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本編
お茶会という名の労働
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なぜ侍女長は、ナナセがエクトーレの執務室にいると分かったのだろう。
もしや密偵でも雇っているのかと、レムンドとの繋がりを勘繰ってしまいそうになる。
悶々と考えながらもナナセは、少し早めに休憩を切り上げると侍女長の許へ向かった。
彼女は通常王女に付きっきりだが、専用の執務室も存在する。部下を呼び出す際に使われるのは専らそちらだ。
「侍女長、ナナセでございます」
扉を叩くと、中から入室を許可する声が届いた。
彼女は一挙一動に目を光らせているため、念入りに身だしなみは整えている。
指先の動きにまで神経を集中し、深呼吸をしてから扉を開いた。
「失礼いたします」
窓辺の執務机に座るのは、三十代後半の女性。厳しくナナセを見据える切れ長の瞳は澄んだ青色で、細いフレームの眼鏡をかけている。きっちりと制服を着込んでおり、全てにおいて隙のない雰囲気をまとっていた。
「急に呼び出してしまい、申し訳ございませんね。休憩が終わってからでもよかったのですけれど」
「とんでもございません」
侍女長エビータは立ち上がると、ゆっくりナナセに歩み寄った。
「呼び出した理由は、もう察しがついていることと思います。以前にお会いした時に、茶会の約束をしたそうですね?」
「はい。不敬でしたでしょうか?」
「いいえ。王族からのお誘いですから、お断りする方が難しいでしょう」
ナナセは一先ずホッとした。対応は間違っていなかったらしい。
「王女殿下は本日の午後、あなたを茶会に招きたいとおっしゃっております」
やはりそうきたか、と思った。
午後の予定は庭師の手伝い。庭園の花摘みだったが、こんなこともあろうかとエレミアに任せて来てよかった。
広大すぎる庭園の花摘みは意外にも重労働なので、同僚はかなり渋っていた。
エビータの名前を出したら嫌々ながらも引き受けてくれたが。
説得のために侍女長がやって来る可能性を考えたのだろう。確かに、下手に断って目を付けられるよりずっとましだ。
とはいえ、これほど早く王族に目通りする機会が巡ってくるとは。
「……あの。そこには、王女殿下以外の方も同席されるのでしょうか……?」
ナナセは、王女以外の登場を危惧している。もちろんおそれ多いということもあるが、他にも脅威に感じる存在がいるためだ。
それは、侍女長であるエビータよりある意味上位に位置する、王妃付きの特別侍女。
なぜ『特別』なのかというと、経緯はそこそこややこしい。彼女は結婚を機に、一度侍女の職を辞しているからだ。
ところが王妃から、再び側についてほしいと乞われてしまった。
復職という制度がないため新入り侍女として扱わねばならないが、新入りがいきなり王妃付きになるという前例もない。
苦肉の策として、『特別侍女』という謎の称号が生まれたというわけだ。
――そこで制度自体を見直すんじゃなくて、新しい肩書きを作っちゃうから労働環境が変わらないんだろうな……。
のちに同じような問題が発生した時に、どう対処するつもりなのか。
制度は時代の流動と共に変わっていかなければ、存在する意味がなくなってしまう。
それを厭って独身を貫いているのが、今目の前にいるエビータだ。
自分の人生を王女殿下に捧げると誓い、なおかつ特別侍女などというややこしい前例を増やさないと決めた意思の強い女性。
彼女を前にすると萎縮するというより、ナナセは何とも複雑な気持ちになる。
『結婚しないのか?』『結婚しないんじゃなくて、できないのか』『侍女長みたいだな』『自分の主張を通そうとするばかりでは、男が寄ってこないぞ』
懸命に働いてきた四年間で、そんな心ない言葉を投げかけられてきたからだ。
ナナセだけでなくエビータに対しても失礼極まりない発言だと思う。
