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八章
4 色欲の因果
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鎖の切れた跳ね橋が堀に掛かっていて、蝶番が失われたらしき表門と中門の扉は地に伏せられている。
人の手では届かない位置にある金属を消し去る者なら、心当たりがある。
「深夜美……」
既に彼は庭まで侵入して来ていた。
ブーケのように華やかだが、決して明るい気分にはさせてくれない、
彼が纏う不思議な薫りがここまで流れて来る。
咄嗟に艶子は納屋へと隠れた。
すぐに深夜美が家に入って来て、踏込で立ち止まる気配があった。
暫く物音がしないのが不気味だったが、やがて深夜美は呟いた。
「艶子……怒ってる?」
笑いを噛み殺しながら茶化すように問うているのが、顔を見ずとも分かる。
もちろん怒りを抱かないはずがない。
自分に勇気があったならば今すぐ出て行って、よくも弄んでくれたと喚き散らしながら殺してやりたいくらいだ。
しかし有沙の悲惨な死に様を思い返すと脚が萎えてしまう。
それどころか、邪悪な笑みを浮かべる深夜美も綺麗に違いない、というくだらない考えまで過る始末だ。
暗闇の中で震えながら息を殺していると、次の仕掛けを発動するとばかりにまた深夜美が朗々と語りだす。
「まだいまいち私のショーに乗りきれてないみたいですね。
時に、艶子は荒津楼夫さんのことどう思いますか?
最近懇意にされてましたよね。
私は彼のことけっこう好きですよ……優しくて逞しくて、体格に見合った厚くて長い舌を迎え入れると背中がゾクゾクするんです。
内腿にあるほくろだって色っぽくて――」
耐えきれず、嗚咽が漏れる。
足音は納屋の前で立ち止まった。
もう隠れていても無駄だと悟る。
ただ、身体が動いてくれない。
浮気相手が楼夫だとまでは知られていなかったはずだ。
それなのに何故。
仮に何かのはずみで深夜美がそれを知ったとしよう。
ならば何故、普段は服に秘されているはずの身体的特徴を言い当てられるのか。
実は楼夫は既に死んでいて、深夜美は単に死体を暴いてそれを知ったなどではないか。
楼夫には悪いが、そうであってほしい。
でなければ、彼らは。
「嘘よ……たまたま知っただけのことをそれっぽく並べてるだけのハッタリでしょ!」
廊下に居る深夜美に向けて、精一杯言い張った。
しかし希望は虚しく打ち砕かれる。
「いや、楼夫は私の忠実な下僕だ。
例えば、私が命じれば好きでもない人妻に愛を囁いてしまうほどには……ね」
忘れるはずもない、楼夫の誘惑の言葉。
『私なら、自分の欲望に従って生きる。例えば、貴女が人妻であっても愛を囁いてしまうほどには』
それを深夜美が知っている。
知ったうえで艶子を挑発している。それはつまり。
激情に意識が霞む。
気が付いた時には納屋を飛び出して、深夜美と対峙していた。
楼夫を艶子に接近させたのは深夜美だったのだ。
目的はもちろん、不倫をネタに強請って安荒寿を手に入れること。
ぶ厚い仮面だらけの舞踏会で、素顔に襤褸で踊っていた馬鹿は私だけ。
なんて愛しくて、なんて呪わしい。
「ウムダブルチュ! こいつを殺せ!」
誰のためでも、何のためでもなく、この感情をぶつけるために艶子は加護の名を叫んだ。
風が巻き起こり、深夜美を包み込む。
暴風の中へと投げ込むために、ケープの内ポケットから剃刀の刃を三十枚ほど取り出した。
その時、深夜美は藻掻くのをやめ、小さな竜巻の中で勝ち誇るように光った。
「アルメルージュ。艶子を押さえていろ」
呪術の名を呼ぶ彼の、赤黒い視線の先を辿って振り向く。
艶子の背後に、裏口から入って来たであろう十人ほどの島民が、いつの間にか迫っていた。
考える間もなく彼らに両腕を引かれ、噛みつかれた。
余りの痛みに能力を解除してしまい、吹き荒れていた風は止む。
床に引き倒され、血肉が黄ばんだエナメル質に千切られて彼らの胃の中に消えていく。
凄まじい痛みと生理的嫌悪感に泣き喚いた。
「離せぇっ、消えろ!」
のたうつ艶子を深夜美が見下ろしている。
繊細な諸手には、納屋から出して来たであろうスレッジハンマーが握られていた。
「あんたなんか大嫌いよ……
何を企んでいるのだか知らないけれど、失敗して惨めに死ねばいい!
