時雨太夫 東海道編 箱根の宿

文字の大きさ
14 / 18

第十四話

しおりを挟む
 時雨しぐれは暑い日差しの中で目を覚ました。薄らと目を開けると眼が潰れるような光が飛び込んでくる。

「ねぇ、大丈夫?」

 冷たい液体が時雨の額を覆う。ひんやりとした冷たさが時雨の体温をゆっくりと下げてゆく。時雨はその心地よさに身も心も委ねていた。

 (どれくらい斬ったのだろう。春を連れて帰らなくっちゃ)
 そう思った時雨だったが、自分のいる場所、格好に違和感を持った。
 時雨は一気に跳ね起き、普段太刀を置いている場所と腰に手をやる。しかしそこには太刀は無い。腰を沈めすぐに自分の置かれた状況を確かめる。
 木々の生い茂った森の中、見覚えのある小僧が立っていた。その腕の中には時雨の大切な二本の太刀が抱きしめられている。

「……小僧」

 時雨の雰囲気に小僧は少し後ずさった。目と顔に恐怖の表情が浮かんでいる。時雨が一歩踏み出すと、小僧は二歩下がる。それを二・三度繰り返したあと、時雨は小僧の目の前に立っていた。小僧は何が起こったのか分かっていない。十分に距離を取っていたはずなのに時雨が側に立っていたからだ。
 逃げ出そうとする小僧の襟首を時雨は掴んだ。時雨の手から逃れようと小僧は足をじたばたとさせている。それでも太刀は放そうとしない。時雨は溜息をつき小僧を後ろから抱きすくめた。小僧の背中に時雨の豊かな胸が押しつけられる。

「ねぇ、何もしないからそれ、返してくれない?」

 時雨は出来るだけ優しい声を出して小僧の耳元で囁いた。小僧がゆっくりと振り返る。

「ほ、本当に何もしない? 殺さない? 昨日のようにみんなを殺したようにしない?」

「……何のことだ?」

 時雨はそっと小僧を離すと少しだけ距離を取る。小僧はそのままゆっくりと振り返り時雨の顔を見た。そして安心したような表情を浮かべる。

「あぁ、もう怖くないや。 覚えてないの? 昨日の夜は凄かったんだから……」

 小僧はゆっくりと歩いてくると太刀を時雨に渡し、そのまま時雨の横に座った。
 時雨が横に腰を下ろすと小僧は昨夜のことを語り始める。時雨の記憶は一人の侍が仲間を犠牲にして突き込んできたところまでしか残っていなかった。
 あの後時雨は庭に出ていた用心棒や侍を皆殺しにしたようだ。そして、母屋にいた小僧を除く全員を皆殺しにしたということだった。当然、宿場中から応援が入ったがまったく意味をなさなかったそうだ。
 入って来た者は全て斬り捨て、女、子供、全てを斬り捨て、最後に小僧を掴んで宿場の中を疾走し山の中に走り込んだということだ。
そしてこの場で時雨は倒れ込み、小僧が今まで介抱していたということだ。

「どうして逃げなかった? 役人に知らせようとは思わなかったの?」

 時雨はふと疑問を口にした。小僧は黙って宙を見つめていた。

「たぶん、逃げてたら殺されていたと思うから……かな」

 小僧は真剣な目をしていた。少しだけ身体が震えている。

「どうしてそう思う?」

「だって、……だって昨日のお姉さんをたら誰だってそう思うよ!」

 時雨は小僧の真剣な視線を受け溜息をついた。
 どうやら昨夜は完全に理性が飛んだようだ。時雨は自分が幼い頃に住んでいた国を追い出された時を思い出していた。同時にまたやってしまったという気持ちが心を支配する。
昨夜はどれだけの人を殺めたのだろう。

「そういえば名前は?」

「小吉」

 時雨は小吉の頭にぽんと手を乗せた。小吉は黙って時雨の顔を見つめる。

「御免ね。怖かったでしょ。もう、宿場に戻って……」

 その言葉に小吉は複雑そうな顔をする。その表情に時雨は小僧の目をじっと見つめた。静かな刻が流れる。暫くして小僧が口を開いた。

「もう戻れないよ。たぶん見世みせの人はみんな死んじゃったから」

 小僧は口減らしのため奉公に出されたそうだ。そこで箱根の薬種問屋やくしゅどんやに奉公に出て三年。故郷の村は先年の飢饉で全滅したということだった。時雨は吉原にいた頃、西国から来た武士に飢饉の様子を聞いていた。

(どうしたものかな? このまま小吉を放り出すのもなぁ……)

 小吉の住処、仕事を奪ったのは時雨だ。意識してやったことではないにしろ多少の責任は感じていた。かといって金を渡して済む問題でも無い。それに昨夜のことを見ていた者がいないとは限らない。今頃は箱根の宿場は大変なことになっているだろう。
 さすがの時雨もあれだけの人数の侍と足軽を相手にするつもりはなかった。正面からは。

(いっそ一度江戸に戻って古巣の喜瀬屋に預けるか)

 時雨が小吉のことで悩んでいると小吉の方が口を開いた。それは時雨の大きな悩みの種となる一言だった。

「ねぇ、お姉さん。旅してるんだろ。僕も連れて行ってよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...