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ズボンはお気に召して?
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旅路の最後の夜となる宿場町に着いた。
「侯爵さま、陛下からの返事はあったかしら」
もちろん、ヌワカロール農法の報告に対する返事だ。
「いや、まだだ」
ヌワカロール農法は大陸を豊かにするはずだ。ジュリエッタはこの農法を広めることに意気込んでおり、すでに実家にファビオの補佐官を送ってもらっているほどだ。
(陛下はちゃんと報告書を読んでくれたのかしら。私だったら今ごろ、バルベリ領に視察の役人を送っているところだわ)
「侯爵さまは、何も訊かないのね」
「何を?」
「マクシに地図を貸してもらったり、あれこれ考えていること」
「ジュリエッタはノルラント軍が王都を攻めてくると言ったから、それを心配しているんだと思ってる」
「私の言うことを信じてくれるの?」
侯爵はジュリエッタの途方もない話を決して聞き流したわけではなかったらしい。
侯爵は告げてきた。
「俺が軍を現状のまま維持するつもりでいることは、ジュリエッタも知っている通りだ。それは、俺もノルラントを信じることができないせいだ。和平に至ったのは、ノルラントの降伏にある。しかし、ノルラント軍がまだ兵力を残しているのはわかっている」
「では、降伏は偽装なの? 和平条約を破るつもりなのね?」
(やはり、ノルラントは王都を攻めるつもりでいるんだわ)
ジュリエッタの脳裏に、炎の上がる王都に逃げ惑う人々が浮かぶ。
(避ける方法が見つかるかしら)
「油断させて、攻めるつもりなのね。彼らの狙いは王都……」
侯爵はジュリエッタに静かに言った。
「何かしてくる可能性はあると思っている」
「それは陛下も、ご存知なの?」
「もちろんだ。陛下には俺の感触として伝えている」
「もしかしたら、降伏に応じないで徹底殲滅しておけばよかったの?」
「戦略としてはそれもあるかもしれないが」
侯爵の顔に苦しみがよぎったのを見て、ジュリエッタは後悔した。徹底殲滅にはバルベリ軍の痛みも伴うだろう。
「ごめんなさい、軽率なことを言ったわ」
「いや、いい。どのみち、降伏してきたものを、受け入れないわけにはいかなかった。受け入れなければ、道義上、ブルフェンはそしりを受ける。それに何にせよ、いっときであれ、戦争が終わるのは良いことなんだ」
「ええ、そうね。それは本当にそう」
長らく戦地にいた侯爵の言葉は、重い。戦争の過酷さを侯爵は誰よりも知っているはずだ。
「だから、ジュリエッタがノルラント軍が王都を攻めてくる、と言ったときは、ありえないとは思ったけど、その心づもりでいるのは無駄なことではないと思っている」
「それなら嬉しいわ!」
近く軍務長官となる侯爵がその心づもりならば、少しは未来を好転させられるのではないかと、そのときのジュリエッタは希望を抱いた。かすかな希望だが、すがれるのならばすがりたい。
「さあ、寝ましょ。宿の堅くて狭いベッドも今日で終わりと思えばちょっと寂しいわね」
ジュリエッタは侯爵の目の前でベッドに丸くなった。
***
(ダニー、お前だけが頼りだ)
侯爵は目を閉じ、ダニーに集中するしかなかった。
ジュリエッタとの間にはダニーがいるとはいえ、宿の狭いベッドで二人は密着するほど体が近い。野営の天幕の中の簡易寝台も決して広くはなかった。
マクシがジュリエッタに抱き着いたのを見て、決して触れてはいけないもの、大事に守っているものに、みだりに手を出されたような不快感があった。
侯爵にとってジュリエッタはあくまで国王から賜った公爵令嬢だ。いつかお返しするまでお守りする大切な存在。自分とは別世界の生き物。
たとえ、ジュリエッタが、その手で頭を優しく撫でてくるようになったとはいえ、そして、その目には自分への確かな愛情が感じられるとはいえ。
翌日、一行は、無事王都へと着いた。
***
王都に戻ったジュリエッタは、早速土産を持ってマリーを訪問した。
マリーはジュリエッタを眺めては、珍しく褒めてきた。
「あら、その格好、素敵ね」
ジュリエッタはズボン姿だった。
ズボンの気楽さを知って以来、ジュリエッタは日中のほとんどズボンで過ごし、晩餐のテーブルに着くときだけ、侯爵への礼儀としてドレスに着替えている。
最初こそ古着のズボンを調達していたが、今着ているものは、高級生地で仕立てたものだ。それに絹のフリルブラウスに、女性物の裾の広がったジャケットを羽織っているので、礼を失さないだけの格好をしているつもりではあったが、マリーは予想以上に気に入ってくれたようだ。
マリーの目には惜しみのない賞賛が浮かんでいる。ジュリエッタは調子に乗って紳士の辞儀をしてみせた。
「どうぞごらんあれ」
「ふふ、良く似合っていてよ」
「馬に乗るのにもちょうどいいのよ。ドレスなんて、裾が気になってギャロップもできないわ」
「私も夫と乗馬をするわ。なのにどうして、ズボンを履くことを思いつかなかったのかしら。ジュリエッタに先を越されて悔しいわね」
「存分に真似してくださいな」
マリーに『ヌワカロール農法』のことを聞かせると、さすが『世の中すべて金』と言い切るだけあって、すぐに飛びついてきた。
「収入が激増だなんて、乗らない手はないじゃないの」
「では、バルベリに留学生を寄越してくださっても結構よ。何ならヌワカロール伯爵も紹介するわ」
ジュリエッタは得意満面にそう言った。
「あなた、侯爵さまと案外うまくいっているようね」
ジュリエッタは答えに詰まるも、すぐにはぐらかして返事をした。
「そうかもね」
「そう見えるわ」
「でも先のことはわからないわ。マリーだって、そうでしょ?」
「そうね、でも、子どもでもできてみれば別かもしれないけど」
マリーはそう言ってお腹を撫でてみせた。
「あら?!」
ジュリエッタの声に、マリーは顔をくしゃっとして笑う。首まで真っ赤になっている。
「赤ちゃんができたのね?」
マリーはうなずいた。
ジュリエッタはマリーの妊娠を喜ぶと同時に、不安が沸き起こる。
予知夢では、ノルラントの急襲時、マリーの屋敷にも火の手が上がったはず。おそらくは助かってはいないだろう。
(絶対に何とかしなくちゃ……)
奮い立つジュリエッタだった。
***
ジュリエッタは、マリーの屋敷を辞した足で、レオナルダ邸に向かった。そのまま実家に泊まるつもりでいる。
ジュリエッタは王都に戻ってより、母親が恋しくてたまらなくなった。どうやらホームシックにかかっているのだ。
結婚して侯爵邸へと移ったときも母恋しさは感じなかったし、バルベリで忙しい日々を過ごすうちにも何も思わなかったが、王都の風に撫でられるなり、母親に会いたい気持ちが噴出した。
(私もまだまだ子どもね)
「お母さま!」
公爵夫人を見るなり、ジュリエッタの目にじんわりと涙が浮かんだ。夫人に抱き着く。
夫人は再会どころではなかったようで、ジュリエッタを押し返すと言ってきた。
「まあ、何て格好なの?!」
夫人にはジュリエッタのズボン姿がよほど衝撃的なご様子だ。
「そこまで驚かなくても」
「私には娘がいたはずなのに」
「私は娘ですわ」
「レディならレディらしい格好をしなさい」
「でも、ドレスでは馬に乗るのに邪魔です」
「まあ、もしかして、馬で来たの?」
「はい!」
満面の笑顔で返すジュリエッタに、夫人は額を手の甲で覆う。
「何てこと……、今すぐ着替えてらっしゃい! ハンナもよ!」
もちろんハンナもズボンだ。やはり高級生地で仕立てている。
その剣幕にジュリエッタは従わざるを得なかった。
(お母さまがズボンのことで怒るとは思わなかったわ)
着替え終えれば、一転して、夫人はいつもの優しい母親らしさを取り戻していた。
テーブルにはふちを金でたどった花柄のティーカップがセッティングされている。
