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二章:狼は赤頭巾を被る

第10話 仕事案内紹介所(1)

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 あたしは受話器を握り締め、顔をしかめた。

「は? あんた、なんて言ったの? 聞き間違いでしょうね。もしかして、まだ戻れないって言った?」
『その…うーん…』

 訊き返すと、アメリが電話越しで何やらしぶっているのを表情が見えなくても想像出来た。爪を弄りながら、あたしは電話を睨みつける。

「あんたね、先生が来てから何週間経ってると思ってるのよ」
『だから…事情があるのよ…』
「どんな事情?」
『…色々あるの』
「まさかアメリ、レイチェルと冷戦してるわけじゃないでしょうね。あのね、あんな女相手にしたところで、メリットなんかこれっぽっちもないんだからね?」
『…………』

 レイチェルの名前を出すと、アメリが黙った。

「…アメリ?」
『あ』

 アメリがはっと、声を出す。

『あの、ママが来るから』
「アメリ?」
『じゃ、じゃあね! ギルエド!』
「え?」

 あたしと話していたはずのアメリが、あたしをギルエドと呼び、乱暴に電話を切った音が聞こえた。そのまま通話終了の音が響き、受話器を電話機に戻す。

(…変なアメリ)

 あたしはぐっと伸びをした。

(はあ、なんだか肩がこっちゃった。あたし、最近勉強ばかりしてるから疲れてるんだわ。ああ、あたし、超がんばってる。偉いわ。あたし。とっても良い子だわ。今日はもう授業もないし、部屋でのんびりしよう)

 自分の肩をとんとんと叩き、ため息を吐いてエントランスホールを歩くと、手紙を持ったメイドがあたしを見て、歩いて来た。

「テリーお嬢様」
「ん」
「お嬢様に、速達のお手紙ですわ」
「ありがとう」
「失礼いたしますわ」

 メイドがあたしに手紙を渡して、お辞儀をして、手紙を持ったまま、ギルエドの部屋に向かう。残されたあたしは速達の手紙を眺める。

(ん? 何これ)

 テリー・ベックスご令嬢殿と書かれた封筒。差出人名義は無し。

(あたし、手紙のやり取りしてる知り合いなんて、いたっけ?)

 高級そうな封筒をじっと見渡し、その封を開ける。

(ん?)

 開けた瞬間、ふわりと良い匂いがした。

(薔薇の匂い?)

 中に、青薔薇の花びらが入っていた。

(は?)

 思わず顔が引き攣る。

(うっ…! 何、これ…)

 封筒からひらひら舞い落ちる青薔薇の花びら。中には素敵なお手紙。きゃーん。なんてロマンチックなの。あたち、超ときめいちゃったぁ。きゅっぴ! なんて言うと思ったら大間違いよ。

(胡散臭い演出)
(差出人名義無し)
(開けると中から溢れるほどの青薔薇)

 材料はそろった。
 嫌な予感がして、かなり嫌な予感がして、血の気が一気に下がったあたしは手紙を胸に抱え、早足で廊下を歩き出す。

 しかし、なぜだろう。なぜこういう時に限って、使用人達はこぞって廊下を歩いているのだろう。

「あら、テリーお嬢様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 あたしは早足で通りすぎる。

「おや、テリーお嬢様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 あたしは早足で通りすぎる。

「これはこれは、お嬢様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 あたしは早足で通りすぎる。

「テリーお嬢様、ごきげんよう!」
「ドリー、今夜はオムレツがいいわ」
「お任せを!」

 あたしは早足で通りすぎる。階段を上るとメニーとドロシーが階段で遊んでいた。

「あ、お姉ちゃん」
「にゃー」
「おほほほ」

 颯爽と早足で通り過ぎ、メニーとドロシーがぽかんとあたしの背中を見て、同時に首を傾げる。あたしは気にしない。三階まで登り、早足で大股で自分の部屋に入り、鍵を閉める。

