【R-18】ディストピアの東 ~両片想いの電気武者はサブドロップを治したい~

二階堂まりい

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三章 Bonding

二十二話※ 貴方の猫になる

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 今のうちに身形を整えておこうと、由利は三階へ戻る。
 スリットやジッパー、ナスカンなどがあしらわれた長袖のカットソーと、PVC(ポリ塩化ビニル)の細身なズボンを着て、軽く化粧もする。
 ネオ南都の人々は、出掛けない日も着飾ることを欠かさない。
 WSOに反抗する手段としてファッションを選んだ名残であると同時に、いつ死ぬとも知れない日々ならばだらしない屍を晒さぬよう常に心掛けておかねばという意識が根付いているのだ。

 床に胡坐を掻いて、グレアを放とうと試みる。
 しかし地脈を感じ取ることすら出来ずに愕然とする。
 気を取り直し、道場で鍛錬でもしようかと考えが過ったが、さすがに自重した。

 半ばふて寝のような気分で寝台に横たわると、本当に眠ってしまい、次に目覚めた時には二時間が経過しており隣に佐久良が座っていた。
「気分は」
「……普通。小康状態ってやつかな」
 白湯を受け取って飲んでいると、床にさっきまでは無かった物を見付けた。
 ふわふわした白いラグマット、その上には無造作に乗馬鞭が転がっている。
 そして佐久良の掌中には黒革の首輪と、そこから垂れ下がる鉄の鎖が握られている。

「始めるからな」
 由利の腋の下に佐久良の手が滑り込んできて、持ち上げるようにして寝台から立たされた。
 続いて首に、艶々として使用感の無い革が巻かれる。
「――Kneel(跪け)」
 はっきり、ゆっくりと佐久良が告げた。
 夢の中よりも重く、オーオンに叫ばれるより甘く、コマンドは由利に伸し掛かる。

 涅色の瞳から視線を外せないまま、由利はマットの上に跪いた。
 ただでさえ見上げなくてはならない佐久良の顔が、更に遠くなってしまう。
「俺に服従を誓え。Say(言え)」
 既に脚をがくがくと震わせている由利とは対照的に、佐久良は身動き一つせず堂々としている。
 口振りも、戦いの指示を出すリーダーそのものだ。
「ああ……服従を誓う」
 由利が言うと、佐久良は握った鎖をじゃらりと引いた。
「誰に?」
「佐久良に」
「御主人様を呼び捨てにしてタメ口きく下僕が居るか?」
 いつも気安く接している佐久良が相手なので失念していたが、確かにDomとSubのプレイではSubが敬語を使うのが基本とされている。
 夢の中ではそうしていた気もするが、まさか現実でも佐久良に敬語で平伏す時が来るとは。
「ほら、Say(言え)」
「……佐久良様に服従を誓います」
 見下されながら宣言するだけで脳に靄が掛かる。
 それだけでなく全身が、ぬるま湯を含ませた柔らかな布でくるまれているかのような程好い脱力感に沈んでいった。
「Goodboy(良い子)」
 佐久良は一声呟いて由利の頭を撫でる。

 それも束の間で、次のコマンドが下された。
「Hand(お手)」
  差し出された掌に、言われるがまま由利は掌を重ねた。
 佐久良は指をすうっと動かして由利の手首をなぞりあげる。
 長く節のはっきりした、美しい佐久良の指が自身の肌を這うのを、由利は食い入るように見つめる。
「由利の手……細くて薄っぺらいのに固いな。
 刀を握る者の手ぇや」
 佐久良の方も、由利の手をつぶさに見ているようだった。
 訓練で取っ組み合ったり、戦いのさなかに引っ張り上げたりする以外で佐久良どころか他人と手を繋いだことなど無く、ゴールの見えない触れ合いに内心はひたすら戸惑う。

 徐に佐久良は語り出す。
「大昔、外国では子どもを罰する時に掌を鞭打つことがあったらしい」
 言われてやっと、由利はマットの上に転がる乗馬鞭の存在を思い出す。
「想像しろ。
 強くて気高いこの手が、惨めに打たれるところを」
 促されるまでもなく、由利は一瞬でそのことしか考えられなくなっていた。 

