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紫陽花の鎮魂歌

序章

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「いよいよ3日後ですね。ジューン・ブライド、羨ましいですわ」

 重い空気を感じたのか能面顔のウェディング・プランナーが微笑む。

「ええ、まぁ」

 照れた素振りをみせながらも僕は横に座る女性を見つめる。
 結婚式の打ち合わせの最終日。当日を待ちわびていたはずの彼女は暗い顔をして俯いたままだ。

「それじゃ、行こうか睦美」 

 空気の悪さをごまかすかのように立ち上がると足早に駐車場へと急ぐ。
 プランナーが見送りながらも気遣うように小声で囁いた。

「……マリッジ・ブルー、よくあることですわ」

 回を重ねるうちに一言もしゃべらなくなった彼女に対して何かを察したのだろう。
 重苦しい雲が広がる中、式場を後にした。

 僕、雨月幸次うづきこうじは3日後の6月13日に坂下睦美との結婚式を行なう。
 この日にしたのは理由があり、彼女たっての希望でもある。
 その出会いは3年前、紹介によって知り合った。
 栗色の長い髪、色白ですらっとした美人だが派手さはなく、一歩下がった雰囲気。
 控えめで礼儀正しくて清楚という言葉がぴったりなお嬢様というイメージだが、小さい頃に両親を亡くし、苦労してきたらしい。
 そんな影の部分を感じさせない上品で綺麗な女性というのが第一印象だった当時、睦美には婚約者がいた。
 青年実業家ともいえる経営力があり、周囲からの信頼が厚く、決断力と行動力にたけた人物。
 紹介者でもあった僕の兄、雨月慎一だ。
 結婚の意志があるからと交際3ヶ月で婚約すると挨拶がてら紹介されたのだ。
 2週間後という強行で婚約式を計画した兄だったが2年前の婚約式当日に事故死。
 信じられない悲報に頭が真っ白になった。
 当然、睦美も最愛の人を亡くした悲しみと苦しみが襲い、もう叶うことのない現実が突きつけられた。
 僕らは空虚化した気持ちを互いにぶつけ、分かち合う内に支え合うようなり、いつしかかけがえのない存在へと様変わりした関係になった。

「さ、着いたよ、睦美」

 高層マンションが立ち並ぶ一角。駐車場に入り優しく声を掛けた。
 俯き加減のまま、終始無言だった彼女は身動き一つしない。

「嫌っ」

 降りるように促すと拒否を繰り返す。これは今日に始まったことではない。
 結婚式が近づくにつれ、彼女は日に日におかしなことを口走るようになっていた。
 奇妙なことに今住んでいるマンションで亡くなった兄を見たんだ、と。
 何故今頃になってそんなことを言い出すのか。僕は端から信じていなかった。
 マリッジ・ブルー。……ふとプランナーの言葉が過ぎる。
 もしかして僕との結婚が決まり、兄に対して裏切ってる気持ちが芽生えてしまったのかと。
 背徳な感情が兄の幻影を見せるまでに追い詰められているのかと。
 あと3日、あと3日もすれば大丈夫だ。
 不安が惑わせているのなら早く式を挙げてしまえばいい、いつもの睦美に戻るならば。
 亡くなった兄の分まで二人で幸せになろうと誓い合う証しのため、2年前の婚約式の日と同じ日を結婚式に決めたのは睦美だ。
 兄だってきっと分かってくれてる。
 それまでは不安定な彼女を支えなければならない。
 とにかく無事に結婚式さえ挙げてしまえばその不安も取り除かれるだろう。
 帰らない睦美を自宅に泊めるしかないと車を走らせる。
 梅雨入りした空は薄暗く、夕方だというのにすっかり真っ暗だ。
 着いた頃にはポツポツと雨が降り始め、彼女の長い髪を少し濡らした。
 一見普通のどこにでもある1戸建て。2階には僕の部屋がある。


「おっ、お帰り」

 玄関に入ると同居している伯父の声がした。
 風呂上りのようで肩にタオルをかけ、乾き始めている短い髪にランニングシャツ姿の伯父は僕と13歳しか離れてない。
 シャツから出ている腕は肉付きが良く、鍛え上げた身体でとても40歳に近いとは思えない。
 亡くなった両親の親代わりとして兄と僕を育ててくれた人物でもある。

「睦美さんもいらっしゃい」

 白い歯を出し、ニカッと愛想の良い笑顔を向けても彼女は無反応。いつもとは限りなく違う。

「……すいません」

 伯父は亡き父の年の離れた弟で人のいい性格でもある。僕は申し訳なく謝った。

「なあに、いいんだよ。……おや、本格的に降りだしたかな?」

 不意に雨足が外から激しく響いてきた。

「それじゃあ、ごゆっくり」

 伯父が部屋へ戻ると僕は2階の部屋に上がり、軽い夕食を取ることにした。
 暗い顔の睦美に気をつかいながら疲れていたのかいつの間にか眠っていた。
 どれくらい経ったのだろう。少し肌寒く感じて目を覚ます。
 雨の方は相変わらず降り続いていたようでその雨音は留まる事を知らない。
 腕の中で眠る睦美を起こさないようにそっと部屋を出る。
 何か温かいものが飲みたくなり、用意しておこうと台所へと向かう。
 お湯を沸かし始めると窓に打ち付ける雨の激しさに驚く。
 ますます雨足は激しくなる一方で嵐の予感さえもする。
 しばらくすると遠くから雷の音が響き渡っていた。
 用意したお茶を運び始めると後方でピカッと稲光が走る。

「きゃあああああ~~!!」

 悲鳴と共に地に響くような雷鳴が重なった。

「睦美?!」

 嫌な予感がし、慌てて部屋へと向かう。
 外からの稲光のみが照らす薄暗い室内、部屋の隅で怯えている彼女の姿が目に入る。

「どうしたんだ、どうしたんだ? 睦美!!」

 髪の毛を掻き乱しブルブルと震えていてただならぬ様子は明らかだ。
 そして声こそ出さず、震える指先で僕の後方を指す。
 雨音と雷鳴が響き渡る中、恐る恐るその方向に振り返る。
 カーテンを閉め忘れた窓の上部に張り付いた何かが見えた。

 逆立ちしているかのようにだらりとぶら下がったその物体は、
 稲光とともにはっきりと映し出されたシルエットは、
 確かに兄、雨月慎一の姿だった―――。
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