 胸に抱えた封筒を胸から離す。

「はあ…はあ…はあ…はあ…!」

 じわじわ襲ってくる恐怖から呼吸が乱れる。冷や汗が吹き出し、落ちてくる。あたしは震える手で封筒から手紙を取り出し、中身を読んだ。




 ――拝啓。

 我が愛しき姫 テリー・ベックス
 突然のお手紙をお許しください。どうしても愛心が溢れ、愛しい貴女にこの想いを伝えたくなりました。夜が訪れ、月が顔を出すと、どうしてでしょう。貴女を思い出します。貴女がまるで月に帰ってしまう月の姫のように思えてしまうのです。そう思うのは、会うたびに、貴女が私の元から離れてしまうのが暗くなる時間だから、なのでしょうね。いいえ、わかっております。貴女はまだ子供で、私もまだ子供。子供の恋愛ではどうしても親がついてしまう。貴女はまだ幼い。家へ帰らなければいけない。でも、ああ、でも、寝る前に考えてしまうのです。この腕に愛しい貴女がいてくれたらと。薄暗い灯のある部屋で、貴女の気の抜けた寝顔や、寝る前の微笑みが目の前にあったら、どれだけ私の心が満たされることでしょう。今でもとても貴女が愛しくてしょうがない。貴女が欲しい。どうか会いに来てはくれませんか。私が行けば迷惑をかけてしまうので、私からは行けません。でも、今すぐに貴女の顔が見たくて仕方がないのです。貴女をこの腕に抱き締めて、愛していると囁きたい。どうかお願いします。会いに来てください。愛しい姫。私の心は永遠に貴女のもの。どうか、お待ちしてます。

 追伸
 お前は馬鹿だから手紙を捨てるんじゃないかと思って書くけど、大変な事になってるから、時間が出来た時、出来るだけ、なるべく早くおいで。
 それと、薔薇は気に入ってくれたかな?

 キッド


(いいいいいいいいいいい!!)

 あたしは手紙を丸める。構える。

「おらぁぁぁああああああ!!」

 壁に全力投球した。ストライク。

(いいいいいいいい! 駄目駄目駄目!! 本気で背筋がぞわぞわする!!)

 はっ!

(あたしの美しいお肌に、鳥肌が立ってる! ぎゃーーーーーー!!!)

 あたしは自分の肌をなでなでなでなでと優しく撫で回す。ああ、なんて可哀想なあたしのお肌! キッドからの気持ち悪い手紙を読んで、拒否反応を起こしてしまったんだわ! あたし、可哀想!!

 ―――それにしても、

(大変な事?)

 眉をひそめて、地面に転がったくしゃくしゃになった手紙を拾い、もう一度広げて、追伸部分だけ読む。

(会社の件で、何か問題があったのかしら?)

 何か用があるならシンプルにそう書けばいいのに。何よ。これ。暗号? ふざけるな。あのクソガキ。

 計画に何か問題があったか、この一ヶ月の間に、何かしでかしたか。何があったか書いてくれていない以上確認が出来ない。

(くそ。気になるじゃないのよ)

 それに、この演出は何だ。無駄なインクを庶民は使うべきじゃない。インク代だって十分お金がかかるのよ。お前の字は無駄なのよ。お前の手紙が無駄なのよ。こいつは何を考えている。

 ああ、気持ち悪い。気持ち悪い。もう一度言おう。気持ち悪い。

(だけど)

 呼ばれているなら、すぐに行くべきだろう。

(よし)

 あたしは外出用のドレスに着替え、帽子を被り、コートを羽織り、鞄を持ち、暖かい格好をして、部屋から出た。

 廊下を歩くと、今度は廊下で遊んでいたメニーとドロシーと、再び鉢合わせる。

「あれ、お姉ちゃん、どこかに出かけるの?」
「ええ」

 あたしはにこりと微笑む。

「街に行くの」
「お買い物?」
「友達に会ってくるの」
「…お友達?」
「ええ。友達」
「そっか。最近暗くなるの早いから、気を付けてね」
「ええ」

(お前に心配されなくても、暗くなる前に帰るわよ。クソ女)

 いつものように内の心をひそめて、いいお姉ちゃんの笑みを見せつける。

「じゃあ、行ってくるわね」
「うん! いってらっしゃい!」
「にゃあ」

 メニーとドロシーに見送られ、あたしは大股で階段を下りる。一階まで下りて、エントランスホールに向かい、着いて、外への扉を開ける。

「行ってきます」

 誰も聞いていないけど、そう言って出て行く。冷たい風がつんと鼻をつく。

(そろそろ雪が降るわね…)

