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三章 Bonding
十八話 同床同夢
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中庭で眠る鹿島を眺めながら待っていると三分前後で佐久良が戻って来た。
エレクトロウェア含む戦闘服を脱ぎ去り、代わりに詰襟のシャツとハイウエストのガウチョパンツ、黒い羽織という恰好だ。
佐久良にしては些か野暮ったいが、それ程急いで仕度してきてくれたのだろう。
二人は外へ出て、詰所の隣のガレージへ向かう。
佐久良が所有しているシルバーのスポーツセダンに乗り込み、高田の坂を下って行く。
人通りの多い道を避けながら進み、駐車する場所も敢えて遠回りして商店街の東側の寂しい路地を選んだ。
降車した二人は連れ立ってアーケードの下へ入って行く。
運良く誰にも会うことなく、田中家まで辿り着くことが出来た。
鍵を開けて居間へ直行すると、いつもの如く華美なワンピースを着た三善がゲーム機片手に出迎える。
「おかえり……あれ、佐久良ちゃん」
エレクトロウェアを身に着けていない由利と、急いで引っ掛けてきたような服装の佐久良に、三善は目を瞠る。
座る間も無く佐久良が説明する。
「二時間程前、グレアを使用するAIと交戦しました」
「ええ!? ほんまかいな、それ!」
当然、三善も驚愕する。
しかしメカニックとしての勘が働いたのか、顎を擦りながら呟く。
「いや、言うてDomがグレアを使える仕組みかてよう分かってへんねんし……Domの生物電気を機械の電流で再現出来たら、不可能ではないんか?」
「オーオン……そのクソAIが、自分はそないして生まれたって自己紹介しとった。
バグの産物らしいから、理論立てて再現出来たらおばあの方が魁になれるで。
電気工学か新人類研究か何かの」
三善に乗っかって軽口を叩く由利を、佐久良は冷ややかに横目で見る。
しかし、三善を心配させまいとわざとそうしているのだろうと察し、視線を三善に戻した。
「曝露した由利はダイナミクスを無理矢理Subに切り替えられて、ドロップに陥りました」
「大丈夫かいな!」
三善は再び叫んだ。平気平気、と由利は頷いて見せる。
「由利のドロップは、私が責任を持って治します。
これから暫く由利には詰所に住んでもらいますので、ご挨拶と、荷物を纏めよか思いまして」
「ああ、そうか……。
まあ佐久良ちゃんに任せたら安心やな」
「あと、お願いがあるんですが……由利がドロップに陥ったことや、詰所に泊まっとることはご内密に」
「勿論や」
由利の複雑な立場をよく理解している三善は、にっこりと頷く。
「ドロップに陥ったことはともかく、詰所に寝起きするってことはモノノベのメンバーにも言うてへんからな」
横から由利が付け加えた。
「ほな、由利の部屋入らせてもらいます。二階か」
促され、由利は佐久良を連れて二階へ上がる。
由利の部屋に、三善以外の人物が立ち入るのは初めてだ。
「歯ブラシとかタオルとかは、さらのやつを渡す。シャンプーとかは……」
「佐久良が使とるやつ貰うわ。
拘りとかあらへんし。
刀の手入れ道具も詰所の使わしてもろて良えか」
「勿論」
話しながら衣類や化粧品、金銭などを鞄へ詰める。
「持って行くもんはそれで全部か」
「せやな」
荷造りを終えると、佐久良が近付いて来て鞄を抱え、さっさと部屋を出て行ってしまう。
慌てて後を追うと、膝からがくりと力が抜けた。
廊下に崩れ落ちる由利に、階段を下りかけていた佐久良はぎくりと振り向く。
佐久良が声を発するより速く、由利は立ち上がって見せた。
「何ともあらへん」
「……俺の真後ろに付いて、ゆっくり下りろ」
佐久良はそう言って、一段ずつ立ち止まりながら階段を下りて行く。
由利は彼に従い、佐久良の背に張り付くように、彼の一つ上の段を確実に踏み締める。
もし由利が転べば、佐久良が受け止めてくれるつもりなのだろう。
慎重に一階まで辿り着くと、三善が心配そうに覗き込んでくる。
「行ってくるわ、おばあ」
ごく軽い調子で手を振る。
別れの挨拶をする時、これが今生の別れになるかもしれない、と考えない者はネオ南都には居ない。
しかし今の由利は特にそれを強く意識していた。
手を振り返す恩人の姿を目に焼き付け、田中家を後にする。
詰所兼塔院家に帰り着くなり、由利は持ち込んだ自分の靴を、土間の隅にある靴箱へ全て仕舞い込んだ。
一方、佐久良の春用の靴は沓踏石の側にずらりと並んでいる。
「ほんまにモノノベの奴らにも言わんで良えんやな?
