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1巻
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來実が言うと、ガーシェルムは不快そうに眉根を寄せた。
「その程度のこと、学園の者であれば誰でも知っている」
「それだけじゃありません。好きな食べ物はポルポル鶏の煮つけ。それも、トマトと砂糖の入った甘い味が良いんですよね。少年期に湖で溺れた経験があって、それ以来、水辺が少し苦手。屋敷の庭に入り込んでくる茶色い野良猫をニャーゴと呼んで、密かに可愛がって――」
「わあああぁっ!」
ガーシェルムは顔を真っ赤にして、來実の言葉を遮るように大声をあげた。
「貴様、なぜそれを⁉」
「さて、どうしてでしょうか」
ガーシェルムの反応が楽しくて、來実がニヤニヤと笑うと、彼は顔を背けた。
「浄化魔法さえ通じれば、今すぐ消し去ってやるものを……」
懐のワンドに手を伸ばしたガーシェルムを見て、來実は慌てて真面目な顔をする。
「わわ、すみません。からかいすぎました」
「正直に話せ。なぜ、私の個人情報を知っている。屋敷の猫のことなど、家族でさえも知らぬというのに」
見ず知らずのゴーストに自分の秘密を知られているのは不気味だろう。
ガーシェルムが怒るのはもっともだが、素直に話したところで、果たして納得してもらえるだろうか。
「嘘をつくなって怒らないでくださいね?」
「正直に話せば、そのようなことは言わない」
前置きをすると、ガーシェルムは怪訝そうに眉を跳ねさせる。
「私が生きていた頃、この学園を舞台にしたゲームをプレイしたんです」
來実が正直に打ち明けると、案の定、ガーシェルムは理解できないという顔をした。
「ゲーム? ドレイドルのようなものか?」
ドレイドルというのは、サイコロを使ったギャンブルのようなゲームだ。
コンシューマーゲームのない世界で、乙女ゲームのことを説明するのは難しい。
「すみません。ゲームという言葉は忘れて……そうだ、少し特殊な書物だと思ってください。途中で読む人間が物語の続きを選べて、幾重にも話が分岐していく書物です。ガーシェルムやアレラのことが物語になっていて、ガーシェルムの好物や過去なんかもそれに書かれていました」
「私のことを調べて、書物にしたためた不届き者がいるということか?」
「そういうのとは違うと思います。なにせ、私がいたのは異世界でしたから」
「異世界だと? ふざけたことを」
來実の言葉を聞き、案の定、ガーシェルムは声に怒りを滲ませる。
「正直に話しても、やっぱり怒るじゃないですか!」
「ふざけているのではなく、本当に異世界から来たというつもりか?」
「そうですよ!」
この世界で、異世界がどのくらいの信憑性をもって知られているのか、來実は知らない。
けれども、ガーシェルムの反応から察するに、異世界の存在はおとぎ話と同じような感覚なのだろう。
「異世界から人が来るなど、聞いたことがないぞ」
「まあ、私は人ではなくてゴーストみたいですし」
「屁理屈を。そもそも、貴様が異世界の人間だというなら、どうしてこの国の言葉を知っている。異世界でも同じ言語が使われていると言うつもりか?」
「それは、まぁ、よく分からないんですけど……」
來実の声から徐々に力が失われていく。
『魔法学園のシュメシ』は異世界という設定だったが、日本人向けに開発されたゲームなので、当然ゲーム内で使用されている言語は日本語だった。
けれども、実際にガーシェルムが喋っている言葉は日本語ではない。独自の言語だ。
ならば來実には理解できないはずだが、不思議なことに彼女はその言語をすんなりと扱うことができる。
それは文字も同様で、初めて見る形の文字なのに、スラスラと読むことができた。
「ゲーム補正なんでしょうか。それか、転生チートとか……」
「意味の分からない言葉で誤魔化すな。やはり、信憑性に欠ける」
ガーシェルムは、來実が彼をからかっているのだと判断したらしい。不愉快そうに吐き捨てて、速足で教室へと歩いて行った。
彼の背中を追いかけながら、來実は無理もないと肩を落とす。
なにせ、來実でさえまだ乙女ゲームの世界にいることが信じられず、夢を見ているような感覚なのだ。
(でも、できればガーシェルムには幸せになってほしい)
『魔法学園のシュメシ』では攻略対象それぞれが悩みを抱えており、ヒロインがそのルートに進むことによって、選ばれた相手の問題が解決するという構造になっている。
ガーシェルムの場合、ヒロインが彼のルートに入ることによって、水魔法の才が開花する。
來実はガーシェルムと出会ったばかりだが、ゲームの知識で、彼がずっと水魔法が使えないことで悩んでいるのを知っていた。
推しである彼には、是非ともヒロインと結ばれて幸せになってほしいのだ。
(そしてあわよくば、あんな甘いささやきも、あのシーンも……生で見たい!)
