降嫁した断罪王子は屈強獣辺境伯に溺愛される

Bee

文字の大きさ
52 / 61

51 ハルカ参上

しおりを挟む
 領主の住むこのサルースの城は小高い丘の上にあり、内郭と外郭を隔てる城壁は高くそびえ、たとえ外郭へ敵の侵入を許したとしても、敵の放つ矢はよほど高く飛ばさない限りは中まで届くことはない。
 城壁外側の地面は柔らかい砂地で足場もなく、兵士ですらこの塀に外から登ることは困難である。……にもかかわらず、その塀の上には今、少女がひとり立っていた。

 夜の闇に溶け込むような漆黒のマントに、漆黒の髪。炬火に照らされたその顔は、まるで子どものような幼さで、無表情でこちらを見下ろしている。

「降りてきなさい」とひとりの兵士が手を伸ばす。しかし少女は表情筋をピクリとも動かすことなく、冷たい視線を送るだけだ。

 ――こんなに大勢の兵士が集まったというのに、この少女は怯えるどころか平然たる態度で、なんだか気味が悪い。

 しばらく睨み合いが続き、降りてこなければ弓を射るぞと脅しをかけたとき、少女の表情が変わった。だがそれは脅しに対する恐怖の表情ではない。なぜならその視線は武器を構えた兵士にではなくそのずっと後ろにあり、その上その表情は、まるで諦めていた失せ物を見つけたときのような輝かんばかりの微笑みだったからだ。

 少女は叫ぶ。

「ローレント様!」

 兵士たちが一斉に振り向く。そこには兵士らの主である領主ガーディアスの妻ローレントが立っていた。

 
 □


 「ハルカ!!」

 ローレントが名を叫ぶように呼ぶと、あの懐かしい、ハルカの愛くるしい声が聞こえた。

「ローレント様ぁ!」
「ハルカ!! やっぱり君だったか!」
「やっと見つけた~~~!! よかった~~~!!」
「危ない! ハルカ!」
 
 ハルカが塀の上で、ぴょんと飛び跳ねるようなポーズをとった。纏ったマントがひらりと舞い、本当に危険な塀の上で飛び跳ねたかのように見えて、驚いたローレントが慌てて止めようと前へ出る。すると潮が引くように、兵士たちが道を空けた。

「全然大丈夫なんだから~~!」

 ふふふとハルカがいたずらっぽく笑い、ローレントがほっと息を吐く。そして額に滲んだ汗を、手の甲で拭き取った。

「そこは危ないから、降りておいで」

 いつでも抱きとめられるよう手を伸ばすが、ハルカが首を振る。

「なに言ってるのよぉ~! 危ないのはローレント様のほうでしょ! 私は迎えに来たの! 私と一緒にここを出ましょ!」
「え?」

 ローレントはポカンと口を開けた。

「迎えに来たって……どういうことだい?」
「どうもこうもないわよぉ! まさかあの断罪で、ムキムキ獣オヤジルートに入るとは私も思ってもみなかったのよ。ほんと最悪の終わりじゃない! このルートはローレント様は監禁拷問の末、精神がおかしくなっちゃう破滅エンド。このままじゃ、あんた死んじゃうのよ!」
「は……? ルート……? 死ぬ……?」

 ハルカの言っていることの意味がわからない。以前からハルカはよく意味のわからないことを言っていたのだが、今日はさらに意味がわからない。

「ハルカ、なにか誤解しているようだけど……」
「誤解もなにもないわよ! ……ローレント様のその格好! 髪はくしゃくしゃだし、ヨレヨレの服でそれに裸足って……。ああ~もう! 私のローレント様を粗末に扱うなんて信じらんない!」
「いや、違うんだ! さっきまでちょっとくつろいでいて、慌てて出てきたから……」

 ローレントは慌てて、はだけていた服の前をかきあわせる。
 無我夢中だったせいで、さっきまでガーディアスとじゃれていたままの姿でここに来てしまったのだ。
 
「あ、やだ足! その足先の黒い汚れ、もしかして血が出てる!?」

 ハルカが大げさに口元に両手を当てた。

「え? あ、本当だ……」
 
 言われて確認すると、足の指に血がついている。
 急いでいたから裸足のまま畳の上を走り、爪を割ったか、皮膚を切ったかしたようだ。

 血にまみれた足では、たしかに勘違いされても仕方がない。……のかもしれない。

「きゃー!! もう許せない!!! 私のローレント様に~~~!!」

 そう言うと、ギロッとローレントを睨んだ。いやローレントをではない。その目はローレントを通り越し、その背後に立つ者に向けられている。
 ローレントが振り向くと、そこにはガーディアスが険しい顔をして立っていた。