個人の尊厳を無視していることに、この国の人間はとても無自覚だった。
理解を求めれば分かってくれる者もいるだろうが、男女平等という概念すらないのだからどうしようもない。ナナセの力で変えられることでもない。
――まぁ、それをレムンドさんに求められてるんだけどね……。
それはともかく、もしもリリスターシェだけでなく王妃まで現れたなら。
特別侍女という謎の称号を持つ上司にも、挨拶をしないわけにはいかなくなる。エビータ以上に威厳漂う彼女は、侍女達の中では畏怖の対象だった。
前回の茶会の際は薔薇園の入り口に控えていたらしく、言葉を交わす暇もなかった。だが毎回そうもいかないだろう。
戦々恐々としながら返答を待つナナセを、エビータはじっくり観察していた。
できればただ王族に対し恐縮していると捉えてほしいが、彼女なら何もかもお見通しかもしれない。
エビータはおもむろに頷いた。
「今日に限ってはそういった予定はないので、安心してください」
「そ、そうですか……」
よかった、と言わなかったのは本音をこぼせる場でないからだが、それだけが理由ではなかった。
こういったやり取りを『フラグ』ということを、ナナセはよく知っている。
……『今日に限っては』という言葉が、やけに重い。
淡い桃色のドレスは、レースとフリルでふんだんに飾り立てられており愛らしい。
それをまとう八歳の少女も、ドレスに負けないほど可愛らしかった。
淡い金髪は豊かに波打ち、大きな緑色の瞳は瑞々しい若葉を思わせる柔らかな色合い。まるで春を具現化したような少女だった。
初めて間近で見た時は直視できないとほど眩しく感じたが、二度目の今は八歳とは思えない堂々とした振る舞いに驚かされる。
「ナナセ、ようこそお越しくださいました」
「本日はお招きいただき恐悦至極に存じます、リリスターシェ王女殿下」
しっかり礼をとると、彼女は困ったように微笑んだ。
「あまり堅苦しくなさらないでください。わたくし、あなたと親しくなりたいのです。どうぞリリスターシェとお呼びになって」
王女の無茶振りに、背中を冷や汗が伝う。
どう答えるのが正解なのか分からないし、背後からエビータの圧を感じる。
「殿下。あまりご無理を仰ってばかりでは、ナナセが困ってしまいます」
代わりに答えた侍女長に、リリスターシェは頬を膨らませた。
「エビータは真面目すぎるわ」
「殿下が不真面目すぎるのです。再三注意したにもかかわらず夜中に部屋を抜け出していたこと、私はまだ許しておりませんよ」
厳格なエビータが、意外にも他愛のない会話を繰り広げている。
顔には出さないようにしつつも、思いがけない一面についじっと見つめてしまう。
視線に気付いたエビータと目が合い慌てて顔を伏せるも、リリスターシェは楽しそうに笑い出した。
「ナナセにまで怖がられているの。エビータはこの通り、愛想がないものね」
「放っておいてください」
確かに侍女長は、どんな場面であっても一切空気を読まない無表情を貫いている。
ナナセも無愛想だと指摘されるけれど、さらにその上をいく鉄面皮。仕事をこなす人形のようとさえ囁かれている。
だからこそ侍女達に恐れられているのだが、リリスターシェを恨めしげに睨む姿には常にない人間味がのぞいている。
「上に立つ者は、部下達に怖がられているくらいでちょうど良いのです。友人作りに来ているわけではないのですから」
強がっても聞こえる侍女長の言い分には、共感できる部分があった。
ナナセも中堅として頼られることは多いが、同じく中堅の立ち位置であるエレミアのように世間話をふられることはほぼない。……常に一抹の寂しさは感じている。
「意固地なエビータのことは放っておきましょう。ナナセ、今日はわたくしがおもてなしいたしますね」
「王女殿下自ら、ですか?」
茶会に招かれたものの、まだ幼い王女自ら紅茶を淹れるとは思っていなかった。女主人として正しい振る舞いとはいえ心配だ。
リリスターシェは笑い上戸なのか、再び上品な仕草でコロコロと笑った。
