毒舌アルビノ・ラナンタータの事件簿

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

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第6章 殺人鬼と逃避行

(9)ツェッペリン

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ラナンタータは狸寝入りを決めた。

1927年のこの国で、アスファルトの道路は珍しい。街中、昔からの石畳と歩道にはしきがわらが敷かれ、水捌けが良い代わりにデコボコが多い。


何処なの……
やっぱり起きて確認するべきだね


ラルポアが階段を上がった。
一段づつ身体が浮く感じがして、ラナンタータは眼を開けた。


比べてみると、この国は多少日本よりも遅れた面がある。日本で初めてのアスファルトは明治11年、西暦1878年にできた東京の橋だった。


ラルポアが「起きたね。でも、もう今は下ろせないから」と言った。うん、と頷きながらもラナンタータは首を巡らせる。


「空港だよ」

「えっ、リンドバーグ……」

「違う。ツェッペリンだ」


リンドバーグとはアメリカフランス間を横断した二翼の飛行機のことだ。アナザーワールドで起きたことは、ラナンタータの世界でも似たこが起きる。
ここで言うツェッペリンとは、従来の飛行船を指す。


「本当に……凄い」

「イサドラ専用のチャーター便らしい。ドイツに向かう」


飛行船のステップを上がりきったらしく、頭の上に天井が見える。


「ドイツからフランス入りかな。イサドラって賢いのね」


ラルポアの腕から下ろされたラナンタータが周りを見る。かなり広い。壁と天井に美しい絵が描かれていた。

サドラが振り向く。


「お誉めに預かりまして、うふふ……」

「イサドラ、私、お腹空いた。アペロも未だなの」


イサドラはふわりと花が綻ぶような笑顔を見せた。誰もがイサドラに惹かれる瞬間だ。花の妖精。未だ二十代前半のイサドラがあんな残忍な事件を起こすとは信じられないと、疑問も浮かぶ。


「そうね。エマル、早速、アペロにして」


イサドラに命じられてエマルがお辞儀をして奥に消えた。


夕食前の長いアペロはフランス流の習慣だが、フランス文化に傾倒している国民性はカナンデラ・ザカリー探偵事務所のメンバー全員も同じく、また、イサドラにしても予定通りだったらしい。

豪華なソファーセットは毛皮が被せてあり、毛皮のクッションがいくつも置かれ、床もふかふかの毛皮の絨毯が敷かれている。

凄まじい毛皮フェチのイサドラの好みに合わせたのだろうが、とんでもない大金持ちがイサドラのバックに付いていることを思い知らされる。


「座りましょ」


イサドラに勧められて、イサドラとカナンデラ、向かいにラナンタータとラルポアが座る。腰を柔らかく包み込む毛皮は日向の臭いと薔薇の香りがした。


「イサドラって金持ちなんだ」

「あら、私の持ち物はこのたったひとつの生きている身体だけよ。あとは芸術を愛する心かしら。それが私をこの様に存在させているのよ」


牡丹の花に似ているとラナンタータは思った。チャイナの大きな壺に描かれていた淡い色合いの美しい大輪の花が、目の前で咲いている。

イサドラは、ガラシュリッヒ・シュロスのスターだった。この国の踊り子を目指す全ての者の憧れ。

誰もが立てる場所ではない場所で、スポットライトを浴びていた彼女を目の前にしている。


「イサドラって賢くて美人だね」


イサドラは驚いてラナンタータを凝視する。


「ラナンタータお嬢様、あなたに言われると何だか初めて聞く言葉のような新鮮な驚きがあるわ」

「ラナンタータでいいよ。いちいちお嬢様って言わないで。どうせ私だって、本当に持っていると言えるものは命と精神だけだもの。このアルビノの身体と、ここに入っている心くらいだもの。あなたの方が女性らしくて上品だし。賢いとか美人とかって、言われなれているんだなぁって理解できたし」

「では……ラナンタータ、有り難う。でも、あなたを誘拐した私を何故、誉めるのかしら」

「おいおい、ラナンタータはお世辞は言わないんだ。ただね、こいつのオツムは余りにも暇なんだ。だからフランスに遊びに行けるのを単に喜んでいるのさ」


カナンデラが笑う。
その笑顔には険がない。


エマルと黒い服の数人がトレーにワインとアペロの軽食を乗せて運んで来た。

テーブル狭しと皿が並んだ後で、黒服のひとりがワインの栓を抜く。

ラルポアが口を開いた。


「マム・イサドラ。君や僕たちを存在せしめているのは、人間の目には見えない大いなる力だ」


ワイングラスにブルゴーニュの真珠と呼ばれるロマネ・コンティが赤々と光り注がれる。


「あら、私も信じていたわ。目には見えない大いなる力を持つ存在者を。究極の絶対なる存在者をね。でも、いつかあなたもわかってくれると思うけれど、その存在者は近寄り難い奥深い方。なかなか味方になってくれないのよ。特に、復讐を心に決めた者にはね。さあ、ロマネ・コンティをラナンタータお嬢様の為に用意したのよ。乾杯しましょう」


グラスを持つように勧める。


「お嬢様はやめて」

「ふふ、可愛いラナンタータの為に……」


イサドラはラナンタータに優しい眼差しを向けてから、そのままの表情でラルポアに視線を移した。


「ラルポアさん、もしも、可愛いラナンタータがあなたの前から、いいえ、私たち全員の前から未来永劫消滅したら、あなたも復讐を誓うのじゃなくて」

「まさか、そんなことを考えている訳じゃないだろうな」


いち早くカナンデラが反応した。
ラルポアは、イサドラをきっと見据えている。


「あら、私はラルポアさんにお聞きしているのよ。あなたの存在意義に関する大問題よね。ラナンタータお嬢様を守るボディガードとしては。いいえ、ボディガード以上よね。うふふ」




続く
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