夫人はゆったりとティーカップに口をつけたのち、にっこりとほほ笑んだ。
「それで、どうだったの、領地は?」
食べ物がおいしかったこと、とても豊かな土地柄だったこと、戦争の影よりも人々の活気の方がすごかったことなどを勢い込んで話せば、夫人は、娘が可愛くてたまらないといった顔つきでじっと聞いている。
「そう、豊かな領地で良かったわねえ。男みたいな格好をしてるから、ジュリエッタはてっきり、変な思想にでもかぶれちゃったのかと思ってびっくりしちゃったわ」
「変な思想?」
「レディらしくない思想よ。ともかく、あなたはレディです。レディはレディとして振る舞わなければなりません。レディの枠を一歩でも超えてはいけないのよ。でなければ領民にも使用人にも示しがつきません」
毅然とした母親の姿に頼れるものを感じ、何も考えずに家でぬくぬくと親に甘えていた頃の感覚が蘇る。
(お母さまは私のことがまだまだ心配なのね。ふふ、やっぱり、実家は落ち着くわねえ)
その夜は、公爵もマルコも揃い、久々に実家での一家団らんとなった。
ジュリエッタは侯爵を公爵家へと誘う遣いを出したが、侯爵からは仕事を理由に断りの返事があった。侯爵は侯爵で、家族水入らずの邪魔をしないように気を遣ったのかもしれなかった。
夫人が、華やいだ声を上げて、家族が揃ったことを喜んでいる。
(お母さま、大好きよ)
食事を終えて、ネグリジェに着替えて、ハンナも侍女部屋へと下がれば、ジュリエッタは部屋で一人になった。楽しい余韻を残したまま、静けさに包まれる。
(侯爵さまは今ごろダニーとベッドに横になっているかしら。おかしいわね、さっきまでお母さまが恋しかったのに、今は侯爵さまが恋しいわ)
侯爵の穏やかな声、ダニーを腕に抱いて丸まっている寝顔、優しげな黒目。侯爵を思えば、ジュリエッタは寂しくてたまらなくなった。
(侯爵さまも、少しは寂しいと思ってくれているかしら)
ジュリエッタの胸がざわめく。会いたくてたまらない。
侯爵を思えばジュリエッタの胸はじくじくと苦しくなる。ぎゅっと胸の奥が切なくなる。
(これは好きになったわけではない、ただ、寂しいだけよ……)
「侯爵さま、陛下からの返事はあったかしら」
もちろん、ヌワカロール農法の報告に対する返事だ。
「いや、まだだ」
ヌワカロール農法は大陸を豊かにするはずだ。ジュリエッタはこの農法を広めることに意気込んでおり、すでに実家にファビオの補佐官を送ってもらっているほどだ。
(陛下はちゃんと報告書を読んでくれたのかしら。私だったら今ごろ、バルベリ領に視察の役人を送っているところだわ)
「侯爵さまは、何も訊かないのね」
「何を?」
「マクシに地図を貸してもらったり、あれこれ考えていること」
「ジュリエッタはノルラント軍が王都を攻めてくると言ったから、それを心配しているんだと思ってる」
「私の言うことを信じてくれるの?」
侯爵はジュリエッタの途方もない話を決して聞き流したわけではなかったらしい。
侯爵は告げてきた。
「俺が軍を現状のまま維持するつもりでいることは、ジュリエッタも知っている通りだ。それは、俺もノルラントを信じることができないせいだ。和平に至ったのは、ノルラントの降伏にある。しかし、ノルラント軍がまだ兵力を残しているのはわかっている」
「では、降伏は偽装なの? 和平条約を破るつもりなのね?」
(やはり、ノルラントは王都を攻めるつもりでいるんだわ)
ジュリエッタの脳裏に、炎の上がる王都に逃げ惑う人々が浮かぶ。
(避ける方法が見つかるかしら)
「油断させて、攻めるつもりなのね。彼らの狙いは王都……」
侯爵はジュリエッタに静かに言った。
「何かしてくる可能性はあると思っている」
「それは陛下も、ご存知なの?」
「もちろんだ。陛下には俺の感触として伝えている」
「もしかしたら、降伏に応じないで徹底殲滅しておけばよかったの?」
「戦略としてはそれもあるかもしれないが」
侯爵の顔に苦しみがよぎったのを見て、ジュリエッタは後悔した。徹底殲滅にはバルベリ軍の痛みも伴うだろう。
