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第一章 復讐とカリギュラの恋

(34)それぞれ

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  ジグヴァンゼラは娼婦のひとりと踊った。




「アントニートでございますわ、閣下」

「閣下と呼ばれる武勲はないが」

「ほほ、私たちは高貴なお方をそうお呼びすることにしておりますの。ザカリー伯爵はお血筋もさながら紛れもなく高貴な特質をお持ちだと伺っております」




  媚薬でも混じっているのか、柔肌に埋もれたくなる甘い香りに足取りも軽くなる。アントニートは時々真珠のように輝く歯を見せて仰け反り、ワルツは続く。



  もうひとりの美女がルネを誘う。



  背の高い美貌の娼婦は何を隠そう王族の寵愛を受けて宮廷内に権力を持つ娼婦ヒエラルキーのトップ、コルネリア・サザンダーレ。フランス語は堪能だ。宮廷内の某義謀略に磨かれた度胸を、花園のような微笑みで塗り消す。



  ベランダにボランズ伯と顔を重ねるように親密に接しているルート子爵の姿を確認した。ルネは微笑んでコルネリアと踊る。



  残りのひとりがヴェトワネットの傍に座った。こっそりヴェトワネットの左手の小指を指で絡める。そのくせ、顔は素知らぬふりでボリオ伯爵やハルム伯とその夫人たちと笑い話に興じていた。




この娼婦……
女が好きなのね……




  館の三人は娼婦に絡め取られた。食事が済んで、長い夜が始まったばかりだ。



*****



  塔の中にもパーティー前から改革が行われた。



  ヘシャス・ジャンヌの美貌を磨くためのスパを新しくして、泡の立つシャボンとコロンとクリームなどの必要経費の増額、それとヘシャス・ジャンヌは拒んだが、古い家具の取り替えも行った。



  嫁に行くのなら新たな衣服も持たせたい。贅を尽くし、品のあるヘシャス・ジャンヌを引き立てる優雅な衣服を大量に発注した。



  ヘシャス・ジャンヌに関わる全ては注意深く、ルネにも更には領主ジグヴァンゼラにも知られないように行われた。



  血肉を分けたヘシャス・ジャンヌの存命を知れば、ジグヴァンゼラ様は事後承諾でも喜んでくれるだろうと踏んでのこと。リトワールには自信があった。



  ボリオ伯が夫人を残して退席した。ルネはダンスを終えて戻るとコルネリアを伴ってボリオ伯爵夫人の横、ボランズ伯爵の席に座った。




「少し飲みすぎたようですわ。独りになりたいと申しておりますの」

「血色の良い方ですな」

「暴飲暴食は七つの大罪のうち。この頃は夫も自分自身に厳しく自制しておりますのよ」




  ボリオ伯爵夫人もなかなかの社交家らしく、選ぶ言葉に瑕疵のない返答をする。




「私めは暴飲暴食の徒でありまして、七つの大罪処か、奥様のような美しい方との出会いを切に願っておりました。これは姦淫の罪に抵触しますかな」

「ほほほ、面白いお方。それはおフランス仕込みの冗談ですのね」




  全く相手にしない。ボリオ伯の空いた席にハルム伯爵夫人が移った。




「奥様、お久しぶり」




  ハルム伯爵夫人に手を握られてボリオ伯爵夫人の身体は完全にルネから反らされた。



  ルネはコルネリアに耳打ちしてトイレに立つ。
コルネリアはリトワールに温めたおしぼりを用意させてルネの後を追った。ルネの姿は長い廊下には見当たらず、絨毯に靴音が消されて行方は知れない。



  二階に上がった。客室は二階に十二部屋。その一つのドアの前にルネを見かけてコルネリアはそっと下へ戻る。



  おしぼりをリトワールに返してコルネリアはジャガレット侯爵に「二階に行かれましたわ」と伝えた。リトワールは青ざめた。




「誰が二階に上がったとな」




  キーレス・ジャガレット侯爵が確認する。




「フランス人ルネですわ」

「ボリオ伯の部屋か」

「おそらく」




  最初に席をたったゲイリアムズ子爵は、実は一階の小さなホール脇の小部屋にいた。



  そこは親密になった男女の為に用意された部屋だったが、長年使用された形跡はなく、パーティーのためにリトワールが清潔にして飾り付けた可愛い部屋だ。



  ゲイリアムズ子爵夫妻はそこで夫婦背中合わせにこんこんと深い眠りに墜ちていた。



*****



  二階のボリオ伯爵のドアをノックして待つ。ボリオ伯爵の近習がドアを開いた。




「恐れ入ります、お休みの処を折り入ってお話したき義がありまして」




  部屋に招き入れられたルネは人払いさせてボリオ伯爵に近づく。下半身が膨らむ。ところが、ボリオ伯はするりと巧みに身をかわした。




このデブめ
何という身の軽さだ 
お前はピエロか風船か
俺様の下半身は
既に牙を剥いていると言うのに……




  ふと気づくと、ボリオ伯爵の手に剣が光っていた。武術のからっきしできないルネには驚愕の瞬間だが、媚びた笑いを見せて退く。




「これはこれは、何か、誤解をなさっておいでのようだ。私はお伺いしたいこともありまして」

「何だ」

「ボランズ伯爵とルート子爵はどういった間柄でしょうか。ご親戚ですか」

「我々は殆どが親戚筋だ。それがどうした」

「私はこの目で見たことが信じられません。あなた様にはお伝えしたいと思いますので、お耳を……」

ナヴァール子爵ル・ヴィコント・ド・ナヴァール




  ルネは違和感を覚えた。




「私は他人の噂には興味がない。お引き取り願おう」




何だ、この違和感は
メンプラオ・ボリオ……




  ルネの笑顔が醜く黒ずむ。




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