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第七話 アトラム寮最強の女

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「ちょっと、ちょっと……黙って聞いていたけど、何なのかな、君。婚約者に背中を押されて、被害者が必要のない謝罪までしたのに、あろうことか、聞くに堪えない差別発言を吐きかけるなんて! 厚顔無恥にも程があるってものじゃないか? これだからノースの貴族は、どいつもこいつも見下げ果てた連中ばっかりだ」

 飄々としたように見せかけて、痛烈なまでの呆れや憤慨が籠った眼差し。私が待ち構えていた通りの、絵に描いたような敵意だ。

 そうそう、レナンドルを除いて、ノースの貴族ってやつは大概クソなのだ。シルヴェーヌ・プリエンだって、その例にもれず、典型的なノース・プライオリティ意識の持ち主なのだから、こういう反応を受けるのが当然ってやつ。

 私はいっそ、待ってました! なんて態度で、侮蔑の言葉を投げかけてきた相手を迎えうつ。

 クルクル天然パーマのブルネットを小癪に撫でつけ、不敵に口角を上げながら、リューシェの隣に立った男……洒脱な雰囲気を持つハンサムガイだ。

 ニンフィールドにおいて、この人物を知らぬものはない。

 彼の名はジェルヴェ=エルキュール。家名はない。何故なら、他でもない、彼こそ、正当なるニンフィールドのロイヤルファミリーにして、現国王夫妻の第一子。

 すなわち、ニンフィールド連邦王国王位継承権第一位の、まごうこと無き王子様なのである。

 そんなジェルヴェは、姫を守る騎士のように、リューシェの腰を抱き寄せては、ハアと大きくため息を吐いた。

「あのさあ、レニー。大親友の君が言うから仕方なく転寮を承認したけど。君、女の趣味だけは最悪だよ。なにこの女、やっぱり典型的な魔導差別主義者じゃないか。ありもしない理由で嫌がらせして僕の宝物を傷つけただけでも許し難いのに、こんなザマじゃ、悔い改めさせる機会を与えてやる気になんてなれなっ」

 瞬間、濃密な魔力がブワリと膨れ上がり、息を呑む間すらないまま、リューシェの隣にいたはずのジェルヴェが、10メートルくらい先にある噴水まで吹き飛ばされていた。

 ザッパーン、と、水飛沫の音が響く。脳の奥がジンジンと痺れるような、得も言われぬ驚愕に眩暈がして、卒倒してしまいそうだった。レナンドルは隣でガタガタバイブレーションしていた。言わずもがな、込み上げる笑いをこらえているのである。

 呆気にとられリューシェを見る。すると彼女は、とんでもなく冷たい瞳でジェルヴェの吹き飛んだ方を一瞥し、彼の手が置かれていた腰を埃でも振り払うかのようにパンパンはたきながら、フンッと鼻を鳴らした。

「最後まで黙って見ていれば良かったのよ。待てもマトモに出来ないなんて、貴方ってばほんとう、躾のなっていない駄犬よね、おりこうさま」

 曲がりなりにも一国の王子に対してこの言い草。肝っ玉にも程がある。

 遂にはこらえきれなかったか、レナンドルは勢いよく笑い袋を炸裂させた。ヒイヒイ爆笑しながら私の背中をバンバン叩く。痛い。あの、私は肘置きじゃないです、貴方の筋骨隆々な長身を支えられるほど屈強ではなくてですね、あの、ヒェッ、いい匂いッ……!

「シルヴィさん、見苦しいところを見せてしまってごめんなさい。本当、あんな人さえいなければ、アトラムは素晴らしいところなのよ。気を悪くされないでね」

「えっ、あっ、あの、彼、ジェルヴェ殿下……」

「私、ご存知大陸出身ですもの。ニンフィールドのことはわからないわ。それに、あの方が、それでいいっておっしゃったのだもの。大陸の流儀では、殿方が断りもなくレディの身体を触るのはご法度なのよ。ねえ、レナンドル」

 リューシェから厳しいまなざしを向けられたレナンドルは、まるでキュウリ猫みたいに私から飛びのいた。どうやらアトラム寮のヒエラルキートップは彼女であるらしい。私は以後、彼女のことは畏敬を込めてリューシェ様とお呼びすることを心に決めたのだった。リューシェ様最強。

 展開についていけず途方に暮れる私の手をふたたび取り、リューシェ様はテラステーブルまで移動して、私を自分の隣に座らせる。その間、アトラム寮メンバーの誰も関心を払わなかったジェルヴェの方へレナンドルが駆け寄っていき、びしょぬれになった彼をゲラゲラ笑いながら助け起こしに行っていた。推しと大親友の絡み、尊さプライスレス。

