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第一章 復讐とカリギュラの恋

(21)亡霊ラプンツェル

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  塔の内部は各階に部屋がひとつか或いは二部屋ほど設えてあり、気の触れた家族を閉じ込める豪華な牢や、国境を越えて侵入する敵兵や館に入り込んだ間者を拷問する為の部屋があった。遥か昔の、異世界からの侵入者を拷問した記録もある。
 

  最上階のドアは開かれているらしく、近づくと外からの風か、花の香りが軽やかにふわりと香っていた。その軽やかな香りの中を進み、部屋の入り口に立つ。


  窓辺に佇む長いプラチナブロンドの女性がゆるやかに振り向く。


……ああ、なんてことだ
まるでお伽噺の妖精ではないか
床につくほどの豊かな煌めく髪の毛……


  キリスト暦では千七百年代の終盤に差し掛かってはいたものの、グリム童話の初版が発売されるまで十年ほど待たなければならない。


  リトワールは知る由もないが、ヘシャス・ジャンヌこそグリム童話のラプンツェルのモデルだと後世に伝えられる伝説の女性だ。


  リトワールは正確なボウ・アンド・スクレイプの後に、頬を染めて片膝を床に着いた。


「お初にお目にかかり……」

「まあ、あなたがリトワールね。儀礼は良いのよ、リトワール。マロリーに聞いていた通りだわ。此方に座って」


  言葉を遮られて、小さな丸いテーブルのひとつしかない椅子を勧められた。


「あなたにお会いしたいと思っておりました、リトワール。私の弟は元気にしているかしら」



    ***ヘシャス・ジャンヌのイメージ***




薄紅色の華やかな花の妖精
女王の威厳と聖女の気品
初めて見る白い睫毛
光彩の薄い美しい瞳


  リトワールは栄えある輝きに打たれて鳥肌が立った。勧められた椅子に座れない。


「私めにできることでしたら何なりとお申し付けください」

「有り難う、リトワール。実はお願いがあるの。ついに、私は二十才になりました。世間では行き遅れの年増かもしれません。このような私でも嫁ぎ先は見つかるでしょうか。あなたの主人のナヴァール子爵夫妻と関係者に勘づかれないように、嫁ぎ先を探していただきたいの。でなければ……」


  リトワールは傅いたまま言葉を待ったが、ヘシャス・ジャンヌは口をつぐむ。


  言葉を待って暫く傅いていたリトワールが、ふと水面に波紋が広がるような錯覚を覚えた。暗い沼地に足を取られるような錯覚。


今は朝か、昼か……もう日が落ちる頃か……
螺旋階段の暗さに迷わされたか……
窓からの柔らかな日差しと風は……


顔を上げる。


「……」


  ヘシャス・ジャンヌの白い顔が白骨化したようにしぼんだ薄い皮膜に覆われて、眼窩の黒々とした深みからリトワールを凝視している。


膝の上の手は明らかに骨だ
真っ白な細い骨……なんと……


  リトワールは喉元に膨らみ込み上げる驚愕を隠せなかった。


「ああっ……」


  ヘシャス・ジャンヌが立ち上がる。恐怖と威圧感にリトワールが傾いだ。


「でなければ、リトワール。そなたが私と添うのです」


  骨の手が差し出される。窓から差し込む西日に晒されて、骨の影がくっきりと目に刻まれた。


それは私に死ねということですか……


  リトワールは傍のマロリーを見た。マロリーは白い被り物の中で白骨化している。それでも微笑んでいるらしいことは見てとれた。


「わ、私が……姫様とですか……」

「そうです。あなたはこの館の中で行われている恐ろしいことを知っていながら、手をこまねいて今に至るのですから、罪を重ねたことになるのでは……」


  骨の手が更にリトワールの目の前にくる。


「わ、私の罪……」


  リトワールは其の骨の手に下から手を重ねた。


元から死ぬ覚悟はできています
いつかは必ずルネを殺し
刺し違えてでも、そうしてでも
ジグヴァンゼラ様をお守りします


「知っていながら誰も助けようとしなかった、あなたの罪です。もう何人も死にました」


  ヘシャス・ジャンヌが立ち上がる。痩せた身体に美しい衣装を纏った白骨が、リトワールに屈み微笑む。


  長い髪がぞろりと抜けそうだと狼狽えながら、リトワールは手を離し頭を下げた。そのまま立ち上がる。ふらつきながら入り口を出た。廊下で吐き気に襲われる。リトワールは走った。走って、暗い階段を何段も飛び降りて急ぎ、転び、駆け下りた。


  館から外に出て、植え込みの中に頭を突っ込む。まだ日差しは明るい。


  喉を激流が逆巻いて吐瀉物が飛び出す。勢い余って鼻からも出た。リトワールは大量の食品の未消化物を黄ばんだ胃酸と共に撒き散らした。


  滑って臭い立つその胃酸が鼻腔を突く。内容物は胃を揉むように暴れながら次々と吐き出され、胃はもんどりを打つ。もう胃液しかでずに、涙ぐんだ。


「あれは……亡霊か。にしても高貴な伯爵令嬢ヘシャス・ジャンヌ様……」


  吐き気が収まってから、リトワールは塔を見上げた。赤煉瓦に漆喰を塗った白い塔は、西日を受けた明るく輝く面と半分が影になって、小さな窓が塔の顔のように見える。


  堕天使ベルエーロは嗤った。

ヘシャス・ジャンヌと
お前を結ばせる訳にはいかないのだ
リトワール
お前はジグヴァンゼラを誘う飾り
お前の運命はこの私が操る







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