情熱のカフェ・アロマ~甘くほろ苦い恋とコーヒーの群像劇~

海野ことり

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本編

4.砂糖菓子のようなあの子

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 待ちに待った約束の日。
 理央は、ある決意を胸に抱いていた。
 ずっと借りっぱなしだった優しさに、ようやく少しだけ返せる時が来た。

「今夜は俺がご馳走する!」
 理央は張り切って宣言した。

 志貴には、ココアや新作の試飲をさせてもらっている。
 燕司にも、カレーパンの試作だけでなく、売れ残ったパンや季節のパイを分けてもらっている。
 理央はいつも、もらってばかりだ。
 それがずっと、心に引っかかっていた。

 ようやく、まとめて返せるチャンスが来た。
 燕司はいないけれど、せめて他の人たちには日頃の感謝を伝えたい。
 理央にしては珍しい、並々ならぬ意気込みだった。

 なのに──。
 店に向かう途中、奏太は無言で理央の肩を抱き、路地をひとつ曲がった。
 そして何の説明もなく、見慣れない店の前に立ち止まった。

「なに、ここ?」
 白い扉にピンクの看板。ガラス張りのショーウインドーには色とりどりの小さな果物が並び、ライトアップされて宝石のように輝いている。
 ふんわり漂う甘酸っぱい香りに、理央は目を丸くした。カフェの温もりを思い出すけれど、もっと華やかな匂いだ。

「『フリュイ・コンフィ』って店だって。整体の客に教えてもらって、俺も初めて来た」
「こんふぃ……?」
 理央はその言葉を繰り返しながら、どんな菓子なのか想像する。

「当店はコンフィズリー、砂糖菓子の専門店です。フルーツを砂糖漬けにした“フリュイ・コンフィ”が自慢です。ご試食をどうぞ」
 にこやかな店員がオレンジの輪切りを差し出す。
 理央は小さな欠片を受け取って口に入れ、目を見開いた。鮮烈な風味が舌で弾け、太陽の味と爽やかな香りが鼻を抜けていく。

「オレンジだぁ……!」
 その瞳がキラキラと輝く。こんなお菓子なら、志貴や燕司もきっと喜んでくれる。志貴のチョコレートのような香りにも合いそうだと、理央は胸を弾ませた。

「奏太、これ、すごいよ!」
「プレゼントにいいだろ? 志貴さんや燕司さんに持ってったら、喜ぶんじゃない?」
「うん! 志貴さん、甘いの苦手なのにチョコの匂いしてたし、こういうの好きかも!」
 理央がショーウィンドウを夢中で覗き込む。半透明の菓子が光を反射して、まるで小さな宝箱みたいだ。

 その時、店の奥から明るい声が響いた。

「えー! そうちゃん、来てくれたんだぁ~!」
 驚いた理央が振り返ると、現れたのはとても小柄な男の子だった。
 理央よりずっと小さくて、華奢な身体に白いコックコートがダブついて見える。赤いネッカチーフが楽しげに揺れ、クリッとした目が理央をまっすぐ見つめた。

「うわっ、お兄さん、背が高いねえ! カッコイイ!」
 理央は済まなそうに肩をすくめた。背の高さがいつも周囲から浮いてしまうようで、恥ずかしい。
 そんな気持ちには気付かずに、奏太がその子を見て苦笑する。

「なんだ、小毬の店だったのか」
「ううん、僕は雇われコンフィズゥーだよ」
「……こんふぃずぅー?」
 理央が目をぱちくりさせる。その様子に、小毬がくすくすと笑って爪先立ちになり、苺の砂糖菓子を差し出した。
 背伸びしても理央の肩に届かない小さな姿に、理央は背を丸めて受け取る。

「はい、これも試食! そうちゃんが話してた理央だよね?」
 小毬の親しげな笑顔と「そうちゃん」呼びに、理央の胸がちくりと痛む。
 何となく、奏太は自分にだけ優しいのだと思っていた。そんな筈はないのに。
 それに志貴と並んだら、小毬みたいな小さい子はバランスがいいだろうな……と、勝手な妄想が頭をよぎって、傷ついた。
 口に入れた苺の菓子は、なんだかとても酸っぱく感じた。

「俺は……もう名前を知られてるみたいだけど、年上だから理央さんって呼んで。奏太の友達」
 ブスッとした顔で言うと、奏太がハッと理央を見る。小毬はくすっと笑みを深めた。

