異世界キャリア意識改革!

浅名ゆうな

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本編

日常に忍び寄るトラブル

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 ひと気のない食堂で、ナナセはいつものように少し早い昼食をとっていた。
 寡黙な料理長と時折言葉を交わしていると、見慣れた男性が大股で近付いてきた。
 彼と会うのは、ヴァンルートスの失踪騒ぎ以来だ。
「お久しぶりでございます、ソーリスディア騎士団長様」
 口ひげを生やした厳つい顔が、ピクリと強ばる。あの立派なひげが、彼に威厳を与える代わりに若々しさを奪っているのだと思う。
 ソーリスディアは短く切り揃えられた赤茶色の髪を、ガシガシと乱暴に掻いた。
「……ナナセちゃん、怒ってるか?」
「滅相もございません」
「怒るな、怒るな。悪かったって。おじさんはただ、ナナセちゃんと仲良くなりたかっただけなんだよ!」
「それほど年が離れていないのに『ソルおじさん』と呼ばせたことについては、嫁き遅れ扱いを受ける私への辱しめという解釈をさせていただきます」
「だぁっ! 本当にすみませんでした!!」
 六歳しか変わらないのに『おじさん』呼びをさせるとは何の皮肉だろうか。
 意地悪な気持ちで慇懃な態度をとっていたが、きちんと謝罪されたことで胸がすく。ナナセは一つ息をつくと微笑んでみせた。
「もう怒っておりませんよ。知人に指摘されて、少し恥ずかしかっただけですから」
 とはいえ、さすがにもう『ソルおじさん』は無理があるので、呼び方は『ソル団長』で落ち着いた。
 拝み倒す勢いだったソーリスディアは現金なもので、着崩された彼の隊服のように、すぐに気を緩めた。
「あー、よかったよかった。ナナセちゃん怒ると怖いから」
「職場でだらしなくしている人に注意するのは当たり前です。ましてや、あなたは団員の規範となるべく立場なんですから」
 彼と話すようになったのも、ナナセが食べこぼしを咎めたことがきっかけだった。
 いかにも忙しい合間に食べものを詰め込みに来ただけというソーリスディアを見て、既に料理長と親しくなっていたナナセは我慢ができなかったのだ。
 丹精込めて作られた料理を味わうこともしないとは何ごとか。忙しいならせめて、パンくず一つ残さないよう綺麗に食べるべきだ。
 今と同じく馬鹿に丁寧な態度で、そのような内容を告げたと思う。
 無礼だと罵倒することもできただろうに、ざっくばらんなソーリスディアは豪快に笑ってみせた。
 それを機に、二人は親しくなった。
 騎士団長と知っておそれ多く感じたが、今まで通り接しようと決めたのは彼を慕っているからだ。
 ソーリスディアは確かに団長の器なのだろう。度量が広く、どんなことでも簡単に受け止めてくれそうな気がするから、自然と人を惹き付ける。
「ホッとしたら俺も腹が減っちまったな。今日の昼飯は何だ?」
「本日のランチは、コーンスープと白身魚のフライです。今日は料理長が、バゲットに挟むならと特製のハニーマスタードソースを作ってくださいましたよ」
「おっ、うまそう。ナナセちゃんだけ贔屓しやがって、本当にあいつはむっつり……」
 ソーリスディアは言いきる前に、素早い身のこなしで飛びすさった。
 何ごとかと驚くナナセの耳に風切り音が届いたかと思えば、次の瞬間には彼が元いた場所によく磨かれた包丁が突き刺さっている。
 毎度のことながら、よく避けられるものだと感心してしまう。
「殺す気か! どんだけ心狭いんだよ!!」
「そりゃ怒りますよ。料理長は、お願いすれば誰にでもソースを付けてくれます。その真摯な姿勢を冒涜したんですから」
 ソーリスディアを窘めながら厨房に視線を向ければ、カウンターの下からにょっきり生えた腕が、よく言ってくれたとばかりに親指を立てていた。
 あちらからは見えていないだろうが、ナナセは真面目な顔で同じポーズを返す。
 料理長はシャイらしく、まだ腕から先を見たことはない。ナナセがというより、城で働くほとんどの人間が素顔を知らないという。
 太い腕は筋肉質で、なぜか傷だらけ。
 もしかしたら料理の修行をしたのかもしれないと勝手に想像している。異世界というだけで何でもありだ。
 無言でのやり取りを見守っていたソーリスディアが、げんなりと肩を落とした。
「物理的にも心理的にも、どうやって交流図ればそこまで仲良くなれるんだよ……」
 しみじみとした彼の呟きは、王宮で働く者達が抱く共通の疑問であることを、ナナセは知らない。



