106 / 165
第6章 殺人鬼と逃避行
(7)チャビーラン・ボルドーの下の部屋
しおりを挟む最後の住人は娼婦だった。
本人はチャビーラン・ボルドーと名乗ったが、本名かどうか怪しい。と言うのは『チャビーラン』とはこの国の言葉で椿姫を意味するからだ。
因みにボルドーとはフランスの一地方のことで葡萄の名産地であり、色で言えば誰でも当たり前にワインレッドが浮かぶ。
「チャビーラン・ボルドーとは、フランス系なのか、それとも紅椿のつもりなのか」
ブルンチャスがチャビーランに聞く。
「どちらでも。この国はフランス贔屓だから、フランスのイメージでどう」
色の褪めた古いコートの下は夏生地のドレスで、ブーツを履いてはいるものの見るからに寒そうだ。
「本名が聞きたいな。教えてくれないか」
「ただで娼婦の本名を聞くの。不粋だわね」
右手を出して細い指先を屈伸させる。
「名前でも金を取るのか。ふざけるなよ。殺人事件を捜査中なんだ。冗談を言っている場合ではない」
「殺人事件……何があったの」
チャビーラン・ボルドーは厚化粧の仇っぽい顔に驚きを隠さずに震えた。
「知らないのか。そう言えばお前さん、仕事の時間じゃないのか。今頃帰ってくるとはどうしたんだ」
「お泊まりがあったのよ。夕べからガラシュリッヒ・シュロスで騒いで、其のまま朝まで飲んで、ロイヤルホテルに行って、飲み食いして、他には何もしなかったけれどお金持ちだったからたんまり儲けたわ」
「ガラシュリッヒ・シュロスか。俺も行ってみたいもんだ」
「私、初めて行ってびっくりしちゃった。あははは。世の中にはあんな世界もあるのね。あははは。お金持ちが集まって遊んでいるのよ。大金が飛び交って、札束で尻を拭くような連中よ。ははははは」
チャビーランの目から一筋の涙が落ちた。其の涙に本人が驚いた様子で、笑いが消えた。
「チャビーラン……」
「チャビーでいいわ。みんなそう呼んでいる」
「チャビー、メルロー夫人が殺されたんだ」
チャビーランは嘲りを露にした。
「いつかそうなると思っていたわ。あの売女、あはは」
「売女ってメルロー夫人がかい」
「そうよ。このアパルトマンの住人の男たちもあたしの客だけど、全員ドリエンヌとやってるわ。娼婦の客をただで寝とる人妻よ。ドリエンヌは亭主に逃げられて、まあ、その前から若い妾が階上に住んでるけどね。はははは。そう、殺されたんだ。あははは……」
人が殺されたというのに手を打ち叩いて喜んでいる。
「犯人に心当たりはないか」
「ないわ。あっても教えない。犯人じゃなくて正義の鉄槌だったんじゃないのぉ」
「それは君の主観だ。どんな人間でも殺されたなら犯人を挙げなきゃならない。それが我々の仕事だ」
「ふん、デルタン川に浮かぶ娼婦の死体は調べられないって言うじゃない。私があの川に浮かんでも調べちゃもらえないのよね、刑事さん」
「浮きそうなのか」
「嫌ねぇ。次に会うのがそんな場面ならお断りよ。もっと色っぽい方が良いわ。悩殺してあげるわよ。お金を出せばね。あははは」
「で、犯人の心当たりはないんだな」
「そうね。ひとつだけ。私の部屋の下の階には誰も住んでいないはずなんだけど。そこはアデリアの部屋だったのよね。アデリア・メルローの。幽霊が出るのよ。私、酔って帰ったことがあって、見たの。アデリアの幽霊。それに、声も聞こえたわ。でも、妙なのよね。アデリアがあんなこと言うはずがないんだけど……」
「何を言ったんだ」
「ふふ、刑事さん、娼婦からただで聞き出そうって言うの」
「こちらは仕事だ。お前さんと遊んでる訳じゃない」
「あら、遊ぶこともあるのね。ふうん。そう言えばこの前の客は警察官だったわ」
「チャビー……この国には娼婦を裁く法律はない。売春行為も裁けない。しかし、下っ端公務員の買い春は禁じられている。その警察官は誰だ」
「怒るわよ。教える訳ないでしょう。折角、幽霊のことを話してあげたのに」
「チャビー」
チャビーランはブルンチャスを睨み付けた。
「ふふ、怖い顔。幽霊はね、ブリンクス・メルローを殺すと言ってたのよ。アメリカに行く前にね。私、酔っぱらってたけど夢じゃないわよ」
「チャビー。お前がブリンクスを最後に見たのはいつだった」
「そうねぇ、あら嫌だ。去年の春頃だわよ。ねぇ、刑事さん、怪しいでしょ。
まず、去年の初めにザッキアとアデリアが死んだでしょ、立て続けに。そしてブリンクス・メルローさんがいなくなった。メラリーは大変だったわよ、可哀想に。本妻のドリエンヌはパーティーしてたらしいけどね。で、昨日まで私は、これは全部ドリエンヌの仕業だと踏んでいたの。そのドリエンヌまで死んだのなら、ちょっとわからなくなったわね。幽霊以外に、私には犯人の心当たりはないわ。言えることはね、刑事さん。ドリエンヌは人妻でありながらこのアパルトマン以外の男も連れ込んでいたってこと。売春婦ではないのだから、死刑に匹敵する物凄い売女ってことよ」
「その男は今、捜査員が当たっている」
「あっ、そう。ちゃんと知っていたのね。処で刑事さん、私の部屋に来ない」
「何を言うんだ。今は仕事中だ」
「あら、うふふ。勘違いさせてご免なさい。違うの。私の部屋って変なの。何か匂うのよ。アデリアの部屋が変なのかな」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる