侵され、憤怒のままに炎へ飛び込んだこと。
 自分自身から噴出した、宇津僚うつのつかさ家への憎悪。
 崩れ落ちた真祈まき、それに刃を振り下ろす歓喜――そして真祈を守る鎮神しずか

「そうだ、私もあいつに嘘を吹き込まれて洗脳されていた……! あいつが……」
 全てを思い出した与半は、愕然とする。


「ぼく、腰が抜けちゃってしばらく動けなくて……
 小町に腕を齧られてやっと正気に戻って、どうにか振り払って外に出て……
 そしたら、他の家でも同じようにおかしくなった人や、食い殺された人が居たみたいで、騒ぎになってました。
 食い殺される前に、深夜美への恨みを叫びながら自分で命を絶った人も居た……。
 怖くて、裏口から小町ん家に入り直して、仏間の押入れにずっと隠れてて……
 しばらくしたら、何かに呼ばれたみたいに突然、小町は出て行きました。
 他の家での騒ぎも同時に収まったみたいだったから、小町以外のおかしくなった人たちもどこかへ行ったのかも。
 歌が終わってすぐ、小町は泣き叫んで、溺れるとか、しょっぱくて痛いとか、眩しいとか……
 辺りには水も光も無いのにそう言って暴れて……
 助けてって言いながら小母さんを食ってた。
 ぼくは、何も出来なかった……」

 啜り泣く将太の肩を、与半は抱き寄せる。
「君のせいじゃない。悪いのは全部」
「私、だから」

 突如、第三者の声が降ってきた。

 掃き出し窓の向こうに、いつの間にか人影があった。
 与半が将太の手を引いて退ると同時に、家の外壁が溶けだして、庭に立っていた男――深夜美の姿が現れる。
 
 彼の背後にある家屋もどんどん腐食させられ無に還り、集落の中に一点だけ荒野が作られた。
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