【R-18】ディストピアの東 ~両片想いの電気武者はサブドロップを治したい~

二階堂まりい

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三章 Bonding

二十一話 セーフワード

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 由利が目を覚ましたのは昼頃だった。
 隣に佐久良は居なくなっている。

 ふらふらと起き上がって一階へ下りると、奥の間で本を読んでいる佐久良の姿があった。
 机の上に置かれたキャラメル色のアフリカンバスケットには他にもどっさりと読み物が詰まっている。

 ヴァニタス――髑髏や蝶、桜の柄の着物を纏った佐久良が、由利に視線を寄越す。
「起きたか。何でも良えから食え。
 粥でも作ろうか」
 一日二食が主流となった現代では、こんな真っ昼間の食事は中途半端で落ち着かない。
 しかし少しでも栄養を摂っておかなくては治るものも治らない。

「……ああ、頼む」
「うん」
 料理房に消えていく佐久良の背中を見送って、中庭へ近付いて鹿島を眺めながら暇を潰す。
 すぐに佐久良は戻って来て、粥をテーブルに置いた。
 同じ盆には鰹節やささみの小鉢も乗っていた。
 良ければ粥に乗せて食べろ、という意図だろう。  
 
 早速食べていると、隣に佐久良が座った。
 他にも椅子はあるのに何故隣に、と思っていると、佐久良は由利の手からスプーンを奪い取り、掬った粥を由利の口許に近付けた。
 食べさせてくれるつもりらしい。

 こうして食べさせてやることも、撫でることに並んでアフターケアでは基本的な動作である。
 いつも冷徹なリーダーが、戦う時と何ら変わらぬ真顔でスプーンをこちらに差し出してくる。
 珍妙な光景に参りそうになるが、辛いのは佐久良だって同じ筈だ。
 大人しく口を開き、粥を飲み込む。
「ちゃんと食べて偉いな」
 頤から喉にかけて、佐久良の細い指でするりと撫で下ろされる。
 ドロップを治すには良いのだろうが、心にはどんどん澱が溜まっていく一方だ。

 その後も、食べさせられては撫でられてを繰り返し、必要以上に時間を掛けて、更には由利に異様に長い体感時間を味わわせて、やっと完食する。

「ご……ごちそうさま……」
「アフターケアは効いとるか?」
「いや、まだ何とも……」
 様々な理由でぐったりしている由利に、佐久良は淡々と話し始める。
「今までに集めた新人類関連の資料を漁っとったんやが、単にアフターケアをするよりも早くドロップを治す方法を見付けた」
「っ、教えろ」
 由利が机に伏せていた身体を起こして食い付く。
「……プレイとアフターケアを繰り返すことや。
 褒美を与え続けるより、被支配と褒美の落差を作った方がドロップの治療に効果的っちゅう統計がある」
 佐久良の言葉に、心臓が高鳴った。

 理不尽な命令を熟した後に与えられる褒美、更にその先に待ち受けている命令――その落差の甘美なことは、由利の本能が最もよく理解している。
 プレイの経験も無いのに夢の中でそうやって佐久良に愛され快を得ていた程なのだ。

 あの夢が、現実となってしまうのか。

「――せやったら、やらん手は無いな」
 考えるより早く、同意の言葉が口から飛び出していた。
 言ってしまった、と心のどこかで警鐘が鳴り響いてはいたが、戦士としての自分がそれを無視し、戦線復帰への最短距離を突っ切る判断を下す。
「由利ならそう言うと思っとった。
 ドロップを治す為に、俺も全力を尽くす」
 佐久良も力強く頷く。

 そして一旦立ち上がると、奥の間からぶ厚い本を持って戻って来た。
 上質な梔子色のクロスが表紙に張られ『妙論』と題された、古い本だ。
「こういう経験は無いから、勉強しながらプレイを行う。
 拙い場面もあるやろうが許せ」

 佐久良はサプレッサーを服用している上に、少年期を復讐に費やした経験も相まってか性愛に全く以て関心が無いようで、下手すれば人生の中で唯一相手にしたSubが由利になってしまう可能性もある。
 それが心底申し訳なくて由利は頭を抱えた。

