アマテラスの力を継ぐ者【第一記】

モンキー書房

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章第三「化物坂、蟷螂坂」

(十)得意のただみにあらじ

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 四時間目が始まるまでの小休憩、教室には稲穂を含む数人がまばらに残っていた。美空の机からガイドブックを拝借し、稲穂はグルメのページを読んでいた。
 修治の机の上に置かれた別のガイドブックは、フォックス村のページが開かれている。
 住所や電話番号、開園時間(午前九時から午後五時)、それから入園料金(小学生以下無料)などが記されていた。
 予定を崩さないためには、移動ルート上に昼ご飯を食べられるところがあればいいのかな、と稲穂は考える。


「スカート穿いてきたらダメだからね。動くものに反応するから」
「へー、そうなんだね。わかった!」


 修治がキツネの生態について話し、それを聞いて稲穂はうなづく。
 四時間目が始まるギリギリになって、彩が教室に戻ってきた。四時間目開始直後、稲穂は「冷やし中華は?」と提案する。


「冷やし中華ぁ? なんで、わざわざ宮城にまで行って食べるン、ですか? コンビニに行けば、普通に売ってるじゃないスか」


 きょうの彩は文句が多かった。ガイドブックを美空に返しながら、稲穂は「冷やし中華発祥の地は、仙台みたいだよ」と言う。
 彩が「え。そうなン、ですか?」とぎこちない口調で驚く。


 麺類の売り上げが減る夏の対策として、一九三七(昭和十二)年、当時の仙台の中華組合会長が考案されたものらしく、当時十銭の中華そばに対して、二十五銭もする高級品だった、とガイドブックには記されていた。
 売り上げの減少対策として考案したのに、そのぶん高くしてしまって効果があったのだろうか、と稲穂は疑問に思うが、これだけ長いあいだ、みんなに食べられていることを考えると、やっぱり効果はあったのだろう、と思いなおす。


「てっきり、中国かと思っテ、ました」


 口をポカンと開けた彩に、美空が補足説明をする。
「中華丼や天津飯てんしんはんなども日本発祥の中華料理なんです。それだけではなく、日本で食べられている中華料理は、全体的に日本人の口に合わせた調理をおこなっています」


「へ~!」


 さすがの知識量である。こちらの会話に耳を傾け、ときには豆知識を披露しながらも、美空はメモ帳と地図帳を照らし合わせ、ホテルへチェックインする時間を逆算していた。
 各自出し合った場所リストから、場所を絞り込んで取捨選択をおこなう。美空のことだから、みんなの意見を取り入れてくれるはずである。


 四時間目の終了間近に、あらかたのルートが決まった。この順番で進めば、制限時間内で、じゅうぶんに楽しめる計画だ。
 その流れで、ルート上にある飲食店へ行くことも決まった。完璧で、ちょっとの不満も寸分の漏れもない。
 本当に先生は目をとおしたのか、提出してすぐにゴーサインが出て、判別自由行動の計画表は完成に至った。


 …………。
 ……。


 四時間目が終わったすぐあとの給食時、稲穂は左を向くことができなくなっていた。今週の給食当番になっていた稲穂は、白衣を身にまとって一階へとおりていく。
 準備を着々と進めていくなか、グラウンドを一望できるほうの窓から妙な気配を感じてしまったのだ。これは、たぶん振り返ってはいけないやつだ、と直感が告げる。
 まわりのクラスメイトは気にめた様子もなく、盛りつけたり配膳をおこなったりしていた。見えていないということは、やっぱりなのだ、と稲穂の経験則も告げている。


 稲穂も気にしないように当番の役割を続けていると、黄色い物体が目の端に映り込んだような気がした。それが流れ星のように、すぅーっと上から下へ、斜め方向に横切っていくのをとらえる。
 その黄色い物体が視界の端から消えた瞬間、さっきまで感じていた嫌な気配が一切なくなり、まるで雲間から差し込む天使の梯子はしごのような気分になった。どんな気分かは、自分でもよくわからない。


