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第3章 ブガッティの女、猛烈に愛しているぜ
(15)ぼったくりの店
しおりを挟む扉が開いた。カナンデラ・ザカリーが中折れ帽子を斜めに被り、ボルドーのカシミヤマフラーを首もとに巻いたトレンチコート姿で入って来る。
「あら、閉店かしらぁ……」
背の高い精悍な顔つきで映画のワンシーンを思わせる出で立ちの割に、女っぽい言い回しで人をおちょくるのがカナンデラの悪い癖だ。
サングラスの男の一瞬の緊張が、妙な生き物を見るような目に変わる。
バーテンダーレスサヨコは「いらっしゃいませ。後五分で店じまいだけど」と笑ってみせた。
「お、お前、カナンデラ・ザカリー。何をしに来やがった」
客のル・マンは警戒心を露にして指を指す。
「おいら、眠れなくてさぁ。とんでもなく安い酒でも飲みたいなぁなんてね」
「あら、噂の探偵さんなの。生憎、安酒は置いてないんだけどね、無っ茶苦茶、値段高ぁぁいボルドーの第五クラスワインならあるわよ」
「ははは、ぼったくりの店かい。ボルドー第五クラスなら、うちの犬が舐めてるぜ。しまったな。仕方ない。それ、ボトルでくれ」
カナンデラは男の傍に止まり木ひとつ開けて座った。
「ワインで良いの」
「良くないならなら、スコッチウィスキー、ワンショット」
「あら、眠れなくてワンショット。可愛いものね。まあ、良いわ。何にする、バーボンもあるわよ」
「へぇ。アメリカは禁止法で酒の輸出はしてないンじゃなかったの」
「うちはなんでもありよ。どっち、イギリスかアメリカか」
「そうだなぁ、この国を脱出しなきゃならなくなったらアメリカに行くか」
「バーボンね。豊潤な香りよ」
サヨコはにこりと笑ってワンジガー(45㎎)を細いグラスに注ぐ。カナンデラはその琥珀色の液体を一気に煽った。
冷えきった身体に度数の強いバーボンが染み渡る。
「ふぅ……もう一杯くれ。このお兄さんにも一杯」
カナンデラを観察していたサングラスの男が、弾かれたように肩を揺らした。
「なあ、兄さん、アルビノを狙うのは止めてくれんか。ボナペティでも話したつもりだが」
「う……」
「人肉食いの外道教団になんの弱みを握られてるんだ。お前だって人情はあるだろう。まさか人肉喰らわされて、ヴァラルラケスラピスに魂まで売った訳じゃないだろうな」
ヴァルラケラピスと聞いて、男の喉を再び胃酸が襲う。
「うぉ、お、お、お前はあのアルビノの何なんだ」
「お兄様だよ。お兄様。愛しのな。あのアルビノに心の底の底から尊敬されて慕われちゃってさぁ、こっちも命がけで守ってやってんだよ」
其々の目の前にグラスが並ぶ。
「お客さん、うちの店は『コロシ』はやらない。物騒な連中の溜まり場だと勘違いしてもらっちゃ困るよ」
「そんな筈はない。ヴァケルラケラピスと関係しているだろう。うちのアルビノが狙われてんだよ、ヴァケピス……ヴァルラルケピスラに」
「それを恨んでの犯行なのね。トミーを殺したのは」
カウンターの中から、黒いコルト45口径の銃口がカナンデラに向けられた。
「可哀想にトミーは知恵遅れで何も知らないのに、何故殺すの」
カナンデラは素直にホールドアップの姿勢になる。顔の両側に手を上げた。
「おいおい、身に覚えのない話だが、何のことだ」
「あんたが殺したんじゃなければ、この街で誰があんな凄惨な殺しをやるって言うの」
「俺様ってばお初の店なのに何かもの凄い言われ方っ。あのな、大体トミーって何処のどいつだ。殺し……凄惨な殺しって、デルタン通りのアパルトマンのカワハギ事件か」
「ほら、目撃者と警察と犯人しか知らない事を」
「おいら探偵だからねぇ、警察サマと現場検証してきたのさ。だから知っているんだ。その物騒なモノを下げてくれないか。この店では殺しはやらないって大嘘だったのか」
「嘘じゃないわ。あんたが犯人じゃなければ誰がやったというの」
「俺は別件で来たんだけどな、そのトミーと云う奴について聞かせてくれ。」
男が口を開いた。
「トミーは常連だ。娼婦と暮らしていた」
「その娼婦は」
「街の立ちんぼだ。朝、デルタン川で袋詰めで発見された」
「おっと、ジャック・ザ・リパーの犯行って噂のあれか」
「そうだ」
男がぐっと喉を鳴らした。ハンカチで口を押さえる。
カナンデラは男に身体ごと向いた。
「何か知っているんだな」
「俺は何も……」
男は止まり木を降りた。降りしな懐から拳銃を引き抜く。
「来るな。付いて来るな。その場で百数えろ」
男は拳銃をカナンデラに向けながら後退りする。
「一、二、兄さん、十八、バーボン奢るのに飲まんのか、三十四、七十八」
カナンデラが男の気を引く。男が「ちゃんと数えろっ」と怒鳴った直後、後ろから男の首を締め上げたのはラルポアだ。
「やだあ、ラルちゃんたら遅いじゃないのぉ、百っ」
カナンデラが女っぽくなよめかす。
「ラルちゃんって誰。それより、ヴァルラケラピス相手に単独行動は無茶だろ所長」
ラルポアは拳銃を奪い取り、男を壁に押し付けた。
「自分だって単独で乗り込んで来たじゃなぁい、ラルちゃんてば、もう」
「そうだっけ」
カナンデラはラルポアを見ながらひょいとカウンターのコルトを奪い取った。銃身が長いコルトは奪いやすい。
「あっ……」
「姐さん、これ、アメリカ銃だね。何でこんなモノを持ってるんだ」
銃を奪われたバーテンダーレスは両手を上げて答えた。
「私もこの国に何かあったらアメリカに逃げるつもりだからよ」
異世界でもこの世界でも、第二次世界大戦が十二年後の同月に起きることなど知らずに、もしもの場合は異世界アメリカへ脱出すると、カナンデラもウタマロのバーテンダーレスサヨコも考えていた。
「ふうん、気が合うなぁ。ってことで、あいつを縛る紐をくれないか」
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