あんたなんかっ……」
憎い、憎い。
真実の愛を求めて伸ばした手を冷酷に裏切った運命が、深夜美が。
怨みを込めて睨んだ白皙の美貌は、振り下ろされるハンマーの残像の向こうに霞んで見えなくなった。
人の手では届かない位置にある金属を消し去る者なら、心当たりがある。
「深夜美……」
既に彼は庭まで侵入して来ていた。
ブーケのように華やかだが、決して明るい気分にはさせてくれない、
彼が纏う不思議な薫りがここまで流れて来る。
咄嗟に艶子は納屋へと隠れた。
すぐに深夜美が家に入って来て、踏込で立ち止まる気配があった。
暫く物音がしないのが不気味だったが、やがて深夜美は呟いた。
「艶子……怒ってる?」
笑いを噛み殺しながら茶化すように問うているのが、顔を見ずとも分かる。
もちろん怒りを抱かないはずがない。
自分に勇気があったならば今すぐ出て行って、よくも弄んでくれたと喚き散らしながら殺してやりたいくらいだ。
しかし有沙の悲惨な死に様を思い返すと脚が萎えてしまう。
それどころか、邪悪な笑みを浮かべる深夜美も綺麗に違いない、というくだらない考えまで過る始末だ。
暗闇の中で震えながら息を殺していると、次の仕掛けを発動するとばかりにまた深夜美が朗々と語りだす。
「まだいまいち私のショーに乗りきれてないみたいですね。
時に、艶子は荒津楼夫さんのことどう思いますか?
最近懇意にされてましたよね。
私は彼のことけっこう好きですよ……優しくて逞しくて、体格に見合った厚くて長い舌を迎え入れると背中がゾクゾクするんです。
内腿にあるほくろだって色っぽくて――」
耐えきれず、嗚咽が漏れる。
足音は納屋の前で立ち止まった。
もう隠れていても無駄だと悟る。
ただ、身体が動いてくれない。
浮気相手が楼夫だとまでは知られていなかったはずだ。
それなのに何故。
仮に何かのはずみで深夜美がそれを知ったとしよう。
ならば何故、普段は服に秘されているはずの身体的特徴を言い当てられるのか。
実は楼夫は既に死んでいて、深夜美は単に死体を暴いてそれを知ったなどではないか。
楼夫には悪いが、そうであってほしい。
でなければ、彼らは。
「嘘よ……たまたま知っただけのことをそれっぽく並べてるだけのハッタリでしょ!」
廊下に居る深夜美に向けて、精一杯言い張った。
しかし希望は虚しく打ち砕かれる。
「いや、楼夫は私の忠実な下僕だ。
例えば、私が命じれば好きでもない人妻に愛を囁いてしまうほどには……ね」
忘れるはずもない、楼夫の誘惑の言葉。
『私なら、自分の欲望に従って生きる。例えば、貴女が人妻であっても愛を囁いてしまうほどには』
それを深夜美が知っている。
知ったうえで艶子を挑発している。それはつまり。
激情に意識が霞む。
気が付いた時には納屋を飛び出して、深夜美と対峙していた。
楼夫を艶子に接近させたのは深夜美だったのだ。
目的はもちろん、不倫をネタに強請って安荒寿を手に入れること。
ぶ厚い仮面だらけの舞踏会で、素顔に襤褸で踊っていた馬鹿は私だけ。
なんて愛しくて、なんて呪わしい。
「ウムダブルチュ! こいつを殺せ!」
誰のためでも、何のためでもなく、この感情をぶつけるために艶子は加護の名を叫んだ。
風が巻き起こり、深夜美を包み込む。
暴風の中へと投げ込むために、ケープの内ポケットから剃刀の刃を三十枚ほど取り出した。
その時、深夜美は藻掻くのをやめ、小さな竜巻の中で勝ち誇るように光った。
「アルメルージュ。艶子を押さえていろ」
呪術の名を呼ぶ彼の、赤黒い視線の先を辿って振り向く。
艶子の背後に、裏口から入って来たであろう十人ほどの島民が、いつの間にか迫っていた。
考える間もなく彼らに両腕を引かれ、噛みつかれた。
余りの痛みに能力を解除してしまい、吹き荒れていた風は止む。
床に引き倒され、血肉が黄ばんだエナメル質に千切られて彼らの胃の中に消えていく。
凄まじい痛みと生理的嫌悪感に泣き喚いた。
「離せぇっ、消えろ!」
のたうつ艶子を深夜美が見下ろしている。
繊細な諸手には、納屋から出して来たであろうスレッジハンマーが握られていた。
「あんたなんか大嫌いよ……
何を企んでいるのだか知らないけれど、失敗して惨めに死ねばいい!
あんたなんかっ……」
憎い、憎い。
真実の愛を求めて伸ばした手を冷酷に裏切った運命が、深夜美が。
怨みを込めて睨んだ白皙の美貌は、振り下ろされるハンマーの残像の向こうに霞んで見えなくなった。
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