時雨太夫

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第十一話 

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 あの女素破すっぱを捕まえてから数日が経っていた。
戻ってきたお美津みつはすでに気が抜けた状態になっていた。今は空いている部屋で休ませてある。
 お美津みつが戻ったあと、始末に行った用人ようにん達は全員見世みせを辞めたらしい。
今現在、勘左衛門かんざえもんの外の手下達が、大見世おおみせ膳屋ぜんやを洗っている。しかし、十日以上経っても証拠はあがらない。笑鬼しょうきと呼ばれた、あの鬼柳勘左衛門きりゅうかんざえもんの手下をもってしても……。
それだけ相手が強大な力を持っているということだ。

時雨太夫しぐれだゆう、ちょっと良いかい?」

部屋の外から勘左衛門かんざえもんの声がかかった。時雨しぐれが入るよう促すと、そそくさと入ってきた。

てて様、どういたされたのでありんすか?」

 ここ数日は時雨しぐれも客を取っている。事件は解決していないが仕事を放り出すわけにはいかない。いつも通りお大尽だいじんの相手をし、花代はなだい足代あしだいを稼いでいた。
目の前には勘左衛門かんざえもんが正座している。表情が険しい。
 勘左衛門かんざえもんの本名は鬼柳勘左衛門きりゅうかんざえもん
もと時任ときとう家の家臣で、笑鬼しょうきという名誉か不名誉か分からない銘をもつ男だ。
時任ときとう家に仕官していた頃は大阪の陣での活躍は凄まじく、特に素破すっぱを使った撹乱かくらん戦術に長けていた。そして、捕らえた素破すっぱから情報を得るのが最も得意とするところだった。
家康公に「事、尋問に関しては、上総介かずさのすけ殿に匹敵する」とまで言われた男だ。

膳屋ぜんやのことだが、どうやら長崎奉行が関わっているらしい」

 長崎奉行。
天領てんりょう長崎の最高責任者。
長崎の政治・法執行に加え、諸外国との通商、外交、出島でじまの管理、西国さいごくキリシタンの監視を担当する役人だ。
ここが関わっているということならば勘左衛門かんざえもん公儀こうぎ隠密おんみつではないので大きく動くことは出来ない。
しかし、西国さいごくににらみをきかせるために作られた時任ときとう家なら介入できる。

「そうでありんすか。では、阿芙蓉あふようの件は時任ときとう家を通じてご公儀こうぎに?」

時雨しぐれは少し考えるように俯いた。時任ときとう家……。懐かしい響きだった。

「いや、そこなのだが、お美津みつ時任ときとう家に戻そうかと思っておる」

 それは時雨しぐれにとって意外な言葉だった。
今は気を沈ませているが、お美津みつは江戸の勘左衛門かんざえもんの配下の中でも一・二を争う素破すっぱである。その駒を手放そうというのだ。

てて様、それは……おっちゃんにはもう……」

 時雨しぐれはあの事件の後からお美津みつを妹のようにかわいがっていた。やっと心を開くことが出来るかもしれない者と出会ったのに……。
それが会えなくなる。
 しかしまた、自分には近づかない方が良いという思いもある。
凶状きょうじょう持ちの自分には……。

「あぁ、先程話してきた。本人は意外と乗り気だったよ」

多分、お美津みつかたき討ちをしたいのだろう。
長崎奉行が絡んでいるとなると個人の力では限界がある。
そこに西の実質的な目付役である時任ときとう家からの任務となれば、金、人脈等、協力を受けやすい。
それに乗るつもりだろう。

「で、おっちゃんが出立するのはいつでありんすか?」
「明後日の朝には出ると言っていた。私も大殿おおとのに事の報告をせねばならんからな。密書みっしょを持っていってもらうつもりだ」

明後日という言葉に時雨しぐれは心が少し締め付けられ、凶状きょうじょう持ちの自分の心が少し変化していることに気づいた。十五のあの日から感じることのなかった感情。愛情と呼べるものが芽生えていた。
しかし、それも遠ざかる運命にあるようだ。やはりこの身に宿った狂気は人を遠ざけるのだろうか。
時雨しぐれは【ふぅ】と心の中で溜息をついた。
去る者は追わない。
それが十五以降で身に付けた処世術しょせいじゅつだった。

