黒い花

島倉大大主

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第四章:黒い花

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 勢いよくドアの開く音がすると、野町さんが助手席に乗ってきた。顔が険しい。
「くそっ、わけが判らん! おい、出発! 手順を何段階かすっ飛ばすぞ」
 香織さんが、あららと抜けた声を出して、エンジンをかけた。
「説明プリーズ」
 野町さんは腕を組むと、ぶすっとした表情で口を開いた。
「アパート周辺の住人の八割が自宅にいない。仕事に出ている人間が六十七人。これらは職場で確保。今は避難させ待機させている。同じく児童や学生三十六人は学校、幼稚園、公園、公共施設等で確保。これも同処理を終了」
「老人や無職、引きこもりは?」
「それは――」
「当ててみせましょうか!」
 真木があたしのすぐ横に来て、シートの間から運転席に顔を突っ込んでいた。
「旅行等に行って不在である! 違いますか?」
 野町さんが真木の方を向いて、顎をしゃくった。
 どうして、そういうことになってるか説明しろ、という事らしい。
 真木は肩を竦め、あたしの方に少し顔を向けた。
「君も聞いた事はあるだろう? 沈没する前の船からネズミが一斉に逃げるってお話」
「はあ?」
「いいですか皆さん。人間とは本来は動物です。本能というものがある。危機が迫った場合、動物がする最も簡単な事は何か? 逃げる、です」
「……」
「野町さんにだって経験があるでしょう? 不可思議な予感。一瞬前でも一週間前でも何でもいいんですが、自分に迫る何かを感じた事はあるでしょう? 
 嫌な予感がする。まあ、その程度のさざ波でもね、人は行動を変えるんです。普段行く道を別の道にする、ふだん着る服を別の服にする……」
 野町さんは顎を手で擦っている。
「つまり、住人の何割かは、嫌な予感に囚われ突然旅行に行った、と?」
 真木はにやりと笑った。
「今朝、突然にね。そりゃわけが判らんでしょう」
 あたしは会話に割って入った。
「それって、御霊桃子のその……悪い気配を感じて逃げたって事?」
 真木は真顔になった。
「そうだ。それが問題なんだ。
 いいかね、勘の鋭い人、やや鋭い人、まあ、色々いるがね、殆どの人間はそういうモノを明確に知覚する事は出来ない。だが強い力が干渉してきた時、もしくは昼間に言った、瘴気が発生した時、人は気配や寒気を感じるのだ。
 だが、今回は、この場所から、絶対に! できるだけ! 早く離れた方がいい! そう感じた人間が大勢いたのだよ。我々が、いや……『君がこれから相対する力』はそういうレベルなのだ」
 