「こう見えて、茶会の作法も一通り学んでいるのですよ。今日はあなたに食べてもらいたくて、クッキーも焼いてみたの」
「王女殿下自ら、ですか」
「えぇ。最近はお菓子作りに凝っているの」
驚きのあまりおうむ返しになってしまったナナセに、王女は少し得意気になる。子どもらしい柔らかな曲線を描く頬が赤らんでいて実に可愛い。
そうして、彼女は紅茶を淹れはじめる。
覚束ないながらも何とかやりきった。傷一つない小さな手に火傷でも負わないかとひやひやしながら見守ったナナセは、エビータが同じような表情をしていることに気付いた。謎の連帯感が芽生える。
「それでは、いただきます」
テーブルにつき、まずは紅茶を一口。
淹れる手順を見ていた時から予想はしていたもののーーやはり不味い。
苦いし渋い。茶葉が多すぎたし蒸らしすぎた。紅茶のおいしくない部分だけを見事に抽出しているとしか思えなかった。
けれど王女が手ずから淹れてくださった紅茶に、文句を言えるはずもない。エビータからの無言の圧力も感じるためなおさらだ。
続いて、手作りのクッキーを口にする。
何というか、こちらもおいしくなかった。
紅茶のように不味いわけではない。ただ、味がしないのだ。
バターの風味もなければ砂糖の甘みもない。『クッキー』ではなく『ボソボソとした小麦粉の塊』というのが、最も相応しい名称に思える。
傍らの椅子に行儀よく座ったリリスターシェが、ソワソワと感想を待っている。
その背後には侍女長が、無表情のまま人でも射殺しそうな眼力で佇んでいる。
ナナセは迷いに迷った末、口を開いた。
「……実はこう見えて、私もお菓子作りが趣味なのです」
もちろん決して趣味ではない。
ナナセの技術など手慰み程度。職人が作った方がおいしいに決まっているのだから、任せてしまえばいいと常日頃から思っている。
それでも、無垢な眼差しを向けてくる王女を傷付けることなどできない。エビータという保護者がいてもいなくても、だ。
「王女殿下さえよろしければ、今度ぜひご一緒いたしませんか?」
「まぁっ、とっても楽しそうね!」
花が綻ぶがごとく笑顔になったリリスターシェに、ナナセもかろうじて微笑み返した。
もしや密偵でも雇っているのかと、レムンドとの繋がりを勘繰ってしまいそうになる。
悶々と考えながらもナナセは、少し早めに休憩を切り上げると侍女長の許へ向かった。
彼女は通常王女に付きっきりだが、専用の執務室も存在する。部下を呼び出す際に使われるのは専らそちらだ。
「侍女長、ナナセでございます」
扉を叩くと、中から入室を許可する声が届いた。
彼女は一挙一動に目を光らせているため、念入りに身だしなみは整えている。
指先の動きにまで神経を集中し、深呼吸をしてから扉を開いた。
「失礼いたします」
窓辺の執務机に座るのは、三十代後半の女性。厳しくナナセを見据える切れ長の瞳は澄んだ青色で、細いフレームの眼鏡をかけている。きっちりと制服を着込んでおり、全てにおいて隙のない雰囲気をまとっていた。
「急に呼び出してしまい、申し訳ございませんね。休憩が終わってからでもよかったのですけれど」
「とんでもございません」
侍女長エビータは立ち上がると、ゆっくりナナセに歩み寄った。
「呼び出した理由は、もう察しがついていることと思います。以前にお会いした時に、茶会の約束をしたそうですね?」
「はい。不敬でしたでしょうか?」
「いいえ。王族からのお誘いですから、お断りする方が難しいでしょう」
ナナセは一先ずホッとした。対応は間違っていなかったらしい。
「王女殿下は本日の午後、あなたを茶会に招きたいとおっしゃっております」
やはりそうきたか、と思った。
午後の予定は庭師の手伝い。庭園の花摘みだったが、こんなこともあろうかとエレミアに任せて来てよかった。
広大すぎる庭園の花摘みは意外にも重労働なので、同僚はかなり渋っていた。
エビータの名前を出したら嫌々ながらも引き受けてくれたが。
