情熱のカフェ・アロマ~甘くほろ苦い恋とコーヒーの群像劇~

海野ことり

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本編

2.夜のざわめきと孤独-①

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 理央が目を覚ますと、窓の外はもう薄暗くなっていた。ベッドの足元では、愛猫のナナちゃんが丸くなって寝息を立てている。時計は夕方六時半。徹夜明けの体は重いけれど、志貴と飲みに行く約束を思い出すと、不思議と足取りが軽くなった。

「よし、行くぞ」
 鏡の前で髪を整える。映るのは長すぎる手足と、どこか頼りない顔。志貴の綺麗な顔立ちが脳裏に浮かんで気後れするが、「誘ってくれたんだから」と自分を奮い立たせた。
 ナナちゃんに「行ってくるね」と声をかけて、家を出た。

 待ち合わせの居酒屋はカフェ・アロマの裏手にある、路地裏の小さな店だった。木の引き戸を開けると、炭火の香ばしい匂いと賑やかな喧騒が迎えてくれる。カウンター席には志貴と燕司が並び、ビールジョッキを傾けていた。

 志貴は制服を脱ぎ、黒のVネックニットに袖をまくったラフな格好だった。抜けるように白い肌が襟元からのぞき、理央は咄嗟に目を逸らす。燕司は明るい髪を後ろで無造作に括り、ニヤニヤと笑って手を振った。

「理央! 遅っせーよ、肉が冷める!」
「燕司、耳元で喋んな。うるせえ」
 志貴が燕司を睨みつつ、低く甘い声で理央に言った。

「まだ調子、悪いのか?」
「ううん、大丈夫。ごめんね」
 理央はそっと空いた席に滑り込んだ。カフェとは違って、居酒屋のカウンターは狭く、焦げた肉の匂いが充満している。
 雑多な感じが苦手で、理央は場違いだと強く感じたが気付かないふりをした。

「ほら、飲めよ」
 燕司がジョッキを差し出した。

「うん、いただきます!」
 理央は少し大げさに頷いて、勢いよく口をつけた。冷たいビールが喉を潤し、昼間の苦味が薄れていく。
 けれど、心のほうはまだ、場に馴染めずにいた。

(志貴さん、待って。俺の心が馴染むまで、追いつくまでちょっとだけ待ってて)
 言葉にできるはずもなく、理央はただ黙ってビールを飲む。

「で、志貴さん、新作コーヒーは全滅?」
 燕司が話を振ると、志貴は不満そうに唇を尖らせた。

「洸の趣味が特殊すぎんだよ」
 その名に、理央は思わず口を挟む。

「洸って、コーヒー農園の……?」
「あいつに興味なんて持たなくていいよ。どうせあいつは、遠いところにいるんだから」
 燕司の語気は鋭くて、でもそれだけじゃない感情が混ざっていた。理央は何も言えず、黙ってグラスを傾ける。

「洸には距離なんて関係ねえだろ。あいつは世界を跨ぐ男だから」
「そんな格好いいもんじゃない!」
「まあ、落ち着け。仕入れ先なら他にもあるしな」
 志貴が肩をすくめて言う。その言葉に、理央は耳を傾けた。
 志貴の店で扱う豆は、どれも珍しくて風変わりだ。まるで、どこか別の世界と繋がっているような感覚がある。燕司は志貴の肩を軽く叩きながら笑った。

「さすがプリンス! 謎のコネクションだな」
「うるせえ」
 志貴は苦笑しつつも、どこか遠くを見るような目をしていた。理央は、その視線の先に何があるのか知りたくなった。けれど尋ねる前に、会話が変わってしまう。

「理央、お前も何か失敗した話はないの?」
「え、俺?」
 思わず声を裏返した。顔が熱くなる。

「最近だと……納品した人形が気に食わないって、三回、修正を頼まれた」
「三回!? キツいな!」
「それは大変だったな」
 志貴の労わるような声が、理央の胸に染みた。もっと気を引きたくて、さらに話を打ち明ける。

「でも、その人は結局転売屋? ってやつで、別件で警察に捕まったんだ」
 だから自分は悪くない。そんなつもりでそう言ったが、大人二人は特に気にしない。

「人形は?」
「モデルが有名な人で、たまたまその人に引き取られることになったよ」
「それは良かった」
「人形ってさ、どうやって作るの?」
 二人が興味を持ってくれたのが嬉しくて、理央は一生懸命に話す。

「頭の中のイメージを、指で少しずつ形にしていくんだ。一番難しいのは目。瞳には心が映るから」
「へぇ……なんか志貴さんのコーヒーみたい。心が映る……か」
「バカ、俺のはそんな大層なもんじゃねぇよ」
 志貴は少し笑って、真剣な顔になる。

「コーヒーはさ、淹れる人間の気持ちが出ちゃいけねぇんだ。素材を素直に引き出して、そのまま飲む人に届ける。バリスタのエゴが出たらダメなんだ」
 静かな口調に、理央は聞き入る。志貴の哲学に触れた気がした。
 そして自分とは正反対だなと思う。人形造りのイメージは、自分の中から出すものだから。

 (届けようって、思ったことはないかも……)
 理央の気持ちがほんの少しだけ揺らいだ。志貴の言葉だから、理解したいと思った。
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