このゲームには年齢指定のレーティングがあり、恋愛描写が普通の乙女ゲームよりも過激であった。恋愛経験のない來実は、その大人な描写にとても興奮した。
さすがにふたりのラブシーンを覗き見るのは良心が咎めるが、その直前くらいまでは目にしてもバチは当たらないのではないか。否、バチなど当たらないに決まっている。
そのためにゴーストとしてこの世界に来たのかもしれない。
今の來実は壁をすり抜けられるし、クローゼットの中にこっそり侵入することだってできる。
己の欲望のためにも、ふたりには結ばれてもらわなければと、來実は透明な拳をぐっと握りしめたのだった。
水魔法の授業に、アレラは参加していなかった。
魔法学園は日本でいう大学のようなシステムで、生徒が受けたい講義を自分で選択する。
基本的に自分の属性に関係している講義に参加するのだが、アレラはすべての属性に適性があるため、どの講義に参加していてもおかしくない。おそらく水魔法の講義の時間は、同時刻に行われていた別の講義に参加していたのだろう。
そのあとの光魔法の授業にはアレラがいたが、ガーシェルムと会話している様子はない。
どうやら、アレラはガーシェルムの好感度をあまり上げていないようだ。
ガーシェルムもアレラに対して特別な感情を持っているようには見えない。
(授業の内容を見る限り、まだゲームの序盤って感じみたいだけど)
アレラはどの攻略対象と仲良くなっているのだろうか。
彼女の動向が気になった來実は、光魔法の授業のあと、ガーシェルムから離れてアレラを調べることにした。
「ガーシェルムは、もう寮部屋に帰るんですよね。私はちょっとアレラが気になるので、彼女の様子を見に行こうと思うんですが」
授業で使った道具を片づけるガーシェルムにそう言うと、彼は眉を顰めた。
「なぜ私に許可を取る、勝手にすればいいだろう。なんなら、もう戻ってくるな」
「そんな冷たいこと言わないでください。絶対戻ってきますから、待っていてくださいね!」
ガーシェルムはうんざりした様子でため息を吐く。
迷惑がられていることは分かっているが、今のところ來実の姿が見えるのも、声が聞こえるのもガーシェルムだけなのだ。いくら自由に動けたとしても、誰にも認知されないというのは寂しいものである。
推しだからというだけでなく、來実は会話ができるガーシェルムの側にいたかった。
しっしっと、犬を追い払うような仕草をするガーシェルムのもとを離れて、來実はアレラを尾行する。
アレラが向かったのは学園の女子寮だ。
魔法学園の敷地は広い。お城のような本棟とは別に、各地の書物が集められた図書館や、生徒が暮らす男子寮と女子寮が存在する。
男子寮と女子寮の間には男女両方が使用できる食堂やサロンが設置されていて、その周囲には美しい中庭が整えられている。
その中庭を抜けて、アレラは女子寮の扉を潜った。
アレラには來実の姿が見えていないらしく、來実は堂々と彼女のあとをつけることができた。
アレラはこの世界の庶民に多い黒髪をした、素朴な雰囲気の少女だった。すべての属性を持っているため、様々な色が混ざり合い、その結果、魔力を持たない人間と同じような黒髪をしているのだ。
ゲームでは好感度が高い人間がいれば、ランダムで放課後に何かしらの誘いがある。けれども、アレラはどこに寄ることもなく、まっすぐ廊下を歩いて自室へ向かった。
(まだ、仲が良い攻略対象はいないのかな)
男爵令嬢という立場の彼女は、人通りが多い寮の入り口近くの部屋を割り当てられている。
そう歩くこともなく部屋にたどり着いたアレラは、アンティークな飾り扉を開いて部屋へと入った。
アレラの部屋は、記憶にあるゲーム画面と同じだった。
シンプルながらも、可愛らしさのある内装。部屋に置かれている家具は基本的に学園のものだが、ピンクのカーテンや寝具は彼女が持ち込んだものだろう。落ち着いたインテリアに華やかさを添えていた。
侯爵家であるガーシェルムの部屋と比べて、男爵家であるアレラの部屋は狭い。それでも、來実が入院していた病室より広く、小さなキッチンや魔法コンロなども設置されていた。
アレラは部屋に戻るなり、学習机へと向かい授業の復習を始めた。
本来なら学園に入ることができない身分のアレラは、優秀な成績を維持することを義務づけられている。ゆえに、こうして普段から努力しているのだろう。
(ゲームと同じ風景だけど、ゲームじゃないんだよね)
ゲームでは、放課後の誘いがなければ、一日の行動が終了して自動で翌日に切り替わる。
けれども、当然ながら授業が終わっても勝手に時間が進むということはなく、目の前にいるアレラは成績を維持するために懸命に努力をしていた。
來実はアレラに近づき、そっと学習机に触れる。
ゲーム内では学習机に触れると、現在のステータスと攻略対象の好感度を確認するポップアップウィンドウが開くが、当然ながら來実が机に触れても何も出てこない。
(やっぱり、好感度は分からないか)
大好きな『魔法学園のシュメシ』の世界。それが、ゲームではなく現実として目の前に広がっている。
できることなら、この世界に転生してみたいと思っていた。
だが、今の來実はゴーストだ。アレラに話しかけても声が届かないし、ガーシェルム以外の人間には認識さえされない。
初めは、死ぬ前に見ている夢なのかと思った。けれど、夢にしては妙にリアルだし、夢から覚める様子もない。ならばやはり來実は死んでしまって、魂だけがこの世界に飛ばされたのだろう。
こんな中途半端な状態で、來実になにができるのか。
(今の私にできることは、ガーシェルムの後押しをすることだけ)
