水の都~二十年越しの恋~

海野ことり

文字の大きさ
4 / 58

②年下の船頭−2

しおりを挟む
「ああ、用意が整ったようだ。今日はお前も一緒に食っていきな。たまには奢るぜ」
「いえ、俺は……両親が家で待っていますので」
「……そうか。待つ人がいるなら帰ってやらなくちゃな」
 そっと微笑んだ表情の美しさに慶太郎は胸を打たれた。
 この人は自分をこんなにも堪らない気持ちにさせるのに、なのに触れる事は叶わない。
 峻厳な山の頂にある雪のような人だから。
 触れたらきっと溶けてしまうのだと、慶太郎は自分の無骨な熱さを懼れた。
 そうこうしているうちに、座敷の準備が出来ましたと中居に呼ばれる。
 信乃はそちらへ席を移し、慶太郎は黒子のようにひっそりと己の場所へ帰っていった。
 程なくして三津弥が女中に運ばせてきた皿には、薄いお造りと散らされた菊の花弁が乗っていた。

「随分と派手だな」
 皿の色が透けるくらい薄く切られた白身魚はほんのりとピンク色で艶かしく、鮮やかな菊の花弁の黄色がいっそう華やいで見えた。
 信乃は一切れ口に入れ、それからニ枚、三枚と纏めて口に放り込んだ。その後でべろりと唇を舐めるところまで含め、乱暴な癖に妙に人目を引く仕草だった。

「料理人を呼びな」
 信乃に言われて三津弥は控えていた女中にちらりと目線で指図をした。
 直ぐに白い作業着姿の大柄な男が現れた。

「あんた、大した腕だな」
 信乃は先ずは男の腕を褒めた。
「春先の柔らかい魚の身をこれだけ薄く引くには技術がいるだろう」
「仕事ですから」
 当然だ、と控えめに言った男に信乃は頷いてから斜に視線を送って言い放った。

「西じゃあ刺身料理に唐辛子を使うのも当然なのかい?」
 信乃の言葉に男がぎくりと身を竦めた。信乃は容赦なく続ける。

「この店じゃ唐辛子を使わない。そうだよな? 三津弥」
「ええ。辛いものはうちでは出さない。それが初代の決めた事ですから」
「それを料理人が知らなかった訳はないよな?」
「勿論、最初に説明してあります。使いたがる料理人も多いですからね」
「あんたもその使いたがる料理人の一人だったって事か」
 信乃の言葉に項垂れていた男が弾かれたように顔を上げた。

「使ってみたいから使ったんじゃない。これがこの魚の一番旨い食い方だから使ったんだ」
 食材は少しでも旨く食べる。その事しか頭に無く、それだけが正義。料理人はそんな目をしていた。
 信乃は皿に目を戻し、ひょいひょいと箸で摘んでどんどん口に放り込んで行く。

「確かに旨い。うん、旨い旨い。他の食い方は一段落ちるだろうなぁ」
 柔らかく甘い身にほんのりと微かに舌を刺激する辛味。唐辛子自体の爽やかな香りも鼻に抜けて心地好い。

「だがよぅ、菊の花は余計だったな。お前自身の保身の匂いしかしない」
 全く遠慮のない物言いに料理人がカッと頬を染めた。それを見て三津弥は面白そうな色を目に浮かべ、けれどぴしゃんと厳しく言った。

「それほどに自信があるなら使うという一言を先に言って欲しかったな」
「……申し訳ございませんでした」
「とは言え、それは信頼されていないこちらの落ち度もあるから不問にしよう。この後で女将とわたしにも同じものを出しとくれ」
「分かりました」
 背の高い料理人はすっと膝を曲げて立ち上がった。会釈して出て行こうとする男に信乃が訊ねた。

「お前の名前は?」
「……善一ぜんいちと言いやす」
「可笑しな名前だ」
 笑われて、けれど男は黙ったまま頭を下げて出て行った。自分が信乃によって救われた事を了承していた。

「信乃さんは舌も確かですよね。煙草呑みの癖して」
「煙草ならみっちゃんだって吸うだろう」
「少しですよ」
 煙草に淫して止めようにも止められない。そんな自分が三津弥は少々後ろめたい。

「あいつの前じゃおぼこぶって吸わない癖に」
 信乃に揶揄されて三津弥の頬が赤く染まった。
 自分が子供の頃から店に来ている男に懸想していると、まさか気付かれていたのか。

「信乃さんっ!」
「ははは、怒るな怒るな。ああ、そういやあいつと芝居に行く事になってんだよ。みっちゃんも一緒に行くかい?」
 信乃に誘われて三津弥は喜色を顔に浮かべたが、日付を聞いて直ぐにがっくりと肩を落とした。

「その日は母の代理で会合に出る事になっています」
「それは残念」
 三津弥がいたらあの鬱陶しい男も我慢出来ると思ったのに、と信乃は本気で残念がった。

「あの人に会ったらたまには店にも顔を出すよう、伝えて下さいね」
 三津弥の強請る言葉に信乃は一応は頷いたが、何せくだんの男は気紛れな性分なのでしかとは言えない。
 それに下手に伝えたら取り引き材料にされてしまいかねない。

「まあ、期待しないでいてくれ」
 信乃の言葉に三津弥は悲しそうに薄い肩を落とした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...