無口なきみの声を聞かせて ~地味で冴えない転校生の正体が大人気メンズアイドルであることを俺だけが知っている~

槿 資紀

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第六話

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 それから、俺と久瀬は、毎日のようにメッセージで連絡を交わし、休日にはファミレスやカフェに集まって勉強会を開くなど、グッと距離を縮めた。

 初めて笑ってくれたとき以来、久瀬の声は聞けていない。対面でのメッセージでのやり取りも慣れたものだ。相手の表情だとか、仕草だとか、声色だとか、そういう情報をいちいち気にしてしまって、いつの間にか気疲れしている性格の俺からすれば、前髪とマスクで隠れた表情に、テキストによるシンプルな情報、ジェスチャーによる感情表現という三元的なコミュニケーションは、思いのほか気楽で、やりやすかった。

 そして、久瀬の勉強の遅れも、みるみる解消されつつある。久瀬はそもそも理解力に優れており、真面目で真摯に課題に取り組む姿勢も相まって、少しの刺激を与えるだけで、あっという間に問題を熟すのだ。理系科目については、おそらく俺よりも本質的に得意なのだろう。

 あとは、ひたすら暗記を繰り返して身に着けていくような、英語や社会系の科目へのとっつきにくさを少しずつ解消していくだけで、問題なく授業についていけるはずだ。というか、そもそも中学までの内容を完璧に理解している高校生の方が少ないわけで、そういう意味では、他のクラスメイトとさして変わらない状況とも言える気がした。

 テスト直前の休みの日にばかり縋りついてくる橋本や、いちいち俺の言い草につっかかってくる妹の勉強の面倒を見ていた俺からすれば、久瀬に勉強を教えるのは本当にやりがいがあった。目に見えてメキメキと成長してくれて、なおかつ勉強自体へのやりがいを見出しているというか、根本的なやる気が彼らとは違う。ここら辺の感覚でもすれ違って、いちいちモヤモヤしていた俺からすれば、久瀬に対して好感を持つには十分だった。

 そんなわけで、ここ最近、バイトが無い日の放課後は、ほとんど久瀬と一緒に、暗くなるまで過ごしている。それまで門限など意識したことが無かった俺が、門限ギリギリに帰ることが増えていた。初めは驚いていた母も、最近はどこか安心したように、家で俺を出迎えてくれる。それが少し面映ゆかった。

「ねえねえ、お兄ちゃん。最近彼女でも出来たの?」

 さて、今日も今日とて門限ギリギリに帰ってきて、いそいそと食卓についたときのこと。珍しく、妹から近寄ってきたかと思えば、これである。

 母に用意してもらった夕飯にありがたく手を合わせ、味噌汁を啜っていたところ、こんな爆弾発言をかますのだから、俺の妹ってやつは手に負えない。せっかくの母の味噌汁を勢い余って吹き零してしまったじゃないか。

「は? ねえ、汚いって」

「げほ、ゴフッ、ぉあっ、おまっ、急に変なこと言うからだろ⁉ なんだよ、彼女って!」

「えぇ? だってさぁ、前まで無駄に帰り早かったのに、最近はずっと門限ギリじゃん。普通はそう思うでしょ」

「違ぇよ……俺に彼女なんかできる訳ねえって、お前が一番知ってんだろが……」

「や、だから、ありがたい物好きがいたもんだなって。え~、でも違うのかぁ、なんだ。じゃあなんで?」

 チラ、と、スマホから目線だけ、こちらに向ける妹。その瞳は、やけに大人びて、冷静な透明を帯びていた。まるで人が変わったようだ。

「別に、最近仲良くなった男友達に勉強教えてるだけだよ……」

「勉強教えてるの? 相変わらずお節介だね~。にしても、めちゃくちゃ楽しそうにしてるよね。ずっとニヤニヤしながらスマホ見てさ」

「え、俺そんなニヤニヤしてる?」

「うん。もし彼女さんだったら可哀想だなって思うくらいね、なんか、ニチョニチョしてる」

 ニチョニチョって何だよ。聞いたこともない擬音創作するんじゃないよ。笑い声を表現するものとしてあまりに悪意が籠りすぎてるだろ。この妹はどれだけ兄のことを気持ち悪い生き物として見ているのだろう。覗き込みたくない深淵である。