由利がここに居るって」
上がり框に立ちながら佐久良が訊ねる。
「ああ。知られて気ぃ悪いのは、佐久良も同じやろ」
由利は即答する。
夏目とは兄弟のようなもの、栗栖とは共に高め合う戦友、相馬とは良き師弟と言う関係を築いてきたつもりだ。
そんな仲間に格好悪い姿を見せたくないのは当然だろう。
佐久良と一つ屋根の下で頭を撫でられたり優しく囁き掛けられたりして甘やかされながら過ごしている、だなんて絶対に知られたくない。
田中家で単身治療に専念している振りを貫かなくてはならない。
佐久良だって、不名誉な場面――よりによって由利なんかを猫可愛がりしている姿を見られたくはない筈だ。
ふん、と浅い吐息を漏らしてから、佐久良は屋敷の奥を指で示す。
「先に風呂入れ。もう沸かしてある」
「雨に濡れたんは佐久良の方やろ」
「俺は後で良い」
譲り合いで時間を浪費するのも嫌なので、大人しく厚意を受け取ることにする。
浴室は、鹿島が居る中庭を囲む回廊の外周にある。
怪我をした時、血を洗い流す為に風呂場を借りたことは何度もあるので、勝手は知っている。
荷物の中から引っ張り出した寝間着を片手に、脱衣所へ踏み込んだ。
空調が万全な上に、客人用とは別に設けられた家人用トイレへ通じている、利便性の高い構造の脱衣所だ。
脱いだ服を水洗いするものとオゾンクリーニングするものに分けて籠に放り入れ、浴室に入る。
さっきのように脚から力が抜けてタイルにぶつかると危ないので、屈みながら進んだ。
ダークカラーで統一された、和モダン風のバスルーム。
壁にはアールヌーボー調の花鳥が描かれた樹脂パネルが貼られ、頽廃的な雰囲気を醸し出す。
化粧を落とし、頭を洗っていると、扉が薄っすらと開いた。
「ここに居るから、何かあったら言うて」
そう言って佐久良は、ドアの向こうに座ったようだった。
ああ、と返事したものの、足りない物も無ければ痛みに襲われることも無く、身体も洗い終えた由利はのんびりと湯船に浸かる。
静かになると、雨の音が聞こえる。
「なあ、佐久良」
扉の方を振り向きもせず話し掛ける。
「昔、言うたよな。俺は暗君や弱卒に落ちるくらいなら死んだ方が幸せ。
リーダーである佐久良には、役に立てへんくなった俺を殺す義務があるって」
「……ああ」
「もしドロップが治らんくて、皆の足を引っ張ってまうようなことになったら……そん時は、頼むな」
「分かっとる」
暫くして由利は風呂から上がる。
気配を察して出て行ったのか、既に脱衣所に佐久良の姿は無かった。
野郎同士でそんなに気を遣わなくても、と思いつつ水滴を拭って浴衣を着ると、回廊に出る。
案の定、佐久良はそこで待ってくれていた。
その手にはドライヤーが握られている。
「おいで」
中の間まで連れて行かれ、またもや椅子に座らされる。
そして佐久良はドライヤーを器用に動かしながら由利の赤い髪を乾かし始めた。
雨音は、耳元を吹き荒ぶ熱風の音で掻き消される。
ロングヘアを長年維持しているだけあって佐久良の手捌きは鮮やかだ。
不本意だが、こうして壊れ物のように扱われることで、冷たく張り詰めたSub神経に一瞬ながら仄かな熱が灯る。
微々たるものだが治療としての効果は確実にあるようだ。
肩に触れるか触れないか程度の長さの赤髪は、すぐに乾ききってしまう。
再び耳に雨音が届いてきて、ぼんやりしていた由利を、佐久良は覗き込んだ。
「大丈夫か? もう寝た方がええ。おいで」
「っ、ああ」
佐久良は再び回廊へ出ると、今度は階段を指した。
「寝所は三階」
最上階の三階と言えば、付き合いの長い由利でさえ入ったことが無い、佐久良の居住空間だ。
躊躇はしたが、自分は暫くここに住むのだと思い直し、段に足を掛ける。
佐久良は後ろから付いて来る――やはり、落ちた時に受け止めてくれる気なのだろう。
階段を昇りきるなり、佐久良の部屋が現れた。
三階は一階、二階の半分程の面積で、この一室しか無い。
すぐ目に入ったのは黒檀の箪笥と鏡台、墨色の御簾。
