この恋で、夜を越えて

吉柳ひさめ

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二章

訪問(三)

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「そろそろ行こう」

宏雅がそう言ったので、帰ることになった。
玄関を出る時、東堂が何か小声で言葉をかけ、宏雅は葵に車の鍵を手渡した。

「先に乗っていて」

そう言われて葵は小さく頷き、先に歩いて車のドアを開けた。乗り込もうとして、ふと振り返る。玄関先では、宏雅と東堂がまだ話していた。



「……家にお連れくださるお相手は、お選びくださいませ」

東堂の声は、低く慎重だった。言わねばならぬ忠告のように。

「どれほど魅力的でも、水商売は……堅気ではございませんよ」

「職業差別は、違憲だろ?」

軽く笑って、宏雅が返す。

「ご自分の家柄を、お考えください」

東堂の言葉に、わずかに溜息が混じる。

「それで――書斎の釣書は、ご覧になられましたか?」

「ああ、選んでおいたよ」

うんざりしたような声で、宏雅が言った。

「どなたを?」
「上から三冊目」
「……宏雅様」
「あー……誰かな。ベッドの中で、凄そうな子にしておいた」
「良家の子女に、そのような候補者はございません」

ぴしゃりと返す東堂に、宏雅は肩をすくめて笑った。

「夢見すぎだろ、東堂。俺みたいな奴が“良家の子”だぞ?最近じゃ、処女であれば儲けものってレベルだ」

ふふ、と笑って煙草をくわえる宏雅。火を点けようとして、手が止まった。視線は、東堂の肩越し――玄関先の花壇へ。

「いかがされました?」

東堂がそちらを見ると、小さな薄紫の花が風に揺れていた。鈴のような花弁が、控えめに揺れる花。

「……先日、庭師が季節の花を入れ替えました」

その花が、先妻に縁のある物だと気づき、東堂の胸が静かに痛んだ。

「そうか」

宏雅は、震える指で煙草を箱に戻した。急に、吸う気を無くしたようだった。黙って歩き出す宏雅の背へ、東堂が声をかける。

「お見合いですが……水鶴以外の料亭に致しましょうか?」

ちらりと、車の中で待つ葵へと視線が流れる。運転席のドアを開けながら、宏雅は短く答えた。

「どこでも良い。どうせ――断るから」

ぶっきらぼうな声。
車のドアが閉まり、重々しくエンジン音が響いた。




 *

車内は、しばらく沈黙が続いた。

宏雅は前を見据え、片手でハンドルを握りながら、時折指先で軽くリズムを取る。
葵は助手席で窓の外を見つつも、心はそわそわと落ち着かなく、何度も宏雅をちらりと見てしまった。

「東堂さん……何やて?えろう長う話してはったやん」

躊躇いながら聞く。手は膝の上で軽く重ねたまま。控えめな色のネイルにしておいて良かった……と、今更思うのが、自分でも可笑しかった。

「葵が、美人で羨ましいって」

その言葉に、思わず頬が熱くなる。だが、窓の外に視線を流し、コホンと咳払いをした

……あの執事さん、口が裂けても言わへんやろ。

「水鶴は、いつ入ってる?」

前を向いたまま、宏雅が軽く聞いた。

「忙しい時に妹から連絡くるだけやし、特に決まったシフトは無いんよ」

宏雅は、両手でハンドルを握ったまま、穏やかに答える。

「そうか」

葵は落ち着かなくて、手を膝の上でぎゅっと握る。

「なんでやの?」

声をひそめて尋ねる。宏雅は、小さく肩をすくめた。

「葵が入ってる日に行けば、次の間に布団……用意してくれるかな、と思って。ほら、料亭における男のロマンってやつ」

宏雅は運転しながら、楽しげな声で言った。

「そないなことする店、ちゃいます!」

思わず葵は顔を窓に向けて、ついに真っ赤になる。心臓の音が耳まで響くようで、視線を逸らせずにはいられなかった。

ふふ、と軽く笑い、ちらりと宏雅は横目で葵を見た。

「怒るなよ」

その声は柔らかく、けれど少しからかうようで、葵の心をくすぐった。
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