 あたしは歩き出す。

(馬車で送ってもらってもいいけど、キッドみたいなのに関わってるなんて知られたくない。畜生。寒いけど、歩いていこう…)

 屋敷から門への通りに並ぶ木々が揺れる。葉っぱのなくなった木を見て、その枝を見て、鋭く睨みつけた。

(そろそろだわ)

 クロシェ先生が死ぬ日まで、もう少し。はっきりとは覚えてないけれど、初雪が降って、雪が積もるその日が、彼女の命日だ。

(クロシェ先生には、何かと理由をつけて、外に出ないように言っておこう)
(外に出るとしても、前みたいに、あたしか、誰かがついた方が安全かしら…)

 街までの道を歩き、しばらく長い道を歩いて、一本道をひらすら進む。木々が並んで、野原を歩いて、建物が見えてきて、人々が見えてきて、ようやく街へたどり着く。

 街の中央区域である広場に行くと、掲示板は綺麗になっていた。

(あれ? 募集広告が無くなってる)

 あたしは掲示板を通り過ぎ、噴水通りまで歩いていく。

(さあてと、…キッドの家に行けばいいのかしら)

 一歩、踏み出してみると、

(ん?)

 きょとんとする。人々が、同じ方向に向かって歩いているのだ。

(……あれ?)

 一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人、小汚い大人も、綺麗な大人も、子供も、老人も、関係なく、そちらの方向に向かって歩いている。

(え?)

 思わず眉をひそめる。
 正反対の方向の通りには店がある。中央区域の商店街だ。だから人が賑わうのはわかる。でも、正反対の道だ。皆、商店街ではなく、正反対の道に向かって歩いている。

(そっちの道、何かあったっけ?)

 ……………。

 あ、もしかして、

「新しいお店が、オープンされたのかしら!」

 あたしの可愛い好奇心が刺激され、足が動き出してしまう。

(どうせキッドがどこにいるかも分からないし、いいわよね。ちょっとくらい、いいわよね!)

 あたしは人々の波について行く。

(どんなお店かしら? 可愛いの? 美しいの? 高級なの? お洒落なの? 良くってよ? このあたしが行ってあげても良くってよ?)

 あたしは目をきらきら光らせて、好奇心をいっぱいに膨らませて、道を進む。そして、驚愕した。

 ―――えっ!?

 人が、ずらりと道に並んでいる行列を、目の当たりにする。

「…え…?」

 思わず声が漏れるほどの、すごい行列。一体何事だろう。こんなに人が並んだところをあたしは見たことがない。馬車から何事かと眺める貴族たちも多い。好奇の目が行列を見る。しかし、人々は並び続ける。

(え? え? 何? 何の行列? そんなにすごいお店なの?)

 あたしはそうっと近づく。行列の後ろに並ぼうとすると、突然横から両肩を掴まれた。

「はい。お前はこっち」

 回れー。右。

「わぎゃっ!?」

 驚いて変な声を上げると、引っ張られた相手に笑われる。

「わーお。なんだい? 今の声。聞いた中で一番可愛い声だったよ。テリー」

 ラフで暖かな格好をし、いつものようの深く帽子を被ったキッドが、ニヤニヤとあたしを見下ろす。目が合った瞬間、そのニヤニヤ顔にイラっと来て、あたしの可愛いおててが、つい、動いてしまう。
 片手でキッドの両頬をぎゅむ、とわし掴んだ。

「ひふっ」

 キッドの形のいい唇がぐちゃっと歪み、キッドが思わず声を漏らす。

「ほぉー、へひー」
「黙れ。喋るな。息をするな。背筋をぴっと正しく立ったままくたばってしまえ。お前、よくも気持ちの悪い手紙を速達で寄こしてくれたわね。お陰であたしの若くてピチピチで新鮮なお肌に鳥肌が立ったのよ。どうしてくれるのよ。責任とってとっととくたばってしまえ」
「ははは。へれひゃっへひゃわいいは、へひーは」
「照れてないわよ! ひたすらに気持ち悪いと思っただけよ! ああ、思い出しただけでも寒気がする! ほら見てよ! あんたの顔見て手紙のことを思い出しちゃったあたしのお肌が、ほらぴっきーーんって! ほら、どうしてくれるのよ! あんたのせいよ! くそが! 覚えてなさい! この恨み絶対晴らしてやるからね! あたしが大人になったらね! てめぇみたいなクソガキなんてね! こうやって、ぐちゃんぐちゃんに捻り潰してやるんだから、ね!」