大好きなゲームの中で一番好きだったキャラクター、ガーシェルム。彼にだけ來実が見えるということに、運命を感じずにはいられない。
彼をゲーム通りの幸せなエンディングに向かわせるのが、來実がこの世界に呼ばれた理由なのではないかと思うほどだ。
生前、來実はずっと闘病生活で、なにも残すことができなかった。だからこそ、これは最後に神様がくれたチャンスなのかもしれない。
そんなことを考えながら、來実は黙々とアレラの様子を観察する。
(アレラって、清楚で真面目なんだよね。でも、恋をするとすごく可愛い)
ゲーム画面のアレラを思い出して、來実はニヤニヤと頬を緩める。
早く彼女がガーシェルムと恋するところが見たくてたまらない。
アレラには來実の姿が見えないようだし、やはり、そのためにはガーシェルムに働きかけるのが一番だろう。
アレラの観察をある程度終えると、來実はガーシェルムのもとへと戻ることにした。
「ただいま戻りました!」
來実が明るい声で挨拶をしながらガーシェルムの寮室へ入ると、ガーシェルムがうんざりした顔をした。
「部屋の鍵はかけていたはずだが?」
「ゴーストに鍵が通用するはずないじゃないですか」
部屋のドアをすり抜けた來実は、腰に手を当ててフンッとふんぞり返る。
ガーシェルムは大きくため息を吐き出した。
「貴様は、いつになったら消えるんだ」
「残念ながら、あなたを幸せにするまで居座りますよ」
「ゴーストにつきまとわれているという、この状況が不幸だ」
そう思うのも無理もない。來実だったら、見知らぬゴーストとの同居生活なんて絶対に遠慮したいところだ。
だからガーシェルムの気持ちも分かるのだが、來実だって彼の側にいたい理由がある。
「冷たいことを言わないでください。あなたがアレラに恋をして、いちゃいちゃするのを見届けたら、満足して成仏すると思いますので」
「気持ちの悪いことを言うな。誰が誰と何をすると?」
「ガーシェルムが、アレラに恋をするんです!」
鼻息を荒くしてそう言うと、ガーシェルムは可哀想な子を見るような目を來実に向けた。
「ずいぶんとおめでたい妄想の世界に生きているようだな」
「単なる妄想じゃありません。私が読んだ書物には、そうなる未来が書かれていましたから」
「それは、ずいぶんと立派な予言書だな。だが、残念ながらそんな未来は来ない。分かったら、とっとと浄化するか、ここから出て行くんだな」
邪険にされて、來実はしゅんと肩を落とす。
「そう言わないでください。私が会話できる人はガーシェルムだけですし……迷惑なのは分かっていますけど」
もちろん、ガーシェルムとアレラの恋が見たいのが一番だが、來実が彼としか会話ができないから側にいたいというのもある。
誰にも認知されないというのは、思った以上に寂しい。いくらアレラにひっついていても、彼女が來実に気づくことはなかった。
それは他の人間も同じで、來実が何か言っても声が届くことはない。
こうして会話ができるというのは、幸せなことなのだ。
來実が肩を落とすと、ガーシェルムは小さく息を吐く。
「……俺が寝ている間は、この衝立からこっちには来るなよ」
ガーシェルムに言われて、來実は部屋の中に、今朝まではなかった衝立が増えていることに気がついた。
「どうしたんですか、この衝立」
「貴様に見られていると眠れん。だが、寝ている間中、仮にも女性を廊下に追い出しているというのも気がかりだ」
つまり、來実は今夜、ガーシェルムの部屋を出て行かなくてもいいらしい。
ガーシェルムにそのつもりはなかったのかもしれないが、遠まわしにここにいてもいいと言われたようで、來実は笑顔になる。
「ありがとうございます!」
「私が安眠するためだ。明日は外部の魔法使いを招いての特別授業があるからな。水魔法とは関係がないが、危険生物の防衛法の授業だ。万全の状態で挑まねば」
覚えのある講義名に、來実は目を瞬いた。
「危険生物の防衛法……もしかして、火ネズミを使った授業ですか?」
「ん? 火ネズミかどうかは知らん。だが、耐火用のローブを用意しておくよう通達があったので、火属性の魔物を使うのだろう」
ガーシェルムの言う講義に、來実は心当たりがあった。
ゲームの序盤、共通ルートで起きるイベントだ。
授業中、ひとりの生徒が火ネズミの扱いを間違え、教室のカーテンに炎が燃え移ってしまう。あわや大火事にというところで、講師よりも先にアレラが魔法を使って鎮火するのだ。
「その授業、もしかしたら、ちょっとした事故が起きるかもしれません」
來実はイベントの詳細を思い出しながら続ける。
「えっと、確かヒレールっていう生徒だったと思うんです。彼が火ネズミの扱いを失敗して、火事になりかけます」
「ヒレール・ソーフェルか。あいつがそんなミスをするとは思えないが――」
ヒレールはいわゆる、ゲームにおけるモブであった。
おっとりしているが、そそっかしいところがあるようで、こういった授業で何度かミスをして、イベントを引き起こすトリガーになっている。
「貴様のそれは予言か?」
「予言というか、異世界にあった書物に書かれていた出来事です」
來実が言うと、ガーシェルムは渋い顔をした。
「また、例の立派な予言書か」
「……やっぱり、信じられませんよね」
予言書というだけで眉唾ものなのに、それが異世界にあるなんて、それこそ冗談を言っているようにしか聞こえないだろう。
肩を落とす來実を見て、ガーシェルムは考えるように顎に指を当てた。
「まあ、心に留めておいてやる」
翌日、ガーシェルムは特別授業を受けるために、実習室へと向かった。
