ボクの花が萎む刻

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一時限目「予感」

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 いつからだろう。自分が世界の何よりも厭に思えてしまったのは。
 いつからだろう。君が世界の何よりも輝いて見えるようになったのは。
 いつからだろう。ボクが君に恋してしまったのは。

 おかしな気候がしばらく続いた冬を越え、ようやく落ち着ける春日がやってきた。窓からほどよく差し込む日差しに身体が覆われる。温々とした暖かさにボク、橋立紫苑は目を覚ます。外では、古典の世界から飛び出てきたかのように、ウグイスがさえずっている。それはまるで、ボクの身支度を催促するようだった。優雅な朝のひとときを終え、ボクは家を出た。温かな風が頬を撫でる。のどかな雰囲気に包まれ欠伸がつい出てしまいそうだ。

「ああ、これが平和…ってやつか」

前方からバカみたいな言葉が聞こえてくる。声の主は、佐伯音桜(さえきねお)だ。小さい頃からの腐れ縁で、かれこれ10年くらいは人生を共にしている。もしかしたら、家が隣というのも深く関係しているのかもしれない。幼稚園の頃、一人で遊んでいるボクに声をかけてくれたのが音桜だった。そこから、二人で遊ぶことも増え、気の置けない仲にまでなった。そしてこの春、熾烈な受験戦争を乗り越えて一緒に地元の名門・私立菫ヶ丘中学に入学した。

「君にしては、余裕を持った出発だったな音桜」

小学生の頃は、いつも遅刻ギリギリであったのに今日は珍しくボクの出立と同時に家を出ている。天変地異でも起きるのではないかと心配になってしまう。そんなボクの不安もつゆ知らず、未だ眠そうな目を擦りながら「うるせーやい」と彼はにやけた。

「紫苑と一緒の学校に行けて、登校も一緒にできるって思ったら、もう嬉しくて早起きしちまった。」
「そうやってからかって。」

むっとしてボクは言う。口説き文句のようなことをしれっと言われ、四月の風にさらされ冷たいはずの握りこぶしに、汗が滲む。「わりぃ」と舌を少し出し悪びれる。そんな彼が可愛く見えた。

「そろそろ行かないと遅れるよ。初日から遅刻なんてしてられないし。」
「ほーい」

今日から僕らもついに中学生だ。どんな人たちがいるのか、部活は何があるのか、そして何より音桜と一緒のクラスかが気になる所だ。後者に関しては、夕べからの悩みの種であり、中々寝付けなかった…なんてことはなかった。清々しい朝を迎えたことは内緒だ。多くの期待と不安を胸にはじめての通学路を歩いていた。音桜と会話していると、時間はあっという間に過ぎ、校門まで着いていた。校舎の玄関先には、クラス表が張り出されており。その前で、他校から入学してきたであろう生徒達が、旧友との再会を喜んだり、新しい交友関係を築いたりしていた。

「俺とお前、一緒だといいな」
屈託のない満開の笑顔をボクに向ける。ボクも内心思っていることだったため、首を縦に大きく振った。
さすがは名門と言わんばかりに、クラス表にはずらっと沢山の名前が綴られている。クラス表の前は、多くの人で混雑しており、クラス番号すらかろうじて見える程だった。気を抜くとどこまで順を追ったかを忘れてしまうほどに、びっしり詰められている。やっとの思いで、名前を見つけることができた。そして、偶然か神の厚意か、自分の名前から少し視線を上にすると音桜の名前と指があった。

「「やった。」」
喜びが声となりボクらの口から溢れる。
「今年もよろしくな!」
音桜がまっすぐボクに手を伸ばしてくる。ボクはその手を強く握り、とびきりの笑みを浮かべた。生きてきた中で、最も幸せな瞬間だったろう。

教室に行くと、座席指定の紙が黒板に貼られていた。どうやら出席番号順に座っていくらしい。不幸なことにボクと彼は、かなり離れた場所に座ることとなった。「ちょっとの辛抱だろ?」と言われたが、その少しがボクには永久のように思えた。教室内で音桜と雑談していると、前方のドアが開き担任らしき人物が入ってきた。音桜は「また後でな」と言葉を交わし一旦席に着いた。担任が口を開くと、先ほどまで騒がしかった教室が一気に静まりかえった。

「今年度、お前らを担当することになった下野だ。担当教科は国語だ。呼び名は何でも良いぞ。よろしく!」
担当は体育科ではと言いたくなるほど屈強な見た目をした先生であった。その後も、今日の入学式の流れや来週からの学校生活の話をされたが、ボクはそんなこと毛ほども興味がなかった。音桜が目の前から消えたことで、世界が色を失う。全てがつまらなく、そしてどうでもよく思えてしょうがなかった。担任が話している最中、ボクは音桜の背中を、穴が空くほど見つめていた。

作業感が否めない入学式を終え、やっと帰宅の時間がきた。周りでは、既に連絡先の交換会やら週末の予定の話やらをし始めていた。「みんな凄いな…友だち作りが上手で」未だ友だちが音桜以外いないボクは、机に突っ伏し、胸中つぶやくのだった。いや、作ろうとしないだけなのかもしれない。知らない人と話すのが、ひたすらに怖いのだ。だから、この陽気が支配するこの空間から、今すぐにでも抜け出したかった。塞ぎかけた耳を音桜の声だけに集中させ、閉じはじめていた目で姿を探した。
「あ、いた。」
音桜を見つけ、一緒に帰ろうと言いかけたそのとき、彼の近くに知らない男子が2人居ることに気がついた。しかも、彼らと何か話している音桜は楽しそうに笑っているのだった。
「だれ…なの?」
音桜を世界から奪われたような感覚に陥り、ナイフのような感情が心を刺し、黒く澱みボクの体に纏わり付く。今にでも涙が零れそうだった。必死にこらえ、自分は一人ぼっちという現実から頑張って目を逸らそうとする。身を投げ出したい思いを抱え、たった一人で教室を飛び出した。あんなに賑やかだったはずの学び舎から、一瞬にして音が消えた。いや、ボクが耳を塞いでいたから静かになったのだ。

 校舎を出てしばらく道を進んだ頃、ボクはやっと冷静になれた。そこで、ふと疑問に思った。
「あれ?なんでボクは泣きそうになったんだ?ただ音桜が他のやつとくっちゃべってるだけじゃあないか」
おかしいことなんか何もないと、自分に言い聞かせた。
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