 昼食のあとももう一踏ん張り。
 今日は燦然と輝く太陽のおかげで、肌がチリチリと熱い。新緑の季節は、ゆっくり初夏へと移行しようとしていた。
 過ごしやすい気候でなくなると敬遠されがちな仕事が、この洗濯業務だ。
 騎士や文官、使用人の寮から回収されたシーツを延々洗い続けるという、地獄のような作業。夏ともなれば汗だくになるし、冬はあかぎれとの戦いだ。
 今回ナナセと共に洗濯係になったのは、エレミアだった。それはもう不服そうな様子でありながら、きっちり手を抜かないところが彼女らしい。
「あーっ、もういや! 腕がつりそう!」
「頑張ろう、あと半分だよ」
「余計萎えるわよ!」
 元気に吠える同僚にナナセは苦笑した。まだ余力はありそうだが、射すような日差しが体力を削っていくのは確かだ。
「日に焼けるし、そばかすができたら責任とってくれるのかしら」
 ぶつぶつと不満を漏らす彼女に、ナナセは帽子を外して差し出す。
「私の貸そうか?」
「そんなダサいの絶対に無理」
 一刀両断され、渋々引き下がる。
 麦わら帽子の後部に花柄のスカーフを縫い付けたものはお世辞にもお洒落とは言えないが、外仕事用に頑張って手作りしたのに。
 エレミア自慢の亜麻色の髪は汗ばんでいた。彼女はうんざりした顔で、大だらいに山と積まれた洗濯ものを見遣る。
「もうこれ、一生終わらないんじゃないかって絶望するわ……」
「手近なところから片付けていけば、少しずつでも終わりが見えてくるから」
「どんだけ前向きなのよ……」
 恨みがましげな目を向けられ、汗を拭いながら心外だと首を振る。
「そうやって自分に言い聞かせてるの。無理やり前向きにでもならないと、私だってやってられない」
 年々猛暑となっていた日本に比べればましだが、これだけ暑いのに体を動かすことなどなかった。
 体育の授業とは比にならないほど辛い。
 ゆるゆるとため息をつくナナセに、エレミアは意外そうに目を瞬かせた。
「あんたでもそんなこと言うのね」
「そりゃね。後輩の前では頼りになる先輩ふうに振る舞ってるけど、まぁエレミアはほぼ同期だし」
 ナナセが王宮に上がったのは、時期外れの冬の終わり。春になり一斉に採用された使用人の中に、エレミアがいたのだ。
 彼女と一緒に働きはじめた侍女は全員、結婚など様々な理由で退職している。
 若手が毎年押し寄せて来るため、今ではすっかり中堅が板についたエレミアだ。職場の誰より頼りにし、本音を話せる同僚。
 彼女は泡のついた手を叩いて笑った。
「確かにナナセが愚痴なんて言い出したら、ヴァンルートス殿下を華麗に捜してみせたすごい先輩像は崩れるでしょうけどね」
「エレミアだって、後輩に厳しくしてる分、きっちり自分の仕事もこなしてるよね」
「あんたみたいに頼られようなんて気概は、さらさらないわよ。無能扱いされて舐められたくないだけ」
「素直じゃないなぁ」
 人一倍仕事をしているエレミアを煙たがる後輩はいない。結婚だ玉の輿だと騒いでいるけれど、仕事の手は抜かないのだ。
 二人で汗だくになりながら、ようやく作業が終盤に差し掛かる。
 序盤に干した洗濯ものは、既にすっかり乾いていた。
 視界を埋め尽くす真っ白なシーツが、青い空に映えて綺麗だ。風が吹いてたなびけば、石鹸の香りがフワリと漂う。
 過酷だが、その分満足度の高い仕事だ。
 ナナセはあと一息を乗り切るために、帽子を外すと井戸に近付いた。
 手押しポンプを動かして水を汲み上げると、冷たい水で顔を洗う。
「ちょっとナナセ、男らしすぎるでしょ」
「こんなこともあろうかと、タオルは持ってきてるから」
「何それ私にも貸して」
「一つしかないよ? それに、化粧が落ちちゃうと思うけど」
「すっぴんのあんたに心配されたくないわよ。それに、これだけ汗をかけば化粧なんてとっくに全部落ちちゃってるわ」
 確かに、化粧が剥げたところでエレミアは美人だし、問題ないのだろう。
 場所を代わると、彼女はナナセより豪快に飛沫を上げながら顔を洗い始めた。
 日本では農作業用に普及していた日除け付きの帽子をかぶり直していると、視界の隅で何かが動いた気がした。
 やけに目に付いたのは、それが鮮やかな色合いだったためだろう。
 ヒラヒラと揺れる淡い水色のスカート。それに、陽光を弾く目映い金髪。
「あれは……」
 最近よく顔を合わせるようになった、リリスターシェだった。側にはベルトラートとヴァンルートスもいる。
 それを微笑ましく見守れたならよかった。
 けれど、彼らについているはずの護衛や侍女の姿がない。やたらと周囲を警戒しているし、何より裕福な平民が身に付けるような服装は不審すぎる。
「何あれ……」
 顔をタオルで拭っていたエレミアも、気付いたようだ。
 呆れて半眼になっているが、きっとナナセも同じ顔になっているに違いない。


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