説得のために侍女長がやって来る可能性を考えたのだろう。確かに、下手に断って目を付けられるよりずっとましだ。
とはいえ、これほど早く王族に目通りする機会が巡ってくるとは。
「……あの。そこには、王女殿下以外の方も同席されるのでしょうか……?」
ナナセは、王女以外の登場を危惧している。もちろんおそれ多いということもあるが、他にも脅威に感じる存在がいるためだ。
それは、侍女長であるエビータよりある意味上位に位置する、王妃付きの特別侍女。
なぜ『特別』なのかというと、経緯はそこそこややこしい。彼女は結婚を機に、一度侍女の職を辞しているからだ。
ところが王妃から、再び側についてほしいと乞われてしまった。
復職という制度がないため新入り侍女として扱わねばならないが、新入りがいきなり王妃付きになるという前例もない。
苦肉の策として、『特別侍女』という謎の称号が生まれたというわけだ。
――そこで制度自体を見直すんじゃなくて、新しい肩書きを作っちゃうから労働環境が変わらないんだろうな……。
のちに同じような問題が発生した時に、どう対処するつもりなのか。
制度は時代の流動と共に変わっていかなければ、存在する意味がなくなってしまう。
それを厭って独身を貫いているのが、今目の前にいるエビータだ。
自分の人生を王女殿下に捧げると誓い、なおかつ特別侍女などというややこしい前例を増やさないと決めた意思の強い女性。
彼女を前にすると萎縮するというより、ナナセは何とも複雑な気持ちになる。
『結婚しないのか?』『結婚しないんじゃなくて、できないのか』『侍女長みたいだな』『自分の主張を通そうとするばかりでは、男が寄ってこないぞ』
懸命に働いてきた四年間で、そんな心ない言葉を投げかけられてきたからだ。
ナナセだけでなくエビータに対しても失礼極まりない発言だと思う。
個人の尊厳を無視していることに、この国の人間はとても無自覚だった。
理解を求めれば分かってくれる者もいるだろうが、男女平等という概念すらないのだからどうしようもない。ナナセの力で変えられることでもない。
――まぁ、それをレムンドさんに求められてるんだけどね……。
それはともかく、もしもリリスターシェだけでなく王妃まで現れたなら。
特別侍女という謎の称号を持つ上司にも、挨拶をしないわけにはいかなくなる。エビータ以上に威厳漂う彼女は、侍女達の中では畏怖の対象だった。
前回の茶会の際は薔薇園の入り口に控えていたらしく、言葉を交わす暇もなかった。だが毎回そうもいかないだろう。
戦々恐々としながら返答を待つナナセを、エビータはじっくり観察していた。
できればただ王族に対し恐縮していると捉えてほしいが、彼女なら何もかもお見通しかもしれない。
エビータはおもむろに頷いた。
「今日に限ってはそういった予定はないので、安心してください」
「そ、そうですか……」
よかった、と言わなかったのは本音をこぼせる場でないからだが、それだけが理由ではなかった。
こういったやり取りを『フラグ』ということを、ナナセはよく知っている。
……『今日に限っては』という言葉が、やけに重い。
淡い桃色のドレスは、レースとフリルでふんだんに飾り立てられており愛らしい。
それをまとう八歳の少女も、ドレスに負けないほど可愛らしかった。
淡い金髪は豊かに波打ち、大きな緑色の瞳は瑞々しい若葉を思わせる柔らかな色合い。まるで春を具現化したような少女だった。
初めて間近で見た時は直視できないとほど眩しく感じたが、二度目の今は八歳とは思えない堂々とした振る舞いに驚かされる。
「ナナセ、ようこそお越しくださいました」
「本日はお招きいただき恐悦至極に存じます、リリスターシェ王女殿下」
しっかり礼をとると、彼女は困ったように微笑んだ。
「あまり堅苦しくなさらないでください。わたくし、あなたと親しくなりたいのです。どうぞリリスターシェとお呼びになって」
王女の無茶振りに、背中を冷や汗が伝う。
どう答えるのが正解なのか分からないし、背後からエビータの圧を感じる。
