四季怪々 僕らと黒い噂達

島倉大大主

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Chapter3

8:落書き・決着

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 まだか、とばーちゃんが叫びます。落書きの後ろの準備が整い次第、カニさんの携帯が鳴る手筈です。
 落書きが頭を低くしました。
 ぷちぷちと可愛らしい音を立てながら、耳まで裂けた口が首まで裂けた口に変わっていきます。
 委員長がトリガーに指をかけ、狙いをつけます。
 じりじりと下がる僕達は足を踏ん張った百合ちゃん先生の横に並びました。この後ろには大型のアレ。つまりはもう下がれない。
 限界だ! 僕がそう思った時、委員長とばーちゃんが大きく息を吸い込みました。僕もトリガーに指をかけ、百合ちゃん先生の剥きだしの肩が大きく引き締まります。と――
 ピリリリリ……と携帯が鳴ると同時に、声が降ってきました。

「こっちだああっ! あたしを見なさい、この外道っ!!」

 バンと大きな音に見上げれば、右のビルの屋上、その金属製の縁を思い切り踏みつけ、髪を逆立てたオジョーさん! 
「世界が許しても、あたしは絶対に許さないっ! ねじ伏せてやる! 消えろぉぉぉっ!!!」
 言うやいなや、オジョーさんは狙いを定めました。

 高圧洗浄機。

 壁や床、車の汚れなんかを、お湯または水を高圧でぶつけて掃除するアレです。
 オジョーさんが購入したものは、モザイクでメーカー名は隠してありますが、誰でもどっかで聞いた事がある有名なメーカーの一番高い業務用のものでして、しかも、キンジョーさんとばーちゃんが秘密裏にノリノリで魔改造を施してしまい、凶悪極まりない兵器に仕上がっていたそうです。勿論、今はすべて廃棄したということです……多分。
 落書きはオジョーさんの声に、ニタニタ笑いながら伸び上がり、そのいやらしい手をずるりと伸ばしました。
 オジョーさん本人が言うには、絶対外さないように引きつけた、らしいのですが、殆ど握りつぶされる寸前で、屋上の縁一杯に広がった指に包み込まれて、一瞬姿が見えなくなったんですね。
 ヒョウモンさんがわああ、と駆け寄った途端にその指がぐわっと拡がりました。
 ばーっと力強い音。
 雨の中立ち上る真っ白な湯気。そして洗剤の匂い。この洗剤、キンジョーミックスという怪しい液体は、とんでもない効果を上げました。僕らから見ると、落書きの腕がすっぱりと切れ、勢い胴体の半分もざっくりとえぐれたのです。
 らあああっと音とも声ともつかない物が落書きから聞こえました。
「おう、クソ野郎が!」
 今度はヤンさんの声が降ってきます。
「てめえは、歩いてちゃいけねえ代物だ! 失せやがれっ!!!」

 僕達も一斉に声を上げ、後はもう、滅茶苦茶です。

 一応編集の時に、映像と証言と記憶を擦り合せて、大体の流れは把握しましたが、あの場では落書きの体を突き破って飛んでくる熱湯の熱さ。薬剤の臭さ。もだえ苦しむ落書きに巻き込まれて吹っ飛ばされた時の痛さ。
 それと興奮。
 渦巻く異常な興奮で何が何だかわからないうちに、最後のあの一瞬に辿りついちゃうんですが――まあ、ともかく説明しましょうか。

 伸び上がった落書きはオジョーさんに手を吹っ飛ばされ、胴体の半分を抉られました。たまらず僕らから見て左の壁に寄り掛かるも、今度は上からヤンさんが洗浄を始めます。
 ヤンさんのお湯は落書きの頭を、真上から打ち抜き、あの嫌らしい顔がぶじょぶじょに崩れて弾けました。
 僕らも洗浄を始めます。田中さん達も同時に洗浄を始め、落書きの体に穴がボンボンと空きます。
 落書きが大きく体制を崩し、凄い音ともに路面に倒れ、べしゃっと拡がりました。
 やった! と委員長。しかし、百合ちゃん先生が油断するなっと鋭く叫びます。
 路面に崩れ落ちた落書きは、立体を止め、両側の壁にロールシャッハテストの模様みたいに平面でざあっと拡がりました。と、あの嫌らしい顔がボコボコと無数に湧きだします。
 呆然としていた僕を、ばーちゃんが引っ張ります。僕の頭があった場所を、唸り上げて女性の拳が通り過ぎました。