來実も彼の後ろに続いて実習室に入る。前日と同じく、來実の存在に気づいている生徒はいないようだ。
ガーシェルムが席について少し経つと、老齢の特別講師が入ってきた。ゲームで見覚えのある講師の顔に、やはりこれはイベントのひとつだと來実は確信する。
彼は教卓に大きな籠を置くと、そこにかけられた布を取り払った。籠の中には、オレンジ色をした数匹のネズミが走り回っている。
講師は籠の中のネズミを確認すると、準備はできたと教室内を見回した。
「皆、耐火ローブは用意できているな? 今日は、この火ネズミを使った実習を行う」
講師が用意した火ネズミを見て、ガーシェルムのこめかみがピクリと動いた。
おそらく、昨日の來実の言葉を思い出したのだろう。
「実習は三人一組で行う。近くの者と三人組を作るように」
講師の言葉を聞いて、アレラは不安げな顔で周囲を見回している。
庶民出身の彼女はこの学園で少し浮いていて、誰と組めばいいのか分からず不安なのだろう。
彼女の隣にはヒレールが座っている。温和な彼は身分を気にしない性格で、だからこそ、こういう場でアレラと組むことも気にしない。
そして、アレラと同じ組になったヒレールが、講師の注意を聞き逃してミスをし、ボヤ騒ぎが起きるのだ。
アレラが咄嗟に水魔法を使って鎮火するのだが、その過程で彼女は軽い火傷を負ってしまい、現時点で好感度が一番高いキャラクターがアレラを医務室に連れて行くことになる。
どうなるかと來実が見守っていると、ガーシェルムが立ち上がって、ヒレールの近くへと移動した。
「ヒレール、私と組まないか?」
「ガーシェルム様⁉」
突然ガーシェルムに声をかけられて、ヒレールは驚いたように目を丸くする。
それもそのはず。ヒレールは子爵家の出身で、侯爵家のガーシェルムとはほとんど交流がない。
來実もガーシェルムがヒレールに声をかけると思っておらず、ゲームにはなかった流れに驚いた。
「ど、どうして僕と?」
「君がいつも真面目に授業に取り組んでいるのを知っている。駄目か?」
「駄目だなんて、とんでもない!」
ヒレールは慌てて首を左右に振って、少し移動してガーシェルムの席をあけた。
ガーシェルムは頷きながら、近くにいたアレラを見る。
「君もだ。一緒に組もう」
「よ、よろしくお願いします」
ガーシェルムとのイベントを起こしていないアレラは、まだほとんど彼と交流がないのだろう。ヒレールと同じく、ガーシェルムに声をかけられて恐縮している様子だった。
來実の記憶では、この時点でアレラとガーシェルムが同じ組になることはなかった。思いがけないガーシェルムとアレラの接触を、來実はハラハラしながら見守る。
あらかた三人組が作れたところで、各グループに火ネズミが配られた。
火ネズミは興奮すると身体から炎を発生させる、小型の魔物だ。
森の中に生息していて、滅多に街には入ってこないが、火災の原因となることが多いので、見つければすぐに駆除される。
攻撃力も低く、毒もない。単体だとさほど脅威にならない火ネズミが危険生物に指定され、こうやって授業に使われるのには理由がある。繁殖力が強く、ときおり災害レベルの大群となることがあるからだ。一匹では脅威にならない火ネズミも、群れると街をひとつ焼き尽くす可能性がある。
ゆえに、将来政治に関わる可能性が高い学園の生徒は、火ネズミの特性と対処法を知っておく必要があるのだ。
授業では火ネズミをわざと刺激して炎を出させて、耐火布でそれを押さえ込み、火ネズミを無力化する方法が説明されていた。
ガーシェルムの隣に座るヒレールは、憂い顔でぼうっと宙を眺めている。
手順をメモするための用紙にも、なにも書き込まれていなかった。
「ヒレール、手順はきちんと聞いていたか?」
どこか上の空のヒレールに、ガーシェルムが確認をする。
「あ、はい! 大丈夫です」
「授業に身が入っていないようだが、気になることでもあるのか?」
ガーシェルムが尋ねると、ヒレールは眉を八の字にして首を縦に振った。
「すみません。心配ごとがあって、気を取られていました」
「心配ごと?」
「先日、婚約者が倒れてしまって……今も意識が戻らないままなんです」
ヒレールは沈痛な声で言う。
まさか、ただのモブである彼にそんな裏事情があったとは。
ゲームに似ているけれど、やはり異なる世界なのだと來実は認識を改めた。
「そんなことが……大切な人が倒れてしまったら、それは心配ですよね」
アレラはヒレールを気の毒そうに見つめる。
「そうですね。大事な友人だったので、安否が気になって」
「ご病気なんですか?」
「それが、どうも違うようなんです。原因も分からないまま、眠り続けていて……」
痛ましげなヒレールの顔を見て、來実は胸が痛くなった。
ヒレールの表情が、生前、日に日に弱っていく來実の世話をしてくれた母と重なったのだ。
大事な人がそんな状態なら、授業に身が入らないのも仕方がない。
「婚約者が心配なのは分かるが、この実習は危険が伴う作業だ。集中しないと、事故に繋がる」
籠の中を走り回る火ネズミを見ながら、ガーシェルムはヒレールにそう注意した。
「そうですね。すみません、今は授業に集中します」
ヒレールは気を取り直すように背筋を伸ばして、実習の手順を確認し始めた。
ヒレールがノートにペンを走らせる横で、ガーシェルムはちらりと來実に視線を送る。
「この様子だと事故は防げそうだな。念のため鎮火剤を用意したが、不要そうだ」
來実にしか聞こえないほどの小声でつぶやいたガーシェルムのポケットには、小瓶が覗いている。
ガーシェルムが、こっそり用意していたのだろう。
「私の言葉を信じたんですか?」