それら重厚な見た目の家具が似合うような、全体的に落ち着いた内装をしている。
招かれた御簾の向こうには書き物テーブルと、架子床なる唐土風の寝台があった。
雲や兎を透かし彫りした木枠の天蓋が付いた、華やかなものだ。
天蓋から垂れた白い蚊帳を捲り、由利が布団に潜り込むのを見届けると、佐久良は階下へと去って行った。
疲れから、すぐに瞼が下りてくる。
瞼の裏に一人の少女が像を結ぶ。
清楚な佇まい、左目の下に二つ並んだ泣き黒子、砕けた右手のエレクトロウェア。
そして首を一文字に切り裂く深い傷。
加賀見も由利も、邪機に抗う術を浄世講から奪われていた。それ故に起きた悲劇だった。
時折、拭いきれない思いが込み上げる。
由利が生まれなければ、ネオ南都の歴史上に流れた血はもっと少なかったのではないかと。
加賀見が無理矢理に刀を取らされて死ぬことはなかったし、佐久良だってこの広い家に一人ぼっちではなかったのかもしれない。
「お前さえ居らんかったら一生平穏に暮らしとったこいつを復讐鬼に変えたんもお前じゃ!
全部、全部、由利が悪いんや……」
佐久良と並んで立つ由利に向かって小路が叫んだ最期の言葉はそれだった。
過去は変えられないととっくの昔に割り切れたつもりでいたのに、ドロップが見せる過去の幻は由利にしつこく追い縋る。
いつの間にか冷や汗を掻きながら目を見開いていた。
ベッドを下りると窓辺へ寄り、ネオ南都の夜を見下ろす。
標高の高い高田、それも三階からの眺めだ。
壁、森、ディストピアに四方を囲まれた小さな世界は、どこを見下ろしても見慣れた建物、歩き慣れた道ばかりだ。
その全てに、争いと遺恨の記憶がこびり着いている。
「由利?」
佐久良の声がして振り向く。
浴衣を着た佐久良が御簾を押し上げてこちらへやって来たところだった。
何も反応出来ないでいる由利の隣に、彼はそっと並び立つ。
「良え月や」
佐久良が言うのに釣られ、由利も夜空を見上げる。
雨脚の弱まった空は、雲の切れ間に白い薄月を覗かせていた。
慌ただしい一日で天気管を見る間も無かったが、次に目覚める頃には晴れているかもしれない。
月に見惚れていると、後頭部から背中にかけて燃えるような痛みが走り、由利はたたらを踏んだ。
反射的に丸めた肩を、佐久良に抱き留められる。
由利を寝台に横たわらせると佐久良は傍らに屈み込み、由利の赤毛を幾度も撫でた。
風呂上りの掌は、先程と違って暖かい。
触れられていると痛みが和らいでくる。
浮見堂でドロップと感電により気絶した由利が意識を取り戻したのも、佐久良に撫でられていたからなのだろうと、今更ながら思う。
「ずっと眠れへんかったんか」
「別に、そんなことあらへん」
「……明日からは、同時に風呂に入ろう」
なるべく佐久良に心配を掛けない答えを選んだつもりだったが、失敗したかもしれない。
一瞬でも眠れたことを伝えたかったつもりが、睡眠と覚醒を繰り返す程に苦しいと言っているように受け取られたようだった。
しかし、一緒に風呂に入ることくらいなら異存は無い。
「佐久良も、はよ寝ろ。クソAIと戦って疲れたやろ」
「ああ。遠くには行かへんから、何かあったら叫んででも起こせ。
せや、鈴でも渡しとこか」
「待て、どこで寝るつもりや」
「どっかその辺や」
何やら話が食い違ってきたので確認してみると、佐久良は床板の上に眠るつもりでいたようだった。
「あほちゃう……このベッド、どう見ても二人は寝れるやろ」
そう言いながら由利は寝台の片側へ身を寄せる。
すると、佐久良の長い腕でも由利の頭に触れられなくなる程の距離が開く。
妙な間があってから、佐久良はやっと同じ布団に潜り込んできた。
由利の方を向いて横臥しながら何度も何度も、慣れない手付きで髪を撫でる。
由利はやっとのことで深い眠りに包まれた。
エレクトロウェア含む戦闘服を脱ぎ去り、代わりに詰襟のシャツとハイウエストのガウチョパンツ、黒い羽織という恰好だ。
佐久良にしては些か野暮ったいが、それ程急いで仕度してきてくれたのだろう。