「まあ、俺も経験無いからプレイの巧拙なんか分からんし……その、着実に熟していこう」
 由利はフォローするつもりで言ったが、結局自分でも何を言っているのかよく分からなくなってしまった。
 ぎこちない言動ばかりの由利を咎める様子も無く、佐久良は本を開いた。
「まず、出来る行為としたくない行為をお互い確認する必要があるな」
 開いた本には、ありとあらゆる責め苦が図解付きで載っていた。
 挿絵の過激さに由利は一目でぎょっとした。
「俺の持ち物とちゃうぞ」
 佐久良がきっぱりと言った。
 あらぬ誤解をされたくない、といった口振りだ。
「うちの先祖の色好みな誰ぞが、この本をWSOから守り抜いたんや。
 鞭やら手錠やらと一緒に蔵に隠してあった」
 WSOがロトスの外に居るということは、新人類が発生するよりずっと昔の話だ。
 新人類なんて生き物が現れるなんて夢にも思わなかった時代の人が、『SMプレイ』とやらを楽しむ為に書いた枕本なのだろう。

 ぱらぱらと本を捲りながら、由利は希望を伝えていく。
「俺は打たれても踏まれても平気。
 罵られても構へんぞ」
 言いながら、ドロップが治るまではこの挿絵の通りのことを佐久良と共に実行していくのか、と胸がざわつく。

 本も後半まできた時、よく分からない絵が出て来たので由利はそれを指で示した。
「これは何の絵や」
「DomがSubを膝の上に乗せてるように見えるけど」
「それは見たら分かる。何をしてる図解なんかなって」
「ああ。ちょっと待て」
 佐久良は本を自分の方に向けると、じっくりと字を読む。暫くして解釈し終えたようで、本を押し戻してきた。
「交尾の図解やった」
「ああ、これが人間の……。
 飛蝗とか蜥蜴のなら見たことあるけど」

 幽閉されていた時、加賀見が時折虫を捕まえて来ては生態を色々と教えてくれたことを思い出す。
 その時に繁殖の方法も教えてもらった。
 ただ、人間のそれについて由利はよく理解していなかった。
 同時に加賀見は、身体にべたべた触られたり服を脱がされそうになったりしたら相手をぶっ飛ばして良い、とも幼い由利に教えてくれていた。
 今思えばそれは、浄世講の跡取りとして交配の相手を嫌でも決められてしまう運命だった由利を憐れんだ彼女が、拒むという選択肢を与えてくれていたのだろう。
 幸い、相手が見付かる前に浄世講は崩壊したが。
 本当に、加賀見は優しい人だった。

 感傷を振り払い、佐久良に向き直る。
 そして浮かんだ疑問をぶつけた。
「交尾って加虐行為なんか?」
「さあ……まあ、DomとSubのプレイなんか何でもやり方次第みたいなもんらしいしな」
 佐久良もいまいち理解していないようで、彼にしては歯切れの悪い答えだった。

 絵を前に由利は考え込む。交尾の図解は他のプレイに比べると、主従というよりは伴侶のような雰囲気を醸し出している。
 打たれても踏まれても良いが、これは駄目だ、と直感した。
「やりたいんか?」
「違う! あ、いや、佐久良のことが嫌な訳やないけど、これはちょっと友達って距離感超えとるっていうか」
 由利は珍しくごちゃごちゃと言葉を並べ立てて否定する。
 そんな由利とは正反対に、佐久良は身動ぎ一つせず、小さく息を吐く。
「やったら良かった。
 やりたいって言われても、俺らには出来ひんと思うから」
「そうなんか」
「ああ。新人類の脳はDom神経やSub神経に優先して指令を出すから、自律神経への指令は疎かになる。
 せやから、陰茎の血管の拡大とか子宮の弛緩みたいな、交接に必要な現象が起こりにくいらしい」
 それを聞いて由利は安心した。
 ではこれは無し、とページを捲ろうとした時、佐久良が呟く。
「プレイに慣れてきたら自律神経に指令を下す余力は出来るらしいけどな」
「へ、へえ……確かに、せやなかったら新人類が子ども産んでへんわな」
 心につっかえるものを感じつつも、本を最後まで見終わる。

「ほな、セーフワードを決めよか」
 佐久良が言った。セーフワードとはプレイ中断の合図となる言葉のことだ。
 会話の流れで口走らないようなものが望ましいだろうと、二人は考える。

 目を遣った先にストームグラスがあり、由利は提案した。
「綿帽子、は?」
 ネオ南都には、草木が綿帽子を被るような大雪は滅多に降らない。
 それに、今の季節は春だ。
「分かった。綿帽子、な」
 頷いて、佐久良は立ち上がる。
「二時間くらい休んでおけ。
 余程体調が悪くない限りは、やるぞ」
 そう言い残して、佐久良は食器を纏めると料理房へ去って行く。
 処刑の宣告をされたような気分で、由利はその後ろ姿を見送っていた。
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