「なーんだ、つまんない。まあでも、お兄ちゃんが自分から誰かと積極的に仲良くしに行くの珍しくない? 大事にしなよ」

「お前はどの目線からモノを言ってるんだよ」

「お兄ちゃんには勿体ないくらい可愛い妹からのありがたい言葉だけど? 正直うちは家に帰っても口うるさい奴いなくて助かってるから。じゃ、そういうことで~。お母さんおやすみーっ」

 ガタガタ、と乱雑に椅子を引き、妹はサッサと自分の部屋へ引っ込んでいく。何だったのだろう、とその背中を見ていれば。キッチンで片づけをしていた母が作業を切り上げ、冷蔵庫からチューハイを取り出しプルタブを引いて、俺の向かいに座った。今日は金曜日だから、母にとっても無礼講なのだろう。

「母さん、ごめんな。俺最近全然家のことやらなくて……母さん忙しいのに」

「何言ってるのよ。手伝ってくれるのは勿論助かるし、嬉しいけど……ほんとはね、もっと自分のために時間使ってくれたらな、って思ってたから。いろはちゃんもああは言ってたけど、本当はお兄ちゃんのことずっと心配してたのよ。せっかく高校生なのに全然キラキラしてないって。自分がいるからだって、そう思ってたんじゃないかな。言い方は厳しいけどね」

「俺はそういうキラキラ系じゃないってだけなんだけどな……家の手伝いも、勉強も、バイトも、やりたくてやってる。アイツは正統派で、俺がちょっとズレてるだけ、それだけなんだけど」

「そうね。やりたくてやってること。友達と沢山遊ぶのも、そうでしょう? だから、今までのように家のことが出来なくなっても、申し訳ないなんて思わなくていいのよ。やりたいと思うことが変わるのは、当然のことなんだから。お母さん、カイリの変化がとっても嬉しいな」

「……うん、ありがとう」

「ゆくゆくはうちに連れておいでね。お母さん有給取っちゃうから」

「流石に休みの日にするよ……」

「あらそう?」

 ふふふ、と、紅潮した頬にえくぼが浮かぶ。職場でも良く頼られているという、しっかりした母がたまに見せてくれる、こういう気の抜けた表情が、俺は昔から好きだった。

 それにしても、うちに連れてくる、か。出来るならそうしたいと思うけど、そうなるとやはり、大きな問題がひとつ浮上する。

 それは、俺の妹が、ラヴィの大ファンだということ。プロデューサーのスキャンダルの末、今もなお活動休止しているとは言え、その愛は今も変わりなく。

 むしろ、逆境で燃え上がる性格なのか、彼女のラヴィへの愛はより深く、大きなものになっている気がする。今までは熱狂じみていた推し語りが、どこか抒情的になってきている、というか。

 ともあれ、何となく、俺がラヴィの知識を持っていると知られるのはまずい気がする。今はなあなあで流しているのだが、時折、俺へ向ける久瀬の視線の中に、「目を見られた、声を聞かれた」という危機感と、疑りの色が籠る気がしているから。

 ひとまず、俺は、「勉強と筋トレばかりで、あまり流行のことは分からない」というキャラクターを提示し、彼の正体など思いもよらない、みたいな態度をひたすら取り続けている。向こうも敢えてラヴィの話題を振るような露骨なことはしないし、いつの間にか、お互いにとっての不可侵領域として扱われているところだ。

 そもそも、繰り返すようだが、俺はあまり久瀬の事情に深く踏み込むつもりはない。不祥事による活動休止を余儀なくされたという経緯から、彼がこんな地方の高校に編入するに至った心情は察して余りある。俺と同い年であんな状況に置かれたのだ。俺なら、すべてを捨てて逃げることを選ぶだろう。

 徹底して、冴えない容姿と振る舞いを意識して、目立たないように。それが久瀬の望みなら、俺はそれを尊重するだけ。水を差すようなことはしたくない。

 だから、こう言ってくれる母には申し訳ないのだが、しばらくは、彼をこの家に連れてくることはかなわないだろう。

 あるいは、秘密を暴露してもいいと、それだけの信頼を得ることが出来たなら。

 ズキ、と胸が痛んだ。どうしても、後ろめたさから、そうなりたい、と思うことが出来ない。

 それが、母にも、久瀬にも、申し訳なく思えて仕方がないのだった。
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