「主の俺だけが、由利のみっともない姿を引き出して、受け入れたる。
 委ねてくれるんやったら……Fetch(取ってこい)」
 佐久良の放つ、理性を薄皮一つずつ削り取るような蠱惑的な言葉に酩酊していく。

 被虐性のSub神経が求めるのは、心から信頼する人に生命も誇りも委ね、翻弄されること。
 本能が望んでいた状況に、由利の腰は砕けそうになる。
 湧き上がる感覚を、由利は必死に解釈しようとする。
 そう――戦友の佐久良が、自分を戦線に復帰させる為に、こんなにも頑張ってくれているのだ。
 自分も恥を捨てて真面目にやらなくては。

 由利は四つん這いで少し進むと、乗馬鞭に手を伸ばす。
「口で、Take(取れ)」
 すかさず追加のコマンドを背後から浴びせられる。
 マットに顔を擦り付けて、どうにか鞭を咥えると、再び這って佐久良の元へ戻って行く。
 その間じゅう、由利の首から佐久良の掌中に伸びた鎖が、邪機共や剣戟とはまた異なる金属音を立てていた。

「Goodboy(良い子)」
 鞭を受け取ると、佐久良は肩に掛かったポニーテールをさらりと払い、凜と由利を睨み付ける。
 彼に狩られる邪機が最期に映しているのはこんな景色なのだろうな、とぼんやり思う。

「手を、Present(晒せ)。ほんでBeg(乞え)」
 命令され、水を掬う時のように揃えて上向けた手を、目の前に掲げた。
「手……打ってください」
「OK(よし)。Count(数えろ)、出来るな?」
 佐久良が鞭を振り下ろす。
 撓る革と掌がぶつかる甲高い音と共に、じわりとした痛みが広がる。
「一」
「……痛すぎやせんか」
「ああ」

 やり取りの後、ややあって二人は気付く。
 由利が敬語を忘れていたのだ。
「あっ、ごめんなさい佐久良様」
 しまった、とばかりに顔を歪め、色気の無い銅鑼声で由利は叫ぶ。
「罰は後で良い。取りあえず続ける」
 佐久良はそう言って、すぐに鞭を振り上げた。
 二回、四回と叩かれる毎にじわりと痺れ、朱に色付いていく掌。
 古代の怪しい儀式のような異様な空気感。
 由利が汚い声で破ってしまった淫靡な雰囲気は瞬く間に戻って来て、重く濃く二人の間に沈み込む。

「Look(見ろ)」
 六回を数えたところで、佐久良の方を、そして彼に委ねた自身の諸手を直視することが出来ずに逸れていた視線を咎められて、コマンドを下された。
 由利は恐る恐る正面に向き直る。
 佐久良の蒼白い顔を見ると少し心が落ち着いた。
 サプレッサーを飲んでいる上に、由利に何の興味も無い佐久良は、ごく事務的に接してくれている。
 それを見ると安心出来た。

「……十……!」
 最後の一撃をカウントし終え、由利は深く息を吐いた。
 しかし間髪入れずに、首輪の鎖を引っ張られる。
「さっきご主人様に生意気な口利いた件やけど」
「アッ、はい……」
「どこを打たれたら由利は良え子になれる? 教えて」
「……背中とか? でしょうか」
「そうか。ほな、Strip(脱げ)。
 上を少し肌蹴るだけでいい」
 佐久良が言う通りに、由利は首元のファスナーを緩めてカットソーを肩から摺り落とし背中を剥き出しにする。
「Crawl(這え)」
 由利が四つん這いになると、背後で鞭が風を切る音がした。
「由利は、ペット扱いされるのには興味あるか」
「わ、分かりません……でもドロップ治す為やったら、何でも試そ思てます……」
 四つん這いで佐久良の犬として扱われる夢なら見たことがある、と視界いっぱいに広がるマットの毛足を眺めながら、甦る夢の記憶に少し顔を赤らめていた。
 無意識の領域でペットプレイをしていたということは、興味があると言えてしまうのではないか、と不安になってくる。
「そうか。やったら由利は今から俺の猫やな。
 俺に相応しくなるまで、なんぼでも躾けたる。
 三回、いくからな」
 今度は佐久良が鞭を振り下ろす前にカウントしてくれた。
 身を強張らせ、激しすぎない痛みと甲高い音を受け止める。
 肘が震えて上体が崩れそうになるのを、由利は必死に耐えて、かつ紅潮した顔を隠していた。