てて様、今日はお客人の予定はありんしたか?」

時雨しぐれは自分の予定をほとんど憶えていない。ほとんどは勘左衛門かんざえもん禿かむろが憶えていて、朝、昼、夕と予定を伝えてくる。

「いや、今日は誰もいないはずだが」

「そうでありんすか。
ではあちきは今日・明日は休業でありんす。身銭みぜにを切りますので八百膳やおぜんから食事を取っていただきたいのでありんすが。
二人前」

 そう言って引き出しの中から十の白い包みを持ち出した。それをそのまま勘左衛門かんざえもんへ渡す。

「明日の夜までは誰も通さないでおくんなまし。
余程の緊急時の時以外は」

 勘左衛門かんざえもんも何か納得したように頷いた。

「分かった。手配しよう。
他にいるものはあるかな」

 時雨しぐれは必要なものは地下から取ってくるといって立ち上がった。
同時に勘左衛門かんざえもんも立ち上がる。二人は同時に部屋を出てそれぞれの行くところに歩き出した。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

「おっちゃん。今夜、あちきのところへ来てくんなまし」

 時雨しぐれは突然お美津みつの部屋に入ってきた。

時雨しぐれ姉様、どうしたのですか?」

 お美津みつはいつからか時雨のことを姉様と呼ぶようになっていた。旅支度の手が止まり、慌てて後ろに隠した。
まだ、ここを離れることを時雨しぐれには言っていなかった。正確には言えなかったのだ。時雨しぐれと共に暮らしたい。そういう気持ちが自分の心の底に芽生え始めていることに気がついたからだ。

(言ってしまったら、旅立てない。それに素破すっぱ失格だ)

その心が時雨しぐれに挨拶することを拒んでいた。だから旅立つ日に勘左衛門かんざえもんに文を渡し、こっそり旅立つつもりだったのだ。

「んふふ~、ひ・み・つ」

 時雨しぐれはとてもうれしそうだった。誘いを断ろうかとも考えた。
しかし、久しぶりに見た時雨しぐれのうれしそうな顔を曇らせたくはなかった。

「わかりました。伺います。何時に行けばよろしいですか?」
「ん~、迎えに来るから待っててくんなまし」

ひらひらと手を振り、そのまま去っていった。お美津みつは何だろうと思いながら旅支度の続きを始めた。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 日が暮れ始めた頃、時雨しぐれが部屋にやってきた。正式な太夫たゆうの姿だ。時雨しぐれの両横には二人の禿かむろが立っている。

「さあさ、いくでありんすよ」

時雨太夫しぐれだゆうはお美津みつの手を握り、時雨しぐれの部屋へと導いた。そこには部屋を埋め尽くさんばかりの豪華な料理が並んでいた。

「……時雨しぐれ姉様、これは……」

 二人の禿かむろ時雨しぐれとお美津みつの手を取り部屋の中に連れ込んだ。
二人を座らせると、禿かむろ達は部屋から出て行く。
部屋の中には二人だけが残る。
誰もいない二人だけの空間。
美津みつは何が起きているのか理解できていなかった。

「お~み~つ~、た~び~に~出るんだってね~」

 時雨しぐれの顔がお美津みつの耳元へ近づくと、怪談話のような口調で話しかけた。
【ふぅ】と生暖かい息がお美津みつの耳の中に吹き込んできた。

きゃぃっ

 不意打ちにお美津みつの口から変な声が漏れた。
そして驚いた顔で時雨しぐれの方を見つめている。
時雨しぐれは固まっているお美津みつを引き寄せそっと抱きしめた。

「おっちゃん、無理はしないで……ね」

 時雨しぐれからはそれだけの言葉がかけられた。お美津みつの目に涙が溢れ出す。
少しだけ、きゅっと時雨しぐれの腕に力がこもる。
突然、お美津みつはわんわんと大声で泣き出した。その間、時雨しぐれはずっと抱きしめ、頭を撫でていた。
美津みつが泣き止んで暫くして、二人は食事を取り始めた。
美津みつは今までに食べたことがない食事にあれこれと質問をしてきた。以前酔っ払った諸白もろはくも飲んでいる。
すべてを食べ終わり、時雨しぐれの部屋は静かになった。
 お美津みつ時雨しぐれの膝の上でじっとしていた。その頬を時雨しぐれの手がゆっくりと撫でる。何も会話はない。
それから半刻はんときほど経ったとき、二人は申し合わせたかのように唇を重ね合わせていた。
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