 キッドの頬を放り投げるようにして手を離し、一歩下がると、キッドが両頬を自らの手で優しくほぐしながら、不思議そうに首を傾げた。

「おっかしいなあ? テリーの年ごろの女の子なら、ああいう演出やあのメッセージは好感度アップの予定だったんだけど」
「ええ。確かに王子様に憧れる乙女な女の子なら喜んだかも」

 でも、あたしは知っている。
 あたしだけの王子様なんて存在しない。
 そして、キッドはあたしの王子様に当てはまりもしない。微塵も。これっぽっちも。

 ふんっと鼻で笑い、肩をすくめた。

「あーあ、残念だったわね。イケメンのお兄ちゃん。あたし、まだ11歳なの。幼稚でお子様で可愛いベイビーちゃんなの。恋愛だとか王子様だとか、まだわからないお年頃なの。だから変な影響与えるようなことをしちゃダメなのよ。わかった?」

 ―――突然、キッドの動きが止まった。何かに反応した様にぴたりと。

(ん? 何かあたし、変な事言った?)

 沈黙の間が訪れ、あたしが黙り、キッドが黙り、ふと、キッドが眉をひそめた。

「……ん? 何言ってるんだ、お前?」
「……何が?」
「テリーは10歳だろ?」
「いつの話よ。それ」

 冷静な声で聞けば、キッドがきょとんとする。

「え? いつの間に11歳になったの? もう誕生日が来ていたの? いつ?」
「夏」
「今、冬だけど」
「そうよ。終わったの」
「手遅れだったか。言ってくれたら良かったのに」
「あんたからのお祝いなんていらない」
「俺が祝いたかったんだよ。テリー」
「結構」
「………」

 キッドがにこりと笑った。

「もぉー」

 そして、低い声で、あたしに言った。

「お前は断るのが好きだね」

 その瞬間、背筋がぞくっとした。

(え?)

 あたしの視界に、キッドの笑みが映り込む。ただ、笑っているだけのキッド。
 ただ、笑っているだけに見えるキッド。
 目が笑ってないキッド。
 あたしをじっと見下ろすキッド。
 青い瞳があたしを捕らえる。
 あたしは拘束されたように、動けなくなる。

「……………………」

 キッドは笑う。
 あたしは固まる。
 キッドは笑う。
 あたしは硬直する。
 キッドは見つめる。
 あたしは動けない。
 蛇に睨まれた蛙のようになってしまう。
 キッドは笑っている。
 笑っているはずなのに、なぜだろう。

(違和感を感じる)

 キッドの目が、あたしに動くなと命令しているように、動けない。

(この違和感は何だ?)

 重い。

(違和感を感じる)

 押しつぶされそうな何かが、あたしにのしかかる。

「………な、何よ」

 あたしは強気に姿勢を崩さず、腕を組む。

「もしかして、怒ってるの?」
「え? どうして?」

 キッドは笑い続ける。

「別に、怒ってないよ」

 キッドが笑う。その氷のような視線に、背筋がぞぞぞっと、何かが走る。

「…………………」

 恐怖。
 脅迫。
 怯え。
 怯み。
 怖気。
 恐れ。

(恐れ?)

 あたしが、このクソガキにびびってるっての?

