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さらば特典。

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 都内某所にて。ビルの中の、ある一軒の本屋「おコメブックス」。授業が終わってすぐに、高校2年生の佐田修哉は他の本屋など眼中に入れず、彼にとっての聖地へ向かった。

 狙いは一つ。彼の大好きな大好きな、生き甲斐と言っても過言ではない「生徒会長は許嫁」。これをお書きになった作者様は元々、少女漫画家で、趣味でラノベも書いてみたところ、これがもう。男女の恋愛感情の描写がもはや御業。男女問わず、相当な人気を誇る作品。そして、さらに。この作品をここの本屋で購入すると特典がもらえる。これまた本当にとんでもない。

 一つ目は限定ショートストーリー、通称ss。彼女はssになるとさらに力を発揮し、読む人があたかもその出来事に立ち会っているかのような感覚を感じさせ、気が付くといつの間にか時間が過ぎてしまう。評判がうなぎのぼりなのも納得だ。

 そして二つ目。これが先着順で色紙とファイル。先ほども言ったように彼女は漫画家でもあるので色紙も書いてくださる。ラノベの特典でここまで豪華なのは滅多にない。

 ―――だがその人気ゆえに店舗限定特典を逃す民も増加しているようで……。修哉もその一人であった。不運なことに「生徒会長は許嫁」は発売日が必ず木曜。休日ではないため、彼は学校が終わり次第、「おコメブックス」まで2時間かけて向かわなければならなかった。

 ん、お気づきでしょうか?そうなんです。彼の住んでいる町は都内ではないところで、かつ限定特典を扱う書店がないのです。これ以上は個人情報になってしまいそうなので触れないことにして…ではそんな彼の行く末をお送り致します。







 時刻は午後6時、とりあえず駅に到着。これでも前回よりは早い方なのだが、今回も特典はもう残っていない可能性。そんなことが一瞬頭によぎりながらも、自分を信じて俺は「おコメブックス」へと猛ダッシュした。

「ああ、毎度思うけれど、この場所は楽園か、なにかの聖地だろ……」

 恒例行事と化したこの呪文を呟きながら、いつもの特設コーナーへ。残り少ない冊数の「生徒会長は許嫁」を手に取り、まずガッツポーズ。本自体ないこともあるのでそれだけは避けたかった。まあ後日取り寄せればよいので、そんなには気にしていない。

 ノルマを一個達成し安堵しつつも、さあいざ。高校受験のときよりも心臓をドキドキさせながらレジへ。お願いします、これがなければ明日のモチベはどうすればよいのやら。

「お客様。申し訳ありません。先ほどいらっしゃった方で特典の提供は最後となります。ご了承くださいませ。」

「……。あ、はい。ありがとうございました。」

……嗚呼、なんて現実は残酷なのか。そもそも現実での恋愛は中学の時点で俺には無理だと諦め、癒しを求めてラノベを買いに来たというのに。帰ろう。うん、帰ろう。







 帰宅する気力すら消えた俺は、例のごとく名前も知らない公園のベンチにて活力を失った野ウサギのようにくたばっていた。え、ウサギはかわいいからその例えは過大評価すぎだって?実写版●●チュウの疲れ切って歩くシーンみたいだなって言っても通じないだろうからこっちにしたのだが。

 それはさておき。さっきの店員さんとこのやり取りをするのは何回目なのだろう。たぶん、呆れられているんだろうな。高1からずっとなのだから。

 正直、この書店への遠征は、先ほどの彼女に会うためでもあるのだが。初めて特典を求めて買いに行ったときに親切な対応をされて気になってしまっている。

 黒曜石、ないしは黒い金剛石だろうか。宝石のように輝く黒髪をなびかせ、一挙手一投足すべてが魅惑的。彼女の笑い声が耳から離れない。何度も通ううちに恋なのか憧れなのか断定はできないが、また会いたい。そんな気持ちが溢れてくるのは確かだ。

……うん、店員さんのこと考えたらポジティブになってきたぞ。

「叫んだところで何も変わらない。せっかく本は買えたのだから限定ssしっかり味わうとしよう。……あああああああああああああああああああああああ。」

 やっぱ悲しいもんは悲しい。







 午後8時。おコメブックスにて。

「北島さん~、お疲れ様。いつもありがとうね、今日はもう上がっていいよー。」

「はい、店長さん、お先に失礼します。今日もありがとうございました。」

「今日の特典配布、大変だったでしょ。この日は毎回誰もシフト希望してくれないから本当に助かるよ。ゆっくり休むんだよ。」

「いえいえ、私この日も、というかこのバイトが好きなので。では。」

 そう言いながら、扉をゆっくり閉めてビルの外へと向かう一人の美少女。しかしながらその美しい佇まいからは想像もできないくらい彼女の内心は罪悪感でいっぱいいっぱいなようで。

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