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第三章 純愛と天使と悪霊
(109)ピノ
しおりを挟む王都への輸送に人員を割いたザカリー領の警備には、訓練中の十歳から十五才までの子供たちも加わった。
子供用の甲冑の用意はない。風のように山林を駆け抜けて鳥の声を真似て合図を送り、大人顔負けの働きを見せる。十歳にもなれば、兵士としての能力の可否は答えが出るものだ。
可否以前に、他の点で優れた能力を見せる者もいる。例えば、アナンダだ。アナンダの親は王都からの流れ者だったが、幼い兄弟を連れてザカリー領に入って直ぐに死んだ。死ぬことが分かっていてやって来たのだろうと、診察した医者は言った。
兄弟はザカリー軍の訓練兵になったが、アナンダは兵士の路線から外された。早くから芸術性を見いだされたアナンダは、町の絵描き工房に送られて暫く学び、そこからまた彫刻や陶芸を転々として刺繍に落ち着いた。
アナンダの兄は王都に行く前に、アナンダの働く工房を訪ねて来た。朝早くのことだった。
「俺は多分、王都に行くことになる。遊びで行くのではないが、もし、何かほしいものがあれば買ってきてやるぞ」
優しい目が明るく笑う。
アナンダは男にしては線が細くなよなよとしていたから、長い金髪を二つに縛ると性別不明の感があったが、兵士の訓練を受けただけはあって体幹はしっかりして動きも素早く、様々な雑用もこなしながら真面目に働いていた。
「王都に行くなら僕も一緒に行きたい」
親の故郷だ。憧れもある。
「無理だ。馬車で行くのだ」
兄は残念そうに頭を振って続けた。
「まとめて休みを取って連れて行くから」
アナンダも、我が儘を通すつもりはない。
「では、王都のお菓子を……」
そう言ったはずのアナンダは、主に休暇を願い出た。兄の王都行きについて行きたいと話すと、主は「必ず帰って来るのだぞ。お前は女房のお気に入りだからな」と、路銀を持たせてくれた。
アナンダの兄が兵舎に戻った時、ヘンゼルから予想通りの返事が届いた。シアノは輸送部隊に出立の命令を出し、アナンダの兄も騎兵として加わった。
その頃、アナンダは既にザカリー領を出て隣接する領の街道沿いの森に入っていた。なだらかな坂から少し小高い丘に向かって走り、片側に街道を見下ろす。身を屈め、ザカリー軍の罪人輸送部隊の蹄音を聞いた。他に、話し声もする。
四人……
近くに四人
遠くに三人
ひとりで殺れるか……
アナンダは音もなく走った。緑の影の中で風のように動く。手にしているのは小刀だ。ひとり目を倒しただけで使い物にならなくなる。甲冑の弓を引く男が目に入った。
アナンダは男の後ろから頸に斬りつけて倒れる男の口を塞ぎ、抱えて静かに横たえた。男の腰からひとふりの剣を抜く。
ふたり目を襲撃する。三人目と四人目は輸送部隊に引き絞った弓を放った処だった。右手指を斬り落として喉を突いた。
あと三人……
アナンダはちらりと罪人輸送部隊を見た。飛び矢を叩き落として黒い甲冑の騎兵が丘に駆け上がって来る。アナンダは一目散に逃げた。大木に登って蔦を掴み、三人の敵兵の場所に飛んだ。
ザザザッ……
鳥の羽音に聞こえる。アナンダは着地して驚いた。そこではザカリー軍の黒騎兵が二人、既に三人を倒していた。
「アナンダ」
馬上から兄の声がした。
「あ……」
アナンダは、悪戯を見られた子供のような顔で騎兵を見上げる。
「付いてくるなと言っただろう」
「お、王都に行きたかったんだ……あはは」
「帰れ帰れ。お土産を買う楽しみが無くなる」
横の騎兵が「弟か、可愛いな」と言い、アナンダの兄に「斬るぞ」と睨まれた。アナンダは苦笑いして手を振った。
「帰るよ。走り疲れた。やっぱりザカリー軍は強いね。安心したよ。王都までの無事を祈る」
「お前も真っ直ぐ帰れ」
手綱を引いて馬を返す。馬はぶるると頸を振りながら身体を転せた。黒い甲冑のがっしりした背中を向けて丘を駆け降りる騎兵に、アナンダは手を振って嗤う。
帰るわけないさ
本当に王都に行きたいんだ
僕はピノだからね
先のご領主カリギュラ様に
ピノは有事の際には
私事を捨てて率先して
出動するようにと
直接のお言葉をもらっているんだ
だから、王都まで行く
王都にもピノはいるんだ
楽しみだな
ピノに会うのが
王都の毒を習うんだ
悪霊はアナンダを眺めた。
確かに
ザカリー領のピノは王都にも存在する
カリギュラの黒い翼だ
何故、彼らに会いたいのだ、アナンダ
ジグヴァンゼラが
黒い翼を広げて行ったことは
コルネリア館の娼婦以外は
殆どピノの仕業だ
私が知っていることでも
人間の社会にとっては
何の証拠にもならないのだが
たとえそれをこのベルエーロ様が
唆してやらせたことだとしても証拠はない
アナンダが王都に到着するまでに倒した敵兵は三日で二十人を超す。十人のザカリー騎兵による輸送部隊が倒した数は二百人近い。王都への罪人輸送は、敵対者にとってそれほどの人数を投入しても 阻止したい案件だということだ。
罪人を無傷のまま
王都の門をくぐらせる
それがヘンゼル様の
お役に立つことなのだ
どんな邪魔立てをされようとも
必ずやヘンゼル様に
罪人を引き渡さなければ
アナンダの兄の目に王都の門が映った。門が大きく開いて赤い軍団がバラバラと走り出る。騎兵隊と歩兵もいる。真っ赤な甲冑に身を包んだ騎兵隊が駆け寄って来た。
いきなり赤い軍団に取り囲まれて、ザカリー領の黒軍団は身構えた。相手は騎兵だけでも凡そ百騎の軍隊だ。十人で罪人を運んで来たザカリー軍は、四方を塞がれた。
それを見ていたアナンダは驚いた。脇の辺りから汗が出る。
いくらザカリーの騎兵隊が強くても
王都に入る前に囲まれてしまうとは……
******
単発の『ピノ 可愛いがって』には、最初の夜をアナンダがどう過ごすのか、森の中の夜警の三人の兵士との絡みを描きました。是非、ご一読ください。残酷なシーンの苦手な方はご用心くださいね。
藤森馨髏
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