(まさか)

 そんなわけない。

(でも)

 キッドは微笑む。微笑み続ける。その青い目であたしを捕らえる。あたしの足は、ぴくりとも動かない。キッドに見られたら、動けなくなる。

(………)

 あたしの手が、震える。

(駄目よ)

 何を恐れている。

(ただの庶民じゃない)

 貴族令嬢はいつだって、強かな姿勢を崩してはいけない。
 あたしは一歩前に踏み出し、瞼を閉じて、後ろの髪を払った。

「まあ、確かにあんたからしたら痛手かもね。婚約者の誕生日をお祝い出来なかったって、あり得ない事だもの。でも、大丈夫よ。あたしも怒ってないし、あんたからのお祝いもいらない。仕方ないわよ。半年も会ってなかったんだから」
「『お前が』会いに来なかったからね」

 冷たい風が、あたしとキッドの間を通り過ぎる。

「……別に、話すことでもないし」
「俺言ったよね。迷惑になるから俺からは行かない。『お前から来て』って」

 冷たい風が、キッドとあたしの間を通り過ぎる。

「……そ、そうだった、かしらー?」
「そうだよ」
「そうだったかなー?」
「そうだよ」
「あたし、よくわかんなーい」

 にぱっと11歳の笑みを浮かべると、キッドも、にこっと笑った。
 その瞬間、その笑みを見た瞬間、あたしの顔が引き攣った。

(あ)

 わかった。

(この違和感、分かった)

 こいつ、笑ってない。
 笑ってるのに、笑ってない。

(目が、笑ってない)

 睨みつけるように、あたしを見ている。

(え、なんで?)

 あたし、そんなに悪い事した?

(たかが、誕生日のお祝いをいらないって断っただけじゃない)
(キッドを拒絶しただけじゃない)

 キッドを拒絶しただけ。
 拒絶したら、キッドは、笑わない。じっと、あたしを見下ろす。

(重い)

 その視線が、ずしっとのしかかる。

(重い)

 息が出来なくなりそうなほど、重い。

「…………」

 自然と、目線が泳ぎだす。

(駄目だ)

 貴族令嬢は弱いところを見せない。いつだって、毅然と、冷静に、強かに。

(でも)


 声が、出ない。




「よし、じゃあ、こうしようか」



 沈黙の末、キッドがにこやかに、明るい声を出した。



「俺の誕生日にテリーの分もお祝いしよう」

 あたしにのしかかる重たいものが、すっと無くなった気がした。あたしは冷や汗を隠して、ようやくキッドを見る。キッドの目はにこやかに微笑んでいた。あたしの口が動き出す。

「…誕生日って…いつ」
「赤い服を着た魔法使いが、皆にプレゼントを届けてくれる前日」

(うわ)

 最悪。12月24日なんて、イベントの前日で一番心が弾む日じゃない。

(そんな日に、こいつ誕生日を祝わないといけないわけ? ちょっと待って。うわ、やだ。普通に嫌だ。家族が祝ってくれるんでしょ? なんであたしがお祝いしないといけないわけ?)

 そうよ。キッドにはほら、目をハートにさせるたくさんのレディが友達にいるじゃない。そういう子達に祝ってもらえばいいのよ。

(その日は家族と朝から晩までパーティーをするの。悪いけどお祝いは出来ないわ。プレゼントくらいなら届けてあげる)

 よし、これで言い訳は完了だ。

「その日は」
「え?」

 キッドが微笑んだまま、目を見開く。

「まさか断らないよね? 婚約者の誕生日に、まさか、婚約者の顔を見に来ないわけ、ないよね? まさか、まさかまさか、婚約者のことを祝ってくれないわけないよね?」

 やっぱりそうだ!!

(こいつ! 目が笑ってない!!!)

 完璧に、あたしに圧をかけてきてやがる! くそ! それが分かれば怖がってる暇なんかないわよ。負けてたまるか!!
 
 あたしはぎゅっと拳を握り締めた。

「その日は!」
「毎年パーティーをしてるんだ」
「その日は!」
「皆が俺のためにお祝いしてくれるんだ。テリーは特別。招待してあげる」
「だから、その日は!」
「来るよね?」

 キッドが微笑む。
 あたしは口を閉じた。
 キッドが微笑む。
 あたしは唇を結んだ。
 キッドが微笑む。
 あたしはとうとう冷や汗を流した。
 キッドが微笑む。
 あたしはぎろりと睨んだ。
 キッドが目を見開いた。

「来るよね?」

 あたしは白旗を上げた。

「………く、暗くなる、前なら……いいんじゃない?」

 掠れた声で呟くと、キッドが頷いた。

「うん。暗くなっても大丈夫。完璧なボディーガードが屋敷の前まで送ってあげるから」
「…………」
「来るよね?」
「……け、検討しておく……」
「結構」

 キッドが悪い笑顔でにこにこ笑い出す。

(くそ…)