二人は外へ出て、詰所の隣のガレージへ向かう。
佐久良が所有しているシルバーのスポーツセダンに乗り込み、高田の坂を下って行く。
人通りの多い道を避けながら進み、駐車する場所も敢えて遠回りして商店街の東側の寂しい路地を選んだ。
降車した二人は連れ立ってアーケードの下へ入って行く。
運良く誰にも会うことなく、田中家まで辿り着くことが出来た。
鍵を開けて居間へ直行すると、いつもの如く華美なワンピースを着た三善がゲーム機片手に出迎える。
「おかえり……あれ、佐久良ちゃん」
エレクトロウェアを身に着けていない由利と、急いで引っ掛けてきたような服装の佐久良に、三善は目を瞠る。
座る間も無く佐久良が説明する。
「二時間程前、グレアを使用するAIと交戦しました」
「ええ!? ほんまかいな、それ!」
当然、三善も驚愕する。
しかしメカニックとしての勘が働いたのか、顎を擦りながら呟く。
「いや、言うてDomがグレアを使える仕組みかてよう分かってへんねんし……Domの生物電気を機械の電流で再現出来たら、不可能ではないんか?」
「オーオン……そのクソAIが、自分はそないして生まれたって自己紹介しとった。
バグの産物らしいから、理論立てて再現出来たらおばあの方が魁になれるで。
電気工学か新人類研究か何かの」
三善に乗っかって軽口を叩く由利を、佐久良は冷ややかに横目で見る。
しかし、三善を心配させまいとわざとそうしているのだろうと察し、視線を三善に戻した。
「曝露した由利はダイナミクスを無理矢理Subに切り替えられて、ドロップに陥りました」
「大丈夫かいな!」
三善は再び叫んだ。平気平気、と由利は頷いて見せる。
「由利のドロップは、私が責任を持って治します。
これから暫く由利には詰所に住んでもらいますので、ご挨拶と、荷物を纏めよか思いまして」
「ああ、そうか……。
まあ佐久良ちゃんに任せたら安心やな」
「あと、お願いがあるんですが……由利がドロップに陥ったことや、詰所に泊まっとることはご内密に」
「勿論や」
由利の複雑な立場をよく理解している三善は、にっこりと頷く。
「ドロップに陥ったことはともかく、詰所に寝起きするってことはモノノベのメンバーにも言うてへんからな」
横から由利が付け加えた。
「ほな、由利の部屋入らせてもらいます。二階か」
促され、由利は佐久良を連れて二階へ上がる。
由利の部屋に、三善以外の人物が立ち入るのは初めてだ。
「歯ブラシとかタオルとかは、さらのやつを渡す。シャンプーとかは……」
「佐久良が使とるやつ貰うわ。
拘りとかあらへんし。
刀の手入れ道具も詰所の使わしてもろて良えか」
「勿論」
話しながら衣類や化粧品、金銭などを鞄へ詰める。
「持って行くもんはそれで全部か」
「せやな」
荷造りを終えると、佐久良が近付いて来て鞄を抱え、さっさと部屋を出て行ってしまう。
慌てて後を追うと、膝からがくりと力が抜けた。
廊下に崩れ落ちる由利に、階段を下りかけていた佐久良はぎくりと振り向く。
佐久良が声を発するより速く、由利は立ち上がって見せた。
「何ともあらへん」
「……俺の真後ろに付いて、ゆっくり下りろ」
佐久良はそう言って、一段ずつ立ち止まりながら階段を下りて行く。
由利は彼に従い、佐久良の背に張り付くように、彼の一つ上の段を確実に踏み締める。
もし由利が転べば、佐久良が受け止めてくれるつもりなのだろう。
慎重に一階まで辿り着くと、三善が心配そうに覗き込んでくる。
「行ってくるわ、おばあ」
ごく軽い調子で手を振る。
別れの挨拶をする時、これが今生の別れになるかもしれない、と考えない者はネオ南都には居ない。
しかし今の由利は特にそれを強く意識していた。
手を振り返す恩人の姿を目に焼き付け、田中家を後にする。
詰所兼塔院家に帰り着くなり、由利は持ち込んだ自分の靴を、土間の隅にある靴箱へ全て仕舞い込んだ。
一方、佐久良の春用の靴は沓踏石の側にずらりと並んでいる。
「ほんまにモノノベの奴らにも言わんで良えんやな?