「そういうわけではない。だが、ここ最近、ヒレールの様子が少しおかしかった。貴様が言うような事故が起きても不思議ではないと思っただけだ」
ガーシェルムはそれだけを言うと、籠から火ネズミを取り出して実習を開始した。
黙って集中するガーシェルムを見て、來実の胸が苦しくなる。
ガーシェルムにとって、來実は勝手につきまとっている厄介なゴーストだ。
異世界から来た話や、未来を知っている話なんてしても、信じてもらえなくて当たり前――そう思っていたのに、こうして來実の言葉を気にしてくれたことがただただ嬉しかった。
結局、來実の知っているイベントは起きず、授業は無事に終わった。
ガーシェルムは荷物をまとめると、寮の自室へと戻る。
耐火ローブを脱ぎ明日の講義の準備をしながら、ガーシェルムはおもむろに口を開いた。
「貴様が生きていた異世界というのは、どういう場所だったんだ?」
まさかそんな質問をされると思わず、來実は目を瞬いた。
「その程度のこと、学園の者であれば誰でも知っている」
「それだけじゃありません。好きな食べ物はポルポル鶏の煮つけ。それも、トマトと砂糖の入った甘い味が良いんですよね。少年期に湖で溺れた経験があって、それ以来、水辺が少し苦手。屋敷の庭に入り込んでくる茶色い野良猫をニャーゴと呼んで、密かに可愛がって――」
「わあああぁっ!」
ガーシェルムは顔を真っ赤にして、來実の言葉を遮るように大声をあげた。
「貴様、なぜそれを⁉」
「さて、どうしてでしょうか」
ガーシェルムの反応が楽しくて、來実がニヤニヤと笑うと、彼は顔を背けた。
「浄化魔法さえ通じれば、今すぐ消し去ってやるものを……」
懐のワンドに手を伸ばしたガーシェルムを見て、來実は慌てて真面目な顔をする。
「わわ、すみません。からかいすぎました」
「正直に話せ。なぜ、私の個人情報を知っている。屋敷の猫のことなど、家族でさえも知らぬというのに」
見ず知らずのゴーストに自分の秘密を知られているのは不気味だろう。
ガーシェルムが怒るのはもっともだが、素直に話したところで、果たして納得してもらえるだろうか。
「嘘をつくなって怒らないでくださいね?」
「正直に話せば、そのようなことは言わない」
前置きをすると、ガーシェルムは怪訝そうに眉を跳ねさせる。
「私が生きていた頃、この学園を舞台にしたゲームをプレイしたんです」
來実が正直に打ち明けると、案の定、ガーシェルムは理解できないという顔をした。
「ゲーム? ドレイドルのようなものか?」
ドレイドルというのは、サイコロを使ったギャンブルのようなゲームだ。
コンシューマーゲームのない世界で、乙女ゲームのことを説明するのは難しい。
「すみません。ゲームという言葉は忘れて……そうだ、少し特殊な書物だと思ってください。途中で読む人間が物語の続きを選べて、幾重にも話が分岐していく書物です。ガーシェルムやアレラのことが物語になっていて、ガーシェルムの好物や過去なんかもそれに書かれていました」
「私のことを調べて、書物にしたためた不届き者がいるということか?」
「そういうのとは違うと思います。なにせ、私がいたのは異世界でしたから」
「異世界だと? ふざけたことを」
來実の言葉を聞き、案の定、ガーシェルムは声に怒りを滲ませる。
「正直に話しても、やっぱり怒るじゃないですか!」
「ふざけているのではなく、本当に異世界から来たというつもりか?」
「そうですよ!」
この世界で、異世界がどのくらいの信憑性をもって知られているのか、來実は知らない。
けれども、ガーシェルムの反応から察するに、異世界の存在はおとぎ話と同じような感覚なのだろう。
「異世界から人が来るなど、聞いたことがないぞ」
「まあ、私は人ではなくてゴーストみたいですし」
「屁理屈を。そもそも、貴様が異世界の人間だというなら、どうしてこの国の言葉を知っている。異世界でも同じ言語が使われていると言うつもりか?」
「それは、まぁ、よく分からないんですけど……」
來実の声から徐々に力が失われていく。
『魔法学園のシュメシ』は異世界という設定だったが、日本人向けに開発されたゲームなので、当然ゲーム内で使用されている言語は日本語だった。
けれども、実際にガーシェルムが喋っている言葉は日本語ではない。独自の言語だ。
ならば來実には理解できないはずだが、不思議なことに彼女はその言語をすんなりと扱うことができる。
それは文字も同様で、初めて見る形の文字なのに、スラスラと読むことができた。
「ゲーム補正なんでしょうか。それか、転生チートとか……」
「意味の分からない言葉で誤魔化すな。やはり、信憑性に欠ける」
ガーシェルムは、來実が彼をからかっているのだと判断したらしい。不愉快そうに吐き捨てて、速足で教室へと歩いて行った。
彼の背中を追いかけながら、來実は無理もないと肩を落とす。
なにせ、來実でさえまだ乙女ゲームの世界にいることが信じられず、夢を見ているような感覚なのだ。
(でも、できればガーシェルムには幸せになってほしい)
『魔法学園のシュメシ』では攻略対象それぞれが悩みを抱えており、ヒロインがそのルートに進むことによって、選ばれた相手の問題が解決するという構造になっている。
ガーシェルムの場合、ヒロインが彼のルートに入ることによって、水魔法の才が開花する。
來実はガーシェルムと出会ったばかりだが、ゲームの知識で、彼がずっと水魔法が使えないことで悩んでいるのを知っていた。
推しである彼には、是非ともヒロインと結ばれて幸せになってほしいのだ。
(そしてあわよくば、あんな甘いささやきも、あのシーンも……生で見たい!)