「殿下。あまりご無理を仰ってばかりでは、ナナセが困ってしまいます」
代わりに答えた侍女長に、リリスターシェは頬を膨らませた。
「エビータは真面目すぎるわ」
「殿下が不真面目すぎるのです。再三注意したにもかかわらず夜中に部屋を抜け出していたこと、私はまだ許しておりませんよ」
厳格なエビータが、意外にも他愛のない会話を繰り広げている。
顔には出さないようにしつつも、思いがけない一面についじっと見つめてしまう。
視線に気付いたエビータと目が合い慌てて顔を伏せるも、リリスターシェは楽しそうに笑い出した。
「ナナセにまで怖がられているの。エビータはこの通り、愛想がないものね」
「放っておいてください」
確かに侍女長は、どんな場面であっても一切空気を読まない無表情を貫いている。
ナナセも無愛想だと指摘されるけれど、さらにその上をいく鉄面皮。仕事をこなす人形のようとさえ囁かれている。
だからこそ侍女達に恐れられているのだが、リリスターシェを恨めしげに睨む姿には常にない人間味がのぞいている。
「上に立つ者は、部下達に怖がられているくらいでちょうど良いのです。友人作りに来ているわけではないのですから」
強がっても聞こえる侍女長の言い分には、共感できる部分があった。
ナナセも中堅として頼られることは多いが、同じく中堅の立ち位置であるエレミアのように世間話をふられることはほぼない。……常に一抹の寂しさは感じている。
「意固地なエビータのことは放っておきましょう。ナナセ、今日はわたくしがおもてなしいたしますね」
「王女殿下自ら、ですか?」
茶会に招かれたものの、まだ幼い王女自ら紅茶を淹れるとは思っていなかった。女主人として正しい振る舞いとはいえ心配だ。
リリスターシェは笑い上戸なのか、再び上品な仕草でコロコロと笑った。
「こう見えて、茶会の作法も一通り学んでいるのですよ。今日はあなたに食べてもらいたくて、クッキーも焼いてみたの」
「王女殿下自ら、ですか」
「えぇ。最近はお菓子作りに凝っているの」
驚きのあまりおうむ返しになってしまったナナセに、王女は少し得意気になる。子どもらしい柔らかな曲線を描く頬が赤らんでいて実に可愛い。
そうして、彼女は紅茶を淹れはじめる。
覚束ないながらも何とかやりきった。傷一つない小さな手に火傷でも負わないかとひやひやしながら見守ったナナセは、エビータが同じような表情をしていることに気付いた。謎の連帯感が芽生える。
「それでは、いただきます」
テーブルにつき、まずは紅茶を一口。
淹れる手順を見ていた時から予想はしていたもののーーやはり不味い。
苦いし渋い。茶葉が多すぎたし蒸らしすぎた。紅茶のおいしくない部分だけを見事に抽出しているとしか思えなかった。
けれど王女が手ずから淹れてくださった紅茶に、文句を言えるはずもない。エビータからの無言の圧力も感じるためなおさらだ。
続いて、手作りのクッキーを口にする。
何というか、こちらもおいしくなかった。
紅茶のように不味いわけではない。ただ、味がしないのだ。
バターの風味もなければ砂糖の甘みもない。『クッキー』ではなく『ボソボソとした小麦粉の塊』というのが、最も相応しい名称に思える。
傍らの椅子に行儀よく座ったリリスターシェが、ソワソワと感想を待っている。
その背後には侍女長が、無表情のまま人でも射殺しそうな眼力で佇んでいる。
ナナセは迷いに迷った末、口を開いた。
「……実はこう見えて、私もお菓子作りが趣味なのです」
もちろん決して趣味ではない。
ナナセの技術など手慰み程度。職人が作った方がおいしいに決まっているのだから、任せてしまえばいいと常日頃から思っている。
それでも、無垢な眼差しを向けてくる王女を傷付けることなどできない。エビータという保護者がいてもいなくても、だ。
「王女殿下さえよろしければ、今度ぜひご一緒いたしませんか?」
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