由利がここに居るって」
上がり框に立ちながら佐久良が訊ねる。
「ああ。知られて気ぃ悪いのは、佐久良も同じやろ」
由利は即答する。
夏目とは兄弟のようなもの、栗栖とは共に高め合う戦友、相馬とは良き師弟と言う関係を築いてきたつもりだ。
そんな仲間に格好悪い姿を見せたくないのは当然だろう。
佐久良と一つ屋根の下で頭を撫でられたり優しく囁き掛けられたりして甘やかされながら過ごしている、だなんて絶対に知られたくない。
田中家で単身治療に専念している振りを貫かなくてはならない。
佐久良だって、不名誉な場面――よりによって由利なんかを猫可愛がりしている姿を見られたくはない筈だ。
ふん、と浅い吐息を漏らしてから、佐久良は屋敷の奥を指で示す。
「先に風呂入れ。もう沸かしてある」
「雨に濡れたんは佐久良の方やろ」
「俺は後で良い」
譲り合いで時間を浪費するのも嫌なので、大人しく厚意を受け取ることにする。
浴室は、鹿島が居る中庭を囲む回廊の外周にある。
怪我をした時、血を洗い流す為に風呂場を借りたことは何度もあるので、勝手は知っている。
荷物の中から引っ張り出した寝間着を片手に、脱衣所へ踏み込んだ。
空調が万全な上に、客人用とは別に設けられた家人用トイレへ通じている、利便性の高い構造の脱衣所だ。
脱いだ服を水洗いするものとオゾンクリーニングするものに分けて籠に放り入れ、浴室に入る。
さっきのように脚から力が抜けてタイルにぶつかると危ないので、屈みながら進んだ。
ダークカラーで統一された、和モダン風のバスルーム。
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「ここに居るから、何かあったら言うて」
そう言って佐久良は、ドアの向こうに座ったようだった。
ああ、と返事したものの、足りない物も無ければ痛みに襲われることも無く、身体も洗い終えた由利はのんびりと湯船に浸かる。
静かになると、雨の音が聞こえる。
「なあ、佐久良」
扉の方を振り向きもせず話し掛ける。
「昔、言うたよな。俺は暗君や弱卒に落ちるくらいなら死んだ方が幸せ。
リーダーである佐久良には、役に立てへんくなった俺を殺す義務があるって」
「……ああ」
「もしドロップが治らんくて、皆の足を引っ張ってまうようなことになったら……そん時は、頼むな」
「分かっとる」
暫くして由利は風呂から上がる。
気配を察して出て行ったのか、既に脱衣所に佐久良の姿は無かった。
野郎同士でそんなに気を遣わなくても、と思いつつ水滴を拭って浴衣を着ると、回廊に出る。
案の定、佐久良はそこで待ってくれていた。
その手にはドライヤーが握られている。
「おいで」
中の間まで連れて行かれ、またもや椅子に座らされる。
そして佐久良はドライヤーを器用に動かしながら由利の赤い髪を乾かし始めた。
雨音は、耳元を吹き荒ぶ熱風の音で掻き消される。
ロングヘアを長年維持しているだけあって佐久良の手捌きは鮮やかだ。
不本意だが、こうして壊れ物のように扱われることで、冷たく張り詰めたSub神経に一瞬ながら仄かな熱が灯る。
微々たるものだが治療としての効果は確実にあるようだ。
肩に触れるか触れないか程度の長さの赤髪は、すぐに乾ききってしまう。
再び耳に雨音が届いてきて、ぼんやりしていた由利を、佐久良は覗き込んだ。
「大丈夫か? もう寝た方がええ。おいで」
「っ、ああ」
佐久良は再び回廊へ出ると、今度は階段を指した。
「寝所は三階」
最上階の三階と言えば、付き合いの長い由利でさえ入ったことが無い、佐久良の居住空間だ。
躊躇はしたが、自分は暫くここに住むのだと思い直し、段に足を掛ける。
佐久良は後ろから付いて来る――やはり、落ちた時に受け止めてくれる気なのだろう。
階段を昇りきるなり、佐久良の部屋が現れた。
三階は一階、二階の半分程の面積で、この一室しか無い。
すぐ目に入ったのは黒檀の箪笥と鏡台、墨色の御簾。