このゲームには年齢指定のレーティングがあり、恋愛描写が普通の乙女ゲームよりも過激であった。恋愛経験のない來実は、その大人な描写にとても興奮した。
さすがにふたりのラブシーンを覗き見るのは良心が咎めるが、その直前くらいまでは目にしてもバチは当たらないのではないか。否、バチなど当たらないに決まっている。
そのためにゴーストとしてこの世界に来たのかもしれない。
今の來実は壁をすり抜けられるし、クローゼットの中にこっそり侵入することだってできる。
己の欲望のためにも、ふたりには結ばれてもらわなければと、來実は透明な拳をぐっと握りしめたのだった。
水魔法の授業に、アレラは参加していなかった。
魔法学園は日本でいう大学のようなシステムで、生徒が受けたい講義を自分で選択する。
基本的に自分の属性に関係している講義に参加するのだが、アレラはすべての属性に適性があるため、どの講義に参加していてもおかしくない。おそらく水魔法の講義の時間は、同時刻に行われていた別の講義に参加していたのだろう。
そのあとの光魔法の授業にはアレラがいたが、ガーシェルムと会話している様子はない。
どうやら、アレラはガーシェルムの好感度をあまり上げていないようだ。
ガーシェルムもアレラに対して特別な感情を持っているようには見えない。
(授業の内容を見る限り、まだゲームの序盤って感じみたいだけど)
アレラはどの攻略対象と仲良くなっているのだろうか。
彼女の動向が気になった來実は、光魔法の授業のあと、ガーシェルムから離れてアレラを調べることにした。
「ガーシェルムは、もう寮部屋に帰るんですよね。私はちょっとアレラが気になるので、彼女の様子を見に行こうと思うんですが」
授業で使った道具を片づけるガーシェルムにそう言うと、彼は眉を顰めた。
「なぜ私に許可を取る、勝手にすればいいだろう。なんなら、もう戻ってくるな」
「そんな冷たいこと言わないでください。絶対戻ってきますから、待っていてくださいね!」
ガーシェルムはうんざりした様子でため息を吐く。
迷惑がられていることは分かっているが、今のところ來実の姿が見えるのも、声が聞こえるのもガーシェルムだけなのだ。いくら自由に動けたとしても、誰にも認知されないというのは寂しいものである。
推しだからというだけでなく、來実は会話ができるガーシェルムの側にいたかった。
しっしっと、犬を追い払うような仕草をするガーシェルムのもとを離れて、來実はアレラを尾行する。
アレラが向かったのは学園の女子寮だ。
魔法学園の敷地は広い。お城のような本棟とは別に、各地の書物が集められた図書館や、生徒が暮らす男子寮と女子寮が存在する。
男子寮と女子寮の間には男女両方が使用できる食堂やサロンが設置されていて、その周囲には美しい中庭が整えられている。
その中庭を抜けて、アレラは女子寮の扉を潜った。
アレラには來実の姿が見えていないらしく、來実は堂々と彼女のあとをつけることができた。
アレラはこの世界の庶民に多い黒髪をした、素朴な雰囲気の少女だった。すべての属性を持っているため、様々な色が混ざり合い、その結果、魔力を持たない人間と同じような黒髪をしているのだ。
ゲームでは好感度が高い人間がいれば、ランダムで放課後に何かしらの誘いがある。けれども、アレラはどこに寄ることもなく、まっすぐ廊下を歩いて自室へ向かった。
(まだ、仲が良い攻略対象はいないのかな)
男爵令嬢という立場の彼女は、人通りが多い寮の入り口近くの部屋を割り当てられている。
そう歩くこともなく部屋にたどり着いたアレラは、アンティークな飾り扉を開いて部屋へと入った。
アレラの部屋は、記憶にあるゲーム画面と同じだった。
シンプルながらも、可愛らしさのある内装。部屋に置かれている家具は基本的に学園のものだが、ピンクのカーテンや寝具は彼女が持ち込んだものだろう。落ち着いたインテリアに華やかさを添えていた。
侯爵家であるガーシェルムの部屋と比べて、男爵家であるアレラの部屋は狭い。それでも、來実が入院していた病室より広く、小さなキッチンや魔法コンロなども設置されていた。
アレラは部屋に戻るなり、学習机へと向かい授業の復習を始めた。
本来なら学園に入ることができない身分のアレラは、優秀な成績を維持することを義務づけられている。ゆえに、こうして普段から努力しているのだろう。
(ゲームと同じ風景だけど、ゲームじゃないんだよね)
ゲームでは、放課後の誘いがなければ、一日の行動が終了して自動で翌日に切り替わる。
けれども、当然ながら授業が終わっても勝手に時間が進むということはなく、目の前にいるアレラは成績を維持するために懸命に努力をしていた。
來実はアレラに近づき、そっと学習机に触れる。
ゲーム内では学習机に触れると、現在のステータスと攻略対象の好感度を確認するポップアップウィンドウが開くが、当然ながら來実が机に触れても何も出てこない。
(やっぱり、好感度は分からないか)
大好きな『魔法学園のシュメシ』の世界。それが、ゲームではなく現実として目の前に広がっている。
できることなら、この世界に転生してみたいと思っていた。
だが、今の來実はゴーストだ。アレラに話しかけても声が届かないし、ガーシェルム以外の人間には認識さえされない。
初めは、死ぬ前に見ている夢なのかと思った。けれど、夢にしては妙にリアルだし、夢から覚める様子もない。ならばやはり來実は死んでしまって、魂だけがこの世界に飛ばされたのだろう。
こんな中途半端な状態で、來実になにができるのか。
(今の私にできることは、ガーシェルムの後押しをすることだけ)
大好きなゲームの中で一番好きだったキャラクター、ガーシェルム。彼にだけ來実が見えるということに、運命を感じずにはいられない。
彼をゲーム通りの幸せなエンディングに向かわせるのが、來実がこの世界に呼ばれた理由なのではないかと思うほどだ。
生前、來実はずっと闘病生活で、なにも残すことができなかった。だからこそ、これは最後に神様がくれたチャンスなのかもしれない。