「ねえ、シルヴィさん。私に大陸出身なりの流儀があるように、貴方にだって、ノースなりの流儀があるのだと思う。だから、その考え方を変えて欲しいなんて言わないわ。でもね……せめて、アトラム寮にいる間は、ただのシルヴィさんとして、ただのリューシェに接してほしいの。せっかく、こうやって縁があったのですもの」

「キュウ……」

「きゅう……?」

 戸惑ったように首を傾げ、微笑みかけるリューシェ様の微笑みは、まるでシャクナゲのように可憐だ。圧倒的ヒロインぢからでタコ殴りにされている。大人世代がそろいもそろって恋するはずである。これは勝てない。無理。私も恋に落ちそうだもん。

 白目をむきそうになるのを必死でこらえつつ、その可憐な微笑みから目を逸らせずにいれば、背後からゲフンゲフンと咳払いする声が聞こえた。咄嗟に振り向けば、言いたげな顔をしたレナンドルがこちらを見下ろしている。

「リューシェ、ひとの婚約者にコナをかけないでくれるか。シルヴィは強い光にフラフラ吸い寄せられる習性があるんだ。ちょうちょみたいに」

「まあ、ちょうちょさんなの……!? かわいいっ!」

 悪戯っぽく目を細め、リューシェ様は私に抱きついてくる。ヒョエ、いい匂い……。

「ちょうちょ? ハッ、毒蛾の間違いだろ」

「びしょびしょでみっともない駄犬はあっち行っててくださる」

「相変わらずリューシェはつれないなぁ。まあ、そういうところが愛おしくてたまらないのだけれど」

「ジェルヴェ、ハウス!」

「ブベァッ」

 リューシェ様はまたもや手を振りかざし、ジェルヴェの身体を吹き飛ばした。ズベシャアッ、と彼が突っ伏したのは、たっぷり堆肥が入ったドラムの方。見事に頭からそれを被ったジェルヴェは、びしょぬれだったのも相まって最早目も当てられない惨状である。

「リュ、リューシェさま、あれ、大丈夫です……?」

「ああ、気にしないで、優しいのね、シルヴィ。いつものことよ、じきに慣れるわ」

 リューシェ様は優しく私の背中を撫でながら、すげなく言い捨てた。温度差でグッピー大量虐殺である。

 正直彼の私への暴言は全くもって正当な大義名分がある言葉なので、ここまで滅茶苦茶な仕打ちを受けてもらうのはものすごく心が痛い。むしろあんな目に遭うのは私の方であるべきではと思うのですが。

「これにはワケがあるのよ。あの人ね、あんなので一応学年の主席なのだけれど……ノース出身の寮生さんがね、私になんてことない軽口を言っただけで、主席権限を振りかざして次の日には寮から追い出したのよ。分かりあう努力もせず、問答無用でそんなひどいことをするなんて、しかもそれが、次の王様として国民の命を背負うなんて、考えられないでしょう!?」

 いや、多分だけど、なんてことない軽口だったなんて嘘。あるいは、リューシェ様の心が広すぎて、そんな風にしか受け取っていないだけなのか。多分、ジェルヴェがそれだけのことをしたってことは、追い出されたノース出身者というはとんでもない差別用語を使ってリューシェ様を侮辱したのだろう。

 ジェルヴェはリューシェ様に一目ぼれして、学生時代ずっと猛アタックしたことで、原作でも有名なキャラクターだ。

 愛する人がそんなひどい言葉で傷つけられるなんて耐えがたいことこの上ないだろう。それは確かに、次の時代を担う君主の行動として褒められたものではないかもしれないが……むしろ、連邦の取った方針を思えば、ノース出身者より大陸出身者を丁重に重んじるのも頷ける話と言える。

「で、でも、リューシェさま、ちょっと私、これは、その、心臓に悪いと言うか……」

「ああ、なんてこと……! 繊細なちょうちょには刺激的すぎたわよね、ごめんなさい。もっとやり方を考えるわ」

 背中を二回ポンポンと叩き、リューシェ様は顔を上げる。なんてことだろう、私ったら、原作ではあまり描写されなかったものだから、完全ノーマークだったけれど、リューシェ様の内面があんまりにドストライクだ。

 私は、どんな状況でも、誰に何を言われようと、揺るがない自分を持つような、誇り高い人間性を持った人に、たまらなく弱いのである。

 ああ、なんて、業の深い。ここまで逃げ場がないなんて。

 私はこの先の寮生活の前途多難さに思いを馳せ、気の遠くなる思いがしたのだった。
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