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第三章 純愛と天使と悪霊
(110)楽しい川遊び
しおりを挟む罪人輸送の日に遡る。その夜、ヴェルナールは豪奢な衣服に身を包んだ替え玉ふたりと黒甲冑のダネイロと共にピグル川の岸辺にやって来た。珍しく二頭立ての馬車で四人が顔を付き合わせて乗った。
ヴェルナールは上機嫌で替え玉に尋ねた。
「分銅ってなぁに」
ベルーシは肩から斜めに下げたリボンの下の鎖を見せながら「これでございます。本来ならばこの先に鎌などを取り付けておくのですが、ふたつ分銅でも相手の剣を封じて戦うことはできます。飛び矢も叩き落とすことができるので便利です」と目を輝かせる。
「ふうん。君は分銅の使い手なんだね、ベル」
ベルと呼ばれてベルーシは目をぱちぱち瞬く。ご領主様はお若いが高貴な身分だと教えられて緊張しながら同伴しているのに、気軽に話しかけてくる。
「あ、ベルって呼んでもいいかい」
「は、はい。勿論でございます」
ベルーシの顔が赤らむ。訓練を受けながら、兵舎の子供寮で育った孤児の立場には、思いもよらない身に余ることだ。王位継承権を持つ領主と席を同じくするのも、替え玉になるのも、考えたこともない光栄なことだった。
「君の名前はなんて言うの」
ヴェルナールは、もう一人の替え玉に、一度聞いたのに忘れたふりをして直接尋ねた。
「タイでございます、お館様」
「タイ、お館様はやめて。ヴェルと呼んでもらおうかな。お館様って呼ぶと刺客に気づかれると思うから」
ダネイロが堪り兼ねた様子で口を挟む。
「失礼ですが、お名前をお呼びすることは禁じられております」
「そんな。禁じた覚えはないけど……わかった。シアノだね。シアノは心配症なんだ」
口を尖らせて不満を漏らすヴェルナールに、ダネイロの顔がふっと綻ぶ。ヴェルナールは自分に向けられたダネイロの笑顔を嬉しく思ったが、また、何が可笑しかったのだろうと気になった。
川縁で衣服を脱いでピグル川に入る。素っ裸になって冷たい水を掛け合った。ふたりの替え玉もヴェルナールと変わらず嬌声を上げてはしゃぐ。
ダネイロは辺りに注意深く気を張り巡らせた。人の呼吸は近くにはない。替え玉たちも、何処かから覗き見しているかもしれない暗殺者を意識して、ヴェルナールと同じように振る舞う。
水を掛け合う音の間に、水車小屋の水車の回るガッタンゴットンと規則的な音が聞こえる。風の匂いが変わったか。川のせせらぎが変わったか。ダネイロがヒュッと口笛を吹く。替え玉の顔つきが引き締まる。矢がダネイロの向こうの茂みから数本纏めて飛んで来た。同時にピグ川の中から立ち上がる暗殺者。
ダネイロは全ての矢を叩き落として猛然と茂みに走る。ベルーシは川縁の分銅の付いた鎖を投げて暗殺者の剣に巻き付かせ、もう片方の分銅で殴りかかった。一発二発と顔面を狙う。
風を切って飛んで来る矢は数人交代の陣を敷き、次から次と雨のように降る。ダネイロはその全てを魔力を持つかのような剣捌きで叩き落としながら弓矢部隊に向かう。一陣と二陣の矢をつがえる若干の間にダネイロの勝算が働く。
ピグル川の暗殺者はベルーシに剣を封じられて顔面を血だらけにされ、タイの小刀で胯間を刺された。バシャッと音をたてて川床に沈む。
しかし、暗殺者はひとりではなかった。もうひとりの暗殺者が反対側の岸から飛びかかって来たのだ。確実にヴェルナールを狙っていた。ベルーシの分銅から引き抜いた敵の剣でタイが暗殺者の剣を弾く。ベルーシが暗殺者の顔面に分銅を当てた。べこっ……鼻の骨が折れた。間髪を入れずにタイの剣は暗殺者の首を刎ねた。タイとベルーシは終始無言のまま全てを終えてにこりと笑顔を交わす。
「お館様、お体が冷えます」
ベルーシとタイは震えるヴェルナールを川から引き上げてリネンで身体を拭き着替えさせた。
「じ、自分でできるから、ダネイロを、ダネイロを助けて……」
涙で声が詰まる。身体がガクガクと震えて樹木に凭れた。
「俺の助けは要らん」
茂みからダネイロが現れた。剣を鋭くひと振りして血糊を飛ばすと、その剣を鞘に納めて、ヴェルナールの身体を拭いたリネンで甲冑の血痕を拭う。
濡れた身体は体温が下がりすぎると動けなくなる。ベルーシとタイは、刺客第二陣の可能性に備えて素早く着替えた。
タイがピィーッと鳥の悲鳴に似た鋭い口笛を吹く。警備兵に異常を知らせて死体を片付けてもらう為だ。遠くからピィーッヒョロと口笛が返ってきた。
ダネイロが震えるヴェルナールを先導して馬車に向かった。近くに停めた馬車の側に死体が転がって、御者が引っ張って移動させようとしている。御者もまた暗殺者をふたり、倒していた。
ヴェルナールは気が遠くなった。よろよろと倒れてあとは覚えていない。ダネイロがヴェルナールを抱えて馬車に乗り込む。
やれやれ、楽しい川遊びが
お可哀想に……
これに懲りずに我々を信頼して
周りで戦いが起きても
お一人で悠々とピグル川に
浸かっていられるくらいの
度胸を持ってもらいたいものだ
王位継承権を持つお方にしては
繊細すぎるのではないか
いや、か弱く思えるこの方こそ
本来の人間なのかもしれない
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