そんなことを考えながら、來実は黙々とアレラの様子を観察する。
(アレラって、清楚で真面目なんだよね。でも、恋をするとすごく可愛い)
ゲーム画面のアレラを思い出して、來実はニヤニヤと頬を緩める。
早く彼女がガーシェルムと恋するところが見たくてたまらない。
アレラには來実の姿が見えないようだし、やはり、そのためにはガーシェルムに働きかけるのが一番だろう。
アレラの観察をある程度終えると、來実はガーシェルムのもとへと戻ることにした。
「ただいま戻りました!」
來実が明るい声で挨拶をしながらガーシェルムの寮室へ入ると、ガーシェルムがうんざりした顔をした。
「部屋の鍵はかけていたはずだが?」
「ゴーストに鍵が通用するはずないじゃないですか」
部屋のドアをすり抜けた來実は、腰に手を当ててフンッとふんぞり返る。
ガーシェルムは大きくため息を吐き出した。
「貴様は、いつになったら消えるんだ」
「残念ながら、あなたを幸せにするまで居座りますよ」
「ゴーストにつきまとわれているという、この状況が不幸だ」
そう思うのも無理もない。來実だったら、見知らぬゴーストとの同居生活なんて絶対に遠慮したいところだ。
だからガーシェルムの気持ちも分かるのだが、來実だって彼の側にいたい理由がある。
「冷たいことを言わないでください。あなたがアレラに恋をして、いちゃいちゃするのを見届けたら、満足して成仏すると思いますので」
「気持ちの悪いことを言うな。誰が誰と何をすると?」
「ガーシェルムが、アレラに恋をするんです!」
鼻息を荒くしてそう言うと、ガーシェルムは可哀想な子を見るような目を來実に向けた。
「ずいぶんとおめでたい妄想の世界に生きているようだな」
「単なる妄想じゃありません。私が読んだ書物には、そうなる未来が書かれていましたから」
「それは、ずいぶんと立派な予言書だな。だが、残念ながらそんな未来は来ない。分かったら、とっとと浄化するか、ここから出て行くんだな」
邪険にされて、來実はしゅんと肩を落とす。
「そう言わないでください。私が会話できる人はガーシェルムだけですし……迷惑なのは分かっていますけど」
もちろん、ガーシェルムとアレラの恋が見たいのが一番だが、來実が彼としか会話ができないから側にいたいというのもある。
誰にも認知されないというのは、思った以上に寂しい。いくらアレラにひっついていても、彼女が來実に気づくことはなかった。
それは他の人間も同じで、來実が何か言っても声が届くことはない。
こうして会話ができるというのは、幸せなことなのだ。
來実が肩を落とすと、ガーシェルムは小さく息を吐く。
「……俺が寝ている間は、この衝立からこっちには来るなよ」
ガーシェルムに言われて、來実は部屋の中に、今朝まではなかった衝立が増えていることに気がついた。
「どうしたんですか、この衝立」
「貴様に見られていると眠れん。だが、寝ている間中、仮にも女性を廊下に追い出しているというのも気がかりだ」
つまり、來実は今夜、ガーシェルムの部屋を出て行かなくてもいいらしい。
ガーシェルムにそのつもりはなかったのかもしれないが、遠まわしにここにいてもいいと言われたようで、來実は笑顔になる。
「ありがとうございます!」
「私が安眠するためだ。明日は外部の魔法使いを招いての特別授業があるからな。水魔法とは関係がないが、危険生物の防衛法の授業だ。万全の状態で挑まねば」
覚えのある講義名に、來実は目を瞬いた。
「危険生物の防衛法……もしかして、火ネズミを使った授業ですか?」
「ん? 火ネズミかどうかは知らん。だが、耐火用のローブを用意しておくよう通達があったので、火属性の魔物を使うのだろう」
ガーシェルムの言う講義に、來実は心当たりがあった。
ゲームの序盤、共通ルートで起きるイベントだ。
授業中、ひとりの生徒が火ネズミの扱いを間違え、教室のカーテンに炎が燃え移ってしまう。あわや大火事にというところで、講師よりも先にアレラが魔法を使って鎮火するのだ。
「その授業、もしかしたら、ちょっとした事故が起きるかもしれません」
來実はイベントの詳細を思い出しながら続ける。
「えっと、確かヒレールっていう生徒だったと思うんです。彼が火ネズミの扱いを失敗して、火事になりかけます」
「ヒレール・ソーフェルか。あいつがそんなミスをするとは思えないが――」
ヒレールはいわゆる、ゲームにおけるモブであった。
おっとりしているが、そそっかしいところがあるようで、こういった授業で何度かミスをして、イベントを引き起こすトリガーになっている。
「貴様のそれは予言か?」
「予言というか、異世界にあった書物に書かれていた出来事です」
來実が言うと、ガーシェルムは渋い顔をした。
「また、例の立派な予言書か」
「……やっぱり、信じられませんよね」
予言書というだけで眉唾ものなのに、それが異世界にあるなんて、それこそ冗談を言っているようにしか聞こえないだろう。
肩を落とす來実を見て、ガーシェルムは考えるように顎に指を当てた。
「まあ、心に留めておいてやる」
翌日、ガーシェルムは特別授業を受けるために、実習室へと向かった。
來実も彼の後ろに続いて実習室に入る。前日と同じく、來実の存在に気づいている生徒はいないようだ。
ガーシェルムが席について少し経つと、老齢の特別講師が入ってきた。ゲームで見覚えのある講師の顔に、やはりこれはイベントのひとつだと來実は確信する。
彼は教卓に大きな籠を置くと、そこにかけられた布を取り払った。籠の中には、オレンジ色をした数匹のネズミが走り回っている。
講師は籠の中のネズミを確認すると、準備はできたと教室内を見回した。
「皆、耐火ローブは用意できているな? 今日は、この火ネズミを使った実習を行う」
講師が用意した火ネズミを見て、ガーシェルムのこめかみがピクリと動いた。
おそらく、昨日の來実の言葉を思い出したのだろう。
