情熱のカフェ・アロマ~甘くほろ苦い恋とコーヒーの群像劇~

海野ことり

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本編

10.眠れぬ夜の幻(燕司side)

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 自分を抱きしめて離さない洸の寝息を聞きながら、燕司は静かに目を開けていた。
 薄明かりの中、天井を見つめながら、思い出すのは――。
 洸が南の国に渡ってしばらくして、志貴が近所にカフェを開いた日のこと。
 そこはかつて、洸の焙煎所だった。
 改装され、名前も看板も変わっていたけれど、すぐにそれとわかった。

(なんで、そこに店を出すんだよ。しかも、コーヒー絡みの!)
 最初は反発しかなかった。
 けれど志貴は、どんなに寒い日も、どんなに客足が遠のく日も、変わらず香り高いコーヒーを淹れていた。
 職人として淡々と日々を積み重ねるその姿と、凛とした佇まいに――燕司は、心を奪われていった。
 この人なら、俺を置いていかないかもしれない。
 その思いはやがて、信頼に、そして柔らかな恋情に変わった。

「ねえ、志貴さん。パン、食べない?」
「甘くないやつなら」
「俺、毎日焼いてくるから」

 今日も、明日も、明後日も。
 あなただけは、変わらずそこにいて。
 ただ見つめるだけの恋で良かった。
 志貴に恋人がいることは知っていたけれど、不在がちで、まるで存在感がなかったから気にならなかった。

 ――でも、洸に初めて抱かれた夜のあと。
 パンを持って志貴の店ではなく自宅を訪ねると、髭面の大男が出てきた。

『やあ、志貴なら寝ているけど……君が燕司かい? ブーランジェの』

 初対面のあんたに呼び捨てにされる覚えはないし、ブーランジェなんて気取ったもんじゃない。
 言いたいことは山ほどあったが、全部その存在感に呑まれた。

 ――ああ、この男が志貴さんの。
 一目でわかった。そう納得させるだけの強烈な説得力があった。

 この男には敵わない。
 張り合う気持ちすら起きず、俺はただ静かにそう認めた。

(志貴さんが相手にするほどの男だ。ウスノロ間抜けのウドの大木なんかじゃない)
(チクショウ、志貴さんの暴言なんて、真に受けるんじゃなかった)

『ちょっと可愛い熊』?
『変態』『我が儘』『子供っぽい』『呑気な極楽とんぼ』?

 ――志貴さん、勘弁してくれよ。
「志貴さんは、大丈夫ですか?」
「ああ。少し無茶をしただけだから、明日には戻るよ」
 ニコニコと人の良さそうな顔で笑っているが、俺は騙されない。
 無茶をしたのはきっと、あんただろう。
 でも――それを許したのも、あの人なんだろう。

 俺はパンを渡し、逃げるように引き返した。
 心の中では洸に毒づいていた。
 洸はきっと、あの男のことを知っていた。農場を開くときに協力してもらった相手だと聞いている。
 なのに、どうしてあの人を口説いた? どうして、抱こうとした?
 俺が志貴さんに惚れてることを知っていて、どうして――。

「燕司。諦めはついたか?」

 顔を合わせて、洸がそう言った。
 思わず拳が出た。

「バカ、お前、大事な手を――」
 洸が珍しく慌てるのを見て、怒鳴り返した。

「俺が舞い上がってるのを見て、笑ってたのか! お前は、自分に関係ないから俺を――!」
「関係なくない。燕司、お前に俺が、関係ないわけないだろ」
「……どうだか」
 皮肉げに笑って、俺は言い放った。

「諦めない。お前と一緒で、あの人はどうせすぐいなくなる。だったら――普段、志貴さんの側にいるのは俺だ。ずっと一緒にいられる方が勝ちなんだって、俺がお前たちに教えてやる」

 そう言いながら、心のどこかで自分でもわかっていた。
 こんなのは茶番だ、単なる意地でしかないって。
 勝てるなんて、俺自身ですら信じていなかった。
 でも、何か言わないと、何か支えがないと、立っていられなかった。
 志貴さんとは違う。
 俺は静かに誰かを待つなんて、できない。
 ずっとそう思っていたのに――洸は、真正面から突きつけてきた。

『お前じゃ、あの人は背負えない』
 そんなこと、言われなくたってわかってる。
 認められなかっただけだ。
 認めてしまったら、どうしたらいいかわからなかった。

「……道が、見えない」
 燕司は、鬱蒼と呟いた。
 痛みを堪えるように、固く目を閉じた。
 けれど眠りはいつまでも訪れてはくれなかった。

 ――そして、朝が来た。
 燕司は眠れぬまま、いつものようにパンを焼き、志貴の店に顔を出した。
 だが、志貴はまだ戻らない。

 焙煎の匂いも、開店前の冗談も、そこにはなかった。
 ただ、磨き込まれたカウンターと、ぬくもりだけが静かに流れている。

「……あなたはいなくならないって、ずっとここにいるって信じてたのに」
 燕司は、志貴のいないカウンターの前に立ち尽くしていた。
 志貴が淹れていたコーヒーの幻の香りが、虚しく鼻腔をくすぐる。

 同じ頃、遠く離れた街では――
 小さな猫の体温にくるまれた、一人の青年が。
 冬の朝の光をまぶたに受けながら、静かに目を覚まそうとしていた。

 新しい一日が、少しずつ形を変えながら、始まろうとしていた。
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