「ごめんなさい、軽率なことを言ったわ」
「いや、いい。どのみち、降伏してきたものを、受け入れないわけにはいかなかった。受け入れなければ、道義上、ブルフェンはそしりを受ける。それに何にせよ、いっときであれ、戦争が終わるのは良いことなんだ」
「ええ、そうね。それは本当にそう」
長らく戦地にいた侯爵の言葉は、重い。戦争の過酷さを侯爵は誰よりも知っているはずだ。
「だから、ジュリエッタがノルラント軍が王都を攻めてくる、と言ったときは、ありえないとは思ったけど、その心づもりでいるのは無駄なことではないと思っている」
「それなら嬉しいわ!」
近く軍務長官となる侯爵がその心づもりならば、少しは未来を好転させられるのではないかと、そのときのジュリエッタは希望を抱いた。かすかな希望だが、すがれるのならばすがりたい。
「さあ、寝ましょ。宿の堅くて狭いベッドも今日で終わりと思えばちょっと寂しいわね」
ジュリエッタは侯爵の目の前でベッドに丸くなった。
***
(ダニー、お前だけが頼りだ)
侯爵は目を閉じ、ダニーに集中するしかなかった。
ジュリエッタとの間にはダニーがいるとはいえ、宿の狭いベッドで二人は密着するほど体が近い。野営の天幕の中の簡易寝台も決して広くはなかった。
マクシがジュリエッタに抱き着いたのを見て、決して触れてはいけないもの、大事に守っているものに、みだりに手を出されたような不快感があった。
侯爵にとってジュリエッタはあくまで国王から賜った公爵令嬢だ。いつかお返しするまでお守りする大切な存在。自分とは別世界の生き物。
たとえ、ジュリエッタが、その手で頭を優しく撫でてくるようになったとはいえ、そして、その目には自分への確かな愛情が感じられるとはいえ。
翌日、一行は、無事王都へと着いた。
***
王都に戻ったジュリエッタは、早速土産を持ってマリーを訪問した。
マリーはジュリエッタを眺めては、珍しく褒めてきた。
「あら、その格好、素敵ね」
ジュリエッタはズボン姿だった。
ズボンの気楽さを知って以来、ジュリエッタは日中のほとんどズボンで過ごし、晩餐のテーブルに着くときだけ、侯爵への礼儀としてドレスに着替えている。
最初こそ古着のズボンを調達していたが、今着ているものは、高級生地で仕立てたものだ。それに絹のフリルブラウスに、女性物の裾の広がったジャケットを羽織っているので、礼を失さないだけの格好をしているつもりではあったが、マリーは予想以上に気に入ってくれたようだ。
マリーの目には惜しみのない賞賛が浮かんでいる。ジュリエッタは調子に乗って紳士の辞儀をしてみせた。
「どうぞごらんあれ」
「ふふ、良く似合っていてよ」
「馬に乗るのにもちょうどいいのよ。ドレスなんて、裾が気になってギャロップもできないわ」
「私も夫と乗馬をするわ。なのにどうして、ズボンを履くことを思いつかなかったのかしら。ジュリエッタに先を越されて悔しいわね」
「存分に真似してくださいな」
マリーに『ヌワカロール農法』のことを聞かせると、さすが『世の中すべて金』と言い切るだけあって、すぐに飛びついてきた。
「収入が激増だなんて、乗らない手はないじゃないの」
「では、バルベリに留学生を寄越してくださっても結構よ。何ならヌワカロール伯爵も紹介するわ」
ジュリエッタは得意満面にそう言った。
「あなた、侯爵さまと案外うまくいっているようね」
ジュリエッタは答えに詰まるも、すぐにはぐらかして返事をした。
「そうかもね」
「そう見えるわ」
「でも先のことはわからないわ。マリーだって、そうでしょ?」
「そうね、でも、子どもでもできてみれば別かもしれないけど」
マリーはそう言ってお腹を撫でてみせた。
「あら?!」
ジュリエッタの声に、マリーは顔をくしゃっとして笑う。首まで真っ赤になっている。
「赤ちゃんができたのね?」
マリーはうなずいた。
ジュリエッタはマリーの妊娠を喜ぶと同時に、不安が沸き起こる。