「ふうん、友達なんだ。そっか。ねぇ、理央さん、今度は僕がカフェ・アロマに行くから、その時はよろしくね!」
 その言葉に、理央の心が凍りつく。カフェは理央にとって大切な場所だ。そこにこの子が来る――その笑顔と気の強そうな視線に、居場所を奪われる気がして、胸がぎゅっと締めつけられた。
 理央は居ても立ってもいられず、強引に財布を奏太に押し付けた。

「志貴さんたちを待たせたら悪いから、先に行くよ。適当に買ってきて」
「おい、理央!」
「知り合いでも、それくらいしてくれるだろ? “そうちゃん”」
 自分のほうが痛そうな顔で嫌味を吐き捨てて、理央は店を出た。
 ムカムカする気持ちと、追いかけてこない奏太へのショックが混ざって、お腹がモヤモヤする。

 レストランの前でしゃがみ込み、ふうふうと荒い息を吐く。
 考えたくないのに、小毬の小さな姿が頭に浮かび、醜い気持ちがこみ上げる。
 ああいう小さくて可愛らしい子なら、誰にでも好かれる。
 背が高い自分では無理だと諦めていた、頭を撫でてもらう夢も。誰かに抱き締められて包み込まれる願望も。きっと彼なら簡単に叶う。
 やっと見つけた居場所だって――。

「奪わないでよ……」
 せっかく見つけた居場所を、奪わないでほしい。
 親しい人を盗らないでほしい。
 失くすくらいなら、自分から手放した方がマシだ。

「整体も、友達も、もうやめるから――」
「それはダメだ」
 紙袋を手に、息を切らした奏太が立っていた。理央は驚いて顔を上げる。

「……早かったね」
 膝に手をついてノロノロと立ち上がろうとすると、奏太がその手をぎゅっと握った。

「理央、誤解なんだ。俺は彼と親しいわけじゃない」
 不意に投げかけられた言葉に、理央は目を見張る。奏太の真剣な声が、かえってヤキモチの存在を浮き彫りにした。自分はただの友達なのに、なんでそんなことを思ったのか。

「気を遣わなくて、いいよ」
 理央は諦めたように、力なく笑う。
 自分だけの友達なんて、過ぎた夢を見た。
 彼にはもっと親しい人がいるのに、自分が一番だなんて。
 でも、奏太は諦めず、さらに手を強く握った。

「釈明させてくれ。理央に遠慮されてるのが寂しいって、つい零したんだ」
 理央は驚いて、奏太の顔をまじまじと見る。
 奏太がそんなことを? と信じられない気持ちだが、彼は嘘を言うような人じゃない。

「小毬に言ったんじゃなくて、独り言を聞かれた。――“理央に遠慮されてるのが淋しい。もっと近づきたい”って」
「え? それって……」
「今まで言えなかったけど、俺は君が好きだ」
 さらりとした告白に、理央は顔を真っ赤にして手を引こうとするが許されない。

「好きって、好きって……」
 彼は自分にだけ優しい。そう思ったのは勘違いじゃなかった?

「俺のこと、大事?」
「ああ」
「一番の、友達?」
「……んん?」
 奏太が戸惑った声を上げたが、いっぱいいっぱいの理央は気付かない。

「俺を奏太の親友にしてくれるってこと?」
「……親友?」
 暗い声で呟いた奏太に、理央はハッとした顔で目を見開く。

「あ、やっぱり、それは図々しすぎた? ごめん、俺、こういうの――友達付き合いとか、慣れてなくて」
 慌てて引こうとする理央に、奏太が一歩近づく。

「俺も人と近い距離で付き合うことには慣れてない。でも、理央とは誰よりも近くにいたい。少しずつ、近づいてもいいか?」
「……うん。そうしてくれると、嬉しい」

「少しずつ」と言う言葉に、理央は安心したように笑みを浮かべる。
 まるで雲の切れ間から覗く木漏れ日のような笑顔に、奏太は「思ってたのとは違ったけど」と呟きながらも、その笑顔を胸に刻む。

「じゃあ、志貴さんたちと合流しよう。廉さんもいるんだろ?」
 奏太の言葉に、理央は紙袋を手に頷いた。
 志貴の恋人に会うのは不安だった。でも、あの人を幸せにできる人かどうか、自分の目で確かめなくてはいけない。
 志貴に寂しい顔をさせるような男なら、別れてくださいって言ってやるのだ。

 理央は決意をにじませながら、華やかなレストランの扉を開けた。
 握られたままの手が、今の自分のすべての勇気だった。
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