毒舌アルビノ・ラナンタータの事件簿

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

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第6章 殺人鬼と逃避行

(19)腕枕

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ショアロナの髪からはバニラの甘い匂いがした。アントローサは微睡みながら腕枕したショアロナの髪に顔を埋める。


「あの子達はまだ帰ってこないみたい」

「ラルポアと一緒だから心配ないよ」


すうっと深い眠りに落ちた。

何処かで「二晩も連絡なしか。電話くらいすればいいものを」と思ったからか、おかしな夢を見た。

ラナンタータとラルポアが豪華客船に乗っている。海の風に吹かれてふたりがキスしているその船が、タイタニック号だ。アントローサは魘された。


ラナンタータ、ラルポア
早く降りろ
ふたりで逃げろ……


タイタニック号が氷山と接触したのは15年前の1912年。北大西洋上でのことだ。その美しい豪華客船の処女航海中の沈没事故は、アントローサにも衝撃を与えた。



ブルンチャスが見上げた窓に、ランプの仄かな明かりが灯っている。

居酒屋のチキンとポテトの紙袋が破けそうだ。迷わずアパルトマンに入り、階段を上る。

二階に差し掛かった時、三階から降りてくる影に気づいた。


「今晩は、あなたは……」


ブルンチャスは先に挨拶した。


黒いフロックコートを着た恰幅の良い紳士は、年の頃四十代、体格に似合わず青白い皮膚をしている。


「今晩は。私はここの住人ですよ。長い間留守にしていたので……」

「済みません、お名前伺っても」


ブルンチャスは警察手帳を見せた。


「ガレン・ガーグルです」

「ガーグル……元伯爵のピアニスト。ガーグル卿ですか」

「ええ。立場上このようなみすぼらしいアパルトマンに出入りするのは気が引けますが、独りになれる場所が必要でしてな」

「それはまた……」

「休場も奪われてしまうほど忙殺されております。もう宜しいかな。近くに馬車が来ているはずだ」

「もうひとつだけ。ここで殺人事件があったことはご存知で」

「ああ、勿論だとも。恐らく犯人に繋がるかもしれない情報も持っている」

「犯人……誰です、それは」

「若草色のストールの女だ。あの日、わたしは外国から戻ったばかりだったから、覚えている」


ガレン・ガーグルは階段を一段降りた。


「馬車から降りたとき、家主のドアから離れて行く若草色のストールを見た。顔は見えなかった。それだけだ」

「あ、有り難うございます。十分な情報です」

「お役に立てましたかな。では、私が出入りしていることはくれぐれも内密にお願いしますよ」


ガーグル卿は階段を降りて、振り向くことなく立ち去った。


チャビーランに聞けば
女のことはわかるはずだ……


チャビーランは、足音がドアの前で止まったことに気づいた。その足音が微動だにせず、佇んだままなのを訝ってドアを開けた。ブルンチャスが立っていた。


「きゃあああ、来てくれたの」


思わず抱きつく。
一日中ブルンチャスと子供のことで悩み、結局仕事に出る気になれず、落ち込んでいた。

今から準備しても
デルタン川の畔なら
まだ人通りがあるわよね
一番最後に残ったら危ないけど
だって、切り裂かれたくないし
川面に浮いたりしたくないけど
子供の為なら立つしかないのよ


そんなこんなで揺れて、足音を聞いた。

跳ねるような気分で、ブルンチャスの唇にキスする。


「う……」


ブルンチャスが破けそうな紙袋を抱えて身動みじろぎできないのをいいことに、熱烈にキスして「嬉しい」と抱き締めた。

ブルンチャスは目眩を感じた。顔が赤らんで心拍数も上がる。長らくご無沙汰で排尿しか役目のなかった部分が勃起しかけて、歩きにくい。


「入って入って」


手を引かれて、鈍い牛のように部屋に入る。チャビーランは笑顔でベッドに座らせて隣に寄り添った。


「いるとは思わなくてな、安物のワインだが……」

「何を言っているのよ。私なんか、安物でも買えない時がざらよ。有難いわ。あ、でもそれは自分の為だってことね」

「いや、良いんだ。何故か、チキンとポテトは独りでは食べきれないほど買ってしまった」


サイドテーブルに袋を開けた。


「あはは、ボヌールラッキー。美味しそう」


ブルンチャスは若草色のストールについて聞き出すことを後回しにした。チャビーランの笑顔に一点の曇りも生み出さないように、今の時間を大切にしたい。

ふたりは喋りながら食事を楽しみ、ブルンチャスはコートを脱いで添い寝した。

ベッドの中に誰かがいることが久しく皆無だったブルンチャスは、こんな場面が人生に訪れることを予想してはいなかった。


神はなんと面白い出会いを
演出なさるのだろうか……
定年間近の老刑事と若い娼婦……
神の思惑は計り知れない


国教がキリスト教ならではの思いなのかもしれない。ブルンチャスはチャビーランに腕枕をした。


寝息も愛しい
定年か……
そう重く考えることもないか




ラルポアはラナンタータに腕枕をしていた。豪華客船ではないが、ヒンデンブルグ号墜落事故で世間を驚かせる類いの飛行船の中だ。


イサドラの指摘は痛い

子供の頃は
閉じ込められて育った
ラナンタータが不憫だった
しかし
今は閉じ込めておきたい

ヴァルラケラピス問題もある

勿論ラナンタータの
僕に対する独占欲は
恋愛感情ではない

イサドラが殺人鬼でなければ
アントローサ家にとっても
問題ではない







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