 バンは細い路地をのろのろと進んでいく。窓越しに外を伺うと、既に陽が落ちているのにどこの家の窓も真っ暗なのが判った。街灯と自販機、そしてバンが通過する際に時々玄関のセンサーが反応してひっそりと灯る照明が、夏なのに寒々しい。
「ミソサザイは二子町四番地から南下。キクイタダキは王寺通りを進んでくれ。こちらは二子町八番地から道沿いに進む。訪問はリストの家のみ。異常等確認の際は連絡よろしく。以上」
 野町さんはタブレットの通話ソフトを切り、イヤホンをとると溜息をついた。
「なんで俺が自衛隊の指揮をせにゃならんのだ。村田のオッサンにやらせろよ」
「村田さんは、お偉いさんのおあいてー」
 香織さんはそう言いながら車のヘッドライトを切る。
「ねえ、ゴミ屋、銃って効くのかなー?」
 その問いに真木は、ふむ、と首を傾げた。
「興味深い質問ですねえ。あれは非常に特殊な爆発物と考えると、発砲は控えるべきでしょう。
 一方で、凶悪なオカルトテロリストと考えると、即殺すべきでしょうなあ。
 京さん、君はどう思うね?」
「え? あたしに聞く? そ、そうだなあ……あのヘドロみたいな体には銃は通じ無いんじゃないかなぁ……」
 あたしの答えに野町さんは、舌打ちしてこめかみをゴツゴツやりだした。香織さんはハンドルを右に切りながら笑った。
「野町っちは真面目だなあ。そんなのあの二人も予想してるから大丈夫だよー。現場の判断に任せなさいって。歴戦の勇者なんだから、あの二人は」
 真木は真面目くさった顔をあたしに向けた。
「第001特殊管理産業廃棄物処理隊。公機捜特と密接に連携してる部隊でね、まあ特産廃処理って名前はついてるけど、それだけじゃなくて、そう、異界からの侵入者――」
「ああ、判った。最期まで言わなくていい。えーっと、昼間に言ってた、標識回収の際の『ちょっと言えない組織の皆さん』のお仕事は――そうだな、『外来種の駆除』ってとこだろう?」
「お! それだよそれ! 流石は京さん上手いね、どうも。で、この部隊、結構大きな組織なんだがね、あいにくと今日は別件があるらしいのだよ。何でも羽田に大きめの外来種が飛行機で団体さんで乗り付けて――」
「おい、ゴミ屋! そこら辺にしとけ! た、田沢さん、その一応色々と口外無用で――」
 タブレットから呼び出し音が鳴る。野町さんは通話ソフトを立ち上げる。香織さんが野町さんの腕をちょこんと押した。
「スピーカーにして。情報共有。言っとくけど、京子ちゃんに聞かせないと意味が無いんだからね」
 野町さんは一瞬ためらったが、すぐにスピーカーに切り替えた。
『こちらミソサザイ。現着。装備は六式。非致死性。以上』
『こちらキクイタダキ。現着。装備は六式。非致死性。以上』
「こちらシラサギ。了解。回収開始。繰り返します、回収開始」
『『了解』』
「さて、あたしもいってきまーす!」
 香織さんは嬉しそうに言うと、車を停め、ドアを開けて降りる。さっと暑さが車内に忍び込んできた。野町さんが後部座席を振り返る。
「ゴミ屋、運転しろ」
「はいはい、いや、人使いが荒いなあ」
 真木は浮き浮きした口調でシートの隙間から前の座席に移ると、入れ替わりに香織さんが後部のハッチを開けた。
「ちょっと、ゴミ屋! そんなとこから席を移らないでよ! シートカバー、お気に入りなんだからね!」
 後部座席越しにガチャガチャ、がちりっと大変物騒な音ともにどう見ても小銃的な塊がちらりと見えた。ついで香織さんはスーツ、ワイシャツと脱いでいく。
 黒いタンクトップに引き締まった腕。そして体に装着された茶色のホルダーには、多分でっかいナイフ的な物やら多分ピストル的な物が装備されていた。
 え? 装備は非致死性とか言ってなかった? 麻薬戦争でもおっぱじまるの?
 あたしは思わず前のシートを叩いた。野町さんはバックミラー越しにあたしを見て、それから視線を後にやって固まった。
「な――ななな、なぁにやってんだ、お前は!?」
 いい大人の黄色い悲鳴ってやつを初めて聞いた。
 香織さんは、あら見つかった、と小さく舌を出し、あたしにニッコリ笑いかけて後部ハッチを大きな音を立てて閉めてしまった。
「あの、馬鹿っ……」
 慌ててシートベルトを外そうとする野町さんだが、時すでに遅く、香織さんは、軽快なフットワークで車の前に回ると、軽く手を振り、あたし達三人が見守る中、少し先にある角を左に折れて見えなくなってしまった。
「いやはや、相変わらず活発なお嬢さんだ」
 真木の賞賛に、野町さんは胃液の臭いのする溜息で答え、通話ソフトを立ち上げる。
「こちらシラサギ。回収開始。はあ……」
 またもついた溜息に通信相手から忍び笑いが返ってきた。
『お嬢が出発したか。何持ってった?』
「……色々だよ。あれの前に出るなよ」
『おい、聞いたか。火線に出るなとさ』
『わかってるわかってる。触らぬ神に祟りなし、だ』
『おーい、聞こえてますよー』
 香織さんの声。
『こちらハシビロコウ。野鳥の会の皆様、なんか生き物を見た? 蟻でも蠅でもゴキでもいいんだけどさー』
「どういうことだ?」
 野町さんの問いに、見ないぞ、という通信が続けて入ってくる。
 真木が唸った。
「成程、人が逃げるのだから、動物は言うまでもなく、ですか」
 あたしは杭の容器を手に握ると、窓の外を伺った。
 車が走る音以外は何も聞こえない。静かすぎて、暑いのに冷たくて固い印象が益々高まる。あの子は――未海ちゃんは今、こんな不快な夜を、あの化け物の近くで過ごしているのだ。早く……早くあの子を助けなきゃ……。
 呼び出し音が鳴った。
『こちらミソサザイ。要救助者二名発見。両名とも意識が無い』
 うわっ! 凄い、あっという間に、未海ちゃんの家に着いた!
「こちらシラサギ。動かせるか?」
 一瞬の沈黙。
『無理だ。両名とも状態が酷い。気道は確保しておくが、動かすには最低でも、あと三人必要だ』
 み、未海ちゃんも発病しているの!?
「あたしも行きます!」
「落ち着きたまえ、京さん!」
 真木の声にあたしは、ドアから手を放した。
「君が行けば、事態は最悪の方に転がる。というか、これは罠だ。二人は餌で、盾なんだよ。
 野町さん、御霊桃子の発見に全力を傾けましょう。そして、できることなら、アパートから引き離して処理するのがよろしいかと」
 真木の言葉に野町さんはくそっと短く呟く。
「了解した。こちらシラサギ。対象を『花』に。最終処理はこちらでやる。八番に誘導よろしく。以上」
『こちらキクイタダキ。了解』
『ミソサザイ了解』
 真木は両手を上げ、ハンドルを離した。
「こっから先はどうするおつもりで?」
 野町さんは唸りながら助手席を降りると、車の前を回る。真木はおやおやと言いながら助手席に移動した。
 ハンドルを握った野町さんは一度思いきりハンドルを叩くと、通信ソフトを立ち上げた。
「ハシビロコウ! 今何処だ?」
 返事が無い。
 野町さんはアクセルを踏む。がくんとバンが急発進する。
「ゴミ屋。タブレットを俺に向けてろ」
「了解ですな」
 着信音。香織さんからだ。
『おい、なんかいるぞ。動き回ってる』
 野町さんはぺっと運転席の床に唾を吐いた。
「今何処だ?」
『アパートの近く。表札は関谷』
「京さん、地図で確認してくれるかい?」
 あたしは座席に放り投げてある地図に飛びつく。バツ印がアパートで、その近くは――
「あった! アパートの西、二軒隣!」
 野町さんがタブレッにがなる。
「いいか、誘導だぞ! 撃つなよ! こっちで動けなくして、杭を刺す。田沢さん、合図で降りて、なるべく迅速に奴にぶっ刺してくれ!」
「わ、わかりました!」
「……おやおや。野町さん。どうやら、そう簡単にはいかないようですよ」
 真木は眼帯をずらして外を見ていた。
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