「明日からはもっと猫らしく扱ったる。
 取りあえず今日はここまでにしよう」
 プレイが終わって由利がほっとしたのも束の間、担ぎ上げられて架子床へ連れて行かれる。
 呆然としている間に首輪を外され、肌蹴た上衣を整えられる。
 由利はさりげなく、火照った顔が陰になるように俯いた。

「……痛くないか」
 佐久良の手が背中に回ってきて、打った箇所を擦る。
「ああ、全く」
 昔、浄世講が馬を何頭も飼育していたから分かるが、佐久良――というよりはその先祖の色好みな何某が持っていたこの乗馬鞭は、本当に馬に振るう為のものとは質が異なる。
 それに、さすが鉄扇使いということなのか、佐久良のウィッピング技術は高かった。
 なので危険を感じるような痛みは無いのだ。

「で、あの、みっともないだの生意気だの言うたことやねんけど……」
 佐久良が暗い顔で切り出してくる。
「プレイの流れで言うとるだけやろ。
 自分がみっともなくなんかないのは、俺がよう分かっとる。
 ……そら、プレイ中は多少あれなところもあるか知らんけど」
 由利が言うと、佐久良は安心したようだった。

 由利は架子床に腰掛けたまま地脈を読もうとするが、やはり出来なかった。
 それを見た佐久良は真剣な眼差しで言う。
「今すぐは無理でも、必ず治したる。
 気ぃ落とすなよ」
「……ああ」
「ほな、少し家の用事してくるから。
 何かあったら呼ぶんやで」
 階下へ行こうとする佐久良の背中に由利は声を掛ける。
「なあ、二階に書庫あるよな。
 そこの本って借りて良えんか」
「うん。どれでも好きに読み」
 軽く返事して、佐久良の姿は階段の下へ消えて行った。

 肩を回してから、由利も徐に立ち上がる。
 鍛錬一つ出来ない程に体調の悪化した我が身ではあるが、だからといって何もしないのは性に合わない。
 ならば今のうちに文字を勉強しておこうと思ったのだ。


 二階の書庫で由利が簡単そうな本と辞書を探している間、佐久良は一階の回廊で中庭に向かって座り、鹿島に餌を遣っていた。
 呑気に野芝を食む鹿島の前で、佐久良は項垂れて眉間を揉んだ。
 ――めっちゃ緊張した。ほんで、疲れた。
 一回目のプレイを終えての佐久良の心境は、余裕を感じさせる無表情と落ち着き払った言動に反して、そんな情けないものであった。

 プレイの流れもコマンドの順番もそれに伴う台詞も、全てあらかじめ考えてはいた。
 しかし当然、予想通りに事が運ぶ筈も無く、かなりの変更を強いられた。
 臨機応変に動くのは得意なので上手く乗り切れたが、支配側であるDomの迷いや困惑を気取られてはプレイの雰囲気を壊すことになるため、表情筋から指先まで意識を張り巡らせて無理にでも堂々と振る舞わなければならなかったのだ。
 一人になった途端、疲れが押し寄せてきた。

 ひとまず成功して良かった、と思いながら佐久良は鹿島の毛並みを整えてやる。

 何となく、先程の光景が脳裏に浮かぶ。
 首輪に捕らわれて跪く由利。
 掴んだその手指、鞭を咥える小さな口、打ち据えた掌の感触、辱めを数える切なげな声に、華奢な背中。
 鮮やかな記憶が疲れを追い遣っていくが、すぐにそんな自分に違和感を抱いた。

 サプレッサーで本能を抑制していても、やはりDomはSubに惹かれるのだろうか。
 それとも単に、友人の見たことも無いような姿に好奇心でも湧いたのだろうか。
 自分でもよく分からなかった。
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