 稲穂は、左側を一瞬だけあおぎ見て、なにもないことを確認する。天使の梯子どころか、きょうはずっと天気がよく、雲ひとつない、快晴のはずだった。
 もしかしたら、妙な気配というのは稲穂の単なる思いすごしで、最初からなにもなかったかもしれない。なんとなく、その気配の正体も黄色い物体の正体も、龍なら、その答えを知っていそうに感じた。


 準備を始めてから十分が経ち、腹をかせた児童たちが、続々と給食室のなかへ入ってくる。この小学校では、一階に教室のある一年生と二年生以外は、この大部屋で給食を済ませることになっていた。
 十二時半ごろ、全員がそろったところで、日直当番のかけ声に合わせて手も合わせた。稲穂の隣りで彩も、なんだかおかしな方向に曲がった手首を合わせて、あいさつしようとしている。


「いただきま~す!」


 六年生の集団の隣りで、少し遅れて三年生の声も聞こえた。もうすでに、四年生と五年生は食べ始めている。給食にかけられる時間は約三十分。
 残したとしても、食べ終わるまで強制的に居残りをさせられることはないが、食べたい人がいれば、給食センターからの車が残飯を回収しにくるまでのあいだ、つまり休み時間いっぱい残っていても問題なかった。
 配膳されたあとでも「少し多いな」と感じたら、口をつける前に、友達へ分けたり食缶しょっかんへ戻したりしてもよい、というルールもある。


 十二時五十分すぎ、給食をおかわりに行く児童が出てきた。分けられるものなら量を調節すればいいが、個数に限りのあるデザートは、その争奪戦も熾烈しれつを極めることとなる。
 もちろん稲穂も参加し、「じゃんけん」という民主主義の名のもとにおいて、敗戦というき目にあう。
 負けたのなら仕方がない、と渋々自分の席へ戻っていった。そこに、稲穂が狙っていたデザートをたずさえた修治が、おずおずと近づいてくるのが見える。


「あの、これ。あ、あげるよ」「悪いよ」「いや。ゼリー、その、苦手だから」


 それは、なんだか嘘のように聞こえて、稲穂は「本当に?」と訊く。
 修治は何度も首を縦に振り、稲穂が「ありがとう」と受け取った途端に、そそくさと立ち去っていった。その間、修治は稲穂と一度も目を合わせていない。
 なんか嫌われるようなことしちゃったかな、と稲穂は、きょうのことを振り返る。でもそれじゃあ、これは持ってこないよね?


 ありがたくスプーンで口もとへ運んでいると、ほどなくして給食の時間が終わり、片づけを済ませた児童から昼休みへと移行していった。
 稲穂は歯磨きセットをランドセルへ戻したあと、教室で読書をしたり五時間目の予習をしたりして過ごす。
 五時間目が始まる五分前には、国語の教科書を開き、すでに授業の準備をしていた。しおりを読み返しては、修学旅行への思いをせたりもする。


 窓からのぞめる校庭には、青空のもと、元気に走りまわる男子たちと、それにじって、き缶を勢いよくり飛ばす彩の姿があった。
 普段は教室にいるのに、きょうの彩はかなり活発的なようだ。予鈴が鳴ってから、汗だくになった男子たちが、連れ立って戻ってくる。
 男子たちは、教室のなかで堂々と着替えを始め、「受持さんも着替えてきなよ」と声をかけられた彩は、その場でTシャツに手をかける。
 あわてて稲穂は彩の手を引き、「更衣室はあっち!」と指さした。


 昼休みのあいだ中ずっと走り回っていたらしい彩は、五時間目が始まるやいなや、机の上へ突っしてしまう。
 それを見た担任の先生は、あきれ果てて頭をかかえた。


「先週は五瀬さんが寝てたかと思ったら、今度は受持さんか? どうしたんだ、おだぢ」


 稲穂の知らない「先週の稲穂の様子」が先生の口から語られる。稲穂は眉をひそめた。
 先週、わたしが寝てた? 寝耳に水なんですけど。
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