 清水さんでした。
 ただし、体の半分が萎びて、もう人間には見えません。
 ああ! ああ! と叫びながら清水さんは僕に襲いかかってきましたが、すぐさまカニさんに体当たりされて路面に転がります。と、路面の落書きの一部がガマグチみたいに捲れ、よろけた清水さんの上半身を飲み込みました。
 じゅーっと凄い勢いで清水さんの体が萎んでいき、落書きの表面に赤い斑が浮き上がります。と、左右に拡がった落書きから髪の毛がぞわぞわと伸び始めました。
 それは、湧き出す時は遅いのですが、壁を伝うにつれ動きが速くなります。しかも立体になったり平面になったりを繰り返すので、目がついて行けなくなります。はっと気がつくと、下に横にと蠢く髪の毛に囲まれているのです。
 前に出過ぎた、と舌打ちする僕は追いつめられ、壁に寄り掛かってしまいました。ばーちゃんの危ない! という叫びに上を見れば、壁を伝って凄い勢いで何かが迫ってきます。

 真っ黒い女の群れでした。

 背丈は僕らぐらいなんですが、五人程でしょうか、絡み合って悲鳴を上げるような顔で、壁を滑ってきます。
 僕は見た瞬間足が竦んでしまいました。と、突然に僕の顔に当たる熱湯! 
 熱い! と僕は路面に転がりました。はっとして顔を上げると、百合ちゃん先生が派手に清掃をしていました。
 百合ちゃん先生はホースを持っておりました。これは、高圧洗浄機の中でも一番高価な例の八十万の本体に繋がっておりまして、水道管から水を引いて、ボイラーで温めて熱湯を大量かつ高圧でぶっ放せるもので、勿論のごとくキンジョーさんが三日かけていじり倒して凶悪チューンナップが施されております。
 なんでも、ホースの先のスイッチで水流をドリルにできたり、二股に分けたり、マシンガンみたく水流弾を連射できたりと、絶対落書き殺すマンなわけです。
 壁の女たちはズタズタになりながら、溺れるように壁を滑り、黒い液体になっていきます。

 百合ちゃん先生が、手元が狂ったら怪我じゃ済まねえから早くこっちに来い! と叫び、委員長が、駆け寄ってくると、味方に殺されるわよ! と僕の手を引っ張ります。
 と、僕の足がぐいっと引っ張られました。見れば髪の毛が絡みついています。肌にちくちくしたものが潜り込んでくるのが判ります。まずい、と僕は委員長に離れて、と叫びます。
 委員長は手を離すと、高圧洗浄機で僕の足を狙いますが、髪の毛は左右にお湯をかわし、つられて僕の下半身も左右に揺れ、委員長のお湯を股間に受けて、うおおおぃ! と叫んでみたりと大混乱。と、強烈な痛みが足からバシッと上がってきました。
「畜生!」

 この声に反応したのは、なんとオジョーさんでした。
 オジョーさんはヤンさんに上を任せると、ヒョウモンさんと一緒に下に降りてきていたのです。僕が痛みに叫ぶのと、オジョーさんが路地に戻るのは同時でした。僕に駆け寄ろうとするばーちゃんやカニさんよりも速く、オジョーさんは頭から突っ込むように、いや、実際頭から突っ込んできました。
 お湯のしぶきが上がる中、オジョーさんが僕と委員長を飛び越えていくのがスローで見えました。
 オジョーさんは高圧洗浄機のノズルを腰のベルトにひっかけ、代わりにぶら下げていたハンドワイパーを掴みました。それを僕の足元に転がりながら、辺りをじゃっと掃います。
 髪の毛が路面の落書きごと抉られ、壁に叩きつけられ、溶けて真っ黒な液体になって流れ落ちていきます。
 オジョーさんはそのまま僕達に覆い被さりました。


「本当に、ありがとうございました。あなた達に、池のほとりで声をかけてもらえなかったら、私はまだ悪い夢を見続けていたと思います」


 路地の向こうから田中さん達が清掃をしながら歩いてくるのが見えます。路面も壁も、黒い液体がドロドロと流れていきます。
 オジョーさんがゆっくりと立ち上がりました。
 いつの間にか、雨が止んでいます。
 真っ黒な雲間から、強い日差しが嘘のように差し込んできました。
 その日に照らされて、落書きの最後の欠片が、壁に蠢いていました。かろうじてあの顔と判るような小ささ。動くたびに洗剤で塗れた壁に溶かされ、どんどんと小さくなっていきます。
 オジョーさんはその前に立つと、落書きと向かい合いました。そして、ゆっくりと壁にハンドワイパーをくっつけました。
「消えなさい」
 オジョーさんの言葉に、落書きは最後の力を振り絞ったのか、立体になろうと壁から盛り上がりました。あの笑い声もあげました。
 でもそれは、あまりに小さく、あまりに弱々しかったのでした。

 オジョーさんが壁を掃うと、『動く絵』こと『落書き』は真っ黒い染みとなって消し溶けてしまったのでした。
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