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第十二章 裏通りの情報屋
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日が暮れると、横浜の街は別の顔を見せる。
関内(かんない)の裏通り。ネオンサインが毒々しく明滅し、客引きの声が飛び交う。表の社会からこぼれ落ちた人間たちが吹き溜まる場所だ。
生前の私は、こういう場所を毛嫌いしていた。だが、今の私は違う。この街の淀んだ空気が、権藤の体に妙に馴染むのを感じていた。
「おいおい、権藤さん。こんな場所に何があるってんですか」
隣を歩く日下部が、落ち着かない様子で周囲を警戒している。スーツ姿の刑事二人組は、ここでは明らかに浮いていた。
「権藤はな、ただの昼行灯じゃなかったんだ」
私は歩きながら、記憶の断片を手繰り寄せた。
フラッシュバックの中で見た光景。権藤は、誰かと密会していた。場所は、薄暗いバーのようなところだった。
「奴には奴なりの、情報ルートがあったはずだ。表の捜査じゃ拾えないネタを拾うためのな」
私たちは、雑居ビルの地下にある一軒のスナック「止まり木」の前に立った。
重い防音扉を開けると、紫煙と安い香水の匂いが押し寄せてきた。カウンターの中には、ケバケバしい化粧をした初老のママが一人。客はいない。
「あら、お久しぶりじゃない。権さん」
ママが、しゃがれた声で迎えた。私の顔を見ても、驚きはない。常連だったようだ。
「生きてたのねぇ。心臓発作で死んだって噂、聞いたわよ」
「……悪運が強くてな。三途の川から追い返されたよ」
私はカウンター席に腰を下ろし、日下部にも座るよう促した。日下部は居心地悪そうに、端の席に浅く腰掛けた。
「いつもの、でいい?」
ママがボトル棚に手を伸ばす。
「ああ。頼む」
出てきたのは、角瓶のボトルと氷、そして水差しだった。権藤はウイスキー党だったのか。
私はグラスに酒を注ぎ、一口飲んだ。安酒のきついアルコールが喉を焼く。
「で? 今日は若いツバメ連れ? それとも仕事?」
ママが日下部を流し目で見て、ニヤリと笑う。
「仕事だ。……少し、聞きたいことがある」
私は声を潜めた。
「最近、この界隈で『掃除屋』が動いてるらしいな。右手にサソリのタトゥーがある男だ」
ママの手が止まった。
店内の空気が、一瞬にして張り詰めたものに変わる。
「……権さん。あんた、まだ懲りてないのかい?」
ママの声色が変わった。親しげな響きが消え、警戒心に満ちた低い声になる。
「あいつらに関わると、ロクなことにならないよ。あんた、また『あの人』の仕事を受けてるのかい?」
『あの人』。
私の心臓が跳ねた。権藤を裏で操っていた人物。おそらくは署長、あるいはその仲介者。
「……いや、今回は違う。俺は足を洗うつもりだ。そのために、知る必要があるんだ」
私が真剣な眼差しで訴えると、ママは溜息をつき、タバコに火をつけた。
「……サソリの男なら、知ってるよ。名前は桐島(きりしま)。山王会の汚れ役だ。最近、羽振りがいいらしくてね。なんでも、デカいヤマを片付けたとかで、この近くの雀荘に入り浸ってるらしいわ」
デカいヤマ。
それは、私の殺害のことか?
情報料として、私は財布に入っていた一万円札をすべてカウンターに置いた。権藤の全財産だ。
「助かった。……行くぞ、日下部」
店を出ようとした時、ママが背後から声をかけてきた。
「権さん。……あんた、顔つきが変わったね」
私は振り返った。
「昔の、ギラギラしてた頃のあんたに戻ったみたいだ。……死に急ぐんじゃないよ」
私は無言で軽く手を上げ、店を出た。
昔の権藤。ギラギラしていた頃。
やはり、この男にも、刑事としての矜持を持っていた時代があったのだ。それがなぜ、あんな風に堕ちてしまったのか。そして、なぜ私の死に関与することになったのか。
「雀荘ですね。すぐに行きましょう」
日下部が意気込む。
だが、私は胸騒ぎを覚えていた。
情報が手に入りすぎる。まるで、誰かが私たちをそこへ誘導しているかのように。
ビルの外階段を上り、地上に出た瞬間だった。
キィィィン!