 あたしは親指の爪を噛み、俯く。

(キッドは、本当に何を考えているかわからない)
(だから嫌なのよ)

 顔だけ天使のようにイケメンでも、こいつの中身は真っ黒だ。美味しそうなシチューでも、鍋の蓋を開ければ、焦げた痕しかないように。

 そうじゃないと、誘拐事件の、化け物になった犯人を見て、冷静でいられない。
 そうじゃないと、血まみれになって、あんな冷静に、にこりと笑えない。

「さて、約束を取り付けたところで」

 キッドの声が近づいた。

「俺の胸の内を、ぜひ愛しのお前に聞いてもらいたい」

 お前、

「今、完全に怯んでたね」

 はっ、とする頃には、キッドの足があたしに近づいたのが見えた。

(あ)

 あたしは一歩下がった。

「別に怒ってないよ」

(あ)

 キッドがあたしの手を掴んだ。

「怒ってないけど」

(あ)

 キッドがあたしを引っ張った。

「すごく傷ついちゃった」

 ぐいと、引き寄せられる。抵抗する前に、キッドの腕があたしの背中と膝裏に回され、抱えられる。

(あ)

 ―――行列の真横で、お姫様抱っこ。

(っ)

「わあ、ママ。あれ見て!」

 行列の中を並ぶ母親と手を繋ぐ子供が指を差す。

「お姫様抱っこ!」
「っ」

 あたしは言葉を失う。
 子供からの声だけではない。他人からの視線を感じる。好奇の目線を感じる。足がぶらんとぶらんと揺れる。口笛が聞こえた。あたしは硬直する。

 羞恥から、顔が一気に熱くなる。

「これはほんのお仕置き」

 キッドは気にせず、行列の横を平然と進んでいく。
 横目で見る人がいる中、子供に指を指される中、キッドが歩きながら、切なそうに、石のように固まるあたしを見下ろす。

「俺を傷つけた罰だ」

 キッドがあたしを見つめる。

「だって、俺はまだ、テリーの全てを知っているわけじゃない。テリーのことをもっと知りたいって願っても、愛しいお前は俺を拒んでいる。傷つかずにいられようか」

 あたしの足がぶらんぶらんと揺れる。

「確かにきっかけは無理やりだったかもしれない。でも、俺達はこれから本当に愛を育むことも出来るはずだ。愛を育むのに、早いも遅いもちょうどいいもないと思うんだ。俺とテリーは出会った。婚約者になった。材料は揃ってる。ね? テリー。俺と愛を育もうよ。楽しく、愉快に、激しく、切なく、愛しく、さ」
「…あんたが、あたしに求めてるのは」

 ぽつりと、答える。

「愛している振りをすることじゃないの?」

 キッドがあたしの言葉を聞く。
 キッドがあたしの言葉を脳に届かせ、理解して、あたしを見て、また、再び、にやりと、いやらしく、口角を上げた。

「何を言ってるの? テリー」

 その笑みには、嘘がある。

「本当に、飽きないね。テリーは」

 その笑みには、嘘はない。

「テリーと無事に再会できて、俺は嬉しく思ってるんだよ。お前は俺にとっての希望だからね。悪いようにはしない」

 何? その顔。もちろん、嘘じゃないよ。

「前にも言った通り、お前が俺を裏切らない限り、俺が裏切ることは絶対にない」

 キッドが、あたしの耳元に口を近づける。

「だから」

 ――俺を拒まず、大人しく、愛している婚約者を続けてよ。お姫様。

「…その件を断った事はない」
「ふふ、そうだったね」
「あんたの口説き文句と、その嘘っぱちの笑顔が気に入らないだけよ」
「嘘っぱちなんて、酷いなあ。テリーを愛してるだけさ」
「嘘つき」
「愛してるよ。テリー。俺と結婚しようね」
「嘘つき」
「愛しいよ。俺だけのテリー」
「嘘つき」
「好きだよ。テリー。愛してる」

 何度愛の言葉を囁いても、何度美しい声を聞かせてきても、その笑顔に、嘘はあって、嘘はない。


 からっぽだ。

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