4 / 128
第一章 復讐とカリギュラの恋
(4)アイド足る所以
しおりを挟むリトワールは美しいボウ・アンド・スクレイプを見せた。片手を胸に当て片足を後ろに引き軽くクロスする挨拶のポーズ。
「私は魔の森の向こうの芸術国貴族の執事で、リトワールと申します。失礼ですが、あなたはもしや」
芸術国脱出前にルネが舅に譲ってもらう予定だった爵位をふいに思い出す。鼻白む気持ちを隠し、切り捨て、見るからに貴族の子息らしい少年に柔和に問いかけた。
(芸術国貴族の執事。大人なのに華奢で、男の人なのに何だか、花……みたいだ)
ジグヴァンゼラは立ち上がって、笑顔になった。幅広に折り曲げた袖口の豪華なレースから覗く手を差し出す。
「僕はジグヴァンゼラ。ザカリー領主の息子だ」
足場が悪い。岩場にはまだ雪の残骸が残り、暖かな日差しに滑る。素早いながらも優雅に歩み寄ったリトワールは、貴婦人の手を取るように慇懃に手を貸す。柔らかい鞣し革の手袋越しに伝わる、ジグヴァンゼラの労働したことのない手のしなやかさ。
岩場の段を降りる。小石が動く。ジグヴァンゼラはリトワールの美しい顔に魅入られ、リトワールはジグヴァンゼラの黒い眼を見つめる。
(長い睫が縁取るオニキスのように深く黒い瞳。魔の森を越えて初めて出会う貴族の子。ルネの親戚。未だ何も知らない、汚れのない子なのに)
緩いカールのある黒い髪を無造作に青いリボンで後ろに結んだジグヴァンゼラの、首回りから胸元に豪華なネッククロスのレースが幾重にも重なる。そのレースに囲まれた端正な顔は、まだ少年の細い造りだが、目が離せない。
(危うい顔。ルネ好み。危険だ)
足場が崩れて、ジグヴァンゼラがリトワールの胸の中に飛び込んで来る。その衝撃を受け止めた。リトワールを見上げたオニキスの目は笑っている。顔が近い。
「父はあなた方を歓迎するよ、リトワール。この前、芸術国から珍しい品物が届いたから、家族はみんな興味があるんだ。だから、魔の森の向こうの世界の話を沢山聞かせてね。では後程」
笑顔で離れて背筋を伸ばし、ジグヴァンゼラは歩き出した。背丈はリトワールとそう変わらない。
「はい。のち程、改めてご挨拶させていただきます。ジグヴァンゼラ様」
前執事から受け継いだ職務の中に、親戚筋への贈答品選びも含まれている。その中でもザカリー領主へは、半年ほど前から毎月のように芸術国の珍しい品を贈っていた。その品々は全てリトワールがルネの代理で選択した名品だ。
魔の森を通過するのは大変なのに、ちゃんと届いていたのだな。リトワールは薄い皮膚の下でこっそり微笑む。
瞬間郵便局には魔の森を通過する魔方陣があり、双方向から郵便物を送れる。但し、馬車が倫解に迷い込むことがあり、そうなると馬車もろとも人も品物もこの世界から消滅して、二度と戻ってこない。
リトワールの唯一楽しみにしていた職務は、郵便局員との接触だった。彼は何度も魔の森を往き来している年配者だったから、ザカリー領の白い薔薇を一輪、「これが行ってきた証拠ですよ」と持ち帰ってくるのだった。
憧れの地、ザカリー領、白い薔薇の咲く広大な……
魔の森を抜けて行ければどんなに良いか……
その魔の森を抜けて、ザカリー伯爵の子息と対面したのが現実とは思えない。それでもリトワールはボウ・アンド・スクレイプで恭しく腰を折り、まるでベルサイユ宮殿で育ったかのような美しい仕草で、少年の後ろ姿を見送った。
それから、岩場に屈み込んで紋入りの皮革に包まれた真鍮の水筒に水を汲む。泉のせせらぎの清さに、暫く忘れていた笑みが浮かぶ。
(私は来たんだ。魔の森を抜けて憧れの地へ。でも、ルネが……ああ、あの子を守らなければ。あの真っ直ぐなオニキスの瞳。真っ直ぐに育ってほしい。あの子は未だ汚れを知らない。あの子をルネから守るのだ)
帰りがけに、ふと、大岩の裏を覗いてみた。小山に積まれた小石の下から鼠の尻尾が見えている。爪先で小山を崩すと、頭のない鼠の死骸が現れた。首回りを染めた血はまだ赤い。
リトワールは驚いてジグヴァンゼラの去った方向を見たが、森は全てを覆い隠すようにしんと静まっている。
その静けさを落雪の音が壊す。リトワールの視線の先には、落雪に揺れる枝と木立の影が立ち塞がる。
「ザカリー伯爵のご子息ジグヴァンゼラ様。まさかあの麗しい少年が……成る程、ルネと親戚筋な訳ですね。鼠の頭は……はっ、胸くそ悪い」
緑に潜む悪意が木立の影から覗いて嗤う。
ふはは……アイド足る所以だ
リトワールの脳裏に残して来た者たちの顔が浮かぶ。その中に、一揆に加わった郵便局員の顔もあった。彼はどうなったのだろう。無事でいてほしい。
2020年 3月13日 初稿
2025年 3月11日 加筆訂正
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
どうしてそこにトリックアートを設置したんですか?
鞠目
ホラー
N県の某ショッピングモールには、エントランスホールやエレベーター付近など、色んなところにトリックアートが設置されている。
先日、そのトリックアートについて設置場所がおかしいものがあると聞いた私は、わかる範囲で調べてみることにした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる