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第三章 純愛と天使と悪霊
(103)命懸け
しおりを挟むシアノは、娼婦の片方の眉毛が剃られていたことを思い出した。
あの若者ダネイロは信頼に値する
旦那様がダネイロの衣服や履き物を
新調するように命じたとき
ダネイロ自身は
望ましく思っていないようだった
『分に余ることです。夜警なら兵舎暮らしでもできることですから』
『それはなりません。あなたは領主付きの近衛兵になるのですから、これまでとは違います』
その時のダネイロの表情がシアノには好ましく、何度も思い返す。憮然とした一瞬を無表情で覆い隠そうとする。嬉しくないのか、大きく吸い込んだ息をそっと吐き出していた。溜め息を吐きたかったのだろう。それが手に取るようにわかって、シアノは微笑む。
面白い若者だ
あれは、勇者の類いかもしれない
小さな部屋で良いと言ってきた
腕も立つ
恐ろしいほどの腕前だ
それなのにその自覚がない
本当にザカリー領の
兵士の戦闘能力が高いのか
ダネイロに
戦争の経験がないからなのか
あの自覚のなさは
謙遜しているようにも思えないのだが
どちらにせよ
旦那様の警護を任せるに相応しい
好ましい人物だ
シアノは、これで新しい若き領主の活動を安全に補佐することができると喜んだ。シアノのその喜びとダネイロへの信頼は、その夜に起きた事件で揺るぎないものとなる。
若き領主は裸になって川に入った。ダネイロが警護に付いてから三日になる。川の周辺は安全を確認したが、見回りの兵士が来るまでは時間があった。ダネイロは軽装だったが腰に剣を下げている。狙った睫毛を切り落とすくらいはわけなくできる男だ。
ダネイロはシアノに言った。
『あなたを人質に取られたら動けない』
勿論、暗殺者が出たらの話で、立ち向かってくる奴らを皆殺しにしてでも領主を守る。できれば背後の人物を明らかにするために一人は生け捕りにする。その約束だ。
シアノは『わかりました。旦那様をしっかり警護してください』と、ダネイロを信頼して任せた。
悪霊はシアノの心に語りかける。
良いのか、シアノ……
ダネイロが衆道の男なら
可愛いヴェルナールを
手篭めにすることなど……
シアノは、ダネイロの私物を確認したときの荷物の少なさに驚いた。家族の存在を匂わせるものがひとつしかなかった。兵士にも孤児は多い。恐らくダネイロもそのような出なのだろうと思って尋ねてみた。
「はい。俺は捨て子です。親は何らかの事情があったのでしょう。隣の領の大きな町の、橋の入り口に捨てられていたそうです」
そう言って見せたのは、女性が特有の日にハーブを入れてデオドラントに持ち歩く匂い袋で、白い薔薇と頭文字が刺繍されている。
「ザカリー領の出ではなかったのですか」
「はい。此処には飯が旨いと聞いて来ました。ははは、食べ盛りの十二才の時です」
「十二才で兵士に……」
「普通は八才くらいから雇うそうで、厳しい訓練に付いていける者だけが残ります」
ザカリー領の兵士は、貧しい地域から流れて来るレネッティのような者や、親のいない子供か、あるいは爪弾きにされた死刑囚の子供だ。
北の国境警備兵は隣国との戦闘の際、最前線に立つ。それでなくとも、盗賊や山賊、罪人の類いが国境を突破しようとする。ザカリー領の兵士は、女で惑わすことのできないカリギュラ領の命知らず軍と揶揄されていた。その命知らずのひとりがダネイロだ。
無意識に剣を振った。カキンッ。金属を跳ね返した。鉄の矢じりは鎧通しだ。かなり鋭い。纏めて数本の矢が飛んできた。カキン、カキカキンッ。茂みから黒い影が躍り出る。ダネイロは風のような回転のひと振りで二人を倒した。三人目を蹴り倒し四人目の顔を切る。マントが風を切る音に紛れて何が起きたのかわからない。瞬きする間に終わった。
しかし、誰一人殺してはいない。二人は斬り落とされた右手を抑えて叫び、四人目も片目から血を流して転がる。
ダネイロは蹴り倒した男の心臓に剣を当てた。ブスリと音をたてて薄い脂肪と逞しい筋肉に刺さる。
「命が惜しいか。何処の者だ」
月影に映えるダネイロの冷たい目に、躊躇いの色はない。答えなければそのまま刺し貫く。
「ま、待て……」
「お前でなければ他の者に訊くだけだ。お前を拷問すれば次の者は歌うだろう。誰に頼まれた」
領主の命を狙う賊の背後には、大物がいるに違いない。
「カ……カルマンザーレ卿のご命令だ。崩御されたヨハネセン国王の実兄の……」
「もう少し深く刺すか」
「ま、待ってくれ。カルマンザーレ卿は王位継承を望んでおられる」
「相当なジジイだぞ」
「息子がいる。ジルベールエリキュア卿だ」
「阿呆だと聞いている」
ダネイロはふたりの腕を止血して、四人を木の蔦で大木に固く縛りつけた。
川縁に傅く。
「旦那様、そろそろお出になられた方が」
ヴェルナールは川に立って、高鳴る胸を両手で抑えて見ていたのだが、ダネイロが広げた厚手のリネンに身をくるんで、ほっと溜め息をついた。
貞操を狙われたり
命を狙われたり……
領主の立場とは
狙われる恐怖と紙一重なんだ
ダネイロさんがいなければ
今夜、こやつらの手に掛かって
死んでいたかもしれない
領主の座は遊びではない
ダネイロさんが命懸けで衛っくれる
命懸けの立場なんだ
臣民の為に
尊い仕事をしなければ……
ああ……神よ……
「命が惜しければ吐け」と言うダネイロ。
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