「……ガーディアス…………」
「出たわね。元凶獣オヤジ」

 ハルカがサッと手をマントから出した。その手には何か――ロッドのようなものが握られている。
 ローレントは初めて見るものだ。丸みを帯びた形状で可愛らしい見た目をしているが、なんだか異様だ。嫌な予感がした。

 「ハルカ……!?」

 ハルカがロッドを振り上げ、何かを叫ぶ。その瞬間、ガーディアスに向かってハルカのロッドから、勢いよくなにかが噴出するのが見えた。
 ローレントは反射的に、ガーディアスの前に飛び出した。

 バンという破裂音のようなけたたましい音とともに、ローレントの体が、いやその周囲に張った膜のようなものがその何かを弾き返した。これはローレントができる唯一の魔法。防御魔法だ。
 ハルカの放ったそれは衝撃波のようなものだったらしく、弾かれた先で木の枝を粉砕し、霧散した。

 それを周囲の兵士たちは、何が起こったのか理解できず呆然と眺めている。

 久々に使った魔法のせいか少しめまいがして、ローレントはその場で片膝をついた。

「ローレント!」
「ローレント様!!」

 背後からガーディアスの怒号のような声が聞こえる。そして自分を呼ぶハルカの悲痛な声も。
 
 「ローレント様! ローレント様ぁ!!」

 今にも泣きそうなハルカの声に、ローレントはなんとか頭を持ち上げ、彼女のほうを見た。ハルカはローレントの名を叫びながら、ゆうに5mはあるだろう塀の上から飛び降り、こちらに駆け寄ってくる。
 
「何をぼさっとしている! あの女を捕まえろ!」

 ガーディアスの命令に、ハルカに向かって兵士たちがどっと押し寄せた。しかしハルカはそれを器用にかわし、マントを翻し兵士たちの間をすり抜けては、文字通り飛ぶように駆け抜ける。

 苛立ったガーディアスが近くにいた兵士の腰から剣を引き抜くと、ローレントを庇うようにして前へと出た。

「ガーディアス! だめだ!」

 ローレントが立ち上がりながら、ガーディアスを制止する。だが、ガーディアスは聞く耳をもたない。そしてハルカもまた、勢いよくガーディアスに向かって突進する。ローレントは2人をなんとか止めようと、「ハルカ!」と叫んだ。
 
 ガーディアスの目の前でハルカが跳躍する。それはとても少女とは思えないほどの跳躍力で、ゆうに2mはあるガーディアスの頭上の遥か上へと舞い上がり、そして持っていたロッドを振り上げた。
 
 またあの衝撃波がくる! あれを生身で受けるのは無理だ。ローレントは咄嗟にガーディアスの前へ出ようとした。しかし慌てたせいで、足がもつれて地面に膝をつく。

 間に合わない!
 ローレントがそう思った瞬間。ガーディアスは、持っていた剣をハルカ目掛けて投げつけた。それはハルカがロッドを振り下ろそうとする仕草を見せた瞬間の出来事で、振り下ろされるよりも早く剣の柄がロッドへとぶつかった。

 「きゃっ! 嘘ぉ!」

 ハルカの手からロッドが落ち、バランスを崩したハルカが、無防備な姿勢のまま地面へと落下する。

 危ない! とローレントが叫ぶよりも早く、ガーディアスが片手でハルカをキャッチした。
 ハルカは片腕を掴まれた状態で、ぶらんと宙吊りになった。その顔は、なにが起こったのか理解できないようで、ポカンとしている。

「危険人物を捕まえたぞ。捕縛しろ。おい、さっさとしろ」

 まるで物でも扱うようにポイッとハルカを兵士に投げると、ガーディアスが忌々しそうにそう命令した。
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! ユィリと皆の動画つくりました! お話にあわせて、ちょこちょこあがる予定です。 インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

【完結】婚約者の王子様に愛人がいるらしいが、ペットを探すのに忙しいので放っておいてくれ。

フジミサヤ
BL
「君を愛することはできない」  可愛らしい平民の愛人を膝の上に抱え上げたこの国の第二王子サミュエルに宣言され、王子の婚約者だった公爵令息ノア・オルコットは、傷心のあまり学園を飛び出してしまった……というのが学園の生徒たちの認識である。  だがノアの本当の目的は、行方不明の自分のペット(魔王の側近だったらしい)の捜索だった。通りすがりの魔族に道を尋ねて目的地へ向かう途中、ノアは完璧な変装をしていたにも関わらず、何故かノアを追ってきたらしい王子サミュエルに捕まってしまう。 ◇拙作「僕が勇者に殺された件。」に出てきたノアの話ですが、一応単体でも読めます。 ◇テキトー設定。細かいツッコミはご容赦ください。見切り発車なので不定期更新となります。

処理中です...