鋭い金属音が響き、私のすぐ横のコンクリート壁が弾けた。
「伏せろッ!」
私は日下部の襟首を掴み、地面に引き倒した。
乾いた銃声が遅れて聞こえてくる。サイレンサー付きだ。
「なっ、銃撃!?」
日下部が叫ぶ。
私は這いつくばったまま、音のした方向――向かいの雑居ビルの屋上を見上げた。
暗闇の中、何かがきらりと光った気がした。スコープの反射光だ。
狙撃手(スナイパー)。
掃除屋の仕事が始まったのだ。
「走れ! 路地裏へ逃げ込むんだ!」
私の号令とともに、私たちは夜の闇の中へ、蜘蛛の子を散らすように走り出した。
リミットまで、あと四日と十二時間。
命の砂時計が、音を立てて崩れ落ちていく。
関内(かんない)の裏通り。ネオンサインが毒々しく明滅し、客引きの声が飛び交う。表の社会からこぼれ落ちた人間たちが吹き溜まる場所だ。
生前の私は、こういう場所を毛嫌いしていた。だが、今の私は違う。この街の淀んだ空気が、権藤の体に妙に馴染むのを感じていた。
「おいおい、権藤さん。こんな場所に何があるってんですか」
隣を歩く日下部が、落ち着かない様子で周囲を警戒している。スーツ姿の刑事二人組は、ここでは明らかに浮いていた。
「権藤はな、ただの昼行灯じゃなかったんだ」
私は歩きながら、記憶の断片を手繰り寄せた。
フラッシュバックの中で見た光景。権藤は、誰かと密会していた。場所は、薄暗いバーのようなところだった。
「奴には奴なりの、情報ルートがあったはずだ。表の捜査じゃ拾えないネタを拾うためのな」
私たちは、雑居ビルの地下にある一軒のスナック「止まり木」の前に立った。
重い防音扉を開けると、紫煙と安い香水の匂いが押し寄せてきた。カウンターの中には、ケバケバしい化粧をした初老のママが一人。客はいない。
「あら、お久しぶりじゃない。権さん」
ママが、しゃがれた声で迎えた。私の顔を見ても、驚きはない。常連だったようだ。
「生きてたのねぇ。心臓発作で死んだって噂、聞いたわよ」
「……悪運が強くてな。三途の川から追い返されたよ」
私はカウンター席に腰を下ろし、日下部にも座るよう促した。日下部は居心地悪そうに、端の席に浅く腰掛けた。
「いつもの、でいい?」
ママがボトル棚に手を伸ばす。
「ああ。頼む」
出てきたのは、角瓶のボトルと氷、そして水差しだった。権藤はウイスキー党だったのか。
私はグラスに酒を注ぎ、一口飲んだ。安酒のきついアルコールが喉を焼く。
「で? 今日は若いツバメ連れ? それとも仕事?」
ママが日下部を流し目で見て、ニヤリと笑う。
「仕事だ。……少し、聞きたいことがある」
私は声を潜めた。
「最近、この界隈で『掃除屋』が動いてるらしいな。右手にサソリのタトゥーがある男だ」
ママの手が止まった。
店内の空気が、一瞬にして張り詰めたものに変わる。
「……権さん。あんた、まだ懲りてないのかい?」
ママの声色が変わった。親しげな響きが消え、警戒心に満ちた低い声になる。
「あいつらに関わると、ロクなことにならないよ。あんた、また『あの人』の仕事を受けてるのかい?」
『あの人』。
私の心臓が跳ねた。権藤を裏で操っていた人物。おそらくは署長、あるいはその仲介者。
「……いや、今回は違う。俺は足を洗うつもりだ。そのために、知る必要があるんだ」
私が真剣な眼差しで訴えると、ママは溜息をつき、タバコに火をつけた。
「……サソリの男なら、知ってるよ。名前は桐島(きりしま)。山王会の汚れ役だ。最近、羽振りがいいらしくてね。なんでも、デカいヤマを片付けたとかで、この近くの雀荘に入り浸ってるらしいわ」
デカいヤマ。
それは、私の殺害のことか?
情報料として、私は財布に入っていた一万円札をすべてカウンターに置いた。権藤の全財産だ。
「助かった。……行くぞ、日下部」
店を出ようとした時、ママが背後から声をかけてきた。
「権さん。……あんた、顔つきが変わったね」
私は振り返った。
「昔の、ギラギラしてた頃のあんたに戻ったみたいだ。……死に急ぐんじゃないよ」
私は無言で軽く手を上げ、店を出た。
昔の権藤。ギラギラしていた頃。
やはり、この男にも、刑事としての矜持を持っていた時代があったのだ。それがなぜ、あんな風に堕ちてしまったのか。そして、なぜ私の死に関与することになったのか。
「雀荘ですね。すぐに行きましょう」
日下部が意気込む。
だが、私は胸騒ぎを覚えていた。
情報が手に入りすぎる。まるで、誰かが私たちをそこへ誘導しているかのように。
ビルの外階段を上り、地上に出た瞬間だった。
キィィィン!
鋭い金属音が響き、私のすぐ横のコンクリート壁が弾けた。
「伏せろッ!」
私は日下部の襟首を掴み、地面に引き倒した。
乾いた銃声が遅れて聞こえてくる。サイレンサー付きだ。
「なっ、銃撃!?」
日下部が叫ぶ。
私は這いつくばったまま、音のした方向――向かいの雑居ビルの屋上を見上げた。
暗闇の中、何かがきらりと光った気がした。スコープの反射光だ。
狙撃手(スナイパー)。
掃除屋の仕事が始まったのだ。
「走れ! 路地裏へ逃げ込むんだ!」
私の号令とともに、私たちは夜の闇の中へ、蜘蛛の子を散らすように走り出した。
リミットまで、あと四日と十二時間。
命の砂時計が、音を立てて崩れ落ちていく。
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