「実習は三人一組で行う。近くの者と三人組を作るように」
講師の言葉を聞いて、アレラは不安げな顔で周囲を見回している。
庶民出身の彼女はこの学園で少し浮いていて、誰と組めばいいのか分からず不安なのだろう。
彼女の隣にはヒレールが座っている。温和な彼は身分を気にしない性格で、だからこそ、こういう場でアレラと組むことも気にしない。
そして、アレラと同じ組になったヒレールが、講師の注意を聞き逃してミスをし、ボヤ騒ぎが起きるのだ。
アレラが咄嗟に水魔法を使って鎮火するのだが、その過程で彼女は軽い火傷を負ってしまい、現時点で好感度が一番高いキャラクターがアレラを医務室に連れて行くことになる。
どうなるかと來実が見守っていると、ガーシェルムが立ち上がって、ヒレールの近くへと移動した。
「ヒレール、私と組まないか?」
「ガーシェルム様⁉」
突然ガーシェルムに声をかけられて、ヒレールは驚いたように目を丸くする。
それもそのはず。ヒレールは子爵家の出身で、侯爵家のガーシェルムとはほとんど交流がない。
來実もガーシェルムがヒレールに声をかけると思っておらず、ゲームにはなかった流れに驚いた。
「ど、どうして僕と?」
「君がいつも真面目に授業に取り組んでいるのを知っている。駄目か?」
「駄目だなんて、とんでもない!」
ヒレールは慌てて首を左右に振って、少し移動してガーシェルムの席をあけた。
ガーシェルムは頷きながら、近くにいたアレラを見る。
「君もだ。一緒に組もう」
「よ、よろしくお願いします」
ガーシェルムとのイベントを起こしていないアレラは、まだほとんど彼と交流がないのだろう。ヒレールと同じく、ガーシェルムに声をかけられて恐縮している様子だった。
來実の記憶では、この時点でアレラとガーシェルムが同じ組になることはなかった。思いがけないガーシェルムとアレラの接触を、來実はハラハラしながら見守る。
あらかた三人組が作れたところで、各グループに火ネズミが配られた。
火ネズミは興奮すると身体から炎を発生させる、小型の魔物だ。
森の中に生息していて、滅多に街には入ってこないが、火災の原因となることが多いので、見つければすぐに駆除される。
攻撃力も低く、毒もない。単体だとさほど脅威にならない火ネズミが危険生物に指定され、こうやって授業に使われるのには理由がある。繁殖力が強く、ときおり災害レベルの大群となることがあるからだ。一匹では脅威にならない火ネズミも、群れると街をひとつ焼き尽くす可能性がある。
ゆえに、将来政治に関わる可能性が高い学園の生徒は、火ネズミの特性と対処法を知っておく必要があるのだ。
授業では火ネズミをわざと刺激して炎を出させて、耐火布でそれを押さえ込み、火ネズミを無力化する方法が説明されていた。
ガーシェルムの隣に座るヒレールは、憂い顔でぼうっと宙を眺めている。
手順をメモするための用紙にも、なにも書き込まれていなかった。
「ヒレール、手順はきちんと聞いていたか?」
どこか上の空のヒレールに、ガーシェルムが確認をする。
「あ、はい! 大丈夫です」
「授業に身が入っていないようだが、気になることでもあるのか?」
ガーシェルムが尋ねると、ヒレールは眉を八の字にして首を縦に振った。
「すみません。心配ごとがあって、気を取られていました」
「心配ごと?」
「先日、婚約者が倒れてしまって……今も意識が戻らないままなんです」
ヒレールは沈痛な声で言う。
まさか、ただのモブである彼にそんな裏事情があったとは。
ゲームに似ているけれど、やはり異なる世界なのだと來実は認識を改めた。
「そんなことが……大切な人が倒れてしまったら、それは心配ですよね」
アレラはヒレールを気の毒そうに見つめる。
「そうですね。大事な友人だったので、安否が気になって」
「ご病気なんですか?」
「それが、どうも違うようなんです。原因も分からないまま、眠り続けていて……」
痛ましげなヒレールの顔を見て、來実は胸が痛くなった。
ヒレールの表情が、生前、日に日に弱っていく來実の世話をしてくれた母と重なったのだ。
大事な人がそんな状態なら、授業に身が入らないのも仕方がない。
「婚約者が心配なのは分かるが、この実習は危険が伴う作業だ。集中しないと、事故に繋がる」
籠の中を走り回る火ネズミを見ながら、ガーシェルムはヒレールにそう注意した。
「そうですね。すみません、今は授業に集中します」
ヒレールは気を取り直すように背筋を伸ばして、実習の手順を確認し始めた。
ヒレールがノートにペンを走らせる横で、ガーシェルムはちらりと來実に視線を送る。
「この様子だと事故は防げそうだな。念のため鎮火剤を用意したが、不要そうだ」
來実にしか聞こえないほどの小声でつぶやいたガーシェルムのポケットには、小瓶が覗いている。
ガーシェルムが、こっそり用意していたのだろう。
「私の言葉を信じたんですか?」
「そういうわけではない。だが、ここ最近、ヒレールの様子が少しおかしかった。貴様が言うような事故が起きても不思議ではないと思っただけだ」
ガーシェルムはそれだけを言うと、籠から火ネズミを取り出して実習を開始した。
黙って集中するガーシェルムを見て、來実の胸が苦しくなる。
ガーシェルムにとって、來実は勝手につきまとっている厄介なゴーストだ。
異世界から来た話や、未来を知っている話なんてしても、信じてもらえなくて当たり前――そう思っていたのに、こうして來実の言葉を気にしてくれたことがただただ嬉しかった。
結局、來実の知っているイベントは起きず、授業は無事に終わった。
ガーシェルムは荷物をまとめると、寮の自室へと戻る。
耐火ローブを脱ぎ明日の講義の準備をしながら、ガーシェルムはおもむろに口を開いた。
「貴様が生きていた異世界というのは、どういう場所だったんだ?」
まさかそんな質問をされると思わず、來実は目を瞬いた。
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