お飾りオメガに愛印の上書き

天宮叶

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 夜が更け辺りが暗くなってきた頃、体力のなくなったリコは覚束ない足取りで川辺りを彷徨っていた。アルバーノとリコが初めて出会った場所から、ほど近い場所に位置するここまで、ほとんど無意識に歩いてきた。けれど、いまだに人一人も見かけられない。鳥の鳴き声がやけに怪しく耳に届き、孤独感と恐怖に身が縮こまる。川から離れて、街道の方へと向かう。お腹も減り、服も草木に擦れ、土埃に晒されてボロボロになっていた。

 あと一歩、もう一歩と、前に踏み出すたびに不安ばかりが積み重なっていく。

「あっ……」

 力が入らず足がもつれ、そのまま街道へと身が乗り出された。土に塗れ、倒れふしながら、リコは涙を流す。いったいなにをしているのだろう。大事に肩に下げた鞄には、見つけた書類と、もしものために家計簿も入っている。けれど、こんなものを持ち出したところでリコだけではどうにもできない。

 無力さに打ちのめされながら立ち上がろうとしたとき、車輪と蹄が土を踏みつける音が耳へと届いた。倒れているリコに気がついたのか、少し離れた位置で停止する。中から人が降りてきて近づいてきた。

 慌てて立ち上がろうとするも、ひねってしまったのか、足に激痛が走り身体を起こすことしかできない。

「まさかリコなのか?」

「……アルバーノ様、ですか?」

 名前を呼ばれて顔を上げると、同じように驚いた表情を浮かべているアルバーノと視線が交わった。たしかに初めて会った日のことを思い出してはいたものの、本当にこの場所で再会できるとは思ってもいなかった。予想もしていなかった出会いに、ものすごく安心感を覚えてしまう。

「どうして……国へ帰られたはずでは?」

「王都に別荘があるんだ。友人から頼まれている件もあるからしばらくはこの国に残るつもりだ」

「そうだったのですね。ですが、なぜこんな夜にこの場所へ?」

「どうしてだろうな。君のことを思い浮かべていたら、いつの間にか馬車を走らせていた」

 アルバーノも同じように思い出してくれていたことを知り、リコは思わず涙を流す。誰からも必要とされない現状の中、唯一アルバーノだけがリコへ優しい言葉を与えてくれる。それが本当に嬉しくて、けれど切なくもあり流れる雫を止められない。

「私も君がどうしてこんな所にいるのか聞いてもいいか?」

「……それは……」 

 ホーガン伯爵家の問題にアルバーノを巻き込むわけにはいかない。けれど、身体を繋げて、番契約の上書きまでしてしまっている状況だ。すでに充分巻き込んでしまっていると考え直す。そうして、意を決したリコは流れる涙をそのままに、辿々しく事情を説明し始めた。

 辛いから逃げ出したのか……それとも悲しかったからなのか……。自身でも答えの出ない複雑な心境を吐き出す。独白ともいえる、嗚咽を堪えた説明を、アルバーノはただ黙って頷きながら聞いてくれた。

「僕は逃げてきたんです」

 そうしなければ、リコは自分自身で居られないような気がした。どれだけ毅然とした態度を貫いても、フリードリヒはリコを大切にはしてくれない。居場所など初めから用意されてすらいなかった。

「立てるかい?」

 話を聞き終えたアルバーノが手を差し出してくれる。その手に掴まり、痛みをこらえながら立ち上がろうとしたとき、アルバーノが横向きにリコのことを抱き上げてくれた。

「すまない。足を怪我していたのか。痛かっただろう」

「っ、はい……」

 優しさを含む声音に心が救われる。足の痛みのことを言っているのはわかっている。けれどリコにはアルバーノが、傷ついた心の心配をしてくれているように感じられた。頬を胸板につけて、身を預ける。そのまま馬車へと乗せられると、アルバーノの膝の上に乗ったままそっと目を閉じた。一日歩き続けたせいか疲れきっている。それに、運命の番であるアルバーノのそばにいると心が平坦になり、落ち着きを取り戻せるせいか眠気が襲ってきた。

「少し眠ったほうがいい。大丈夫。もう二度と君を傷つけさせはしない」

 声に促されるまま眠りにつく。車輪の音とアルバーノの心音がゆりかごのようにリコの鼓膜を揺らしていた。

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