予知夢では、ノルラントの急襲時、マリーの屋敷にも火の手が上がったはず。おそらくは助かってはいないだろう。
(絶対に何とかしなくちゃ……)
奮い立つジュリエッタだった。
***
ジュリエッタは、マリーの屋敷を辞した足で、レオナルダ邸に向かった。そのまま実家に泊まるつもりでいる。
ジュリエッタは王都に戻ってより、母親が恋しくてたまらなくなった。どうやらホームシックにかかっているのだ。
結婚して侯爵邸へと移ったときも母恋しさは感じなかったし、バルベリで忙しい日々を過ごすうちにも何も思わなかったが、王都の風に撫でられるなり、母親に会いたい気持ちが噴出した。
(私もまだまだ子どもね)
「お母さま!」
公爵夫人を見るなり、ジュリエッタの目にじんわりと涙が浮かんだ。夫人に抱き着く。
夫人は再会どころではなかったようで、ジュリエッタを押し返すと言ってきた。
「まあ、何て格好なの?!」
夫人にはジュリエッタのズボン姿がよほど衝撃的なご様子だ。
「そこまで驚かなくても」
「私には娘がいたはずなのに」
「私は娘ですわ」
「レディならレディらしい格好をしなさい」
「でも、ドレスでは馬に乗るのに邪魔です」
「まあ、もしかして、馬で来たの?」
「はい!」
満面の笑顔で返すジュリエッタに、夫人は額を手の甲で覆う。
「何てこと……、今すぐ着替えてらっしゃい! ハンナもよ!」
もちろんハンナもズボンだ。やはり高級生地で仕立てている。
その剣幕にジュリエッタは従わざるを得なかった。
(お母さまがズボンのことで怒るとは思わなかったわ)
着替え終えれば、一転して、夫人はいつもの優しい母親らしさを取り戻していた。
テーブルにはふちを金でたどった花柄のティーカップがセッティングされている。
夫人はゆったりとティーカップに口をつけたのち、にっこりとほほ笑んだ。
「それで、どうだったの、領地は?」
食べ物がおいしかったこと、とても豊かな土地柄だったこと、戦争の影よりも人々の活気の方がすごかったことなどを勢い込んで話せば、夫人は、娘が可愛くてたまらないといった顔つきでじっと聞いている。
「そう、豊かな領地で良かったわねえ。男みたいな格好をしてるから、ジュリエッタはてっきり、変な思想にでもかぶれちゃったのかと思ってびっくりしちゃったわ」
「変な思想?」
「レディらしくない思想よ。ともかく、あなたはレディです。レディはレディとして振る舞わなければなりません。レディの枠を一歩でも超えてはいけないのよ。でなければ領民にも使用人にも示しがつきません」
毅然とした母親の姿に頼れるものを感じ、何も考えずに家でぬくぬくと親に甘えていた頃の感覚が蘇る。
(お母さまは私のことがまだまだ心配なのね。ふふ、やっぱり、実家は落ち着くわねえ)
その夜は、公爵もマルコも揃い、久々に実家での一家団らんとなった。
ジュリエッタは侯爵を公爵家へと誘う遣いを出したが、侯爵からは仕事を理由に断りの返事があった。侯爵は侯爵で、家族水入らずの邪魔をしないように気を遣ったのかもしれなかった。
夫人が、華やいだ声を上げて、家族が揃ったことを喜んでいる。
(お母さま、大好きよ)
食事を終えて、ネグリジェに着替えて、ハンナも侍女部屋へと下がれば、ジュリエッタは部屋で一人になった。楽しい余韻を残したまま、静けさに包まれる。
(侯爵さまは今ごろダニーとベッドに横になっているかしら。おかしいわね、さっきまでお母さまが恋しかったのに、今は侯爵さまが恋しいわ)
侯爵の穏やかな声、ダニーを腕に抱いて丸まっている寝顔、優しげな黒目。侯爵を思えば、ジュリエッタは寂しくてたまらなくなった。
(侯爵さまも、少しは寂しいと思ってくれているかしら)
ジュリエッタの胸がざわめく。会いたくてたまらない。
侯爵を思えばジュリエッタの胸はじくじくと苦しくなる。ぎゅっと胸の奥が切なくなる。
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