それら重厚な見た目の家具が似合うような、全体的に落ち着いた内装をしている。
招かれた御簾の向こうには書き物テーブルと、架子床なる唐土風の寝台があった。
雲や兎を透かし彫りした木枠の天蓋が付いた、華やかなものだ。
天蓋から垂れた白い蚊帳を捲り、由利が布団に潜り込むのを見届けると、佐久良は階下へと去って行った。
疲れから、すぐに瞼が下りてくる。
瞼の裏に一人の少女が像を結ぶ。
清楚な佇まい、左目の下に二つ並んだ泣き黒子、砕けた右手のエレクトロウェア。
そして首を一文字に切り裂く深い傷。
加賀見も由利も、邪機に抗う術を浄世講から奪われていた。それ故に起きた悲劇だった。
時折、拭いきれない思いが込み上げる。
由利が生まれなければ、ネオ南都の歴史上に流れた血はもっと少なかったのではないかと。
加賀見が無理矢理に刀を取らされて死ぬことはなかったし、佐久良だってこの広い家に一人ぼっちではなかったのかもしれない。
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全部、全部、由利が悪いんや……」
佐久良と並んで立つ由利に向かって小路が叫んだ最期の言葉はそれだった。
過去は変えられないととっくの昔に割り切れたつもりでいたのに、ドロップが見せる過去の幻は由利にしつこく追い縋る。
いつの間にか冷や汗を掻きながら目を見開いていた。
ベッドを下りると窓辺へ寄り、ネオ南都の夜を見下ろす。
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その全てに、争いと遺恨の記憶がこびり着いている。
「由利?」
佐久良の声がして振り向く。
浴衣を着た佐久良が御簾を押し上げてこちらへやって来たところだった。
何も反応出来ないでいる由利の隣に、彼はそっと並び立つ。
「良え月や」
佐久良が言うのに釣られ、由利も夜空を見上げる。
雨脚の弱まった空は、雲の切れ間に白い薄月を覗かせていた。
慌ただしい一日で天気管を見る間も無かったが、次に目覚める頃には晴れているかもしれない。
月に見惚れていると、後頭部から背中にかけて燃えるような痛みが走り、由利はたたらを踏んだ。
反射的に丸めた肩を、佐久良に抱き留められる。
由利を寝台に横たわらせると佐久良は傍らに屈み込み、由利の赤毛を幾度も撫でた。
風呂上りの掌は、先程と違って暖かい。
触れられていると痛みが和らいでくる。
浮見堂でドロップと感電により気絶した由利が意識を取り戻したのも、佐久良に撫でられていたからなのだろうと、今更ながら思う。
「ずっと眠れへんかったんか」
「別に、そんなことあらへん」
「……明日からは、同時に風呂に入ろう」
なるべく佐久良に心配を掛けない答えを選んだつもりだったが、失敗したかもしれない。
一瞬でも眠れたことを伝えたかったつもりが、睡眠と覚醒を繰り返す程に苦しいと言っているように受け取られたようだった。
しかし、一緒に風呂に入ることくらいなら異存は無い。
「佐久良も、はよ寝ろ。クソAIと戦って疲れたやろ」
「ああ。遠くには行かへんから、何かあったら叫んででも起こせ。
せや、鈴でも渡しとこか」
「待て、どこで寝るつもりや」
「どっかその辺や」
何やら話が食い違ってきたので確認してみると、佐久良は床板の上に眠るつもりでいたようだった。
「あほちゃう……このベッド、どう見ても二人は寝れるやろ」
そう言いながら由利は寝台の片側へ身を寄せる。
すると、佐久良の長い腕でも由利の頭に触れられなくなる程の距離が開く。
妙な間があってから、佐久良はやっと同じ布団に潜り込んできた。
由利の方を向いて横臥しながら何度も何度も、慣れない手付きで髪を撫でる。
由利はやっとのことで深い眠りに包まれた。
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